特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

必死・必幸

2009-12-31 07:43:39 | Weblog
今日は、12月31日。
過ぎてみるとはやいもの・・・2009年も今日でおしまい。
毎年毎年、大晦日を迎えると、同じような思いを抱き、同じようなコメント残す私。
歳はとっても、中身は成長していない証拠か。

2009年は、どんな年だっただろうか。
嬉しかったこと・楽しかったこともあっただろう。
苦しかったこと・悲しかったこと・辛かったこともあっただろう。
心に残っているのは、どんな出来事だろうか。
心に刻んだのは、どんな思いだろうか。

私も、今年も色んなことがあった。
幸いにも、大きな悲しみや耐え難い苦痛を味わうことはなかった。
されど、残念ながら、歓喜の声を上げるほど嬉しいことや、笑いが止まらないほど楽しいこともなかったように思う。
とにかく、仕事に明け暮れた一年だった。

春から秋にかけて、とにかく働いた。働いた。働いた。
何かにとりつかれたように、必死に働いた。
休日も返上し、過酷な特掃にも率先して出掛けた。
そして、その間、ブログも止めた。
夏のブログにも書いたように、考える余裕も書く余裕もなくなったためだ。

コメント欄が荒れていることに気づいたのは、随分後になってから。
管理人に言われて、ちょっとだけ目を通した。
はっきり言って、不快!に思った。悲しみも憤りもなく、ただただ不快に。
良心的なコメントはあるものの、多くは悪意を感じるもの。
それらをウジ・ハエとダブらせながら、人間というものの不完全性と悪性を、つくづく感じた。

ブログは、“ナマ物”“鮮度が大切”ということか。
死体や食物同様に、放っておくと、ウジ・ハエが集りはじめる。
その数は次第に増え、かなり荒れてくる。
しかし、時間経過とともに“食う”ところがなくなるのか、しばらくするとその数は減ってくる。
そして、鮮度を取り戻す(更新する)と、パッタリと姿を消す。
腐系現場と非常によく似た現象で、なんだか面白い。

ウジやハエは、汚いものや腐ったものに発生する。
きれいなもの・新鮮なものには、発生しない。
同様に考えると、本ブログに、ウジ・ハエが発生することも頷ける。
やってる汚仕事はさて置いても、常々、私が頭で考えていることや心に抱えていることには、汚く腐っているものが多いから。
自業自得か・・・歓迎はできないものの、それはそれで何かの意味があってここに来るのだろうから、甘受するほかあるまい。
そしてまた、それらを受け入れることで“きれいごと”が真実味を帯びてくるのかもしれないから。


今年、我武者羅に働いた私は、何を見つけて・何を得たのだろうか・・・
自分の無知と無力を痛感する中で、私は、色んなこと一つ一つに内在する“幸せの種(自覚できない幸)”を見つけたような気がする。
そして、それを“幸せの実(自覚できる幸)”にするための道具を一つ手に入れたような気がする。

その“道具”とは、「必死」。
これを字で書くと“必ず死ぬ”・・・一見、縁起でもないような・忌み嫌われてもおかしくないような言葉になる。
しかし、その訳は“全力を尽くす”“一生懸命”とされ、多くの場合、肯定的・前向きな意味合いで用いられる。
私は、この“必死”に、自分が幸せを得るための大きなヒントがあることに気づいたのである。

自分が、幸せを感じるのは、どういう時だろうか。
欲しいものを得たとき。誰かに褒められたとき。目標を達成したとき。美味しいものを食べたとき。休息のとき。嬉しいとき。楽しいとき。etc・・・
「幸せだなぁ」って思うときは、たくさんあると思う。
しかし、自分のことをつくづく幸せ者だと思っている人は、案外、少ないのではないだろうか。
それはどうしてか。
“幸せの実”ばかりに気をとられて、不幸が“幸せの種”であることに気がつかない・・・人間の知力に限界があるからである。

余命宣告を受けた患者の多くは、人生のほとんどのことが幸せに思えるらしい。
過去に経験した一つ一つのことが、幸せに思えてくるのだという。
それまでは、不幸にしか感じることができなかったことさえも・・・
それは何故か。
死を前にして、人生が希少であることを痛感し、それまで経験したことや残された時間が愛おしくなる・・・
良心を取り戻した心が、何でもない日常や些細な出来事を幸せとして感じ始める・・・
“幸せの種”が芽吹いて成長し“幸せの実”を結ぶからである。

生と死が表裏一体なのと同じように、幸と不幸もまた表裏一体。
幸せがなければ不幸は不幸でなくなる。
幸せのない人生に不幸はない。
不幸がなければ、幸せは幸せでなくなる。
不幸のない人生に幸せはない。
幸せは“実”、不幸は“種”。
病苦も苦悩も苦痛も、虚しさも悲しさも辛さも、すべてが“幸せの種”なのである。

どうすれば“幸せの種”に気づけるのか・・・
それは、死を想うこと。
愛する人の死を、そして自らの死を・・・
そうすることによって、心の目はそれまでとは違う視力を持ち、自然と“幸せの種”を見つけるようになるのである。

どうすれば“幸せの実”が得られるのか・・・
それは、必死に生きること。
死を心に刻み、良心にもとづいて生きること・・・
そうすることによって、心はそれまでとは違う柔らかな感受性を持ち、自然と“幸せの実”を受け取るようになるのである。


理屈をコネ回してはみたものの、結局のところ、漠然とした理想論・抽象的な精神論の域を越えていないかもしれない。
しかし、私は、
「生きていることそのものが幸せなこと」だなんて、安直なことを訴えたい訳ではなく、
「生きていれば、いつか幸せになれる」だなんて、気休めを言いたい訳でもなく、
「死ぬことを考えれば、何だって幸せに思える」という、自己暗示(自己洗脳)を奨励している訳でもない。
ただ、伝えたいのだ。
死を考えることの大切さを。必死に生きることの喜びを。

死は、老人や余命宣告を受けた患者のみが課せられた宿命ではない。
年越しにあたって縁起でもないことを言うようだけど、私も貴方も、来年の大晦日を今日と同じように迎えられる保証はどこにもない・・・
しかし、理屈ではわかっていても、何となく、一年後も普通に生きているような気がしてならない・・・
人間は、そこまで、死について無頓着・無関心。
そして、無力。
これは、表裏一対の関係にある生についても同じことが言えるかも。
・・・死を考えることは、生を・“幸せの種”を育むこと。
だからこそ、あえて考えたいし、考えるべきではないだろうか。

私は、一度きりの人生、少しでも多くの“幸せの実”を得て、それをじっくり味わいたいと思っている。
だから、明日からの新しい年もまた、必死に生きられるよう、そしてまた少しでも多くの“幸せの種”に気づけるよう、あらためて死と生を考えていきたいと思っている。



PS
「弱肉弱食~後編~」の更新が順当なのだが、2009年の締め括りにするにはあまりに味が悪いので、これはまた先のこととする。
楽しくない内容を、楽しみに待たれたし(良いお年を)。







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弱肉弱食 ~前編~

2009-12-25 09:24:35 | Weblog
今日はクリスマス。
聞くところによると、クリスマスを楽しみにしているのは、男性より女性の方が多いらしい。
多分、男性が女性をもてなす文化があるからだろう。
接待する側より、される側の方が楽しいのは当然のことだ。

何はともあれ、昨夜のイブを、飲んで騒いで楽しく過ごしたノンクリスチャンも多いことだろう。
そこで、日頃のストレスをいくらか発散することはできただろうか。
ちなみに、“私は・・・”というと、夕方遅くまで肉体労働に勤しみ、夜は一人静かに晩酌。
冷凍枝豆と安売りで買ったウインナーを肴に、答のでないことを考えながら・・・
嗜好とストレスが酒を誘い、飲めば飲むほど酔いは増し、酔えば酔うほど酒はすすみ・・・結果、結構な深酒をしてしまった。

どっちを向いても、ストレスを感じるこの人間社会。
楽しい気分を味わうことなんて滅多になく、多くの人が辛抱に辛抱を重ねながら生きている。
そうして頑張ってるんだから、クリスマスイブくらいは楽しく飲んで騒ぎたいよね。
その気持ち、よ~くわかる。
ただ、酒が効くのは、その時だけ。
醒めてしまえば、また厳しい現実と対峙していかなければならない。

多くの人が感じている通り、ここ何年も、世の中の景気は悪いまま。
目に映る光景も耳に入ってくる情報も、暗いものが多い。
“景気のせいでケーキも買えない”なんて、洒落にならない現実もあるよう。
そんな社会にいて、「生きにくい世の中になってきた」と、つくづく思う。
そして、先のことを考えると、不安感・失望感が期待・希望を覆い隠してしまう。

空気は殺伐とし、皆が、乾いた人間関係を求める時代。
一体、この先、この社会は、どうなっていくのだろう。
自分一人が生きていくのがやっとで、人に他人を顧みる余裕がなくなってきているのは確か。
そして、人が人を食い・人が人から食われるようになっている。
人の良心は野心に変わり、薄い情は剥がれ、理性は本性を抑えられなくなりつつある。
目に見えるものは高度に発展、生活は便利になりながらも、人は、きれいごとを吐くことさえ億劫がり、その品性は、肉食動物のように退化。
“食う立場になれ!”“食われる立場になったらおしまい”
子供達にはそんな教育がなされ、その道から脱落した者が、社会にでて餌になる・・・
そして、弱い者は、更に弱い者を狙って牙をむく・・・
そんな時代を生き抜くため、この乾いた・冷たい空気の中、皆が必死に戦っている。


特掃の依頼が入った。
依頼者は、若い女性。
「妹のマンションがヒドイことになっているから、片付けてほしい」
という内容の依頼だった。
ただ、単に、“ヒドイことになっている”と言っても、その一言だけでは、具体的に何がどうなっているのか分からない。
私は、その状態を確認すべく、いくつかの質問を投げかけた。

「間取りはどれくらいですか?」
「1Rです」
「ゴミが溜まってるんですか?」
「はい・・・」
「どんなモノがどれくらいあるかわかりますか?」
「多分、色んなモノが混ざってると思います・・・」
「床は、見えてますか?」
「ところどころは見えてると思いますけど・・・」
「中をご覧になりました?」
「いえ、玄関を開けただけで、中には入ってないんです・・・」
「そうですか・・・」
私の質問に対して、女性の返答は歯切れの悪いものだったが、室内を見ていないのでは仕方がない。
また、ゴミを溜めてしまった本人が他人のフリをして片付けを依頼してくることは珍しいことではないので、私は、そのことには触れないで話を事務的に進めることにした。

「ニオイはどうですか?」
「(ニオイは)あります・・・」
女性が即答したことから、私は、結構な濃度の異臭が充満していると判断。
それから、過去に経験したゴミ部屋からこの現場と似ていそうな所を拾い出し、頭に思い浮かべた。

「それ以外に問題はありますか?」
「・・・あと・・・猫を飼ってまして・・・」
部屋には、5匹の猫がいるという。
1Rに5匹は多いと思ったが、ゴミ屋敷に猫がいるなんてことは珍しくなかったので、私は気にもしなかった。

「玄関を開けた瞬間に、猫が飛び出してきませんかね?」
「大丈夫だと思います・・・多分・・・」
私は、部屋を訪問した際に猫が外に飛び出すことを警戒。
逃げられてしまっても責任が持てないことを伝え、女性にそれを了承してもらった。

「一度、現地を見せていただきますけど、いつ伺えばよろしいですか?」
「いつでもかまいません・・・鍵は開けておきますから・・・」
女性は、現地調査に立ち会いたくなさそう。
“都合にいいときに勝手に入っていい”とのことだった。

「ところで、妹さんは?」
「・・・入院してます・・・」
部屋の主が女性の妹である以上は、後々のトラブルを防ぐためにも本人の所在を確認しておく必要がある。
私は、女性がどう返答するかわかってはいたものの、念のために訊いておいた。


現地調査の日・・・
訪れたのは、単身者向けの小規模マンション。
建てられてからそんなに経っていないようで、今風のきれいな建物だった。

「オートロックか・・・」
聞いていた通り、マンションはオートロック式。
鍵を持たない私は、女性に教えられた通り、建物の裏側に回った。

「ここだな」
そこは、マンションの住人しか使わない勝手口。
日中は、ほとんど開いているそうで、鍵を持たない私はそこから中に入り目的の部屋まで階段を上がった。

「ふぅ~・・・」
玄関ドアをほんの少しだけ開け、鍵がかかっていないことを確認。
そして、一旦閉じてから深呼吸し、心の準備を整えた。

「うぁ~・・・かなり臭うなぁ・・・」
玄関を開けると、いきなりの悪臭。
熟成された生活ゴミの臭いと強烈なネコ臭が混ざり合い、独特の悪臭を醸成させていた。

「早く閉めないと・・・」
近隣に迷惑をかけてはマズイ。
私は、ドアを閉めるため、玄関に一歩足を踏み入れた。

「電気、電気・・・」
私は、玄関上の電気ブレーカーをUP。
しかし、電灯はつかず。
電気料金の滞納が原因だろう、元線が外されており電気を通すことはできなかった。

「なんか、不気味・・・」
室内は薄暗。
しかも、どこからネコが飛び出してくるかわからない。
私は、お化け屋敷にでも入ったような緊張感を覚え、なかなか玄関から先に進むことができなかった。

「ヒドイなぁ・・・こりゃ・・・」
玄関から見える範囲は、すべてガラクタとゴミだらけ。
床は、ほとんど見えておらず。
更には、一面にネコの毛が飛散し、糞が散乱していた。

「はぁ・・・食物ゴミもそのままか・・・」
すぐ脇の流し台には、弁当容器・空缶・カップ麺容器・食器・調理器具etcが山積み。
同じゴミでも、食物ゴミが混ざっているのといないのでは、かかる労力と精神力が違う。
私は、大量の腐り物がないことを願いながら、前進のために溜息を吐き切った。

「食いっぱなしか・・・フライドチキン・・・」
流し台下の床に、骨らしき物体。
私だって、たまにフライドチキンは食べる(ちなみに、好物)。
ゴミの中にチキン骨があったって、何の不思議もなかった。

「???・・・※○※△※□※!!!」
何も考えずそれを拾い上げた私は、言葉にならない悲鳴を上げた。
と同時に、稲妻のような悪寒に身を震わせ、その場に硬直したのであった。
つづく







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Present

2009-12-17 09:49:37 | Weblog
もうじきクリスマス。
師走の街中は、どこを向いても、クリスマスムード一色。
眺めているだけでも、楽しい気分になる。

お歳暮・クリスマスプレゼントetc、12月は、贈り物が行き交う季節でもある。
クリスマスプレゼントはないにしても、お歳暮は、私も仕事上で贈ったり贈られたりする。

それにしても、人に贈る品物を選ぶのは難しい。
少しでも高品質の品物がいいのはもちろんだけど、そうは言っても、そうそう費用はかけられない。
ただ、見るからに安物とわかるものでは気持ちは伝わりにくい。
また、自分の顔も立たない。
結局のところ、“安いけど高そうに見えるもの”を探して右往左往してしまう。

無難なのは、やはり口に入るものだろうか。
お菓子・各種飲料・酒類etc・・・
私も、季節の贈答品には、ほとんどそれらを使う。
もらって嬉しいのは、やはり酒類か。
自分の酒代が浮くし、いくらあっても飽きることはないから。

一年半くらい前になるだろうか、御中元とか御歳暮ではなかったけど、比較的高級と言われるウイスキーをもらったことがあった。
ただ、元来、私はウイスキーが苦手。
これまで生きてきて、ずっとマズイ水割りしかのんだことがなく、そのマズさにはとっくに愛想を尽かしていた。
そんな訳で、私は、そのウイスキーをいつか人手に渡すつもりで、棚に置きっぱなしにしていた。

ところが、今秋のある晩のこと。
いつも通り、缶ビールと缶チューハイで晩酌していたのだが、それだけでは物足りなく思えた日があった。

「濃い酒が飲みたいなぁ・・・」
しかし、家の在庫は缶ビールと缶チューハイくらい。
訳あって(たいした訳じゃないけど・・・)、好物のにごり酒は断っているので、それもなし。
あるのは、ブランデー・各種焼酎(全て頂き物)と前記のウイスキーくらいだった。

「ちょっと飲んでみるか・・・酔ってしまえば、マズさも気にならなくなるだろ」
珍しく、ウイスキーに気を引かれた私は、口に合わないのは覚悟の上で、それを開栓。
注ぎ口に鼻を近づけて、香りを嗅いでみた。

「んー・・・匂いはいいな・・・」
ボトルからは甘い香り。
普段、例の悪臭ばかり嗅いでいるせいか、もしくは消毒用アルコールの刺激臭しか嗅いでないせいか、それがとてもいい匂いに感じられた。

「さてと、飲んでみるか」
琥珀色の液体を注ぐと、ザラザラしていた氷の表面は瞬時に滑らかに。
私は、氷からでる蜃気楼がグラスをひと回りするまで待ち、それから、ウイスキーを小さく口にふくんだ。

「何これ?美味いじゃん!」
私の舌は、ピリッとしたアルコールの辛味の奥にある重厚な甘味を感知。
そして、思わず、グラスを掲げて目を見張った。
それは、私が知っていたウイスキーとは異なり、極めて美味なものだった。

「やっぱ、ウイスキーもピンキリなんだなぁ・・・ということは、もっと上のものは、もっと美味いのか?・・・そういうの、飲んでみたいなぁ・・・」
想像するだけで、ヨダレがでそう・・・
ケチで欲深な私は、自分では手が出せない代物を、再び誰かが贈ってくれることを期待しているのである。


ある年の師走、ひと包みの宅配便が、会社に届いた。宛名は私。
何かを贈られる覚えがなかった私は、怪訝に思いながら伝票に目をやった。
すると、発送者欄には女性の名。
その名前を見た私は、すぐにその人物を思い出した。
そして、その贈物が、差出人の女性が少しは元気を取り戻したことの印のように思えて、ホッとした。

その差出人は、その年の夏、私が特掃を請け負った時の依頼者だった・・・

中年の女性から、特掃を依頼する電話が入った。
一報を受けて話をしたのは私ではなかったが、たまたま現場にもっとも早く到着できる場所にいたのが私だったため、とりあえず、私がその現場に向かうことに。
現場住所とそこで人が亡くなっていたこと以外の情報をほとんど持たないまま、私は現場に向かって車を走らせた。

到着した現場は、都心の小さなアパート。
依頼者の女性は、建物前に車をとめ、その中で私の到着を待っていた。
そして、私の姿を見ると、すぐに何者かがわかったらしく、私が車を降りるよりも先に女性の方から近寄ってきた。
その表情は何かに怯えているようで、私は、そこから事態の深刻さを読み取り、この現場に臨む上での自分のスタンスを定めた。

「お待たせしました」
「いえいえ、先程お電話した○○(女性の名前)です」
「どうも・・・」
「ちょっと、臭ってまして・・・」
「何か言われてます?」
「えぇ・・・不動産屋さんからもご近所の方からも・・・」
「そうですか・・・」
「とりあえず、ニオイだけでも何とかしていただきたいんですけど・・・」
「わかりました・・・早速、部屋を見せていただけますか?」
女性は、近所から“臭いから、早く何とかしろ!”と責められているよう。
また、不動産会社も大家も女性側には立ってくれず、女性に早急な原状回復を要求するばかり。
女性は、一人で事の収拾に奔走しているようだった。

「失礼しま~す」
玄関を開けると、濃い腐乱臭。
いきなり入ってきた私を警戒(威嚇?)してか、ハエはブンブンと飛び交い始めた。

「あの人(女性)が、片付けたのかな・・・」
部屋は、一般的な1DK。
家具・家電以外、ほとんどのものはダンボール箱とゴミ袋に梱包され、壁際に積まれていた。
「ここか・・・」
本来、毛布は床に敷くものではない。
しかし、それがクローゼットの前に床に敷かれていた。

「なるほどね・・・」
手袋を着けた指で端をつまみ上げると、下からはワインレッドに液化した血肉と琥珀色に光る脂が漏洩。
そこを泳ぐように、無数のウジが徘徊していた。

「はぁ・・・」
クローゼットの扉は、不自然に傾いて破損。
それが物語っていることに、私は深い溜息をついた。


亡くなったのは、30代の男性。
クローゼットの扉を使ってのエキ死だった。
故人は、亡くなるまでの数年間、仕事もせずアパートに引きこもり。
自分の方から母親(女性)に連絡してくることもなく、沈黙の生活を送っていた。
女性は、故人の母親。
以前に故人の父親と離婚し、女手一つで故人の生活を支えていた。
ただ、何年経っても回復の兆しさえみせない息子の病状に、自分までノイローゼ気味に。
それでも、女性は、息子の回復を信じて耐え続けた。

女性は、ウジが這い・ハエが飛び交い・悪臭が充満する中、女性は、自らの手で、部屋の家財生活用品を分別梱包したよう。
女性をそう突き動かしたものは何であるかは計りかねたが、女性にとって、それが辛苦を極めた作業であったことは容易に察することができた。
しかし、そんな女性でも、腐敗液の処理とニオイの始末はできず。
困り果てて、うちに相談してきたのだった。


「“絶対、よくなる”って信じていたのに・・・」
「どうして、助けてやることができなかったんでしょう・・・」
「母親として、間違ったことをしてきたんでしょうか・・・」
「何が足りなかったんでしょうか・・・」
女性は、堰を切ったように、抱える思いを吐き出した。
そして、両手で顔を覆ってその場にうずくまった。
子の死・・・自死を受け入れる苦痛は、産みの苦しみとは比較にならないだろう。
しかし、女性に、それを受け入れる他に道はなく・・・
震え泣く背中に掛ける言葉はなく、傍らに立つ私は、ただ時が過ぎるのを待つしかなかった。


女性は、故人(息子)に対して、大きな愛情を注いでいたはず。
そして、女性にとって、故人の存在は大きかったはず。
息子(故人)の存在を通してでしか得られない幸せがあっただろう。
苦しんでいても、病んでいても、社会に適応できなくても、とにかく生きていてほしかっただろう。

そう・・・自分の存在が、虚しくつまらないことのようにしか思えなくても、人が人に対して存在するということは、決して小さいことではない。
そして、どんなに弱くても・どんなに愚かでも、その存在から人が幸せを受け取っていることってあると思う。

私も、貴方も、誰も彼も、存在する意味と存在しなければならない理由があるから存在しているのである。
そして、今、“現実”という名の“夢幻”の中に自分が存在していること・生きていることそのものが誰かへの贈り物となり、それを受け取っている誰かがいるのだと思う。
過去にも・現在にも・未来にも・・・ただ、自分が、気づいていないだけで。









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さようなら ~再会~

2009-12-11 16:59:00 | Weblog
つい先日、10余年ぶりに知人と再会。
ちょっとしたことがきっかけの再会だった。
そんなに親しく付き合っていた人ではないけど、久しぶりに会うと、それなりに話題があるもの。
懐かしい話や近況報告など、積もる話に花が咲いた。

それにしても、10余年のときは人を・・・特に、外見を変える。
シワや白髪が増え、肌に張りツヤもなくなる。
私は、その人と話をしながら、「この人も随分と歳をとったなぁ・・・」「そう言う俺も、同じように思われてんだろうなぁ・・・」なんて思いながら苦笑い。
そして、「これからも、お互い、頑張りましょう!」と言葉を交わし、再会できたを嬉しく思いながら再び別れた。

人間関係は、出会いと別れの繰り返し。
友人・知人はもちろん、夫婦・恋人・親兄弟とでさえ、出会いがあり別れがある。
そして、会いたくない相手や嫌いな相手でないかぎり、再会には、独特の嬉しさがある。
今回、知人との再会を通して、別れは、寂しさや悲しさばかりではなく、嬉しさや喜びの源泉になり得るものであることも認識できたのだった。


「うちのマンションで、住人が孤独死しまして・・・」
中年の男性の声で、電話が入った。
男性は、特に慌てた様子も、何かを嫌悪する様子もなし。
“孤独死”と聞くと凄惨な現場を想像してしまう私だが、ここには、そういった類のことは感じなかった。

「詳しく話を聞かせて下さい」
いい意味でも悪い意味でも“死”に慣れてしまっている私。
良く言えば“感情を抑えて”、悪く言えば“冷淡に”、男性に質問をぶつけた。

「亡くなった方は、お若い方ですか?」
「いや、お婆さんです・・・」
「死因は聞いておられます?」
「病気らしいですけど、実際は老衰みたいなもんだと思いますよ」
依頼者が遺族の場合、死因をストレートに訊くことは少ない。
しかし、他人の場合は、心象を害されるリスクが低いので、ついつい率直な質問が多くなる。
必要のない好奇心が後を押し、私は、早い段階で死因を確認した。

「亡くなってから見つかるまで、どれくらい経ってたんでしょう」
「一日・・・正確に言うと、丸一日は経ってなかったようですよ」
「そうですか!早く気づかれてよかったですね!・・・でないと・・・」
「???・・・」
私の口からは、発見が遅れた場合の実例が出掛かった。
が、そんな話をしても、そんな話を聞いても誰も幸せな気分にはなれない。
私は、喉に急ブレーキをかけて、出掛かった言葉を飲み込んだ。

「遺体を発見したのは大家さんですか?」
「いえ・・・お姉さんです」
「お姉さん?・・・御遺族がいらっしゃるんですか?」
「えぇ・・・お姉さんが、○市におられるんですよ」
男性いわく、隣県某市に故人の実姉がいるとのこと。
独りでの暮らしを長く続けていた故人の経緯を聞いて、勝手に天涯孤独であると決め付けていた私は、少々驚いた。

「で、そのお姉さんは?」
「それが、お姉さんも高齢で、部屋の後始末なんて手に負えないわけなんです」
「なるほど・・・それで・・・」
「そう・・・(故人とは)長い付き合いですしいい人でしたから、私もできるかぎりのことをしてあげてるんです」
本来なら、家財の処分は男性が負う必要のないもの。
しかし、故人への義理と遺族への配慮から、男性や故人の友人達は、自ら雑用を買ってでているよう。
私は、そんな男性の人柄と汚染がなさそうな部屋に、ホッするものを感じた。


後日、私は、現地調査へ。
マンションは、築30年そのままに老朽気味。
男性(大家)とともに入った室内は、古い間取りの2DK。
古い家具に古い家電製品・・・全体的に整理整頓は行き届いているものの、間取りに対しての荷物は多く、高齢の女性が長く暮らしていた雰囲気が充分に漂っていた。

「かかる費用はお姉さんには払ってもらうことになってるんですけど、お姉さんも年金生活みたいなんで、なるべく安くしてあげて下さい」
「はい」
「あとは、お姉さんと直接やってもらえますか?・・・第三者が間に入ると、ややこしくなるだけなので・・・」
「はい・・・」
男性は、お金のやりとりが発生する事柄の間には入りたくない様子。
その賢明な考えに同意した私は、それ以降は故人の姉と直接やりとりすることにし、その電話番号を男性から教わった。

「もしもし・・・はじめまして、大家さんから依頼を受けた、家財処分の業者です」
「はいはい、○○(故人の名前)の姉の○○(自分の名前)です・・・この度は、面倒なことをお願いして申し訳ありません」
「いえいえ・・・いつもやっていることですから、大丈夫ですよ」
「よろしくお願いします」
電話の向こうの女性は、礼儀正しくとても優しい口調。
まだ何もしていないうちから、私の労をねぎらってくれた。

私は、部屋を見分したうえでの状況を説明し、作業の内容とそれにかかる費用を提案。
すると、私を信用してくれたのか、最初から頼まざるを得ないと諦めていたのか、女性は作業を即決。
女性から、質問らしい質問も・注文らしい注文もなく、そのまま作業の日時が決まった。

「処分しないものはありますか?・・・貴重品とか、思い出深い品とか・・・」
「仏壇・・・部屋の隅のタンスの上に、小さい仏壇がありますでしょ?」
「え~と・・・あれかな・・・あぁ・・・ありますね」
「後で持ち帰りたいので、それだけは捨てないで部屋の隅にでも置いておいて下さい」
女性が言う通り、タンスの上には小さな仏壇が一基。
私は、作業時に間違って処分しないよう、携帯を片手に、もう片方の手の指で上面のホコリに“ステルナ!”と書いた。

「集金の時でよかったら、運んでいきますよ」
「そんなことまでお願いしては、申し訳ないですよ」
「大丈夫です・・・一人で持てる大きさですし、どちらにしろ集金には伺わないといけませんから」
「そうですか・・・それじゃお言葉に甘えさせていただきます」
小さな仏壇を運ぶなんて、私からすると何てことないこと。
しかし、女性は、その労力が、自分が老体に鞭打ちながらタクシーで運ぶことと同じくらいに考えたらしく、恐縮しきりだった。


作業を終えて数日後、私は、車に仏壇を積んで、女性宅へ。

「お待ちしてました」
訪問の日時は、予め、約束。
インターフォンを押すなり玄関が開き、中から老年の女性がでてきた。

「失礼しま~す」
老婆を相手に、玄関先で仏壇を手渡しできるはずはない。
私は、所定の位置に仏壇を置くため、促されるまま中に上がった。

「ここにお願いします」
女性が指したのは、テレビの横の小さな台。急場で作ったようなスペース。
私は、抱えていた仏壇をそこに置いて、中を整えた。

「お茶でも、どうぞ・・・」
私は、女性の“社交辞令度”を観察。
私が居ることを迷惑がるような素振りが少しでも見受けられたら、適当な理由を言ってさっさと退散するつもりだった。

「では、遠慮なく・・・」
しかし、女性は、目の前にお茶・お菓子を出してくれ、自然体を感じさせながらニコニコ。
もともと、年配者と話をするのが好きな私は、遠慮なく、座卓に座った。


「“歳の順に逝こうね”って言っていたのに、妹の方が先に逝っちゃって・・・」
「・・・」
「人が死ぬのは仕方がないことですけど、実際こうなってみると寂しいものですね・・・」
「・・・」
「でも、大家さんもお友達もいい人ばかりで、皆さんに助けていただきました・・・あなたにもね」
「恐縮です・・・でも、私の場合は、お金をいただかなきゃやらないですから・・・」
「でも、それだけじゃないでしょ?」
そうは言われても、本当にお金をもらわなきゃやらない私。
善意は、カケラくらいしか持ち合わせていない。
ただ、女性の心遣いを拒絶する無礼をはたらくだけでなく、その人柄(優しさ)をも否定することになると思ったので、それ以上の言葉は返さなかった。

女性も故人も80代。二人とも、未婚で子供もなし。
青春期を、過酷な戦中戦後に過ごし、同年代男性との出会いが少なく、結果として結婚せず。
高度経済成長期には、経済的な余裕もできてきたが、遊ぶことよりも働くことを優先。
女一人で生きていくために、必死に働きつづけた。
そのお陰で、老後は、故人も女性も悠々自適な生活が送れるほどの年金を手に入れることができた。
しかし、寄る年並みには勝てず。
お金は自由に使えても、身体が自由に動かせなくなり・・・
近年は、入院や部屋での孤独死も危惧しながら生活するように。
そんな訳で、毎朝、電話でお互いの安否を確認するのが姉妹の習慣に。
そんな生活の中でのある日、とうとう妹(故人)が、電話にでない日が来たのであった。

「そろそろ失礼します・・・いいお話を聞かせていただき、ありがとうございました」
「こちらこそ・・・寂しさが紛れました」
「そう言っていただけると、幸いです」
「もう、お目にかかることはないでしょうね・・・これからも、頑張って下さいね」
「○○さん(女性の名前)も、どうか御身体を大切になさって下さい」
「はい・・・私も、もうじき妹のところに逝くことになるでしょうけど、それまでは大切に生きますよ」
「○○さんの後になるか先になるかわかりませんけど、私も必ず逝きますから、その時はまた・・・」
「そうですね・・・その時は、またお目にかかりましょう」
「はい・・・では、失礼します・・・」
「さようなら・・・」

女性は、幾多の出会いと別れを繰り返して、80余年の人生を歩いてきたことだろう。
そして、故人(妹)との別れが、深い悲哀をもたらしたであろうことは想像に難くなかった。
しかし、玄関で私も見送る女性は、満面の笑みを浮かべていた。
まるで、誰かとの再会を楽しみにしているかのように・・・

私は、“またお目にかかりましょう”という女性の言葉を噛み締めて、笑顔に涙が浮かぶような嬉しさと悲しさを持って女性宅を後にしたのであった。








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