特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

低所恐怖症

2010-01-27 17:06:22 | Weblog
首都圏にいる人で、工事中のスカイツリーを見たことがある人は多いだろう。
私が頻繁に使う首都高7号線からもよく見える。
まだ完成時の約三分の一しかできていないらしいが、かなり目立つ。
空中に三倍して想像してみると、感嘆の声がでる。

その昔、人々の目には、あの東京タワーもとてつもなく大きく映ったのだろう。
スカイツリーと重ねると、先人の想いがリアルに想像でき、時の妙を感じる。
しかし、その東京タワーも、今では周りのビルに押されて、わずかに目立つ程度。
もう、特段の輝きは放っていない。

そんな東京タワーに、私は、一度も上ったことがない。
上りたいと思ったこともない。
ビル数階の高さでも腰が引けるのだから、アノ高さは土台無理。
高所恐怖症の私には、間違いなく向かない。

しかし、あと何十年かしたら、スカイツリーの周りにも超高層ビルが建ち並び、東京タワーのように埋もれてしまうのだろうか。
その頃には、とっくにアノ世に逝っている私だろうけど、それを想像すると“楽しみ”というより怖い感じがする。

こうして生活していると、たまに、高いところからモノを言うクセをもった人・・・人に対してやたらと横柄な態度をとったり、初対面の相手にも平気でタメ口をきいたりする人と出会うことがある。
私の器量が小さいせいもあるだろうけど、そういうタイプの人は苦手。
私の感性に、その態度は目障りにしか映らず、その言動は耳障りにしか聞こえず・・・不快という、ストレスを感じてしまうから。

依頼者の中にも、やたらと高いところからモノを言う人がいる。
初動の現地調査は無償の仕事で、金銭のやりとりは発生しないのだが、依頼者と私は、事実上、“お客(買い手)と業者(売り手)”という上下関係に置かれる。
そんな依頼者は、“自分の方が上”という心理にもともとの性格が合わさって、初対面の相手(私)にでも気安くタメ口がきいてくるのだと思う。
それが、親しみの表れなら気にはならないのだが、単なる“上から目線”だと気に障ってしまうのである。

私の場合、初対面の人にいきなりタメ口はきけない。
また、初対面の人だけでなく、年下であってもそう親しくない人や、自分の方が立場が上であっても年上の人にもタメ口はきけない。
いきなりタメ口をきくのは、せいぜい、幼い子供くらい。
自己分析によると、それは謙虚さからくるものではなく、気の弱さ・気の小ささからくるもの。
私なりの世渡り術・自己防衛術なのかもしれない。
何はともあれ、私にとっては、その方が自然(楽)なのである。


特掃の依頼が入った。
電話をかけてきたのは“故人の弟”と名乗る中年の男性。
現場は古いアパート、死因は自殺。
発見が早かったため、遺体を原因とする汚染や異臭はほとんどなし。
ただ、無精だった故人は、ロクに掃除もせずに長年暮らしていたものだから、老朽汚損・生活汚染がヒドイよう。
更に、一刻も早く部屋を明け渡すよう、大家からプレッシャーをかけられているとのこと。
男性は、“鍵は、隣に住む大家さんが持っているから、あとは大家さんと直接やってほしい”と言って、あとのことを私に一任した。

「もしもし、○○さん(大家)ですか?」
「そうですけど・・・」
「はじめまして・・・△△さん(依頼者)から依頼を受けた片付けの業者なんですけど・・・」
「業者!?」
「はい・・・」
「△△さんはどうしたのよ!」
「“大家さんと直接打ち合わせでほしい”と頼まれまして・・・」
「それでアナタが電話してきたの!?」
「はい・・・」
「まったく!無責任ねぇ!」
「・・・」
「あれから何日経ってると思ってるのよ!」
「・・・」
「ちょっと、遅すぎるんじゃない!?」
「は、はぁ・・・」
大家の女性は、とにかく横柄。しかも、かなり不機嫌。
私は、その口のきき方と態度に戸惑い、閉口。
そして、仮に請け負った場合は、それが難儀な仕事になることを想像。
と同時に、遺族の男性が、私に一任した理由が飲み込めた。

現場は、乗用車一台がギリギリ入れるかどうかの、細い路地に面した老朽アパート。
大家の女性は、隣接する一戸建に暮らしていた。
私は、部屋の鍵を開けてもらうため、大家宅を訪問。
予め訪問時刻を伝えていたこともあって、女性はすぐに出てきた。

出てきた女性は、想像していた通りのキツネ顔。
笑みの一つもこぼさず、いきなり不満を爆発させた。
しかし、口から出る悪口のほとんどは、本来、私が受けるべきものではなく・・・
それでも、私しか聞く人間がおらず、私は、やむなくサンドバッグになるしかなかった。

一通りの文句を聞いて後、“まずは部屋を見てから・・・”ということで会話は終了。
私は、女性がぶっきらぼうに差し出した鍵を丁寧に受け取り、隣のアパートへ。
そして、部屋に入る不安感を女性から開放された安心感で中和しながら、階段を上がった。

玄関を開けると、そこはプチごみ屋敷。
遺族男性は教えてくれた通りの有様。
床のあちらこちらにゴミが散乱し・・・
家具・家電の上にはホコリが分厚く積もり・・・
流し台・浴室・トイレは酷く汚れ、掃除を請け負う前から気後れするくらい・・・
そして、台所と和室を隔てる柱の上部には、数本の釘・・・
その用途が瞬時にわかった私は、それまでにも何度となくついてきたのと同じ溜息をついた。


作業の日・・・
この日も、遺族男性は来なかった。
女性は、作業の途中でも、ズカズカと室内に入ってきて、眼光鋭く作業を監視。
そして、ブツブツと独り言の愚痴をこぼした。
私は、それを無視して作業に没頭。
そんな私に威圧感を覚えたのか、女性は、何か注文をつけてきてもおかしくないキャラなのに、ほとんど何も言わず。
そのお陰で、覚悟していたよりもずっとスムーズに作業を進めることができた。

作業が終わりかけた頃、私は、柱の釘を始末することに。
脚立を持ってきて、柱の前に置いた。
そして、それに馬乗りになり、そこに刺さる数本の釘を一本一本抜き始めた。
女性は、近くにきて、その様子を見物。
“柱に余計なキズをつけるなよ!”とでも言いたげな視線を送ってはいたが、どうも、それが何の用で打たれた釘なのか、わかっていないようだった。

束状に密集した釘に、釘抜きは差し込めず。
抜く術は、一本一本をペンチで挟んで、力任せに引っ張ること。
しかし、非力の私は、それに四苦八苦。
なかなか抜けない釘は、まるで、闇の力を誇示しているようだった。

しばらくすると、女性は、柱の釘の用途に気づいたよう。
驚嘆の声を上げたかと思ったら、眉間にシワをよせ、口に手をあて・・・
泣きそうな顔で、部屋を駆け出て行った。
生前の故人とその自死が、頭の中で渦巻いたのか・・・
私の目には、女性が、急激な嫌悪感と恐怖感に襲われて逃げ出したように映った。


女性の苛立ちや横柄な態度は、一体、何に起因するものだったのか・・・
“女性固有の性格や人間性”と片付けることはできるけど、はたして、それだけだったのだろうか・・・
釘に気づいた時の悲しげな表情は、一体、何に起因するものだったのか・・・
“自死現場特有の嫌悪感や恐怖感”と片付けることはできるけど、はたして、それだけだったのだろうか・・・
女性は、渦巻く感情や現実の理不尽さを、うまく消化できず、結果、それが不満や苛立ちになって爆発していたのではないだろうか・・・
同時に、自分の精神が低いところに落ちないよう、あえて高いところに立っていたのではないだろうか・・・
私は、そう思った。


人は、高いところを好む。
経済も地位も精神も、高いところに行きたがる。
しかし、いくら上がっても、欲は満足しない。
そして、時間ばかりが過ぎ、満たされる前に人生が終わってしまう。

人は、低いところを嫌う。
経済も地位も精神も、低いところに居たがらない。
しかし、足掻けば足掻くほど、希望は窮々とするばかり。
そして、時間ばかりが過ぎ、満たされる前に人生が終わってしまう。

見栄を張らないと、自分の地位がもたないことってある。
意地を張らないと、自分の身がもたないことってある。
虚勢を張らないと、自分の精神がもたないことってある。
後に残るのは、虚しさのみとわかっていても・・・

学歴・所得・社会地位に対する“社会的低所恐怖症”や、精神・心・気分に対する“精神的低所恐怖症”を患っている人は、多いのではないだろうか。
そして、今になって思うと、大家女性が患っていたかもしれない、そしてまた、私自身が患っている“低所恐怖症”が見えてくるのである。







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一人と独り

2010-01-17 08:35:20 | Weblog
“亡くなった者の娘”と名乗る女性から、特掃の依頼が入った。
女性は、私の返事をロクに聞きもせず、同じ説明を繰り返し・・・
そしてまた、私の返答をロクに聞きもせず、同じ質問を繰り返し・・・
そこに、女性の心の動揺が見えた私は、口のスピードを落として女性の話に付き合った。

現場は、2LDKの分譲マンション。
故人の性別は男性、年齢は60代。
故人がいた場所はトイレ。
発見したのは、設備メンテナンスの会社。
警察の見立ては、“死後二ヶ月”。
警察は、部屋への立ち入ることも遺体と面会することも反対。
結果、女性は、何一つ自分の目で確かめておらず。
“女性に、具体的な状況説明は無理”と判断した私は、必要最低限のことだけ聞いて、あとの情報は現地調査にて収拾することにした。


現地調査の当日・・・
マンションのエントランス前で待つ私の側へ、一人の若い女性が駆け寄ってきた。
電話で話した依頼者だった。
その表情は硬く、かなり緊張している様子。
何からどう話せばいいのか分からないみたいで、しどろもどろ。
その困惑ぶりに女性の心痛を感じた私は、普段はない男気を醸し、余裕を装った笑みを浮かべ、発する言葉を短い返事だけにとどめ女性の話に聞き入った。

亡くなったのは、女性の父親。
病院に通っていたような形跡はなく、また、自殺を疑わせるような事情もなし。
いわゆる“突然死”のようだった。
女性は、故人の一人娘。
比較的、仲のよい親子だったが、それでも、顔を合わせるのは数ヶ月に一度程度。
“音沙汰ないのは、お互い達者な証拠”という状態で過ごしていた。
不動産管理会社から連絡が入ったとき、女性はピンとこず。
どう考えても、何かの間違い・人違いにしか思えず。
亡くなったことだけでもすぐには信じられなかったのに、二ヶ月も放置されていたことなんて、とても信じることができなかった。

プライベートな事情を無闇に訊くのは躊躇われたが、女性を待ち受けている孤軍奮闘が気の毒に思えた私は、母親(故人の妻)の存在を質問。
すると、“母親はいない”とのこと。
“いない”の意味するところが死別なのか離別なのか・・・私は興味を覚えたが、女性の暗い顔にその理由を訊くことはできず・・・
とにかく、女性が一人で事の収拾にあたらなければならない状況に置かれていることだけは認識できた。

言葉にはでてこなかったものの、どこからどう見ても、女性は室内に入りたくなさそう。
かと言って、身内でもない私を一人で部屋に行かせることにも気がとがめるようで、女性は、人見知りした子供のようにオドオド・モジモジ。
そんな女性を、同行させる必要はどこにもなく・・・
結果、私は、部屋の鍵を預かって、一人で故人の部屋に向かうことに。
申し訳なさそうに頭を下げる女性に笑顔を返しながら、オートロックの扉をくぐった。


玄関の前に立っても、特段の異臭はなし。
栓が止められたガス・水道、ピクリとも動かない電気メーター盤、チラシや郵便物が溢れ出ているポスト・・・
先入観があるからかもしれなかったが、それら一つ一つが、部屋の中で起こったことを私に静かに教えてくれているように思えた。
玄関を開けると、その先は真っ暗。
電灯が点いてないせいもあったが、雨戸が閉まったままで、室内は暗闇に包まれていた。
私は、後ろポケットに突っ込んでいた懐中電灯を手に握り、一歩前進。
大きな明りが欲しくて、どこかの壁面に設置されてあるはずの電気ブレーカーを探した。
しかし、その期待も虚しく、ブレーカーを上げても壁のスイッチを入れても電灯は点かず。
電気は元線から切られており、完全に止められていた。
私は、電気が点かないことを早々に諦め、懐中電灯だけを頼りに二歩・三歩と前進。
一歩一歩に力を込めてトイレを探した。
それらしき所には、すぐに到達。
扉を開けると、懐中電灯の光は、日常にはない茶色の粘土質を照らし出した。
そこは、トイレではなく、便器・洗面台が併設されているタイプの浴室。
一昔前に流行ったタイプのユニットバスだった。
その床面は、腐敗汚物が占領。
更に、それは排水口にまで流れ込み、蓋を覆うほどに滞留していた。
その厚さと広がり方、そして乾き具合から、私は死後経過日数を想定。
私の答も、警察の見立てと同じ“死後二ヶ月”だった。
見上げた天井や壁には、天空の星のように無数の蛹殻。
それは、相当数のウジ・ハエが発生したことを物語っていた。

死体は、ミイラのように大人しくしているものと思ってしまうのか、一般的に、人体が朽ちていく過程を具体的に認識している人は少ない。
この時の女性もそうで、故人がいた浴室が、どれほど悲惨なことになっているのか、まったく想像できていないようだった。
ただ、お金をいただく以上、ある程度のことは理解してもらう必要がある。
私は、グロテスクな状況を、言葉の使い方に気をつけながら説明した。
が、表現はソフトでも、話の内容はやはりハード。
いくら私が神経を使っても、女性には無神経にしか聞こえなかったかもしれず・・・
話が浴室のことに及ぶと、女性は私の話を手で遮り、その手を自分の顔に当てて泣き始めた。
それまでにも何人もの女性を泣かしてきた私だったが、それでも、その雰囲気に免疫がつくことはなく、例によっての気マズイ思いに視線は泳ぐばかり・・・
そんな中でも、私は、場の雰囲気を変えるべく、女性のプレッシャーが軽くなるような材料を探した。

「ここ、分譲ですよね?」
「はい・・・亡くなった父の名義です」
「ニオイも虫も外には出ていないようですし、ここを片付けるのはご自分が落ち着いてやれるペースでいいと思いますよ」
「それで、大丈夫なんですか?」
「ええ・・・賃貸物件やニオイや虫が近所に迷惑をかけているような場合は、そんなこと言ってられませんけどね」
「はぁ・・・」
「そうして一つ一つやっていけば、きれいに片付きますよ」
「そうですか・・・そう言っていただけると、少しは気が楽になります」
私の提案に、女性のプレッシャーは少し和らいだよう。
笑みこそこぼれなかったけど、わずかに表情が明るくなった。

「でも、掃除だけは一日でも早くやっていただきたいんですが・・・」
「はい・・・」
「このままだと、いつまでも父を放っておくような気がしまして・・・」
「なるほど・・・」
「いつできます?」
「掃除だけなら、今からでもできますよ」
「え?今から?」
「ええ・・・消臭には何日かかかると思いますけど、見た目の掃除だけなら、2~3時間あればいけると思いますよ」
「そんなにはやく!?他に誰かいらっしゃるんですか?」
「いえ、私一人で・・・」
「お一人!?一人でやるんですか!?」」
「はい・・・浴室の掃除に二人はいりませんから・・・」
「それはそうかもしれませんけど・・・」
女性は、驚きを隠さず。
私が一人でやろうとしていることが、稀有(奇異?)なことのように思えて仕方がないみたいだった。

実のところ、“特掃は一人でやるもの”と聞いて驚く人は多い。
しかし、“特殊清掃”ったて掃除は掃除。
(ちなみに、今ではあちこちで使われている“特殊清掃”って名称は、その昔、うちの社長が考えだしたもの。)
大きなものを動かしたり、重いものを運んだりする時は、一人では手に負えないけど、そうでない時は原則一人。二人分の作業量はない。
“一人が汚したものは一人で片付く”と言えばわかりやすいかな。
しかし、一般の人は、理屈は飲み込めても理性が理解しないよう。
多分、腐乱死体に対して、独特の先入観と恐怖感を持ってしまうからだろうと思う。

そんな特掃は、孤独な作業。
一人でやる以上、やはり、相応の孤独感は抱えてしまう。
特に、作業開始時は心細い。
しかし、やっているうちに“一人でやらなければならない作業”のように思えてくる。
それは、作業効率や費用対効果などビジネス上の都合ではなく、私個人の理由として。
キザな使命感でも、カッコいい責任感でもない、私自身の鍛錬として。
そして、そうしてやっていると、孤独感は自然に消えていく。
そのうち、誰かが私を手伝ってくれているような、一人じゃないような心強さを覚えてくる。
変態みたいに思われるかもしれないが、その感覚は、決して冷たいものではなく、わりと温かいもの。
そういったものが、自分の中から湧いてくるのである。


人は、艱難に遭うと孤独になりやすい。
相談にのってくれる人・手助けをしてくれる人はいたとしても、重荷を一緒に負ってくれる人なんていないような気がしてくる。
そして、人の心は冷たく凍える。
そんな孤独を癒すのは、やはり人の温かみ。
しかし、人は、温かくとも冷たいもの。
自分の温度によって、人は、冷たくもなり温かくもなる。
結局、孤独感を本当に癒せるのは、自分の温かみ。
人を想う温かい心が、結果的に自分の孤独感を癒すのである。

故人は、孤独に死んだ。
しかし、その心には愛する娘(女性)がいたはず。
女性は、孤独に後始末をした。
しかし、そこには、父親(故人)を想う気持ちがあった。
私は、孤独に特掃作業をした。
しかし、そこには、人から必要とされることの温かさがあった。
一人一人、独りではなかった。

一人分の死に向かって歩く人生は、孤独なものかもしれない。
そう・・・人は、一人かもしれない。
しかし、人は、独りではない。

孤独に震える必要はない。
少なくとも、今、これを読んでいる貴方には私がいる。私には、貴方がいる。
その間に何らかの温度が生まれているとするならば、もう、私も貴方も孤独ではないのだ。







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弱肉弱食 ~後編~

2010-01-12 13:56:14 | Weblog
「???・・・※○※△※□※!!!」
何も考えず鳥の骨らしき物体を拾い上げた私は、言葉にならない悲鳴を上げた。
と同時に、稲妻のような悪寒に身を震わせ、その場に立ち尽くした。

「何!?」
私は、とっさに手にした骨を床に放り投げた。
そして、離れたところからそれを凝視した。

「チキンじゃない・・・」
鶏の足骨によく似ていたが、足先の部分が鳥類ではなく・・・
毛・肉球・爪・・・
それは、どう見ても獣の脚・・・猫の脚のようだった。

「どういうこと?」
私は、状況がいまいち飲み込めず。
骨になったネコの脚が落ちている経緯を考えたが、その答えはすぐに浮かんでこなかった。

「行くか・・・」
頭をひねっていても何も片付かない。
現地調査を済ませるまでは私に後退の道はなく、ひたすら前進あるのみ。
止まらない悪寒を背負いながら、私は、一歩一歩慎重に歩を進めた。

「!!!」
私の目は、前方に得体の知れない物体を発見。
正確に言うと、得体は知れていたのだが、私の頭が得体を知りたがらなかっただけ。
私は、イヤ~な予感を増しながら、更に歩を進めた。

「勘弁してほしいなぁ・・・」
その物体は、骨だけになったネコの死骸。
しかも、自然に白骨化したものではなく、赤みを帯びた生々しいもの。
それは、明らかに、何かが肉を食った痕だった。

「1・2・3・・・」
“頭+背骨+肋骨+尻尾”から成る本体を数えてみると、計4体。
それが、部屋のあちこちに点在。
そして、そこから外された脚もまた、部屋のあちこちに散在していた。

「気持ちワル・・・」
それは、まるでエイリアンの仕業。
顔の皮・手足の先・尻尾を残して、肉という肉はきれいになくなっていた。

「確か・・・5匹いたはずだよな・・・」
見当たる死骸は4匹分。
私は、もう一匹がいないことに気がついた。

「どこかな・・・」
いるはずのものがいないと気になるもの。
私は、恐怖心に近い好奇心をともなって、どんな姿になっているか見当もつかない最後の一匹を探した。

「こっちか?・・・」
私は、ポケットの懐中電灯を手に持ち替えて、まだ見ぬ浴室へ。
そして、その光は、糞だらけの浴槽に潜む一匹の猫を照らし出した。

「生きてる?・・・」
そいつは、痩せた身体に目だけを大きくし、こちらを凝視。
そして、“フーッ!フーッ!”と私を威嚇した。

「コイツが食ったのか?」
私の頭には、部屋で見た死骸の画像がフラッシュバック。
猫ごときを怖がる必要もなかったのだが、私は、その猫が仲間4匹をアノ状態にしたことを想像して、身の毛もよだつような恐怖感を覚えた。

「そんなに怖がるなよ・・・」
私は、敵意と恐怖心を剥き出しにする猫をなだめようと一言。
しかし、猫に向けて発したつもり言葉は、そのまま自分に跳ね返ってきた。

「どうすっかなぁ・・・」
正式な作業依頼を受けるまでは、部屋は放っておいてもOK。
しかし、生きている猫を部屋に放置して帰ることには、抵抗があった。

「とりあえず、餌と水だな・・・」
私は、棚に積まれていた猫缶を何個か開け、大きめのボウルに水を注いだ。
そして、それを浴室の床に置き、そこを離れた。

「何でこんなことになってんだろう・・・」
一通りの見分を終えた私は、妙な脱力感を覚えて玄関前で小休止。
空に視線を泳がせながら、でるはずのない答を頭の中に探した。


ことの経緯はこうだった・・・

何日も前のこと。
住人は、友人と旅行を計画。
ペットホテルの費用を節約するため、部屋の猫達には、日数に見合うだけの餌と水を用意して旅行に出発した。
数日の旅行を終えた住人は自宅に帰らず、そのまま友人宅へ。
当初は短期滞在のつもりが、結果的にずるずると長期滞在へ。
友人との楽しい時間が、時の経過を忘れさせたのだった。
そうして何日かが経過。
さすがに猫のことが心配になってきた住人。
放っておけば放っておくほど、心配する気持ちは罪悪感となって肥大。
ついには、罪悪感は恐怖感となって、住人の帰宅を阻むようになった。
しかし、ある日のこと、帰宅しなければならない事情が発生。
嫌でも、住人は、帰宅せざるを得なくなった。
玄関を開けると、住人の鼻を悪臭が直撃。
そしてまた、目には凄惨な光景が飛び込んできた。
その凄惨さは、住人の想像をはるかに超えたもので・・・
結局、玄関から一歩も足を踏み入れることができず、そのままドアを閉めるしかなかった。

不在にしていた日数から換算して、住人は、猫が死んでいるであろうことは覚悟していた。
だた、想像していたのは“静かな餓死”。
部屋を荒らすことや共食いすることなんて、全く想像していなかったよう。
更には、一匹の猫が生き残っていることも・・・
私が状況を説明していると、女性の声は消え、それに代わって鼻をすする音が聞こえはじめた。
どうも、電話の向こうで泣いているようだった。
そして、“偽りは通用しない”と考えたのだろうか、部屋の住人は妹ではなく自分であることを打ち明けてきた。
当初、私が目算した通り、自分が抱える罪悪感と羞恥心に耐えられなくなった女性は、架空の“妹”をでっち上げていたのだった。

後日、私はその部屋を片付けることになったのだが、それがどんな作業になったのかは、想像に難くないだろう。
特に手を焼いたのは死骸(本体部分)。
あまりに生々しくて、当初は、近寄るだけで悪寒が走り・・・
視線を合わせては、触れることもできず・・・
結局、視線を外したまま、手探りで袋に詰めた。
次に手を焼いたのは、大量の糞と毛。
部屋中に相当量の糞が堆積しており、ヒドイ有様。
手と足を汚しながら、地道に糞闘するしかなかった。
生き残った一匹の捕獲にも、かなり苦労。
敵意と警戒心を剥き出しにして部屋中を逃げ回るものだから、私は右往左往するばかり。
結局、先に浴室を掃除し、それからそいつを浴室に追い込んで幽閉。
最終的に、私と和解することがないまま女性に引き取られていった。


“共食い”・・・
生き残った猫は、強いから仲間を食ったのか、それとも弱いから仲間を食ったのか・・・
何だか、人間にもこれと共通するところがあるような気がする。

人と人とが支え合う時代から、人と人とが食い合う時代へ・・・
強い者が弱い者を食い物にする時代から、 弱い者が更に弱い者を食い物にする時代へ・・・
そんな中で、
“弱肉として我慢して生きるくらいなら、死んだ方がマシ”
“弱肉として辛抱して生きるくらいなら、死んだ方がマシ”
“弱肉として苦労して生きるくらいなら、死んだ方がマシ”
なんていう寂しい肉欲が、人の心を支配する。

私は弱い人間だからハッキリしたことはわからないけど、本当に強い人間は、弱肉を追わないのではないだろうか・・・
本当に強い人間は、肉欲に任せて目の前の弱肉を食うのではなく、逆に、自分を弱者に差し出すのではないだろうか・・・
利他の精神・慈愛の精神・奉仕の精神を豊かに持った人間が、本当に強い人間ではないだろうか・・・
そんな風に思う。
そして、そんな強者は、貧しい肉欲によってではなく豊かな愛によって腹を満たすのだろうと思う。


「人の弱みにつけ込み、人の不幸で飯を食う」
そのように揶揄されるこの死体業。
言われて悲しくとも、否定できない現実がある。
それでも、誰かが必要としてくれるこの仕事。
結果的に、誰かの助けになることもある。

私は、歯がゆいくらいに弱い人間。
汚れた肉欲に負けっぱなしの人生。
ただ、強い人間になれなくとも、弱肉を貪らないでも生きていけるくらいの力はつけたい・・・
そう思いながら生きているのである。








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きれいごと

2010-01-04 09:54:15 | Weblog
2010年 謹賀新年
東京は、元旦から好天に恵まれ、晴れやか気分で新年がスタート。
が、言うまでもなく、私は、大晦日が仕事納めで、元旦が仕事始め。
休みらしい休みもなく、単調な年末年始であった。
大晦日は都内某所で汚腐呂掃除、元旦は現場業務には出ず、一日中会社で雑用を。
そして、壁に掲げた新しいカレンダーに妙な重さを感じながら、「今年も頑張るしかないな・・・」と疲労感に潰されそうな期待感と、溜息に消されそうな深呼吸をもって自分に気合を入れ直した。

年をとるにしたがって、心の感度が低下してきている私。
仕事の疲れ・金の心配・人間関係のストレスetc・・・
楽しくないことばかりが増え、新年にあたって気持ちを新たにすることもできなくなってきた。
毎日が元旦のように思えれば、生き方も変えられるだろうに・・・
子供の頃の正月に味わっていたリフレッシュ感が懐かしい。
どうあれ、心の鮮度が悪い理由を、上記のような自分の外にあるものに転嫁するのはよくない。
問題の核は、死人のように冷たく硬直した私の心にあるのだろうから。

何はともあれ、今年も始まった。
そして、今日が仕事始めの人は多いだろう。
この年の仕事を溌剌とした気分でスタートした人もいれば、憂鬱な気分でスタートした人もいるだろう。
それでも、“スタート”できればまだいい方で、この時勢には、したくても仕事がない人がごまんといるそう。
そんな人達が抱える苦悩は、いかばかりか・・・

事情がまったく違うけど、かつて、死体業に就く前の私も無職の苦しみを味わったことがある。
ほんの数ヶ月だったけど、あれはあれでかなり辛いものがあった。
それを想うと、今、仕事がない苦しみに遭っている人達の気持ちが少しはわかる。
しかし、どんなに他人を思いやる言葉を発しても、所詮は“きれいごと”。
「自分さえよければ、それでいい」なんて冷たい想いが、私の基にある。


「きれいごとを吐くな!」
私は、頻繁に、そんな罵声を浴びせられる。
そして、そんな声に対して、時に身構え・時に萎縮する。

“きれいごと”という言葉は、あまりいい意味では使われない。
社交辞令・建前・机上論・詭弁・屁理屈・上辺の言葉etc、実が伴わないことのような印象を持つ。
そして、よくないことのように捉えてしまう。
しかし、“きれいごと”とは、そこまで否定されるべきものだろうか。

こんな殺伐とした社会でも、ヒット曲には、歯の浮くようなきれいな歌詞が多いし、人気ドラマや映画には、現実には有り得ないような美談が多い。
そしてまた、人は、フィクションとわかっていても、感動する話・泣ける話が大好きで、いわゆる“きれいごと”を前面に出したものがウケる。
それは何故か・・・
それは、人間は、“きれいごと”を好む動物だから。
つまり、人の心には、“汚い思いは持ちたくない”“きれいな生き方をしたい”という普遍的な本性が潜在しているからなのである。

しかし、そこまで“きれいごと”を好むわりには、普段、汚い想いばかり抱え・汚い行いばかりを繰り返す・・・
欲にめっぽう弱く、“善くない”とわかっていても悪に走る・・・
目や耳から入る“きれいごと”が、実際の自分の生き方に適応できない・・・
人間には、 “きれいに生きたい”と願いながらも汚くしか生きられない、悲しい性があるのである。
そこのところに、“きれいごと”が否定的なニュアンスを持ってしまう由縁があるのだろうと思う。

この私もモロにそう。
きれいに(正しく)生きることを願っているのに、そう生きられない。
ブログの中では“善い男”を演じてはいるが、実のところ、結構“悪い男”。
“クセ”がなさそうに映るかもしれないけど、結構な“クセ者”。
人を斜に見るのが大得意で、長所を褒めず・短所を批判、人がくれる建前を冷淡に受け流し・本音を黒く読む。
それは、仕事に対しても同様。
依頼者や故人を思いやるような態度はとるけど、内心は極めて自分本位。
“きれいごと”を吐くけど、どこまでが本心なのか・・・かなり怪しい。

「本当に、故人の冥福を祈っているか?」
「本当に、故人の尊厳を守ろうとしているか?」
「本当に、故人の死や遺族の苦境を悼んでいるか?」
「本当に、依頼者が癒されることを願っているか?」
「自分の働きは、献身的なものと言えるか?」
自分に問うてみても、残念ながら、その答えはすべて“No”。
そんな気持ちがまったくない訳ではないけど、所詮は、一時的な感傷と区別がつかない程度のもの。
自愛に慈愛の皮を着せ、自分の偽善に浸っているだけ。
結果、私は、自分のため・自分が生きるためにこの仕事をしているのであって、決して、遺族(依頼者)や故人のためではないことを再認識させられる。

私の内面や行いだけではなく、腐乱死体現場も恐ろしく汚い。
液状化する肉体・・・
理性なく流出する腐敗体液・・・
汚物を身にまとい、縦横無尽に徘徊する夥しい数のウジ・・・
糞を撒き散らしながら空間を制す、無数のハエ・・・
腹を突き上げてくる、類をみない悪臭・・・
地獄絵図のような凄惨な光景が、現実のものとなって立ちはだかる。

そんな腐乱死体現場・・・
始めのうちは、現場が不気味さに身構えて、オドオド作業。
しかし、少しすると、何かが燃焼し始める。
始めのうちは、腐敗体液がとてつもなく汚らしく思えて、イヤイヤ作業。
しかし、少しすると、人の世話をしているような気持ちになってくる。
そして、汚物と故人が重なって、“汚いもの”という感覚が薄まってくる。
つまり、私の感性の中で、自分の手にある“汚物”が“人”になるのである。

ある意味で、人間は汚い。腐っている。
どこまでも邪悪で、どこまでも愚かで、どこまでも醜い。
しかし、どこまでも美を求め、どこまでも善を求め、どこまでも生を求める。
だから・・・
人は“きれいごと”を求める。
人は“きれいごと”を言う。
人は“きれいごと”を喜ぶ。
そして、この人生に・この社会に、“きれいごと”は必要なのである。


「きれいごとを吐くな!」
と私に罵声を浴びせるのは、もう一人の私。
悪知恵が働く、なかなかのクセ者。
既に、今年も、そいつとの格闘が始まっているのである。








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