特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

クスクス

2016-08-29 08:05:44 | 特殊清掃 消臭消毒
晩夏、九月ももう目前。
台風頻発のせいか、朝晩は、明らかな秋の気配が感じられるようになっている。
もちろん、このまま秋へ一直線というわけにはいかず、この先 厳しい残暑に見舞われることもあるのだろうけど、とにもかくにも今年の夏も一段落ついた。

しかし、今年の夏は、例年に比べると暑さが楽だったように思う、
梅雨明けも遅かったし、その後も雨天・曇天が多く、猛暑日が長く続くこともなかった。
不安定な空模様で、空は晴れているのに、いきなりドシャ降りの雨が降ったり、何の前ぶれもなく雷鳴が響いたりしたことも多かった。
もちろん、酷暑にヒーヒー言わされたことはあったけど、それも散発。
例年だと、毎晩のようにクーラーをつけないと寝付けなかったように思うけど、今年は、扇風機だけでしのげた夜が何度もあった。

私は、車に乗っているときは、基本的にエアコン(冷房)は使わないのだが、耐え難い猛暑で走ったのはほんの数日だったように思う。
暑かったことは暑かったけど、あとは、少しの辛抱で乗りきれた。

ちなみに、その様を見た部外者から、
「エアコン使わないんですか?」
と訊かれたことがある。
暑いのにエアコンを使わないでいることが、変に見えるのだろう。
訊かれた私は、
「気持ちが萎えて、かえってキツい思いをしますから・・・」
と応えた。

涼を与え過ぎると、暑を避けようとする自分、暑から逃げようとする自分がでてくる。
すると、現場に入ることを億劫がる自分が生まれ、“効率”を名目に仕事の手を抜こうとする怠惰な(本来の)自分が生まれる。
そうして、堕落の一途をたどってしまう。
ストイックになりすぎるのもよくないけど、自分を甘やかして困るのは他でもなく自分。
ある程度の忍耐、自制をきかせるのは、結局、自分のためなのである。

もちろん、それは、自分一人で乗っている場合にかぎる。
誰かと乗っているときは、そんなことはしない。
「エアコンなしでいい?」
なんて、意味不明なことも言わない。
真夏にエアコンもつけないで車を走らせるなんて、同乗者にとっては極めて迷惑な話だし、常識的に考えて無理があるから。
だから、黙って自分も涼に身を置き、しばし自分を甘やかす。

自分を甘やかさない方法としては、先方切って現場に走ることも挙げられる。
また、できる限り、作業を一人でやりきることも。
何度も書いてきた通り、私の場合、特殊清掃作業は一人でやることがほとんど。
複数人でやるのは、広範囲に渡る血痕清掃や何十匹の動物死骸処理、大型家財・大量家財の処分くらい。
「一人でやるんですか!?」
と驚かれることも多いけど、人が一人亡くなったくらいの痕清掃は、ほとんどの場合 大の大人二人分の作業量はない。
ただ、人は、肉体作業の観点から驚くのではなく、メンタルな部分で驚くのだと思う。
「恐くないのか?」「一人で心細くないのか?」と。
凄惨な現場に対して、「恐い」「不気味」「気持ち悪い」等と思い、嫌悪するのだと思う。
私だって、一応(?)ただの人間だから、少なからずの嫌悪感や恐怖感は覚える。

それでも、私は、一人のほうが楽。
肉体的に少々キツい思いをしても、誰に気を使う必要もなく、自分のペース・自分のやり方で好きなようにできる。
誰かと組んだ場合、その者がやる気満々の動きをみせないとストレスがかかるし、楽しようとする姿勢が見えたりすると怒りさえ覚えてくるから。
結局、一人の方が、余計なストレスがかからず、仕事に集中できるのだ。


酷暑のある日、例によって、私は特掃の現場へ一人で出向いた。
現場は、マンションの上階一室。
その部屋の住人が孤独死し、一ヶ月近い時間の中で腐乱。
部屋には、おびただしい量の腐敗汚物が残留し、おびただしい数のウジ・ハエが発生。
同時に、“鼻を突く”どころの話ではないハイレベルな悪臭が腹をえぐってきた。

エアコンを使わない主義であっても、それは車の場合。
車は窓を全開にできる。
温風(ときに熱風)ながら、風が吹けば空気が通るし、走れば風が吹き込んでくる。
しかし、汚部屋の場合、窓は開けられない。
外への悪臭の漏洩やハエの飛散を防ぐために。
だから、風が吹き込むこともなければ、空気が流れることもない。
いわば、蒸風呂・サウナ状態。
さすがに、これでの作業は辛く、ときに危険。
ましてや、部屋には一人きり。
熱中症で倒れても、電話でもしないかぎり、すぐには気づかれない。
意識を失いでもしたら、自分が死体になってしまう。

したがって、許可があれば、エアコンを使わせてもらう。
ここでも、依頼者は、
「どうせ、エアコンは新品に交換しないとダメでしょうから、遠慮なく使って下さい」
と、猛暑の中、部屋に入る私に気を使ってくれた。

「エアコンが使えるなら、終わるまで中にいられるな・・・」
私は、そう思いながら作業をシミュレーション。
作業途中に部屋から出ないで済むよう、必要になりそうな備品・道具に漏れがないか頭の中で念入りに確認した。
そして、それら一式と多目の飲料を持って部屋に入った。

「うわッ!暑ッ!・・・とりあえずエアコンをつけるか・・・」
蒸し上げられた部屋の熱気に包まれた私は、腐敗痕を横目に、まずはエアコンのリモコンを探した。
しかし、それらしきモノはどこにも見当たらず。
故人も、普段からエアコンは使っていたはずなのに、目についたのはTVやDVDのリモコンだけ。
肝心のエアコンのリモコンはどこにも見えず。
私は、目の錯覚を疑いながら部屋のテーブル・ソファーから床一面を凝視し、リモコンを探した。

そうして、しばらく探し回ったが、結局、見つけることはできず。
本体に作動スイッチを探したが、それもなし。
時間ばかりが経過する中、そんなことばかりやっていては仕事にならない。
結局、私は、エアコンを使うことを諦めて、特掃作業にとりかかることに。
噴き出す汗で貼りつく作業服に動きづらさを感じながら、いつもにセオリーに従って作業を開始した。

そこは、ハンパじゃない暑さ。
汗は作業服だけでは吸いきれず、服の端からポタポタと滴り落ちた。
更に、作業を進めていくうちに心臓の鼓動は大きくなり、呼吸もやや困難に。
作業も山場を越え終盤になった頃、危険を感じた私は、一旦、外に出ることに。
作業途中に休憩を入れると気持ちが萎えるし、もう少し頑張れば終わるので、あまりそうしたくはなかったけど、そこは、そんなこと言っていられるほど甘い状況ではなかった。

そんな中、時間を見るため、私は壁にかかった時計を見上げた。
すると、あるモノが視界に。
それは、エアコンのリモコン。
リモコンは、どこかに紛れていたわけでもなく、隠されていたわけでもなく、柱に取り付けられたケースに収まっており、ずっと私の目に見えるところにあったのだ。
ただ、酷な作業を前に緊張していたのか、暑さから逃れようと焦っていたのか、または、引力に従った一種の先入観が働いたのか、私がそれに気づかなかっただけ。
私は、自分のマヌケさに呆れながら、
「こんなところにあったのか・・・」
「また一つ、訓練してもらったな・・・」
と、いらぬ酷暑の中で汗と脂にまみれた醜態をクスッと笑った。

リモコン発見によって、そのまま部屋で休息する手もでてきたが、部屋が不衛生極まりないことには変わりはない。
無臭の空気に触れたかったし冷たい飲み物も欲しかった私は、やはり外で休憩をとることにした。
が、私は、立派なウ○コ男に変身済み。
自分自身が腐乱死体になったごとく、凄まじい悪臭を放つわけで、エレベーターに乗ることはもちろん、共用廊下やエントランスを歩くこともままならず。
私は、廊下や階段に人気がないことを確認し、スプレー式の消臭剤を噴射しながら逃げる泥棒のように廊下を走り、非常階段を駆け降りた。


まず必要なのは、水分の補給。
冷えた飲み物を手に入れるには、どこかで買い求めるしかない。
しかし、当然、コンビニ等の店には入れない。
警察に通報こそされないだろうけど、店や他の客から顰蹙を買うことは必至。
となると、自販機で買うしかない。
私は、陽がジリジリと照りつける中にも涼を感じながら、また、きれいな空気で深呼吸をしながら自販機を探して歩いた。

自販機は近所にすぐに見つかった。
私は、周囲に誰もいないことを確認した上で自販機の前に立ち、スポーツドリンクと水を買うため財布から二本分の小銭をとりだして投入した。
すると、運の悪いことに、そこへいきなり自転車に乗った小学3~4年くらいの女の子が二人現れ 近寄ってきた。
そして、私の不安をよそに、自販機の脇に自転車をとめ、私の後ろに並んだ。

すると、私の不安は的中。
二人は、ハモるように、
「ウッ!クサイ!何!?コレ何!?」
と驚嘆の声をあげた。
そう・・・私が放つ、それまでに嗅いだことのない凄まじい悪臭が、二人の鼻を突いたのだ。
そして、その元が私であることはすぐにわかったみたいで、二人は驚愕の表情で、私の身体とお互いの顔に交互に視線をやった。
それは、私が放つ悪臭に驚き、その信じ難い現実が現実であることを確認するための自然の動作だった。

好奇の笑みでもいいから二人がクスッとでも笑ってくれれば 少しは気が楽だったのだが、二人はそんな余裕もない感じで強ばった表情。
その困惑ぶりを目の当たりにした私は、いたたまれない心境に。
そして、慌てて商品ボタンを連打。
飲料を持って さっさと自販機から離れたかったのだが、狭い受取口に二本が詰まり、なかなか取り出せず。
突き刺さる二人の視線が気を焦らせ、それが更に手をモタつかせ、あたふた あたふた。
その動きが、一層、私を異様に映したのだろう、二人は、私から距離を空けたところに退き、珍獣でも見るような目でその様を見ていた。

逃げるように自販機を後にした私は、罪人になったような気分で人気のない日陰を探し、そこに身を隠すように座った。
そして、買ってきた飲料二本を、むさぼるように飲み干した。
そうして、一息つきながら、
「あの子達・・・俺の話で盛り上がっただろうな・・・」
「家に帰って、家族にもハイテンションで話すかもな・・・」
と、私に近づいて目を丸くした女の子達を思い出してクスッと笑った。
一時だけでも、子供達の間で“伝説の悪臭怪人”になるかもしれないことがおかしかった。

惨めな気持ちにはならなかった。
寂しい気分にもならなかった。
ただ、おかしかった。
自分の姿がおかしかったのか、自分の生き様がおかしかったのか、そんな状況でも笑う自分がおかしかったのか、よくわからなかったけど、日々、つまらないことでクヨクヨしてしまうことがバカバカしく思えた ひと時だった。


普段から、私は、自分の境遇や愚弱さを嘆くことが多い。
だけど、凄惨な状況で、悲惨な姿で、辛い作業に従事している中でもクスッと笑える自分が ちょっとたけ頼もしく思える。
そして、そんな自分の人生が、ちょっとだけ喜ばしく思えて、またクスッと笑うのである。


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Battle

2016-08-22 09:00:35 | Weblog

昨日、やっと、リオデジャネイロオリンピックが終わった。
事前には心配の種がたくさんあったようだが、大きな事件や事故はなく終わったようで(知らないだけ?)、何よりである。
開催中は、日々、色々な戦いが繰り広げられた。
もちろん、“戦い”は、試合本番だけではない。
そこにたどり着く前にも、様々な戦いがあったはず。
そして、選手本人はもちろん、関係者も、それに勝つために、並々ならぬ努力を積み重ねてきたはず。
もちろん、努力が報われるとは限らない。
報われた人より、報われなかった人の方が多いかもしれない。
が、努力してきたことは、間違いのない事実。
そう考えると、メダル以外の収穫も大きいのではなかと思う。
また、多くの人の人生に、たくさんのいい思い出も残ったはず。
それもまた、かけがえのない宝物だと思う。

そう賞賛しつつも、実のところ、私は、オリンピックにほとんど興味がない。
上記一行目に「やっと」と入れた理由はそこにある。
スポーツに縁のない人生を生きてきた私はTV観戦するほどの興味もなく、夜中に試合を観て、翌朝、眠い目をこすりながら仕事に出かけるなんてことはまったくありえない。
だから、世間は、連日、オリンピックの話題で持ちきりだったけど、私の目や耳がそれに惹かれることもなし。
もちろん、日本選手の健闘を願う気持ちはあったけど、それも社交辞令的に少しだけ。
日本の選手がメダルをとったときなどは、どのTVチャンネルもその話題でもちきりだったが、興味のない私は飽き飽きして、
「もういい加減にしてほしいよなぁ・・・そんなにみんなオリンピックが好きなのか!?」
と、イラついたりもした。

こんな、私は、おかしい? 珍しい? 少数派?
誰に非難されたわけでもないけど、社会に馴染めてない感じがして、自分に不愉快な思いをしている。
ま、何はともあれ、次は東京だ。
四年後・・・もちろん、その時、生きているかどうか、どこで何をしているかもわからないけど、東京開催のときくらいは、その戦いを熱く応援したいものである。



出向いた現場は、とある賃貸マンションの一室。
そこの浴室内で、住人が練炭自殺。
発見はかなり遅れ、浴室は、極めて深刻な状況になっていた。

時季は暑い季節。
玄関ドアを開けると、蒸された空気がムアッと噴出。
更に、浴室の扉を開けると、モノ凄い悪臭が鼻を突いてきた。

浴室には窓はなく、電気はとめられており、玄関ドアを閉めるとほぼ真っ暗。
ベランダからの外陽も、離れたうえ直線で結べない浴室にはまったく届かず。
懐中電灯なしでは、身動き一つとれなかった。

場所を問わす“暗闇”というものは、あまり気味のいいものではない。
ましてや、そこは、自殺腐乱死体現場。
気温は高いはずなのに、私は、何とも寒々しいものを感じた。

私は、尻ポケットに差し込んでいた懐中電灯をつけ、中を照らした。
すると、想像していた通りの凄惨な光景が目に飛び込んできた。
そして、依頼があれば、それを掃除しなければならない自分を見つめ、“それが生きるための手段”と、気持ちを奮い立たせた。

汚染は浴室全体に広がっていたが、最も酷く汚染されていたのは浴槽の底。
故人は浴槽に座り込んでいたのだろう、大量の腐敗粘度が浴槽底を埋め尽くし、部分カツラのような頭髪も残留。
また、遺体を引きずり出すときに剥がれたのだろう、浴槽の縁や側面には、乾いた皮膚がオブラートのように付着していた。

浴槽側の壁二隅には天井に向かって三角錐形の汚染。
それは、無数のウジが登った痕。
それが、まるで鬼の角のように私を見下ろしていた。

扉の通気口、換気扇、点検口、排水口、穴や隙間はすべてガムテープで密閉。
もちろん、それらは、死を目前にした故人が貼ったもの。
死への意思の固さを表すかのように、強固に貼り込まれていた。

それらを剥がす作業は、独特の気重さがある。
「生きるためとはいえ・・・俺も、よくやるよな・・・」
私は、作業の重さを想像しながら、人生との戦いを諦めた者のような溜息をついた。


亡くなったのは、私には縁もゆかりもない人。
顔も名前も年齢も、もちろん、最期に至った経緯も何も知らない。
故人に関して知っているのは、練炭自殺で亡くなったことと、その後、長く放置され腐乱死体で発見されたということだけ。
だけど、そこには一人の人が生きていた。
私と同じ、一つの命と一つの身体を持った一人の人が生きていた。

練炭が燃え、室温が上がる中で、浴槽にうずくまった故人・・・
酸素が薄くなり、遠のく意識の中で、故人は何を思ったか・・・
戦い疲れ、「これで楽になれる・・・」と安堵の気持ちを抱いたか・・・
戦い敗れ、「もっと生きていたかった・・・」と悲壮感を漂わせていたか・・・
私は、考えても仕方のないことを頭に巡らせながら、
「それでも生きなきゃならないんだよ・・・」
「そのために頑張らなきゃならないんだよ・・・」
と、故人を責めるつもりも見下すつもりもなく、ただ、私は、似たような自分と故人を重ねながら、故人に応えるように、重くなった心の中で何度もそうつぶやいた。

嫌悪感や気重のピークは最初の段階にくる。
身の毛もよだつ光景、腹をえぐる悪臭、何かの気配を感じながらの静寂、皮膚に浸み込んできそうな毒感・・・
そして、最期の様、そこに至った経緯etc・・・
そういったものが、私の精神を圧してくるのだ。
ただ、作業にとりかかると、次第にそれは中和されていく。
これまでにも何度か書いてきたように、腐敗汚物が人に戻ってくるような感覚を覚えるのだ。
そうすると、嫌悪感や気重は徐々に薄まっていき、そのうち、ほとんど気にならなくなる。
更には、自分のため?故人のため?依頼者のため?・・・自分でもよくわからないけど、「徹底的にきれいにしてやろう」と熱くなってきて、必死に生きていることの実感が湧いてくる。
そうなると、もう嫌悪感や気重はなくなっている。
後に残るのは闘争心。
様々な敵がいる中で、自分を相手にした戦いに入っていくのである。

この世界に飛び込んで(逃げ込んで?)、二十四回目の辛夏。
それなりに戦い、それなりに努力し、それなりに耐えてきた。
その効か、人の役に立つような仕事もできるようになり、たまには、誰かの支えになるような言葉も吐けるようになってきた。
ただ、決して気分のいい仕事ではないし、陽の当る場所で誉めてもらえるような仕事でもない。
所詮は、自分の中で妥協と迎合を使い分けながら満足するしかない仕事なのである。

そんな仕事に、四捨五入すると五十歳になる私は、色んな意味で“限界”を感じつつある。
もちろん、世の中には、五十になっても六十になっても、もっとハードな仕事をこなしている人、こなさざるを得ない人はたくさんいると思う。
そう思えば、私も、まだまだ頑張れるはずなのだろうけど、身体だけでなく精神も磨り減っているような気がしている。
磨り減るものがなくなったときが“終わり”なのかもしれないけど、それはそれで切ないものがある。
疲れて倒れるように終わるのも悪くないのかもしれないけど、できることなら、満たされて終わりたい。

だったら、一生懸命やるしかない。
何事も、一生懸命やらなくて後悔することはあっても、一生懸命にやって後悔することはないから。
もちろん、その一生懸命さが報われるとは限らない。
自分が期待していた結果がもたらされなかったり、期待していなかった結果がもたらされたりする。
それでも、一生懸命やったことに対して後悔はないはず。
後悔は、一生懸命やらなかったことに対して湧いてくるもの。
だから、
「こんな仕事だって、自分に与えられている限りは一所懸命にやらなければならない」
と、自分に言いきかせている。
そして、そうすると、実際、必死に生きていることが強く実感できるのである。


人生は、旅のようであり、冒険のようであり、そして、戦いのようなものでもある。
その時々で、その場 その場で色々な戦いが起こる。
人を相手に、社会を相手に、仕事を相手に、金を相手に、病を相手に、老いを相手に、生活を相手に、時間を相手に、自分を相手に、戦いに事欠くことはない。
だから、苦・辛・悲は多く、楽・幸・喜は少なく感じてしまう。
しかし、だからこそ、戦う意味があるのかもしれない・・・
戦うおもしろさがあるのかもしれない・・・

愚弱な私が私である限り、この“かもしれない・・・”が確信に変わる日はこないかもしれないけど、それでも、私は、それを肯定し続けて生きたいと思っているのである。

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蕁麻心

2016-08-15 08:25:26 | Weblog
二週間ほど前のことになる。
午前中、とある現場に現地調査に出かけた。
依頼の内容は、家財生活用品(遺品)処理。
家屋は古い一戸建で、家主は数年の入院の末に逝去。
当人は、早期に退院できると思っていたため、家は、入院時そのままの状態で維持。
しかし、そのまま数年が経過。
そして、結局、日常の生活に戻ることはできす、とってあった家財生活用品は丸ごと遺品となった。
私は、部屋一つ一つ、収納庫や押入れ一つ一つを確認はもちろん、物置、鉢植、ガラクタetc、荒れ放題の庭や外周も確認。
行く手を阻む草樹をはらいながら、まとわりつく蚊や蜘蛛の巣をはらいながら検分を進めた。

そうこうして約一時間。
調査を終えた私は、少し離れたコインPにとめておいた車に戻った。
そして、書類を片付けたり、靴を履き替えたりして帰り支度をはじめた。
そうしていると、腹部に違和感が。
ベルトラインに沿って痒みが発生。
シャツをめくり上げて覗いてみると、痒い部分が帯状のミミズ腫に。
私は、そこをポリポリ掻きながら、
「あそこの庭で、虫にでも刺されたんだな・・・」
「ま、放っとけば、そのうち治るだろ・・・」
と、まったく気にせず、次の仕事に車を走らせた。

そうしてしばし、治まるはずの痒みは一向に治まらない。
それどころか、酷くなる一方。
そのうちに、今度は両脇の下が痒くなりだした。
「何!?こりゃ、蚊じゃなさそうだな・・・毛虫か?」
何年か前、とある現場の庭で作業していて毛虫にやられたことがあった私は、その時の症状に似ていたので、そう思った。
ただ、それでも大して気にせず、身体のあちこちをポリポリやりながら、そのまま車を走らせたのだった。


会社に戻る頃には、痒みを感じる箇所がだいぶ増えていた。
同僚も異変に気づき「首筋が赤くなっている」と、驚き気味に教えてくれた。
同僚が大袈裟に言うものだから慌てて鏡を見ると、確かに右の首筋がヒドく赤くなっていた。
「チッ!・・・今日の現場で、虫にやられたみたいなんだよね・・・」
私は、その後の自分に深刻な状況が待ち受けているとは露知らず、舌打ちしながら苦笑いした。

帰宅する頃には、胸元・膝裏・肘裏・股間等々、あちこちの皮膚が赤くなっていた。
「虫刺されじゃなく、汗疹(あせも)か?」
私は、妙な症状を怪訝に思いながら、慌てて入浴。
毛虫なら毒毛を、汗疹なら汗を洗い流さない症状は改善しないと思ったから。
しかし、入浴は何の役にも立たなかった。
皮膚の赤味は、身体の至るところに発生し、その面積は急速に拡大。
更には、痒みと熱をともないながら、ボコボコに腫れあがってきた。

夜にかけて、症状は更に深刻化。
赤腫は、熱と痒みをともないながら全身に拡大。
ほとんど全身がミミズ腫状態(模様は地図状)でボコボコ。
これと関係あるのかどうかわからなかったが、胸に痛みまででてきた。
ここまでくると、さすがに焦り始め、そのうち恐怖感すら覚えてきた

慌てた私は、似たような症状をスマホで検索。
すると、自分の症状と酷似した画像を発見。
それは、虫刺され中毒でも汗疹でもなく、“蕁麻疹(ジンマシン)”。
そして、
「原因不明のものも少なくない」
「同じような時間帯に再発することが多い」
「薬が効かないことがある」
「痒みに悩まされる」等々・・・
ネガティブな情報がたくさんでてきた。
呼吸が苦しくなったり口の中にまで異常がでたりするようなら、救急で病院に行った方がいいみたいだったが、まだ、そこまでの症状はなかったので自宅で様子をみることにした。

ただ、症状は深刻化の一途をたどった。
赤みと腫れは、ピリピリ・チクチクとした痒みを連れて、頭・顔・手平・足裏以外のほとんど全身に拡大。
我ながら、それが自分の身体とは思えないくらい悲惨な状態になってしまった。
そうして、皮膚の痒み・火照り・違和感とバトルを繰り返しながら、長い夜を過ごしたのだった。


幸い、朝になる頃には、7~8割くらいの症状が収束。
顔にも異常はなく(先天的な異常は除く)、私は、いつも通り仕事にでた。
そして、足に残っていた複雑模様の赤腫を同僚に見せながら、前夜の武勇伝(?)をハイテンションで話した。

しかし、峠を越えた安堵感を味わえたのも束の間のことだった。
昼頃になると、赤腫は再発生。
「同じような時間帯に再発生することが多い」とネットに書いてあった通り、首筋・股間・腕・胸等々、あちこちに出始めた。
そのうち、首筋にとどまっていた赤腫は顎にまで進出。
三枚目でも、顔だけは勘弁してほしかった私。
かなり焦り、仕事を早退して動揺とともに皮膚科へ急行したのだった。


病院の待合室。
Tシャツ短パン姿の私は、腕や脚を丸出し。
特に、両腕の症状は酷く、ボコボコに赤く腫れあがった
大人達は、「ジロジロ見るのは失礼」と心得ているのだが、子供達にそんな心遣いはない。
「何!?この人、気持ち悪ッ!」とばかり、私に好奇の視線を送ってきた。
人にうつるようなものではないはずなのだが、客観的に見れば、気持ち悪いのも事実。
私は、患部を隠すように腕組をして、誰とも視線を合わせないようにうつむき加減で自分の番がくるのを待った。

診断は、やはり蕁麻疹。
食べ物や接触物、アレルギー等の持病を中心に問診が繰り返されたが、前日も当日も普段と変わらないものを食べ、普段と変わらない生活しており、原因は特定できず。
私自身も、原因について、まったく心当たりなし。
思い当たるのは、せいぜい、現場で触れた草樹やまとわりついてきた虫くらい。
しかし、症状からすると、それとの因果関係はほとんどなさそう。
結局、「ストレス・疲労で、身体がSОS信号をだしているのでは?」ということになり、三種の飲み薬と一種の塗薬が処方され、診察は終わった。

幸いだったのは、発症部位が前日より少なく、変異面積が前日より小さかったこと。
その分、精神的な負荷も軽かった。
しかし、いいことばかりでもなかった。
前日はでなかったのに、症状が手平や足裏にまで発生したのだ。
他のところの痒さは何とか我慢できたものの、手平と足裏の痒みというのは、他の部位とは別格!
チリチリとした独特の痒みで、私くらいの精神力ではとても太刀打ちできず。
早々と降参し、ヤケクソ気味に掻きむしってしまった。

それでも、薬が効いたのか、たまたまなのか、その日の夕方から少しずつ症状は治まっていった。
前夜のような惨状になることもなく、就寝する頃には、ほとんど消えていた。
精神的に追い込まれていた私は、そのことがかなり嬉しくて、何もないのに上機嫌になり、前夜の睡眠不足も手伝って二日目の夜はよく眠れたのだった。


ちなみに、それ以降、大きな蕁麻疹は発症していない。
ただ、左脇腹を中心に怪しい赤斑はいくつかあり、脇下などに小さいものが出たり消えたりしている。
幸い、今現在は、それはそのまま大人しくしてくれているけど、重症化すると、斑点が面に広がり、それが赤く腫れあがってくる。
原因不明にあって油断はできない。
だから、もう薬は常用していないけど、携行はしている。
あの時の恐怖感は、まだまだ脳裏に残っているから。

とは言え、それだけではなく、学ばされたこともある。
ありきたりだけど、特に感じたのは健康の大切さとありがたさ。
昨年の夏、熱中症(?)になったとき、今年の冬、インフルエンザにかかったときにも感じたことだが、今回あらためて痛感した。
そして、好奇の視線を送られる人の気持ち。
仕事柄、好奇の視線はイヤというほど浴びてきた。
だから、その類の不快感や悲哀は知っているつもりでいた。
しかし、今回、感じたのはそれとは種を異にし、言葉の使い方を間違っているかもしれないけど“新鮮”なもので、以後、忘れてはいけないと思わせるようなものだった。


病院で渡された小冊子に、こう書いてある。
「蕁麻疹は原因不明のことが多く、原因を特定できないことも少なくない」
「疲労やストレスが原因になることがある」
そして、対策としてこう書いてある。
「ストレスをためない」
「リラックスして規則正しい生活を心がける」
「疲労・睡眠不足は避ける」

ん~・・・正直、どうすればいいのかわからない。
そもそも、「ストレス」って何? 「疲労」って何?
「リラックス」ってどうやってするの? どうやったらできるの?

常日頃から、多くのことに不平・不満・不安を抱えている私は、ストレスとは切ってもきれない仲にあり、逆に、リラックスとは縁がない。
これを、どう整えればいいのか・・・
また、疲労といったって、精神疲労もあれば肉体疲労もある。
肉体疲労は、科学的・生物学的対処法で癒せるのかもしれないが、精神疲労は、そういうわけにいかない。
気分次第、気の持ちようで、疲れもするし、疲れをとることもできる。

「俺は疲れている・・・俺は疲れているんだ」
と、思い込むことはいくらでもできるし、
「だから、休まないとダメだ」
と、自分を甘やかすこともいくらでもできる。
しかし、自分を甘やかしていいことはない。
そうは言っても、ストイックになりすぎて、“自分イジメ”をしては元も子もない。
何事も適度なバランスが必要。
このバランスが、うまい具合にストレスを発散させ、抑えるのだろう。

禁酒もストレスになれば、飲みすぎもストレスになる。
週休肝三日くらいが、私にはちょうどいい。
運動不足もストレスになれば、運動過剰もストレスになる。
一日3~4kmのウォーキングが、私にはちょうどいい。
怠けすぎもストレスになれば、働きすぎもストレスになる。
週休三日くらいが、私にはちょうどいい?(願望)

しかし、仕事は選べない。
腐乱死体現場でも、自殺現場でも、殺人現場でも、動物死骸でも、ゴミ部屋でも、糞尿トイレでも、大きなストレスがかかろうが、疲労困憊に陥ろうが、自分が取捨選択できるわけでもなければ、避けて通れるわけでもない。
この仕事に従事し、この仕事で生活している以上は、やりたくなくてもやらなければならないのだ。
ただ、それは、この仕事に限ったことではない。
程度にこそ差はあるだろうけど、私の仕事に限らず、ほとんどの仕事が同じだと思う。

ストレスの原因を掘り下げてみると、やはり仕事が第一のように思われる。
が、その元凶は、自分の怠惰性・不甲斐なさ・だらしなさ等だったりする。
不平を謙虚さで、不満を感謝の念で 不安を勇気で覆せない自分の弱い心だったりする。
そして、そんな自分の弱さと戦えない自分だったりして、単なる思い込みや自己洗脳では決着がつけることができないものだったりする。

どちらにしろ、それらが生みだすストレスや疲労は小さくはない。
これとどう対峙し、どう片付けていくか・・・苦悩は尽きない・・・
時に心を掻きむしり、時に心を掻きむしられるような思いに苛まれることを繰り返している。
何かの因果か悲しい性か、私という人間の心には、ストレス・疲労が大きくなるようなことばかりが湧いてしまう。
その症状は、一向によくならず、ここまでくると愚を通り越して滑稽なくらいである。

それでも私は、探したい・・・
自分の蕁麻心を治す薬を。
一時の人生を必死実直に生きることによって煎じられる、その薬を探し続けたい。

金も能も地位もない、小さく弱い人間だけど、せっかくの人生、せっかくの自分。
そうして生きてきたことを、こうして生きていることを、他の誰にでもなく自分自身に証したいのである。


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おもいやり

2016-08-09 08:52:14 | 特殊清掃 消臭消毒
出向いた現場は、“超”をつけてもいいくらいの老朽アパート。
その一室で、高齢の住人が孤独死。
死後、約一週間
夏も盛りを越えていたが残暑厳しく、遺体は重度に腐乱。
外部に異臭が漏れ出し、また、窓に無数のハエがたかり、事が明るみになった。

玄関前に立つと、私の鼻は早々と異臭を関知。
中が相当なことになっていることを想像しながら、私は、鍵を挿入。
ドアを開けると、それまでのものより数ランク上の異臭と熱気が噴出。
中が相当なことになっていることを更に想像しながら、私は、室内に足を踏み入れた。

間取りは2DK。
昔よくあった造りで、玄関を入るとすぐに小さな台所があり、その奥の左右に和室が二部屋。
遺体痕は、左側の和室の布団にあり、クッキリとした黒色の人型を形成。
その周囲には大量のウジが湧いており、それらが次々と無数のハエとなって羽化。
部屋に入ってきた私に反応して、騒々しいくらいの羽音を立てながら縦横無尽に飛び始めた。

部屋にある家財は少なめ。
故人は、几帳面な性格できれい好きだったと思われ、整理整頓・清掃は行き届いていた。
しかし、そこは重度の腐乱死体現場。
その痕は、生前の整理整頓も行き届いた清掃も、すべてを台なしにしていた。

特掃検分を依頼してきたのは、故人の娘。
見たところ私と同年代、または少し若いくらいの女性で、緊張の面持ちながら、キチンとした言葉づかいと落ち着いた物腰。
女性は、故人のアパートの賃貸借契約の保証人にもなっており、仮に道義的なことが除けたとしても、法的には、ある程度の責任を負わなければならない立場にあった。
ただ、女性は、道義的な責任も充分に感じ、相応の責任を負う覚悟も持っており、私に好印象を与えた。
また、部屋を原状回復させるには、それなりの内装改修工事を要することも察しており、かかる費用が大きなものになることも想像できているようだった。

故人が、このアパートに暮らしたのは数年。
数年前までは息子(女性の兄)と同居していたのだが、嫁と折り合いが悪く、その家を出た。
そして、女性宅からさほど遠くなく、しかも家賃が安いということで、このアパートに移り住んだ。

生活の糧は、現役の頃にコツコツ掛けてきた年金。
限られた収入の中での節約生活。
それでも、好きな酒を飲んだり、趣味の釣りに出かけたり、たまに孫に会いに来ては小遣いを渡したりと、分相応の楽しみをもって暮していた。
が、そんな平穏な日々は、何の前ぶれもなく突然に、本人の意を介することなく、ひっそりと終わりを告げたのだった。

「自分達はきれいな家に住んで、父だけこんなところで生活させて・・・」
「しかも、一人で死なせてしまって・・・」
「本当に・・・親不孝ですね・・・」
多額の費用がかかっても、女性は、責任をもって償うつもりだった。
その姿は、“大家に対して償う”というより故人に対して何かを償おうとしているようにも見えた。

しかし、このアパート、だいぶ古びているし、共用部の清掃やメンテナンス等、日常の維持管理業務もキチンと行われていない感じ。
更には、他に空部屋もあるよう。
私は、
「一人の生活のほうが気楽ってこともありますから・・・」
「人が死ぬことも、肉体が腐敗するのもフツーのことで、世間が思うほど特別なことじゃありませんよ・・・」
「勝手に算段しないで、とりあえず、大家さんと相談されたほうがいいと思いますよ」
と沈む女性をフォロー。
そして、
「作業内容にも関わるので、私も大家さんの考えを聞きたいですし・・・」
と、女性の誠実さに勇気をもらったような気がした私は、暗に、大家との折衝に助太刀するつもりがある旨を示した。


一口に「大家」と言っても、色んなタイプの人がいる。
資産家でも強欲で冷たい人もいれば、金持ちじゃなくても大らかで優しい人もいる。
部屋の原状回復責任はもちろん、減額分の家賃を将来に渡って遺族に補償させる大家もいれば、必要最小限の処理で了承する大家もいる。
ただ、どちらにしろ、遺族の立場ではなかなか抗弁しにくいものがある。
特定の誰かが悪いわけではないのだけど、人々の目には、孤独死腐乱は、どうしたって故人(遺族側)に落度があるように見えてしまうから。
また、遺族も、後ろめたさや罪悪感のようなものを抱いてしまうから。

ただ、遺族も、そんな人達ばかりではない。
手間や費用を負担するのがイヤで、一切関知しない遺族もいる。
法的にも道義的にも社会通念上も責任を負わなくて済む立場にあれば、それもゆるされるだろうけど、法的義務や道義的責任があろうが、そんなのお構いなしに放置する人達がいる。
「ない袖は振れない」「裁判でも何でもすきにすればいい」と開き直るならまだしも、極端な場合、貴重品類だけ持ち出して、「あとは知らない」と無視を決め込む人達もいるのだ。

したがって、“大家vs遺族”、バトルになるケースも少なくない。
そして、仕事柄、それに巻き込まれることも少なくない。
互いに利己主義をぶつけ合う、そんな殺伐とした人間関係を目の当たりにすると、何とも寂しいような寒々しさを感じる。
そして、第三者ながら、不快感や憤りを覚えることもある。
ただ、どちらの味方をするかは、その時々の状況と立ち位置で変わる。
この仕事も一応は“客商売”なので、ほとんどの場合、“客”の味方をすることになる。
大家が客の場合は大家の味方、遺族が客の場合は遺族の味方をするわけ。
判断基準は、“正義”ではなく“金”というのが悩ましいところ。
ただ、これが現実、これも現実。
幸いなのは、それが不本意なものになることが少ないこと。
大方の人が“珍業の達人”(?)として一目置いてくれ、私の意見を尊重してくれ、結果的に、正義に大きく反することを強いられるハメにはならないことが多いのである。


その日の夜、私は、大家に電話を入れた。
大家の声から想像できる年齢は私と同年代・・・または少し上くらいの男性。
言葉遣いは礼儀正しく丁寧で、ゆったりした口調。
今回の件について目くじらを立てているような様子はなく、まずは好印象。
とはいえ、それだけで“大家のタイプ”が見極められるわけではない。
私は、最初から核心(汚染状況)には触れず、部屋の概況と原状回復に必要なプロセスを説明。
男性が抱く先入観がマイナス方向に働いてはいけないので、グロテスクな表現は極力避け、ネガティブな場面はソフトに表現し、一通りの説明を終えた。
そして、遺族(女性)は、責任をとる覚悟をもった誠実な人物であることを念押しした上で男性の見解を尋ねた。

このアパートを建てたのは男性の親。
だから、厳密に言うと男性は大家ではなく“大家代理”。
真の大家は、老齢で病床にあり身動きがとれないため、息子である男性が代理で必要業務を担っているとのこと。
また、大家は、他にも何棟かアパートを所有しているそうで、結構な資産家であることを匂わせた。
が、団扇を左で扇げたのは、遠い昔のこと。
今は、どのアパートも老朽化が激しく、空室も少なくなく、更に、建物管理費・修繕費・固定資産税などを差し引くと利益はほとんどなし。
家賃収入が極端に落ち込むようなときや、修繕費が想定外にかさんだときは、トータルの損益がマイナスになることもあるようだった。

そんな状況で、男性は、アパート経営にはかなり消極的。
自分はサラリーマンとして生計を立てているし、人口(賃借人)が減少している時勢において、借金して建て直すのもハイリスクだし、日々における維持管理の負担も重い。
本当のところは、旨味のないアパート経営なんてさっさとやめて身軽になりたいよう。
しかし、もともとは、親が夢を持って始めたアパート経営。
当初は、多額の借金もして苦労したわけで、そんな親が生きているうちにアパート経営をやめることは親の意思にも義理にも反する。
どちらにしろ、親が亡くなったときは、相続税支払いのために売ることになるわけで、それまでは、何とか頑張って現状を維持するつもりでいるようだった。

「父も、もう長くなさそうですし・・・最後の親孝行ですよ」
と、男性は気恥ずかしげに笑った。
そして、
「こんなボロアパート、なおしたところで誰も入らないですよ・・・」
「そもそも、空いている部屋が他にあるわけですし・・・」
「御遺族も、こんなことになって大変な思いをされているでしょうし、家財の処分と近隣に迷惑がかからないくらいの消臭消毒をしてもらえれば、あとはそのまま放ってもらって構いませんから」
と、客観的な判断にもとづいた寛容は考えを示してくれた。

男性が、強欲冷酷なタイプでなく、また、こじれる可能性も充分にあった懸案が予想以上にスムーズに解けて、私はホッとした。
と同時に、そういう人の存在を嬉しくも思った。


男性も女性も、それぞれにそれぞれの親を想っていた。
それは、例え小さくても、人にあたたかいものを抱かせる。
思いやられる側の人だけではなく、思いやる側の人にも。
そして、それは、天の恵雨が地に浸み広がるように、当事者を越えて多くの人々の心に沁み渡っていく。
男性の親を想う気持ちが間接的に女性を助けたように、女性の親を想う気持ちが間接的に男性の寛容さを後押ししたように。
そして、二人の思いやりが、汚仕事に汗する私を励ましたように。

これも、人が人と交わり、人が人と生きることの醍醐味なのだろう・・・
そして、人が人であるための大切な意味なのだろう・・・
常日頃、「一人が気楽」とイキがっている冷淡薄情な私でも、少しはそのことがわかった。
そして、“自分本位の感傷”と知りつつも、上の方から、故人が男性と女性にペコリと頭を下げて笑いかけているように思えて、臭く汚れた顔の右半分に小さな笑みを浮かべたのだった。



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2016-08-01 08:09:39 | 特殊清掃
今日から八月、盛夏。
前回、「梅雨明けはいつ?」なんて余裕こいたこと言っていたら、その翌日、さっさと梅雨は明け、猛暑・酷暑の時季がスタート。
ただでさえ、日々、色んなものと戦わなければならないのに、これから更に“暑”を相手に戦わなければならないわけ。
で、不快指数は急上昇。
ちょっと動いただけで、身体は汗まみれ脂まみれ。
お陰で、些細なことでイライラしてしまう。

この暑さは、結構、厄介。
やはり、気温が高いと肉は腐りやすく、現場が凄惨なものになりやすい。
肉体は腐敗ガスを含んでスポンジのようになり、それがどんどん膨張していく。
想像しにくいと思うけど、生前の2倍・3倍に膨れ上がる。
そして、体表(側面が多い)の各所には水疱が現れ、その中には腐敗ガスとともに黄・赤・茶、時には緑色の腐敗体液がたまる。
そのうち、肉は固体の維持力を失い、著しい悪臭を放ちながら溶解を始める・・・髪、爪、骨などの固形物を残し、液状化していくのである。

そうなるのは、長期放置の遺体ばかりではない。
敗血症の遺体の場合、極めて短時間でこの症状が現れる。
前夜には眠っているようにしか見えなかった故人が、翌朝になると、まるで別人のようになっていたということは珍しくなく、家族でさえ遺体に恐怖心を抱く人もいる。

私も、これまで、何度となく腐敗の進んだ遺体を柩に納めてきた。
その作業は、かなりキツいものがある。
特殊清掃の相手は、髪、爪、歯、皮膚、骨、血、脂、体液、溶肉、あっても小骨や耳くらい。
そういった“部品”が相手。
しかし、遺体処置業務の場合は、遺体本体が相手。
変容著しいとはいえ人間のかたちをしており、特殊清掃とは次元を異にした過酷さがある。


呼ばれた現場は、街中に建つ古いマンション。
依頼者は、故人の息子(以後、遺族男性)。
約束の日時、1Fエントランスで待ち合わせた我々は、周囲に目立たないよう小声で短く挨拶。
それから、私は遺族男性に、遺体発見の経緯や部屋の状況を訊ねた。

亡くなったのは老年の男性(遺族男性の父親)。
死後数日が経過して後の発見。
ただ、季節は真冬。
暖房がついていると夏場に近い感じの変容が起こる可能性が高かったが、不幸中の幸いで、部屋の暖房を切られた状態。
低温乾燥の影響だろう、死後数日が経過していても特段の腐敗は進行せず。
変容と言えば、肌の色がわずかに黒ずんでいたことくらいだった。

したがって、検分に入った部屋にも違和感はなし。
一般的な生活臭や、どこの家にもある固有臭は感じられたけど、いわゆる腐乱死体臭も感じず。
亡くなっていたのは寝室のベッドだったが、そこに汚染痕もなし。
ウジ・ハエの発生もなく、事前情報以外に人の死を知らせるものは何もなかった。

ところが、遺族男性は、
「隣の人から苦情がきてまして・・・」
という。
そして、
「苦情???」
と、首を傾げる私に、
「後で、そちらに、室内の状況と作業の説明をしに行ってもらえますか?」
「第三者の客観的な意見だったら、聞いてもらえるかもしれないので・・・」
と、何やら事情ありげなことを言ってきた。

怪訝に思いながら、我々は、高齢の男性が一人で暮している隣の部屋を訪問。
遺族がインターフォンを鳴らすと、中から住人の男性(以後、隣室男性)がでてきた。
隣室男性は憮然とした表情で、
「換気扇・換気口・排水口は全部ふさげ!」
「窓・ドアは眼張りしろ!」
「玄関を開けるときは、事前にその日時を知らせて許可をとれ!」
「作業内容を事前に説明し、許可をとれ!」
「エレベーターは使うな!階段を使え!」
「室内で着ていた作業服で外へ出るな!」
等と、こちらの説明には聞く耳も持たず、一方的に注文をつけてきた。

故人の部屋からは異臭がでているわけでもなければ、害虫がでているわけでもなし。
したがって、周囲に目に見える実害はなし。
ただ、「亡くなって数日の間、その身体が部屋にあった」というだけのこと。
にも関わらず、隣室男性は大騒ぎ。
その態度に、「何様のつもりだ?」と、私の不快指数は急上昇。
故人にどれほどの落ち度があって、また、隣室男性にどれほどの権利があってそんな命令をするのか、到底、納得できるものではなかった。

それでも、遺族男性は、隣室男性に対して平身低頭。
「隣の部屋で死んでたわけですから・・・」
「イヤな思いをさせてしまったのは事実ですから・・・」
と、謙虚に隣室男性の文句を聞き、ひたすら頭を下げていた。
また、その様は、発見まで時間がかかったことに対し、故人に頭を下げている姿にも見え、遺族男性のただならぬ心痛が察せられた。

それからも、隣室男性からのクレームや注文は頻発した。
私は、元来、気の弱い臆病者ではあるけど、そんな私でもそれに対して内々でキレまくっていた。
しかし、矢面に立たされてもジッと辛抱している遺族男性を前に表立ってキレるわけにはいかない。
結果、遺族男性に迷惑がかからぬよう、私も辛抱に辛抱を重ねながら仕事を進めていった。

それから後のある日、必要ではなかった消臭消毒作業をあえて行い、家財の荷造梱包を終わらせた段階で、家財の搬出作業についての許可を得るべく、管理会社と管理組合に申請した。
ただ、双方とも作業は了承してくれたものの“隣室男性とは関わりたくない”といった物腰で
「隣と揉めないように気をつけて下さい」
「あの人、こっちにも苦情を入れてくるので・・・」
と、揉め事に巻き込まれるのを嫌って、我々と距離を空けてきた。
ただ、私と遺族男性は、それはそれで仕方がないものと割り切り、次に、家財搬出の件を伝えるため、足取り重く隣室男性宅を訪れた。

出てきた隣室男性は、相変わらず憮然とし、横柄な態度。
家財搬出の日時と、その際は玄関ドアを開けたまま作業させてほしい旨を伝えると、
「ダメ!ダメ!」
と、あっさり却下。
更に、
「少しは、人の迷惑も考えなよ!」
と、人を見下すように鼻で笑った。

人間の堪忍袋の尾の耐久力は、人それぞれ。
遺族男性の尾は、かなり強い方だった。
しかし、隣室男性の度を超した言い草に、とうとう、その尾はプチッと切れた。
「迷惑」という言葉と鼻で笑った隣室男性の態度が、遺族男性の逆鱗に触れたようだった。

「迷惑!? 迷惑って何ですか!!」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ!!」
と、それまでの温和な顔を鬼の形相に豹変させ、遺族男性は、いきなり怒鳴り始めた。
そして、
「父はそんなに悪いことをしたんですか!?」
「自分の家で亡くなるのが、そんなに悪いことですか!?」
「アナタの身内は誰も亡くなっていないんですか!?」
「アナタは死なないんですか!?」
と大爆発!
相当に鬱憤がたまっていたようで、敬語が敬語に聞えないくらいの勢いで、隣室男性に言弾を撃ちまくった。

その場にいた私は、胸のすくような思いがしたものの、それに対して罪悪感・羞恥心みたいなものを感じなくもなかった。
ただ、とりあえず、何かのときには男性の援護射撃をするつもりで言弾は用意した。
が、結局、その出番はなし。
怒ることには慣れていても、怒られることには慣れていないのか、隣室男性は驚きの表情を浮かべて沈黙。
何か言い返したようだったが、遺族男性のパワーに圧倒されて声も出ないよう。
動揺も露にシドロモドロ、モゴモゴと口ごもるばかり。
結局、
「う・・・う・・・うるさい!」
と一言吠えただけで玄関を閉めてしまった。


幸いなことに、その後、二度と隣室男性の顔を見ることはなかった。
ただ、振り返ると、隣室男性の心を怒らせたのは“死”だったのかもしれないと思う。
高齢独居の隣室男性にとって、隣人の孤独死は他人事では済まされなかったのかもしれない。
そして、あれは、死を嫌悪し、死を恐れるあまりの態度だったのかもしれない。
激高した遺族男性も然り。
父親を一人で死なせ、また、すぐに気づけなかったことで湧いてきた後悔や罪悪感のようなものが、感情を極端に激させたのかもしれなかった。
そう思うと、あの仕事の時々で隣室男性に対して抱いた不快感も少しは中和されるような気がするし、怒りを抑えることができなかった遺族男性の心の痛みも少しはわかるような気がする。
私も、死を前にし、死に悩み、死を避けられない ただの人間だから。

とにもかくにも、“怒”というヤツは面白いもの。
感情の中でも特に“怒”は、自分でコントロールすることが難しい。
そして、まるで別人格のように人を変え、また、普段にはないパワーを発揮させる。
しかし、それがプラスに働くことは少ないような気がする。
制御可能な怒りならまだしも、制御不能の怒りは自分に災いをもたらす。
多くは、時に自分を見失わせ、時に取り返しのつかないことを引き起こす。

怒りを鎮めるのは理性良心の中にある寛容さ、冷静さ、謙虚さ、そして、忍耐力。
では、それらを育むのは何か。
それは、“自己愛”・・・多くの人が持っている、“自分のため”という自分を大切に想う気持ち。
大局的にみて、長期的にみて、それが自分のためになるかどうか考えれば、自ずと答は現れる。
そして、その答に従えばいいのである。

なんて、偉そうなことを言いながら・・・
友達でもないのに年下の人間にタメ口をきかれたとき、
渋滞で自車の前に割り込ませてやった車がハザードランプを点滅させないとき、
レジで、手を触ろうとしていると思われたくなくて掌を平にしているにも関わらず、女性店員に釣銭を落とすように渡されたとき、
等々・・・
つまらないことにムッとして余計なストレスを抱えてしまう、歳の割に未熟な私である。


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