特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

人生の一ページ

2019-08-23 04:48:49 | その他
秋涼の前味、8月も後半になってくると、朝、25℃を下回る日がでてきた。
昨日・一昨日の早朝は23℃、そんな朝は、ホッと癒される。
そしてまた、「暑い!暑い!」と愚痴ってる間に、辺りは、気づかないところで少しずつ秋の装いに変わってきている。
いつものウォーキングコースにある桜樹を見上げてみると、わずかではあるけど、先が黄色くなってきている葉もあり、「もう、そんな季節か・・・」としみじみ思う。

過ぎてみれば、一日一日が過ぎていくのははやい。
目先の生活に追われるばかりの毎日で、気づいてみたら、一つ歳をとっている。
人間なんて、動物の中では賢い方なのだろけど、実のところはそうでもないから、人生なんて、そうやって終わっていくものなのだろう。
それでも、時々は、この人生(時間)の希少性や有限性を強く意識して、心をリフレッシュしたいもの。

「リフレッシュ」といえば、旅行やレジャー、趣味を楽しんだり、酒を飲んだり、風呂に浸かったり、人それぞれ色んな方法があるだろう。
実際、この夏休み、帰省や旅行・レジャーで命の洗濯をした人も多いだろう。
私の場合、飲酒とスーパー銭湯、たまのレジャー、あとは、日々やっているウォーキングもそのひとつ。

私は、天候と時間と身体の調子がゆるすかぎり、ウォーキングをしている。
一時間、約6km。
好きでやっていることとはいえ、酷暑の夏と厳寒の冬は、なかなか楽ではない。
だから、今の時季は、少しでも気温が低い早朝5時台・6時台に歩く。
それでも、大汗をかき、Tシャツはビショビショになるし、持ってるタオルもシットリ重くなる。
私は、肉体労働者なので、それ以上に身体を動かす必要もないかもしれないけど、歩いた後にはそれなりの爽快感や達成感がある。
あと、一人で黙々と歩くと、ある種、自分を見つめなおす黙想のようなことができる。
この人生(時間)の希少性や有限性を強く意識することができ、常日頃、私の心に沸々とわいて私を支配してくる後悔・不満・不安の念を、感謝・喜び・希望の念に変えてくれる。
もちろん、それは愚弱な私のこと、一時的なこととして通り過ぎてしまう。
が、それでも、それは、少なからず、自分にとってプラスに働くわけで、一度きりの今日、二度とない今日をがんばるエネルギーになるのだ。

何日か前、いつものウォーキングコース沿に建つ住宅の塀の上から、一輪、薄紫の“あさがお”が小さな顔をのぞかせていた。
無機質なブロック塀から一輪だけ出ている様はなかなか愛らしく、また一腹の清涼剤となり、私は、一日の労苦に向かってポンと背中を押してもらったような気になり、その脇を軽快に通り過ぎたのだった。

「あさがお」といえば、あれは小学校低学年の頃だっただろう、夏休みの宿題で観察日記をつけた憶えがある。
あさがおの成長を記録した絵日記だ。
その昔、私は絵を描くのが好きだった。
美術部とかに入っていたわけじゃないけど、高校生の頃は、企業から与えられたテーマ(例えば“労働災害防止”とか)のポスターを何度か描いてお金をもらったこともある。
私が送った手描きの年賀状を部屋に貼ってくれていた友人もいた。
だから、「将来は、イラストレーターみたいな仕事もいいな・・・」と考えた時期もあった。
(実際は“イライラストレスライター”になっちゃってるけど・・・)

そんな私だから、小学生の頃の絵日記も楽しくやっていた。
一日一ページ、絵を描き、文を書くわけ。
その時々のイベント、何かをやっている人の姿、出かけた先の風景、食事のメニュー等々、日常の何気ない一コマを描いた。
もちろん、絵日記なんて、小学生のときが最後で書いてはいないけど、今、小学生のノリで絵日記をつけるとしたらどんなものになるだろう・・・
このブログのごとく、長くてクドい文章になるかもしれない。
そして、絵は・・・・・なんか、ヤバいことになりそうで自分でも笑恐ろしい。



昼間は猛暑でも、朝晩は涼が感じられるようになった ある年の晩夏。
都内某所で、腐乱死体現場が発生。
現地調査の依頼を受けた私は、カーナビが示す場所へ車を向かわせた。
目的の建物は、細い路地の奥にあった。
それは、昭和の香り漂う、木造の古い二階建アパート。
一階に三世帯、二階に三世帯、間取りはそれぞれ1DK。
その二階、中央の一室で、住人が孤独死。
無職無縁の生活を送っていた故人の死は、誰にも知れることなく・・・
何日も経って、大量に発生したハエと外にまで漏れ出した腐敗臭が、その異変を世間に知らせたのだった。

私は、腐乱死体現場に躊躇するほどの純粋さはとっくに失っているけど、“特掃隊長”に“変心”するための時間をもうけるため、アパートの下で足を止めた。
そして、しばし、現場の部屋の方に向かって建物を見上げた。
すると、二階の一室、現場の部屋の手前隣の一室から一人の老人が出てきた。
歳は八十くらいか、男性(老人)は、錆びた鉄階段を下りる途中で私に気づき、こちらに向かって泥棒を見るような視線を送りながら、ゆっくり階段を下り、通路の立つ私に近づいてきた。

怪しまれていることを察知した私は、男性に道を譲りながら、
「こんにちは・・・」
と会釈。
「そこの部屋に来たの?」
私が醸し出す独特の?雰囲気で用件がわかったのだろうか、男性は、無愛想にアゴを現場の部屋に突き出した。
「そうです・・・」
悪いことをしに来たわけでもないのに、私は、少々後ろめたいような気分で小さく返答。
「何があったか知ってるの?」
男性は、野次馬根性にも似た好奇心をのぞかせながら、ちょっと意地悪な表情を浮かべた。

怪しい仕事をする私が、それほど怪しい人間でないことがわかると、男性は急に口を軽くし、旧来の友人とでも話すかのように多弁になった。
「どこでもこんなニオイなの?」
「俺の部屋までクサくなっちゃってさ・・・」
「奥の人は我慢できず出てっちゃったよ・・・」
「俺は引っ越す先も引っ越す金もないからさ、我慢するしかないよ・・・」
「でも、ま、仕方ないよ・・・人間は、いつか死ぬんだからさ・・・」
男性は、“寛容”というより“諦め”、“慈愛”というより“悟り”の心境をもって、「仕方ないよ・・・」と言っているように見えた。
私としても、ありがちな「クサいから、早く何とかしろ!」というような苦情を言われるよりは楽だけど、聞き分けの良さの陰に男性の社会的な力のなさが見えて、少し切ないものを感じた。

その後、特殊清掃・家財処分・消臭消毒等々の作業で、そのアパートに何度も通った。
そして、男性とも、頻繁に顔を会わせた。
ずっと一人でいて人恋しいのだろうか、作業の物音をききつけると、その度に玄関からでてきて、こちらの様子をうかがってきた。
仕事の邪魔になるほどのことでもないし、私の方も、小休止ついでに誰かとおしゃべりすると気が紛れる。
また、男性の行為(好意?)を軽視するのも可哀想に思えたので、その都度、話につきあった。


男性は、若い頃、大きな企業にサラリーマンとして勤めていた。
ただそこは、今だったら「ブラック企業」と言われるような会社。
実績をあげた分は賃金で還元されたものの、労働時間は長く、仕事のノルマもハード。
当時の社会には「ハラスメント」なんていう言葉はなく、上司のパワハラも日常茶飯事。
鬱病もマイナーは病気で、定年を前に中途退職すれば、ただの負け犬扱い。
そんな社会、そんな会社で、男性も、ギリギリまで奮闘。
しかし、多くの同僚と同様、ストレスによって体調を崩し、結局、働き盛りの年齢で退職に追い込まれた。
それは、劣等感と敗北感に苛まれる絶望の日々だった。

その後、「サラリーマン」という肩書に懲りた男性は、自営で何かやることを決意。
色々と思案し、それまでのサラリーマン時代とはまったく畑違いの弁当屋をやることに。
夫婦二人三脚で商売を学び、最初は家族経営で開業。
売上が軌道に乗るまでは従業員を雇うこともせず、不休で働いた
その功もあり、小さな商いだったけど売り上げは順調に推移し、店は数名の従業員の抱えるくらいにまで成長。
それは、やりがいのある充実した日々だった。

事業がうまくいったら、更に大きくしたくなるもの。
男性は、事業欲旺盛に二店舗目を計画。
必要な資金は金融機関から借り入れ、知り合いの縁で、店を任せられる店長も雇用。
家賃も高かったが立地も良いところへ物件を確保。
多くの労苦と重いリスクを背負いながらも準備をすすめ、次の店を開店させた。
それは、夢膨らむ楽しい日々だった。

転機が訪れたのは、それからしばらく後。
人間関係ってそんなもの・・・所詮、使う人間(経営者)と使われる人間(従業員)は水と油。
店を任せていた店長とウマが合わなくなり、ことあるごとに対立するように。
そして、やる気を損ねた店長は、次第に仕事を蔑にするように。
そのうち、店の売上利益も気にしなくなり、とても店を任せられる状態ではなくなった。で、結局、店長は、些細なことが原因のどうでもいいケンカを機に、仕事を放りだして辞めていった。
それは、やり場のない憤りを抑えられない怒りの日々だった。

そこから、弁当屋は火の車となった。
しばらく、二つの店を掛け持ちして頑張ってはみたけど、限界はすぐにきた。
従業員は思うように働いてくれず、また、店を任せられる人材もいなかった。
結局、サラリーマンのときよりも重く心身の調子を崩し、借金と疲弊した心身だけを残すかたちで、あえなく、二店舗目は閉店となった。
それは、夢を砕かれた心と老いた身が疲弊する日々だった。

それでも、しばらくは最初の店でがんばった。
しかし、借金返済が重くのしかかり、生活はキツくなる一方。
そのうち、何かの歯車が狂いだし、売上は低迷し、運転資金は底をつき、税金や年金が払えなくなり、愚痴と酒が増えていき・・・弁当屋は廃業となった。
それは、不安と絶望に苛まれる苦悩の日々だった。

男性は、その後の詳しいことは口にしなかった。
が、仕事も家も家族も失い、流れ流れてきたのだろう・・・
このボロアパートで独り暮らしをするに至った経緯は、想像に難くなかった。

「色々あったけど、この歳まで生きさせてもらったんだから・・・」
「全部、想い出・・・ここまでくると、後悔も不安もないね・・・」
「とりあえず、一日一日 気楽に生きて、あとは死ぬだけだよ・・・」
亡くなった隣人と自分を重ねたのか、老人は、そう言いながら故人の部屋へ目をやり、そして、ジョークでもとばしたかのように笑った。
何故だか、その顔に悲壮感はなく・・・
その屈託のない笑顔がどこからくるものか・・・
その所以は、経験も思慮も足りない私が知り得るものではなかったけど、どことなく嬉しさを感じさせてくれるものではあった。


目の前の現実には、バラ色の将来を想像するには困難な光景ばかりが広がっている・・・
人は、何のために生まれてくるのか・・・
何のために生きるのか・・・
そして、何のために死ななければならないのか・・・
そんな疑問に頭を悩ませ、心を苦しめたことがある人は少なくないだろう。
しかも、そういう想いは苦痛の中、苦悩の中から湧いてくる・・・多くの場合、幸せで楽しいときには湧いてこない。
この私もその一人。
幸せに生きるため? 人生を楽しむため? 世のため? 人のため?
どれも正解だと思うし、答はまだ他にたくさんあるとも思う。
また、宗教・哲学、個人的な思想・価値観によっても、色んな答が導き出せると思う。
しかし、半世紀生かされてきて想うのは、そういうことを真剣に考えること自体が“答”なのではないかということ。
命や人生に対して真剣な想いをもっている証、大切な何かを真剣に求めている証だから。

ただ、そんな問答の末に行きつくところがある。
難しいことはわからないけど、生きていることを喜びたい。
こうして生きていることには、何かしらの意味があると思いたい。
つまらないことでクヨクヨしてるヒマがあったら、楽しみを探してハツラツとしていたい。
不安の種を拾うより、希望の種を探したい。
永遠に続くと錯覚しているその悩みや苦しみは人生の終わりがすべて片づけてくれることを知り、今を大切にしたい。

一日一日、今こうして積み重なっている大切な一日は人生の一ページ。
人生最期の一ページ、私は、どんな文を書き、どんな絵を描くころになるだろう・・・
今の私は、まだまだ、その域に達してはいないけど、できることなら、「ありがとう 楽しかった」と、穏やかに微笑みながら手でもふっている自分の姿を描きたい。

そのために、今日の一ページをどうデザインしていくか・・・
この晩夏、例え 心の絵日記が、凄惨な絵となっても、寒々しい絵となっても、暗い絵となっても、一度きりの今日、二度とない今日の終わりには、小さくても淡くてもいいから、一輪の“あさがお”を咲かせたいものである



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熱気

2019-08-13 08:58:09 | 腐乱死体
「暑いですね!」は、もはや合言葉のよう。
長かった梅雨が明けて以降、連日の猛暑・酷暑が私を疲弊させている。
これも四季の趣、夏の味わい・・・とはいえ、若くない身体にはなかなか堪える。
このブログはほとんど休眠状態だけど、私自身は、相変わらず不休で働いているから余計にキツい。
しかし、この盆休み、九連休の人もいるらしい。
が、あまり羨ましいとは思わない。
仮に休みがあっても、こう暑くては遊びに行く気にもなれない。
行楽地は、どこに行っても混んでるだろうし、飲食に使い過ぎたか、今月は早々と金欠気味だし。
そうは言っても、家でゴロゴロしていても暑いわけで・・・エアコン(電気代)が無駄になるだけ。
結局のところ、どうせ汗をかくなら、仕事をしていた方がマシかもしれない。

エアコンと言えば・・・(非常にくだらない話で恐縮だけど)
ヒマな私は、先日まで、「いつまで、エアコン(冷房)を使わないで耐えられるか」というチャレンジをしていた。
5月の段階でも夏のように暑い日があったが、エアコンは使わず。
6月に入っても、窓開と扇風機でしのいだ。
「さすがに7月には入ったら無理だろう」と思っていたけど、長梅雨のお陰もあってか、7月になっても意外と我慢できた。
で、「ひょっとしたら、8月までいけるんじゃないか?」と考えるように。
しかし、日が経つにつれ、気温は容赦なく上がり、7月も下旬になってくると なかなかキツくなってきた。
が、それでも、8月を目指して辛抱を続けた。
しかし、7月29日の熱帯夜、仕事の疲労も重なって、とうとう私の心は折れてしまった。
8月まで耐えられなかったことは残念ではあるけど、ま、こんなことで身体を壊すバカにならずに済んでよかったかもしれない。

身体を壊す心配は、他にもある
それは、大好きな酒。
猛暑の肉体労働は酒の味を格段に上げる。
結果、酒量が増えている。
最初はビールで主力はハイボール。
飲み始めは、冷えたビールを一気に胃に流し込む・・・これが たまらない!
350ml缶なら二飲、アッという間になくなる。
ただ、ビールはコスパも悪いし、メタボにもなりやすい。
で、二缶目には手を出さず、一缶飲んだらハイボールに切り替える。
薄まることを嫌う私は、本来、ハイボールに氷を入れるのは好きではない。
だが、この暑さで氷は必需品。
酒が温くなるのを防いでくれるだけではなく、見た目に涼やかであり、ジョッキを傾ける度にカランコロンと鳴る音も涼を感じさせてくれるから。
しかし、美味しい酒にも健康リスクがある。飲み過ぎは禁物。
「夏が終わるまでは無理かな・・・」
意志の弱い私は、どうやったら低ストレスで酒を減らせるか、思案している。

言うまでもなく、私は、若くもなければ金持ちでもない。
やってる仕事もこんなだし、持ってないモノや欲しいモノもたくさんある。
だけど、私には、平和や健康など・・・数えきれない恩恵を受けている“日常”がある。
疲れると、後悔・不満・不安が重く圧しかかってくるけど、とにもかくにも、大きな事故やトラブルもなく、こうして日常が過ごせていることは本当にありがたい。
それを想うと、心を熱くせずにはいられない。



真夏のある日、現地調査の依頼が入った。
依頼者は、それまでにも何度か仕事をしたことがある不動産会社の担当者。
で、彼は、腐乱死体現場を何度か経験しており、いつもだと、先に自分が部屋に入って軽く見分し、事前に その概要を伝えてくれるのが常だった。
しかし、ここはそれもできなかったくらい凄惨らしく、
「自分が経験した中では一番ヒドいです!」
「ニオイとハエがスゴ過ぎて中に入れなくて・・・」
と、私に現地調査を一任。
その上で、
「アパートの住人から苦情がきてますけど、何か言われたらこちらへ回して下さい」
「ときかく、かなりのことになってますから、気をつけて下さい!!」
と気を使ってくれた。


「ここかぁ・・・それにしても暑いなぁ・・・」
現場は、老朽アパートの二階一室。
気温は体温近くまで上がり、体感温度は、更にその上。
目眩がするような、息苦しくなるような熱気が身体に纏わりついてきて、顔をしかめるしか対処のしようがなかった。

「外でもこんなに臭うとは・・・」
担当者が貼ったらしく、玄関ドアには、隙間から漏れる異臭を防ぐためのテープが長方形に付いていた。
それでも、私の鼻は、嗅ぎ慣れた異臭を感知。
私は、まったく緊張していない自分のたくましさを頼もしく思いながら、目貼りをペリペリと剥がした。

「ハァ~・・・中は、もっとクサいわけか・・・」
テープを剥がすと、更に高濃度の異臭が漏洩。
近隣から苦情がくるのも当然だった。
私は、それを鼻で吸って確認し、それを愚痴まじりの溜息で吐き出した。

「誰かでてくるかな?」
私が立てる物音を聞きつけ アパート住人が出てくる可能性はあった。
が、誰も出てこず。
気づかないわけではないだろうに、多分、私のような、得体の知れない仕事をする得体の知れない人間とは関わり合いになりたくないのだろうと思った。

「さてと・・・行くか・・・」
溜息をついてばかりいても仕方がない。
私は、頭のタオルを巻き 専用マスクを装着。
それから、後ポケットに殺虫剤スプレーを二本備えて、玄関ドアの向こうへ身体を滑り込ませた。


亡くなったのは高齢の男性。
今どきめずらしく、部屋にはエアコンが未設置。
持病もあったらしかったが、死因は熱中症の疑いもあった。
どちらにしろ、“死”というものは、時と場所を選ばず、然るべき時にやってくる。
ただ、故人にとっての“然るべき時”は、真夏のこの時季だったわけ。
真夏の高温と高湿の中では、肉体は猛スピードで腐っていき、遺体や部屋が悲惨凄惨な状況になるのは自然当然の理で、その結果がこの現実。
故人の死なのか、目の前の惨状なのか、自分の業なのか・・・私は、うるさいハエも気にならないくらいに、何かに気持ちを厳かにしながら静かに歩を進めた。

温度は猛暑の外より更に高く、室内は、まさにサウナ状態。
しかし、私は、もともとサウナは苦手。
あの異常な高温には、恐怖感すら覚える。
だから、スーパー銭湯は好きだけど、行ってもサウナには入らない。
しかし、こっちの“サウナ”に好き嫌いは言ってられない。
表向きは「使命」、実のところは「商売」、乗りかかれば「責任」、とにかく、私に「入らない」という選択肢はなく、心を無にして(“無”にならないけど)臨むしかない。
冷や汗じゃないだけマシではあったけど、入室した途端に身体中の汗腺から汗が噴出し、シャツは濡れて身体に貼りつき、手袋には 汗がたまっていった。

主たる汚染は、和室の隅に敷かれた布団。
敷布団は、腐敗液でドス黒く変色し不気味な艶を放っていた。
同時に、腐敗粘土が故人の最期の姿を立体的に浮き上がらせていた。
更に、ベトベト グジュグジュの敷布団の下には、人工的に敷き詰めたかのように無数のウジがビッシリと潜伏していた。

もちろん、その下の畳も無事では済まされず。
腐敗体液は、敷布団だけでは吸収しきれず畳まで浸透。
そして、畳だけで留まりきらず、その下の床板まで到達していることは容易に想像できた。
更には、床板を通り越して一階の天井裏にまで垂れている可能性があることも危惧させられるくらい深刻な状況だった。

また、担当者が言っていたとおり、ハエが大量発生。
“進撃の巨人”に驚いたのだろう、黒点の彼らは、舞い降りる雪のように、舞い散る桜のように(そんなきれいじゃないけど)、一斉に飛散乱舞。
そんな彼らを放っておくほど寛容ではない私は、両手に一本ずつ殺虫剤スプレーを持ち、二丁拳銃のガンマンのように飛び回る彼らに向かって噴射。
すると、危険を感じた彼らは、今度は、羽音を唸らせながら狂喜乱舞。
ハエにとって私は、悪い怪物に見えたことだろう。
が、それも束の間、次第に羽音を弱らせながら低空を蛇行し、そして、落ちていった。

私に最後の一匹まで追い詰める根気はなく、ほとんどのハエを撃墜したところで、とりあえずの殺虫作業を終わらせた。
そして、殺虫剤の靄が晴れるまでの間 外に出て小休止することに。
悪臭プンプン、汗みどろ、ヒドい身体になっていた私は、人目と風向きを気にしながら階段下の日陰に隠れるように腰を降ろした。
外も猛暑であったけど、それでも、室内に比べればマシ、涼しく感じるくらい。
私は、汗を流しつつ用意していた水を飲み、溜息を吐きつつ新鮮な空気を吸いなおした。
そして、このツラい現実の奥底にあるはずの 自分にとってプラスの意味を探りながら、また、故人の死を想いながら、特掃の段取りを思案した。


「人は、“死”を避けることができない」
「故人だって、こうなりたくてなったわけじゃない」
「ここにあるのは“肉の害”であって、“人の悪”はない」
そう想うと、至極凄惨な腐乱死体現場であっても、恐怖感はもちろん、嫌悪感もなくなっていく。
あとは、幾重にも渡って自分を取り囲んでくるツラい現実をやわらかく受け止め、上向きに消化し、自分とうまく折り合いをつけるだけ。

冷めた感情、鈍い感性、弱い意志、臆病な性格、ネガティブな志向、怠惰な思考、不健全な嗜好、愚かな価値観、下劣な欲・・・
自分の覚悟や決心といったものは、結局のところ一時的な感情から生まれたもので、あまり頼りにならないことや信用ならないことを痛感させられたことも何度となくある。
そういったことに苛まれて乾冷に過ごしてきたこれまでの人生大半。
しかし、しかしだ、心を生まれ変わらせるチャンスはある。
身体を若返らせることはできないけど、心を生まれ変わらせるチャンスは、毎日、毎日に、何度も、何度もある。
点である人は、プロセスより結果を大切にするけど、線である人生においては、結果よりプロセス・・・つまり、日々の生き方の方が大切なのではないだろうか。

誰もが忌み嫌う腐乱死体現場にいるのは自分一人。
待っているのは、キツい仕事、ツラい作業。
気分が乗らないのは、私が軟弱なせいだけではないだろう。

「あとは俺に任しといて」
芝居じみたセリフだけど、それを姿なき故人に話しかけるようなつもりでつぶやき、自分一人の世界でカッコつけてみると、自ずと自分と折り合いがつき、そして、心に火がつき、それが燃えてくる。

そして、その熱気が、私の時間(人生)を充実させ、有意義なものにしてくれるのである。



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