特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

脱出

2014-02-19 09:01:47 | 特殊清掃 消臭消毒
14日、関東に再び大雪が降った。
まさか、一週間のうち二度も大雪に見舞われるなんて・・・
翌15日も予定が入っていたのだが、それも延期。
駐車場から車を出せなくなったら困るので、前回の雪かきの筋肉痛も癒えぬまま、再び、雪かきに汗を流したのだった。

そんな冬季、朝の起床はかなりツラい。
一日のうち、憂鬱のピークは朝。
気温が低いせいもあるけど、気持ちの温度が低いせいもある。
「このまま夜が明けなければいいのに・・・」
布団を頭からスッポリかぶり、毎朝のようにそう思う。

それでも、起き上がらなければならない。
精神的なことを理由に仕事を休むようになったら、私は終わり。
そのぬるま湯から脱け出せなくなり、坂道を転げ落ちていくのみ。
だから、どんなに憂鬱でも倦怠感に襲われても、布団から這い出る。
そして、決められた労働環境に身を投じる。

私は、引きこもりの経験を持つ。
もう20年以上も前の話だが、この仕事に就く前の数ヶ月間、実家の一室に引きこもったことがある。
それは、労働なき生活。ある意味で堕落した生活。
身体は楽をしているのに、精神は極度の欝状態。
罪悪感・劣等感・虚無感・失望感・倦怠感・疲労感・恐怖感・・・
そういったものにヒドく苛まれていた。
そして、
「誰か俺を殺してくれないかな・・・」
と、そんなことばかりが過ぎる頭を抱えてもがいていた。

その後遺症は、今も、バッチリ残っている。
昔話としてスッキリ片付けられないものが、心に根を張っている。
だから、常に自分を注視しなければならない。
意識して自分を警戒しなければならない。
今尚、脱け出したい現実の中にいるわけだから。


現場は、街中に建つ小さなマンション。
その一室で住人が孤独死、そして腐乱。
依頼者は、マンションのオーナーである男性。
男性宅は、マンションの最上階。
私は、はじめ応接間に通され、貧相な作業着に似合わない高級感のあるソファーに腰掛けた。
予期せぬ災難が降りかかったのに、男性は落ち着いていた。
事務的に紙に部屋の間取りを書き、故人が倒れていた場所を示し、部屋の状況を私に説明。
かなりのハエが発生し、高濃度の異臭が充満していることも付け加えながら。
そして、一本の鍵を私に手渡した。

現場の玄関を開けると、著しい悪臭が私をお出迎え。
男性の説明の通りの間取りを進むと、次は、おびただしい数のハエがお出迎え。
そして、その次は、ベッドの遺体痕が私を迎えてくれた。
それを確認して後、周囲を見回すと、部屋はかなりの荒れ様。
整理整頓・清掃はロクにできておらず、生活ゴミをはじめ大量の酒のビンや缶が散乱。
独り暮らしの男性宅にありがちな様相ではあったが、自分がそれを片付ける様が想像され、ただでさえ浮かなかった気分は、更に沈んでいった。

部屋の見分を終えた私は、身に付いた異臭をともない、再び、上の男性宅へ。
ただ、そのまま男性宅に上がり込んだら、男性宅が臭くなる。
「ニオイますから・・・」
と、私は、自分を指差しながら、部屋に入ることを断った。
「大丈夫ですから・・・気にしないで下さい」
と、男性は、やや強引に、私に玄関を上がるよう促した。

ソファーは、前にも増して私に似合わなくなっていた。
が、勧められるまま腰掛けた。
そして、私は、悪臭を放つ自分に鼻をクンクンさせながら
「イカンなぁ・・・」
と心でつぶやき、身の回りの空気を動かさないよう、できるかぎり身体を小さくした。

聞けば、故人は男性の息子。
そのことと落ち着いた男性の物腰がリンクせず、私は少し驚いた。
が、その驚きは、男性の心持を乱してしまったかもしれず、私はそれを繕うため、
「どこか、身体の具合でも悪くされてたんですか?」
と、必要なことなのか余計なことなのか判断できないことを訊いた。
すると、男性は、
「昼間っから酒を飲むような生活をしてましたからね・・・」
と、故人を突き放すような冷たい口調で応えた。

故人は、30代後半
大学を卒業して、それなりの企業に就職。
しかし、「おもしろくない」と早々に退職。
以後、人間は、我慢する・辛抱する・忍耐することが必要であるということをまるで忘れてしまったかのように、職を転々するように。
そして、それを繰り返すたびに、仕事内容はどんどん不本意な方向に行き、賃金は低下の一途をたどった。
そうなると、労働意欲も低下。
結局、最期の数年間は、仕事に就くどころか、就職活動さえしない生活をしていた。

部屋は男性の所有だから、家賃はかからず。
水道光熱費、携帯電話やインターネット等の通信費も男性が負担。
プラス、生活費として月10万円ほど渡していた。
それは、働かなくても食べていける生活。
親の資力のおかげで、故人は、そんな生活を続けることができた。

故人は、自分の生活に親が干渉することを嫌った。
男性夫妻が故人と顔を合わせるのは、月一回。
生活費を渡すときだけ。
つまり「金は出しても口は出すな」ということ。
矛盾極まりない。
しかし、親子(血縁)というものは、往々にして、そういう矛盾を矛盾としない。
情愛というヤツが、通常の価値判断や理性を狂わすのだ。

故人は、酒びたりの生活を送っていた。
昼間から飲むことも日常茶飯事で、ほとんど中毒状態。
「病死ということになってますけど、自殺みたいなもんです」
「肝臓が悪いのに酒をやめなかったわけですから」
「本人だって“いつ死んでもいい”くらいに考えてたんだと思いますよ」
男性は、乾いた口調でそう言った。
そして、何かを見切ってか、何かに安堵してか、その顔に薄っすらと笑みを浮かべた。

「“親がいるうちはスネをかじり、親がいなくなれば遺産を食い潰せばいい”って考えてたんでしょう・・・」
「ここまできたら、もう、それでもいいと思ってましたけどね・・・」
「どちらにしろ、このまま長生きしたって、ロクなことにならなかったでしょうね・・・」
男性は、愚痴をこぼすように、訊きもしない話を続けた。
そうでもしないと、自分を維持できないのかもしれなかった。

残された遺品の中には、たくさんの写真やアルバムがあった。
その中には、
無邪気に笑う幼き日の故人がいた・・・
将来が期待されたであろう若き日の故人がいた・・・
人生の歯車は、いつから狂い始めたのか・・・
人生の予定は、いつから不本意な方向に進み始めたのか・・・
故人は、裕福な家に生まれ、恵まれた環境で成長し、人並み以上の教育も受けさせてもらえたはず。
なのに、社会に通用するどころか、適応することさえできず、そのままこの世を去ってしまった。

晩年の故人の生き方は、まったく賛成できるものではない。
しかし、短い期間とはいえ、似たような経験を持つ私は、故人の気持ちが少しはわかるような気がした。
そして、無情と無常がうごめくこの現実というヤツを、少し恨めしく思ったのだった。


故人の死によって、男性は、それまでの現実から脱け出した。
そして、新しい現実と、それまでになかった平安を手に入れた。
故人も、地上の現実から脱け出した。
もちろん、その後、故人がどこに行ったのか、どうなったのかはわからないが、とにかく、現実からはいなくなった。
しかし、私は、いつまでも脱け出せない現実の中。
ときに、この現実は恨めしい。
ただ、私は、一つ一つの現場を通して、一人一人の生死を通して、昨日までの自分から脱け出せているのかもしれない・・・
・・・そんな気がする。
だから、私にとって大切なのは、この現実から脱け出そうとすることではなく、留まることを覚悟すること・・・
・・・歯を食いしばってでも現実に生きることなのである。


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雪どけ

2014-02-12 13:28:14 | 特殊清掃 消臭消毒
今月の8日、大雪が降った。
何日か前から、天気予報では、大雪が降る可能性が大きいことを伝え、注意を呼びかけていた。
だから、ある程度の覚悟はできていた。
しかし、実際は、その覚悟を超えた量が降るものだから、大雪を喜ぶ子供心と仕事を心配する大人心が交錯して、私のテンションは妙に上がった。

当日の8日、私は、外での作業予定をもっていた。
休むことはもちろん、遅刻することも許されない状況にあった。
そこで、私は、大雪で出社が阻まれる可能性があることを考え、会社に泊まることに。
一度、帰宅し、夜になって再出社。
その日は、事務所で眠れない夜を過ごした。

予報の通り、8日の大雪。
早朝(夜中?)から降り始めた雪は、ひたすら降り続いた。
それでも、湿気の多い雪は、降る量に比して積もらず。
「何とか行けるか?」という期待感をもたせた。
しかし、時間が経つごとに雪は降るペースを上げ、周囲はみるみるうちに真っ白に。
とても外で作業できるような状況ではなくなり、会社に前泊した努力もむなしく、結局、予定していた作業は中止(延期)となった。

雪は、その日の夜まで降り続いた。
積雪量は、私の中で伝説になっていた昨年1月の大雪のときをはるかに超え、私の記憶の中では最大。
私は、甦った童心に動かされて、用もないのに外にでた。
そして、普段は気にも留めない当り前の景色を白い雪が覆う様をしみじみと眺め、季節の機微と夢幻を味わった。

東京では、年に何度かは、積もるくらいの雪が降るけど、そのほとんどが薄っすらと積もる程度。
だから、ほとんどの人はスタッドレスタイヤを履く習慣を持たない
タイヤチェーンを持っている人も少ないと思う。
ただ、うちは、車を使う仕事。
車を使わなければ仕事にならないわけで、冬場はほとんどの車両にスタッドレスタイヤを装着している。
お陰で、渋滞に巻き込まれたことと、運転に神経をすり減らしたことが問題だったくらいで、私自身も会社の仲間も事故やケガもなく済んだ。

その雪。
とけつつありながらも、まだ街の至るところに多く残っている。
更に、次の金曜・土曜にも降雪の可能性があるよう。
生活や仕事に支障をきたす雪だけど、どうせ降るなら、その美しさと儚さを楽しもうかな。


亡くなったのは、40代の男性。
現場は、老朽アパートの一室。
死後経過日数は3日。
依頼者は二人。
一人は、年老いた故人の母親。
もう一人は故人の妻。
故人とは別居状態にある女性。
二人とも現場には行っておらず、また、行く予定もないとのことだった。

故人の死を発見したのは勤務先の会社。
故人は、体調不良で木曜に会社を休んだ。
翌金曜は無断欠勤。
会社は、「体調が戻らないのだろう」と、たいして気にも留めず。
ただ、故人は、土日の休日を経て週が明けても出社してこず、また携帯電話にもでず。
さすがに妙に思った会社は、故人のアパートを訪問。
そこで、動かなくなった故人を発見したのだった。

私が最初に話したのは母親の方(以降「姑」と表記)。
用件は、特殊清掃・消臭消毒・遺品チェック・家財処分等の依頼。
それから、「息子の嫁だった人に電話してほしい」と頼まれ、そっちにも電話。
そして、故人の妻(以降「嫁」と表記)からも、作業についての要望等をきいた。

二人は嫁・姑の関係。
血はつながっていないけど家族は家族。
しかし、二人が醸し出す雰囲気は、その関係が険悪なものであることを感じさせた。
そして、二人が発する言葉は、その予感を確信に変えた。
それぞれお互いに対し、かなりの不満を抱えているようで、アカの他人の私にでさえ姑は嫁の悪口を、嫁は姑の悪口をぶちまけた。

「別居中とはいえ、長年連れ添った人だし・・・」
「子供の父親でもあるし・・・」
と、嫁は、形見として、故人が使っていた小物類を欲しがった。
しかし、それを知った姑は猛反発。
「アノ女(嫁)に渡すものなんか何一つありませんから、絶対に渡さないで下さい!」
と、テンションを上げた。

二人の間に挟まれた私が困惑したのは言うまでもない。
一方は「形見がほしい」、もう一方は「渡してはならぬ」と言うものだから。
しかも、二人は直接話すことをせず。
お互いに、「顔も見たくなければ、口もききたくない」とのこと。
だから、いちいち私を介してのやりとりとなり、私は、二人の間を、伝言ゲームのように言葉を運搬。
「面倒くさいなぁ」とボヤく自分と、「これも仕事のうち」と割り切る自分が交錯する中で、私は妙なストレスを抱えながら、その雑用をこなしたのだった。

故人と嫁の別居原因は、故人のルーズな金銭感覚。
故人には、深刻な浪費癖があった。
仕事はマジメにやっていたのだが、その浪費癖は、収入に見合わないくらいのもの。
ちょっとした趣味のものから車のような高額なものまで、故人は、何か欲しくなると我慢できない性格。
一度「欲しい!」と思ったら手に入れないと気が納まらず、家の蓄えを勝手につかうこともしばしばで、子供のために積み立てた保険を家族に内緒で解約したこともあった。
もちろん、現金がないときはカードを使い、カードが使えないときは借金までして。
しかし、そんな調子で返済が滞らないわけはない。
故人は、姑(母)や嫁(妻)に金を無心することもあった。
もちろん、そんな故人を姑(母)や嫁(妻)は叱責。
そして、何度となく自制を約束させた。
しかし、故人が反省するのはそのときだけ。
ほとぼりが冷めると、再び同じことを繰り返した。
そんな人が家庭を守れるわけはなく、結局、子供の面倒をみれない故人が家をでていくかたちで、故人と嫁(妻)は別居することになったのだった。

「甘やかして育てた姑が悪い!」
と嫁。
「キチンと家計を管理しない嫁が悪い!」
と姑。
二人は、互いを罪人扱い。
故人の過ちをよそに、互いを罵倒。
家族の一人が亡くなったことに対する悲哀も感じさせないくらい、激しい非難を展開した。

故人の部屋は1K。
床に敷かれた布団には見慣れた軽汚染が残留し、狭い部屋には嗅ぎなれた軽異臭が充満。
故人の経済力を表すかのように、家財道具は極めて少量。
金目のモノも見当たらなかった。
ただ、嫁が欲しがっていた小物の類はいくつかあった。
私は、嫁の要望を無視する気にはなれず、結局、「お義母さんにはナイショですよ」と言って、メガネやライター等をこっそり嫁に送った。

請け負った作業が完了して後、私が二人の女性との関わることはなくなった。
だから、その後、二人の関係がどのようになったのか、知る由もない。
遺産相続の手続きもしなければならないわけだから、あの後、一悶着・二悶着あったかもしれない。
どちらにしろ、故人の死熱をもってしても、二人が抱える蟠り(わだかまり)が、雪がとけるように消えていくことは想像しにくく、時が、その関係を険悪なまま消していくのだろうと思った。


多くの人は、何事にも寛容で、大らかな心を持ちたいと思うだろう。
しかし、人間の心には限界がある。
人を、ありのまま受け入れ、赦すのは難しい。
自分を、ありのまま受け入れ、赦すのも難しい。
事(相手)によっては、おそろしく了見が狭くなることがある。
些細なことでも、寛容になれないことがある。

心は、そのどこかに氷よりも冷たくて固い、かたくなな部分を持つ。
自分ではどうにもできない、理屈で解決できないものを持つ。
それが、自分も、誰も幸せにしないとわかっていても、雪のようにとかすことができない。
私にも、その自覚がある。

あれほど大騒ぎした雪も、時とともに消えてなくなる。
白銀の世界は夢幻と化す。
その趣と儚さは、命と重なり、また人生と重なる。
同じように、かたくなな心は、かたくななまま消えていくしかないのか・・・
そう思うと、少し寂しい溜息がでるのである。


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壁彩

2014-02-05 08:59:33 | ゴミ屋敷 ゴミ部屋 片づけ
「鍵は開けておくから、勝手に入って下さい」
依頼者の男性は、電話でそう言った。
依頼の内容はゴミの片付け。
男性は、ゴミ部屋の主だった。

百聞は一見にしかず。
原則として、作業には、事前の現地調査が必要。
口頭での説明や写真からは、十分な情報が得られないからだ。
私は、本件でも、現地調査の必要性を説明。
そして、他人の部屋に勝手に上がりこむことも躊躇われるので、男性にも、立ち会ってくれるよう依頼した。
しかし、男性は、仕事が忙しくてそれが無理の様子。
平日は帰宅が遅く、土日も予定が入っているとのこと。
私は、家財の毀損や貴重品の滅失等のクレームは受け付けないことを了承してもらい、単独で現地調査を行うことにした

訪れた現場は、古い小規模マンション。
男性の部屋は一階の一室。
私は、部屋番号に間違いがないかを慎重に確認し、ドアノブをゆっくり握った。
そして、ゆっくりドアを引き、片足を一歩前に出しかけた。

それまで、幾多のゴミ部屋を見てきた私。
少々のことでは驚かない。
しかし、ここは少し事情が違った。
玄関ドアを開けると、すぐに壁。
ゴミがきれいに積み上げられ、それが垂直の壁を形成。
それは、まるで、古来の地層のようにみえ、「美しい」といえば語弊があるけど、感心してしまうくらいの光景だった。

「感心してる場合じゃないか・・・」
見物することが仕事ではない。
部屋に入らなければならない私だったが、その行く手はゴミ壁が遮断。
私は、前に出しかけた片足を元の位置に戻し、新たな一歩をどこに出せばいいのかわからず途方に暮れた。

「他に出入口があるのか?」
そこに活路を見出すことを諦めた私は、玄関を閉め、ベランダ側に回った。
しかし、雨戸が閉められ、そこにも人が出入しているような形跡はなし。
それが解せず、私は、頭を傾げながら、しばらく建物(部屋)の回りをウロウロと歩き回った。

「やっぱ玄関か・・・」
考えられる出入口は、やはり玄関。
そこにしか答を見出せなかった私は、玄関に戻った。
そして、再び、ゴミ壁と対峙し、視線を上下左右にゆっくり動かした。

「ひょっとして、この穴?」
私は、壁の上部に半楕円形の隙間を発見。
それは、通ろうと思えば身体を通せるくらいの大きさの穴。
それが部屋へ通じる唯一の道であるものと思われた。

「どうやって入るんだろぉ・・・」
しかし、その穴は壁の上部に位置。
どうやったらそこに身体を突っ込めるのか、すぐには答が見つからず。
私は、穴の向こうに見える暗闇に不安を覚えながら思案した。

「入り方を教わっとくんだった・・・」
私は、愚痴りながら考えた。
結果、脚立を使うことに。
車から脚立を持ってきて壁の前に立て、それに登って、壁上部の隙間に上半身を潜り込ませた。

薄暗い室内には、インパクトのある光景が広がっていた。
もはや、家財の毀損や貴重品の滅失が気になるようなレベルではなく、まるで秘境の洞窟。
天井とゴミの間は1m程度。
場所によっては1.5mくらい空いているところもあれば、部屋の隅のほうは天井までゴミが到達。
立ち上がることは不可能。
もちろん、二足で歩くことも。
室内を移動するには四足で這うしかなく、私は、イグアナのような動きで部屋を見分した。

作業自体は単純作業。
ゴミを袋に詰め、部屋から出し、トラックに積む。
ひたすらこれの繰り返し。
頭脳を使うところはほとんどなく、必要なのは、体力と精神力のみ。
ゴミに埋もれ、ゴミにまみれながらの単調な作業。
人力でコツコツとやるしかない作業において、目に見えるようなスピードでゴミが減っていくわけではない。
しかも、天井との空間に限りがあるため、作業の序盤は無理な姿勢を強いられる。
早々に手や腰は痛くなり、気持ちも萎えてきた。
それが、気持ちの上で大きな壁となった。

だからと言って、請け負った仕事を、途中で放り投げることはできない。
イヤだろうが、辛かろうが、最後までやり遂げなければならない。
一箇所で黙々としていると、気持ちにすぐ壁ができてしまうので、私は、時折、場所をかえて気持ちの壁が高くなるのを避けた。
また、下のほうからでてくる古い雑誌を眺めては、昔を懐かしみ、時々は自分がゴミ部屋で労苦に服していることを忘れるよう努めて気持ちを紛らわしたのだった。

ゴミの撤去が終わって現れたのは、見るも無残な内装建材。
皮肉なことに、ゴミがなくなったせいで、部屋はもう寝泊りできない状態に。
重篤な汚損に重篤な悪臭が加わり、もはや住居としての面影はなくなっていた。
キチンシンクはゴミの重みで破壊され、床は腐り落ち、和室の畳も黒く変色し不自然な凹凸が発生。
壁の大半はカビに覆われ、所々には穴も開いていた。
風呂やトイレは全滅。
便器や浴槽、かたちだけは原形をとどめていたが、色は原色をとどめず。
掃除するだけ無駄で、取り壊して造り直す以外に手がないことは明白だった。

男性も、ある程度のことは覚悟していた。
しかし、現実は、その覚悟をはるかに超えていた。
部屋を原状回復させるには、内装・設備を解体して新しく造り直すしかない。
しかし、そこまでの大規模改修には相応の費用がかかると同時に、大家の了承を得なければならない。
つまり、それは、男性が矢面に立たなければならないということ。
ゴミ片付けという壁を乗り越えたものの、また、新たな壁に直面し、男性はうろたえたのだった。


人間、生きていれば色んな壁にブチ当る。
高い壁、低い壁、薄い壁、厚い壁・・・
乗り越えられる壁もあれば、乗り越えられない壁もある。
避けられる壁もあれば、避けられない壁もある。
一つ乗り越えれば、また次ぎの壁が現れる。
次から次へと、目の前に立ちはだかってくる。

今日は、これから便所掃除に行く。
まだ現場を見ていないけど、かなりヒドいみたい。
糞尿汚泥が便器から溢れだし、床一面を覆っているとのこと。
話を聞くと、作業の過酷さが容易に想像できる。
惨め感に襲われて消沈する自分の姿が容易に想像できる。
正直なところ、行きたくない。やりたくない。すごく気が重い。
そんな気持ちの壁が、私の前に立ちはだかっている。
どれでも、「自分のため、生活のため」と、自分を言いきかせ、必死に壁をよじ登る。

私は、壁のない人生を経験したことがない。
だから、どんなに楽なものか知らない。
どんなに退屈なものか知らない。
私は、壁のある人生を経験中である。
だから、どんなに大変なものか知っている。
どんなに人生に色彩を帯びさせるものか知っている。

どんな人にも、どんな日常にも、どんな人生にも壁はある。
そして、人は、それを越えるため、ときに汗を流し、ときに涙を流し、ときに心血を流す。
そして、それによって、今日という人生の一ページを鮮やかに彩るのである。



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