特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

ウジウジ

2022-09-22 08:47:51 | その他
陽が暮れるのが日に日にはやくなっている。
セミにとって代わった鈴虫の音色が耳に優しく響く。
本格的な秋は、もう目の前。
コロナ七波も落ち着いてきた感があり、秋を満喫する環境は整いつつある。
TVの情報番組でも、あちこちの行楽地や、数多くの秋の味覚が紹介され始めており、“にわか”ではあるけど、私も秋に迎えてもらっているような気分を味わっている。

「食欲の秋」「行楽の秋」「趣味の秋」、人それぞれ色んな秋がある。
私にとってこの秋は、どんな秋になるだろう。
酒は飲み続けているけど、大して食欲はないし、行楽の予定もなければ趣味もない。
そうは言っても、この鬱々とした日常に嫌気がさしている。
だから、とにかく、この現実から離れたい。
すぐに死なないとすれば、何もかも手放して生き直したいような気分である。

私は、自分が書くブログの根底に、「生きろ!」というメッセージを流しているつもりだけど、時々、その熱量が失せることがある。
死にたいわけじゃないけど、生きているのがイヤになるときがある。
自分なりにがんばって、ここまで生きてきたにも関わらず、いまだに
「なんで、人は、こうまでして生きなきゃならないんだろうな・・・」
といった考えに苛まれることがある。
私も、ただの人間、どちらかというと軟弱な人間だから、気分が沈むこともあれば、鬱々とした状態から抜け出せなくなることもあるわけで、そういうときは、生きるための意欲が減退するのである。

食欲がなくても、行楽の予定がなくても、酒に対する欲だけはある。
前にも書いたが、どうしても酒がやめられない。
そうなると、肴もいる。
せっかくの秋なのだから・・・




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置き去り

2022-09-22 08:31:58 | 夜逃げ
その日 その陽によっては、昼間でも涼しさが感じられるようになり、しばらくサボっていたウォーキングも再開。
そのウォーキングコースには、毎年、時季になると、紫陽花が咲くエリアがある。
人家の庭から派生して広がったようで、それは、一般の歩道に面して群生。
ブルー系の色が多いのだけど、それも、濃淡 色とりどりで、毎年、この目を楽しませてくれる。
ただ、その紫陽花も、この時季になると、多くが枯れて色彩を喪失。
が、それでもまだ、三輪が咲いたまま残っている。
それも、枯れかけたものではなく、ほぼ“現役”のまま色を残して。
 
思い出すと、確か、昨年も、最後の一輪は十月まで粘り強く咲いていた。
そして、それから、ちょっとした勇気や元気をもらったもの。
ただ、このところの気候変動に、植物も振り回されているのか。
それは、活き生きできる季節に置き去りにされたようにも見え、応援したい気持ちがある反面、“無理矢理 生かされている感”もあり、やや可哀想にも思える。
 
「置き去り」と言えば、幼い子供が犠牲になる痛ましい事件が続けざまに起こった。
幼児を家に、赤ん坊を公園に、園児を送迎バスに・・・
子供達が襲われた恐怖感・苦痛・淋しさ・悲しさはいかばかりか・・・
悪意はもちろん、過失であっても、当人にとってやむを得ない事情があったとしても惨い話。
とりわけ、悪意の加害者には、大きな憤りを感じる。
性格冷淡な私のこと、数日もすれば過去の出来事として記憶から消えていくのだろうけど、今はまだ、いたたまれない気持ちが残っている。
 
とは言え、私はもちろん、この世には、100%善良な人間はいない。
今、流行りの(?)、カルト宗教みたいなことは言いたくないけど、多かれ少なかれ、人間は“悪”を内包する。
いつでも湧きあがれるよう、虎視眈々と心の隙を狙っている。
主義を主張することも議論を戦わせることも悪いことだとは思わない。
ただ、人の悪を過剰に突いたところで、自分が悪性が消えるわけでも、自分が善人になれるわけでもない。
だから、人を非難するのはほどほどに。
その分、謙虚に己を顧みた方がいいのではないかと思う。
 
 
 
訪れた現場は、街から離れた地域にある やや古めのアパート。
間取りは3DK。
敷地内には、各室用の駐車場も完備。
若い夫婦二人とか、大きい子供でなければ、四人家族でも生活できそうな広めの間取り。
ただ、立地的に利便性がいいわけではなく、家賃は、比較的 安めのようだった。
 
調査を依頼してきたのは、それまで何度か仕事をしたことがある不動産管理会社。
依頼の内容は、室内に残置された家財生活用品の処分。
ただ、その事情は特有。
そこに暮らしていた老齢女性が、急にいなくなったかと思うと、そのまま行方知れずに。
大家も管理会社も一通りの探索を行ったものの、女性は一向に見つからず。
家賃も滞納となり、事態は進展することなく月日が経過。
大家としても管理会社としても、そのまま放置しておくわけにはいかず、正規の手続きをもって家財処分の権利を得て、部屋を空けることにした。
 
多くはないが、これまでも、所有者不在の現場で仕事をしたことは何度かある。
例えば、夜逃げ現場。
パターンとして多いのは、“ゴミ部屋”。
“ネコ部屋跡”というのもあった。
部屋に大量のゴミを溜めてしまい、内装・設備を著しく汚損してしまい、自分ではどうすることもできなくなり、業者に頼む金もなくて、大家(管理会社)に告白する勇気もなく。八方がふさがり、結局、逃げてしまう。
しかし、大家や管理会社だって、手を尽くして当人を探すわけで、結局のところ、見つかって“The End”。
当人は何らかのカタチで責任を取らされることになるのだが、しかし、本件においては、そうはならなかった。
 
玄関を入った真正面の壁、女性が戻ってきたら間違いなく視界に入る位置に、左右二枚の紙が並べて貼ってあった。
それは、裁判所が出した強制執行通知書。
法によって認められた権利によって家財を処分する旨と、その期日が記されてあった。
ただ、左側の紙に記された期日は、私の訪問日より前。
そして、右側に記された期日は、私の訪問日より後。
当初の執行期日は何らかの事情があって延長されたようだったが、野次馬経験が豊富な私でも、その事情までは読めなかった。
 
私は、誰もいないことがわかっていながらも、一応の礼儀として、
「失礼しま~す・・・」
と、小声で挨拶をしながら、玄関を上へ。
室内は、外気に比べて、どことなくヒンヤリしており、電気も停止中で薄暗いまま。
そんな中を静かに歩きながら、一部屋ずつ見分して回った。
 
部屋は、散らかっているようなことはなく、全体的に整然とした雰囲気。
炊事・掃除・洗濯などの家事もキチンとなされていたよう。
全体的に小ぎれいにされており、不衛生さは感じず。
置かれている家財生活用品は、ごく一般的なモノが一式。
「人のぬくもり」とでも言うか、リアルな生活感は消えていたものの、帰ってきさえすれば、すぐに、それまでの日常生活が取り戻せそうなくらい、日用のモノがそのまま残されていた。
ただ、家具や家電は使い古されたものばかりで、趣のある調度品や雑貨類もなし。
暮らしていたのは、それなりにキチンとした人物であることと共に、至って慎ましい生活をしていたことが想像された。
 
そんな中で目を引いたのは、小さな仏壇の前に置かれた遺骨。
仏壇も仏具も年季が入ったものなのに、それを覆う骨壺カバーは やけに新しく、妙な違和感が。
「誰の骨だろう・・・」
そう思いながら、
「さすがに、これは回収できないから、誰のものでも関係ないな・・・」
と、カバーを外すこともしなかった。
 
私は、「遺骨」というものには、人格や命はもちろんのこと、霊や魂など、擬人化できる何かが宿っているとは思っていない。
もちろん、仏壇・仏像・位牌・墓石・神棚・御守・御札をはじめ、写真や人形にも。
結局は、ただの石や灰と同じ類のもの。
だからといって、そういった類のモノを大切に想う人の気持ちを踏みにじるかのごとく、乱雑に扱ったり、粗末にしたりしていいとも思わないけど。
だから、触らず放っておくことが、もっとも当たり障りのないことだった。
 
 
それまで、長い間、静まり返ったままだった玄関を出入りする音が気になったのか、私が部屋から出たタイミングで、隣の部屋からも住人が出てきた。
隣人は初老の男性。
どうも、この部屋の事情を知っているよう。
何も知らない人間に、自分が知っていることを教えたがるのは人間の習性なのか、それとも、ただヒマを持て余していただけなのか、私がとぼけた顔をしていると(もともとそんな顔か?)、男性は、訊きもしない私に向かって口を開いた。
 
話の中身はこう・・・
当室に暮らしていたのは、老年の女性と中年の男性。
二人は母親(以後「女性」)と息子。
息子は、年齢的には働き盛りだったが、重い鬱病を罹患。
到底、外で働くことなんてできない状態。
で、もう、何年も無職で、ほとんど部屋にとじこもったままの生活。
女性も無職。
加齢にともなう衰えはあったものの、身体に大きな病気はなし。
収入は、年金と生活保護費で、二人は、お互いに助け合いながら、慎ましい生活を送っていた。
 
息子は、もの静かで控えめな人物。
鬱病は重症らしかったが、感情を高ぶらせて大声を上げたり、何かにイラ立って乱暴な振る舞いをしたりするようなことはなかった。
顔を合わせることは滅多になかったが、たまたま会ったときに挨拶をすると、黙って頭を下げるだけではなく、キチンと言葉を返してきた。
だから、その人柄に悪い印象は抱かず。
ただ、いつも、その表情は暗く、浮かべる笑顔も引きつり気味で、具合が悪いことは他人の目にも明らかだった。
 
そんな暮らしの中で、衝撃の事件が。
ある夜、とうとう、息子が浴室で自傷行為に。
それは、女性が就寝した後、深夜の出来事で、すぐに気づくことができず。
翌朝、女性が発見したときは、既に冷たく硬直。
遺体で運び出された息子が部屋に戻ってきたときは、小さな遺骨になっていた。
 
世の中には、多くの困難に見舞われたり、大きな障害を抱えたりしながらもがんばっている人がたくさんいる。
ハンデをものともせず、明るく前向きに生きている人がいる。
しかし、自分は、身体に問題があるわけでもないのに働かない。
か細い老母のスネをかじりながら生きている。
世間の目が気になり、他人と比べてしまう。
そんな中で、劣等感や敗北感、虚無感や無力感、罪悪感や絶望感が容赦なく襲いかかってくる。
しかし、息子だって、戦っていなかったわけではない。
充分に戦っていたはず。
自分が「弱虫」「ダメ人間」のレッテルを貼ろうとも、世間から「甘ったれ」「怠け者」のレッテルを貼られようとも、「生きた」ということが その証。
私は、三十年前の自分自身を重ねてそう思う。
 
女性の姿が見えなくなったのは、息子の死から一か月もしないうち。
ある日、突然、いつもの生活音がしなくなり、人の気配も消えた。
男性は、不審に思わなくもなかったが、女性とは、日常的な付き合いをしていたわけではなし。
ただ、息子が急に亡くなってしまったこともあるし、女性自身、高齢でもあるし、部屋で亡くなっていることも想像の内にあった。
で、その旨を管理会社に連絡。
悪い想像が脳裏を過ったのは同じだったようで、管理会社も、すぐに対応。
スペアキーを使って母親の部屋を開錠し、室内を確認。
そして、まずは、女性が部屋で亡くなっていたわけではなかったことに安堵。
しかし、その後も、女性とは連絡がとれず、行方も知れず。
そうして、そのまま数か月が経過し、結局、法に則って後始末が行われることになったのだった。
 
 
女性は、一体、どこへ行ってしまったのか、
女性の年齢から考えると、その両親は、とっくに亡くなっているだろうし、
生活保護を受けていたことを鑑みると、兄弟姉妹がいたとしても、女性を扶養する意思も力もないだろうし、
寝食を共にしてくれる友がいた可能性がゼロではないにしても、現実的には、なかなか考えにくいし、
ただ、息子がいなくなったとしても、このアパートを追い出されるわけでも、年金や生活保護費がもらえなくなるわけでもない。
精神的なダメージはさて置き、表面上の生活は、以前と変わりなく営めるはず。
どこかに引っ越すにしても、正規の手続きを踏めばいいだけのこと。
なのに、女性は、黙って姿を消してしまった。
 
衣食住が整っていたとしても、人は、生きる目的、生き甲斐、生きる希望、生きる意味を失ってしまっては生きていけない。
逆に、衣食住が整っていなくても、人は、生きる目的、生き甲斐、生きる希望、生きる意味を失わなければ生きていける。
どんなに息子の病状が深刻でも、女性は、回復の希望を捨てていなかったのではないか・・・
だから、どんなに苦しくても、どんなに辛くても、生きていてほしかったのではないか・・・悲し過ぎて、淋し過ぎて、身の置きどころも心の置きどころも失ってしまったのだろうか・・・
 
何もかも手放して、何もかも放り出して、どこかに逃げたくなる気持ちはわかる。
生きるにしても、死ぬにしても、今、この現実から離れたくなる気持ちはわかる。
「逃げたらダメ!」というのが、世間の常套文句だけど、私は、そうは思わない。
もちろん、忍耐することも大切。生きるうえで忍耐は必要。
だけど、他人が導き出した「正論」に従わなくていいときもある。
生きるつもりがあるなら、逃げていいときもあると思う。
大家や管理会社に迷惑をかけたことに間違いはなかったが、私の心には、自分勝手に姿を消した女性を悪く思う気持ちは湧いてこなかった。
 
 
最後、部屋には、遺骨だけがポツン。
部屋にこだましているかもしれない無言の言葉を聞き取ろうとしても、私ごときに聞こえるわけはない。
感じられるのは、ただ、遺骨に寄り添う女性の想いのみ。
「どこでどうしてるんだろうな・・・」
「骨のカケラくらいは持って行ったかな・・・」
「想い出は大切にしてるかな・・・」
もう、どこかで、ひっそりと亡くなっていることも想像されたが、私は、あえてそういう向きの思考を停止。
ただ、もともと情に厚い人間でもないし、まったくの他人事なわけで、そこには、「悲しさ」とか「淋しさ」とか「同情」とか、そういった優しい心情があったわけではなかった。
 
あったのは、
「置き去りにした人生を、微笑みながら振り返ることができるまでは生きていてほしいもんだな・・・」
といった単純な願いと、
「でないと、後味悪いもんな・・・」
といった冷淡な思い。
 
そうして、私は、置き去りにする遺骨に「じゃぁね・・・」と別れを告げ、一仕事と二人生が過ぎた部屋をあとにしたのだった。

 



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風と共に

2022-09-15 08:17:49 | 孤独死
九月も第二週に突入。
夏から秋にかけては、「一雨ごとに涼しくなる」と言われるように、日中は暑くても、朝晩は涼しさが感じられるようになってきた。
ちょっと風があったりすると、本当に心地いい。
子供の頃は、夏が大好きだったのに、「年々衰えるばかりの中年男には、もう“夏”という季節はいらないかな・・・」と思ってしまうくらい。
ただ、同じ秋涼の風でも、喜べないものもある。
 
先日、沖縄地方を中心とした各所が、台風11号による暴風雨に見舞われてしまった。
離島の暮らしには、憧れてばかりもいられない厳しさがあることを、あらためて知る機会にもなった。
一方、身近なところでは、記録的な大風が吹いた2019年9月の台風15号が思い起こされる。
このときは、千葉を中心に大きな被害がでた。
房総の方は、更地になったままの土地や、いまだ、屋根が修理できていない家屋もあるらしい。
 
しかし、台風の季節は、まだ始まったばかり。
これから、いくつもの台風が発生し、列島を襲ってくるはず。
イザとなって慌てて用意するのではなく、我々は、常に「想定外の災害」を想定し、必要な備えをしておくべき。
懐中電灯、電池、カセットガス、水、保存食・・・
人によっては、念のため、酒も多めに置いておいた方がいいかもしれない。
「酒がある」というだけで、気持ちが落ち着くことがあるから。
ただ、停電・断水の中、ランタンの灯に照らされる乾きモノを肴に生ぬるいビールやハイボールを飲んだところで、美味しくはなさそうだけど。
 
しかし、そんなくだらない考えが浮かぶくらい、ここのところの私は、酒がやめられなくなっている。
酒量も高止まったまま。
毎晩、ビールやハイボールで1.5ℓ、時には2.0ℓいくこともある。
泥酔するわけではないが、これだけ飲むと、ちょっと頭がフラつくくらいにはなる。
若い頃は、これ以上を当たり前のように飲んでいたし、酒豪の人からすると「大した量ではない」と思われるかもしれないけど、酔った感覚を自己分析すると、自分にとっては、決して少なくない量だと思う。
 
肴を夕飯代わりに、たいして面白くもないTVを観ながらの一人酒。
本当は、以前のように、キチンと休肝日をもうけて節制したいのだけど、毎日の晩酌は「唯一」と言っていいくらいの楽しみで、まったく やめる気が起きない。
この“ダメンタル”は、完全にアルコール依存症になってしまっている。
 
酒もさることながら、マズイことは他にもある。
“締め”にインスタントラーメン・カップ焼きそば、時には、ピラフやカレー等、米飯を食べてしまうのだ。
かつて、私は、「アルコール+糖質=脂肪」という危険な方程式のもと、長い間、夜は糖質制限をしていた。
また、それ以前に、「身体に悪い」といったイメージが強いインスタント麺を食べることはほとんどなかった。
 
昨夜も、飲んだ後にカップ焼きそばを食べてしまった。
しかも、大盛のヤツで、塩分もカロリーも気にせず、こってりと中濃ソースを追加して。
食べているときは酔った状態だから、「うまい!うまい!」と能天気なのだが、それで熟睡できるわけはなく、毎度毎度、翌朝には、不快な倦怠感と中途半端な睡魔に襲われるハメになる。
 
思えば、これまで、この身体も色々あった。
原因は仕事のストレスだと思っているが、二十代半ばで喘息を罹患。
また、二十代後半、胃にポリープが見つかったり、三十代前半、肝硬変や肝癌が疑われるくらい肝臓を悪くしたりしたこともあった。
暴飲暴食で極度の肥満になったり、拒食症になってガリガリに痩せこけたりしたこともあった。
小さいところでは、目眩や蕁麻疹も。
三十の頃から現在に至るまで、原因不明の胸痛に襲われることもしばしば。
これまで、三度の骨折も経験。
数年前から、左の股関節の調子もよくない。
鼓膜を破った右耳は、常に耳鳴りがしていて、やや難聴気味。
老眼も進行、スマホの文字がよく見えない。
外見だって、愕然とするくらい老け衰えてきている。
 
おそらく、人間ドッグに入ったら、何らかの問題が露呈することになるだろう。
ま、半世紀以上も使ってきた身体だから、あちこちガタがきていても不自然ではないが。
ただ、「バカは風邪をひかない」と言われる通り、風邪をひくのは何年かに一度くらい。
また、ありがたいことに、入院の経験はない。
このことは、この先も、そうでありたい。
 
しかし、人生には皮肉なことが多く、健康的な生活を心掛けている人が病気で短命だったり、不健康な生活をしている人が元気で長命だったりすることって、当たり前のようにある。
事実、タバコなんか吸ったことがない母は肺癌になってしまったし、過食症でも肥満症でもなかったのに糖尿病になってしまったし。
大酒飲みだった父は、血糖値が高いくらいで、歳の割には元気にしている。
 
好きなことを我慢して寿命が延びることを期待するか。
それとも、寿命は気にせず、好きなように生きるか。
この類は、個人の価値観や人生観に任せていいことだろうけど、世間や人に迷惑はかけたくないもの。
となると、おのずと健康を志向せざるを得ないか。
 
とにもかくにも、こうして悩んでいるときも、考え込んでいるときも、“終わり”に向かって時間だけは過ぎているわけで、悩み過ぎず、考え過ぎずに生きていくことも大切なのではないかと思う。
 
 
 
訪れた現場は、老朽アパートの一室。
ただ、「アパート」と言っても、建物の外観は普通の一戸建と変わらず。
子供達が独立した後、「少しでも老後の足しになれば」と、大家夫妻が自宅一軒家の二階部分を賃貸用に改装したもの。
ただ、もともとは、普通の一戸建だったため、改装するにも限界があった。
もちろん、かけられる費用にも。
したがって、増設したのは、ちょっとした自炊ができるくらいの小さな流し台と、一階と分離した階段くらい。
トイレは共同で、少し遠いが徒歩圏内に銭湯があったため風呂はなし。
その分、相場に比べて、家賃は格安にした。
 
その甲斐あってか、二階の二部屋は、最初の募集ですぐに埋まった。
二人とも初老の単身男性。
一人は、数年、ここで暮らしていたが、身体を悪くしてどこかの施設に転居。
以降、この部屋に入居してくる人はおらず、もう長い間 空いたままとなっていた。
 
そして、もう一人が、今回の“主人公”。
この部屋に暮らし始めてしばらくの年月が経ち、初老だった男性は老齢に。
年齢のせいか持病のせいか、ある日、一人きりの部屋で死去。
暑い季節だったことも手伝って、遺体の腐敗は、それなりに進行してしまった。
 
第一発見者は、一階に暮らす大家の女性。
女性もまた老齢。
何年も前に夫は先立ち、一人暮らし。
身体に不具合を感じながらも、何とか生活を成り立たせていた。
 
女性と故人。
一階と二階、所帯は別々で、日常的に交流があったわけではなかったが、同じ屋根の下での二人暮らし。
そして、お互い、高齢者。
家賃の授受で、少なくとも月に一度は顔を合わせることがあり、ついでに近況報告等、世間話をしていた。
その際、冗談混じりに、持病や孤独死について話すこともあった。
そうして、日常生活においてお互いの安否を気にかけることは、暗黙の契約のようになっていた。
 
無事でいることの証は生活音。
足音をはじめ、ドアの開閉音、トイレを流す音、TVの音など。
ただ、一日~二日くらい音がしないくらいでは気に留めず。
しかし、それが三日ともなると話は変わる。
三日目になったところで、女性は、妙な胸騒ぎを覚えた。
男性が旅行等で外泊するなんてことは滅多になかったし、そういうときは、女性に一言伝えて出掛けるため、その可能性は考えられず。
結果、「何かあったのかも・・・」という考えに至り、男性の部屋に行ってみることにした。
 
二階に上がってドアをノックしても応答はなし。
「ひょっとしたら・・・」と緊張しながらスペアキーを使ってドアを開けてみると、部屋に敷かれた布団には、独特の異臭と共に黒っぽく変色して横たわる故人が。
声を掛けても反応しない故人に驚いた女性は、すぐさま119番通報。
同時に、近所の人にも助けを求めた。
ただ、そんな騒動の中にあっても、女性にとっては、ある意味 これは想定内の出来事でもあり、「とうとう、この日が来てしまったか・・・」と、冷静に受け止める自分もいた。
 
部屋の汚染・異臭は、ライト級に近いミドル級。
遺体痕は、布団と畳に残留。
小さなウジが見受けられたが少数で、ハエの発生はなし。
ニオイは高濃度ではあったものの、死後三日程度のことなので、私は「浅い」と判断。
汚れた布団と畳を始末すれば、容易に改善することが予想された。
 
先々、新しく入居者を募集する予定もなく、部屋は空室のままにしておくことに。
したがって、凝った消臭消毒もせず、畳の新調などの内装修繕もなし。
汚れた布団と畳をはじめ、質素で少な目の家財を処分した上で、軽めの消臭消毒を実施。
それでも、作業が終わると、異臭はきれいに消滅。
気になるのは、畳一枚が抜けたままになっている床くらい。
作業最後の日、請け負った仕事がキチンと完遂できたかどうか確認してもらうため、私は、女性に故人の部屋に入ってもらった。
 
女性は、畳が抜けたところに向かって手を合わせながら、
「〇〇さん(故人)、本当にいなくなっちゃったんですね・・・」
「ついこの間まで、普通にお喋りしてたのに・・・」
「みんな、いなくなっちゃうんだな・・・」
と、感慨深げにつぶやいた。
そして、また、部屋の柱や壁を愛おしそうに触りながら、
「私も、先が短いですから・・・」
「あと、どれくらいここに一人でいられるものか・・・」
「家族と長く暮らした家ですから、離れたくはないですけどね・・・」
と、達観と未練が混ざったような、寂しげな表情を浮かべた。
 
そうして、消えた命と余韻と、消えゆく命の灯を残し、その仕事は静かに終わったのだった。
 
 
その何年か後・・・
別の仕事で、その近辺に出向くことがあった。
「この辺りは・・・あのときやった現場の近くだな・・・」
私は、周囲の景色を手掛かりに、昔の記憶をたどった。
「確か・・・あの家が建っていたのはここだよな・・・」
ボヤけていた記憶はハッキリとし、同時に、当時の出来事もリアルに想起された。
「建て替えられたのか・・・」
そこにあった女性の家はなくなり、まったく別の建物になっていた。
「〇〇さん(大家女性)、どうしてるかな・・・」
その前を徐行して見ると、女性とは違う姓の表札が掲げられていた。
「すべては無常か・・・」
土地家屋は売却され、第三者の手に渡り、新しく家が建てられたようだった。
 
あの後、しばらく、女性は、一人きりになった家で、あのままの生活を続けたことだろう。
たくさんの想い出と共に、人生の限りを想いながら。
そうして、寄る年波に身を任せ・・・
どこかの施設に行くことになったか、病院に入ることになったか、それとも、息子・娘の家に引き取られたか・・・
過ぎ去った年月を数えると、「亡くなったかも・・・」と考えるのも不自然なことではなかった。
 
“時”は、誰に遠慮することもなく、誰に媚びることもなく、はるか昔から変わることなく、一定の速さで進んでいる。過ぎ去っている。
新しい家には、若い夫婦と幼い子供が、笑顔で暮らしていることが想像された。
しかし、時が経てば、家も古びて老朽家屋になる。
そして、そのうちに、住居としての使命を終える。
若い夫婦も中年になり、熟年になり、老年になる。
幼い子供も成年になり、中年になり、熟年になり、老年になる。
そうして、やがて、皆、命を終える。
 
 
人生の道程において・・・
過ぎ行くとき問題は大きい。
過ぎ去れば問題は小さくなる。
過ぎ行くとき苦悩の色は濃い。
過ぎ去れば苦悩の色は薄くなる。
過ぎ行くとき足どりは重い。
過ぎ去れば足どりは軽くなる。
ジタバタしようがしまいが、人生、儚いことに変わりはない。
 
この地球に、最後まで残るものは何だろう・・・
それが、人類でも、人類が造ったものでもないことは、科学者じゃない私でも読める。
最後の最後は、植物や昆虫をはじめ、ウイルス・バクテリアの類もいなくなるか。
海は干上がり、岩石も砕かれるだろう。
残るのは、乾いた砂・・・そして、酸素を失った風くらいか・・・
 
そう・・・
いずれ、みんな、消えていく・・・
だったら、悩み過ぎず、考え過ぎず、生きていこうか。
今日の風に吹かれながら、風と共に。





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肉親の情

2022-09-01 08:45:44 | 腐乱死体
まだまだ残暑が厳しい中、二~三日前、秋が来たことを勘違いさせるような涼しい日が二日続いた。
もちろん、身体を動かせば汗はかくものの、随分と楽だった。
しかし、昨日から、再び真夏日に。
おとなしくしていたセミも復活。
これまで、何十回も夏を過ごしているが、これほどセミの鳴き声が苦痛だった夏はない。
それだけ、メンタルが弱っているのだろう。
 
それでも、今日から九月。
八月三十一日と九月一日では、たった一日しか違わないし、気温・湿度も大差はないのだが、気分的には大きな違いがある。
「夏が終わり秋になった」といった感が強く、「これからは涼しくなる一方」だと思えて、ホッとするものがあるのだ。
 
ただ、コロナ七波を見ると、そう呑気なことも言っていられない。
六波までは身近なところに感染者はでなかったのだが、とうとう、七波になって感染者がでてしまった。
世の中を見渡しても、減少傾向にあるとはいえ、感染者数は高止まり。
とりわけ、死者数は「一日200人台~300人台」と、かなり多い。
何日か前には、過去最悪を更新。
わずか三日~四日の間で1000もの人が亡くなっているわけで、恐ろしさを通り越して、悪い夢でもみているような気分である。
 
最近も、基礎疾患のない10代の死亡事例が発生したりもして、「若いから」といって油断はならない。
ただ、やはり、死亡者の多くは高齢者。
そうなってくると、高齢の両親が心配。
とりわけ、母は、この夏でだいぶ弱ってしまった。
食欲が落ち、かなり痩せてしまい、体力も落ちたよう。
コロナに感染したらどうなるかわかっているらしく、感染対策にも、かなり神経を使っているよう。
「会いに来てくれたら嬉しいけど・・・来てほしいような、ほしくないような・・・」
そんなことを言っている。
私の方も、会いに行きたいけど、万が一にでもコロナを持って行ってしまったら、元も子もない。
「先が短いのだから、会えるうちに会っておかないと」といった気持ちが強い中で、躊躇いがある。
 
幼少期からこの歳になるまで、母とは、決して「良好!」と言える関係ではなかった。
子供の頃は、暴言を吐かれることも日常茶飯事で、暴力をふるわれたことも幾度となくある。
大人になってからも、何かにつけ大喧嘩を繰り返す始末。
「もう、一生、会わなくてもかまわない!」と絶交したことも何度もあった。
が、母だって、ただの人間。
短所や弱点をはじめ、悪性や愚性もある。
もちろん、私だって同じ。
母ばかりを責められたものではない。
ただ、もう、何もかも過ぎた話。
いよいよ、死別が近いことが感じられてくると、「あとは、仲良く平和な関係でいたい」「少しでも親孝行したい」といった気持ちが強くなっている。
とにかく、最期くらいは、“マトモな息子”でいたいのである。
 
 
 
「管理しているマンションで孤独死が発生」
「死後、半年以上が経過」
「とりあえず、中を見てほしい」
と、とある不動産管理会社から連絡が入った。
「遺族も来る」
とのことで、私・担当者・遺族、三者の都合を調整。
数日後に現地調査の日時を設定した。
 
約束の時間より早く到着した私は、マンションのエントランス前へ。
すると、そこには、手荷物を持った初老の男性がポツンと一人。
落ち着かない様子で周囲をキョロキョロ見回している様子から、それが遺族であることを直感した私は、
「〇〇さん(遺族名)ですか?」
と声を掛けてみた。
そして、
「そうです・・・」
と、戸惑いがちに応える男性に
「片付けの調査に来た業者です」
と、名刺を差し出した。
そして、黙ったままいるのも気マズイので、適当に雑談。
男性も、誰かと喋っていた方が落ち着くのか、ソワソワの種を吐き出すかのように多弁に。
訊いたわけでもないのだが、事の経緯と、身内の事情を話し始めた。
 
男性は、故人の弟。
今回の件で、はるばる遠い地方から上京。
故人と最後に会ったのは三十年も前のことで、まったく疎遠な関係。
電話はおろか、年賀状のやりとりもせず、音信不通のまま。
血を分けた兄弟ながらも、どこでどのように暮らしているかも知らなかった。
 
そんなところで、突然、警察から訃報が舞い込んできた。
しかも、孤独死で、長い間そのまま放置。
それだけでも、充分に嫌悪される理由になるのだが、それだけではなく故人は疎まれた。
男性には妻子があり、老齢の姉や妹もいたが、皆、口を揃えて、
「“身内”といっても事実上はアカの他人!」「関わらない方がいい!」
と言うばかりで、腰を上げようとする者はおらず。
事実、親族一同、マンション契約の保証人になっている者や身元引受人になっている者はおらず、また、故人と付き合いのあった者もおらず。
しかし、男性は、兄弟としての情が捨てきれず、「何かできることがあれば」と、とりあえず やってきたのだった。
 
現場にやってきた経緯について一通りの事情を聞き終わった頃、管理会社の担当者は、約束の時間を少し遅れて現れた。
そして、早急に、特殊清掃・消臭消毒の見積を作って男性(遺族)と交渉するよう私に要請し、男性にもそれに応じるよう要請。
そもそも、担当者自身、部屋に入りたくない上、法的責任のない男性との交渉が難航することも予想され、“とりあえずは、業者(私)と遺族(男性)を直接やりとりさせた方がスムーズに事が運ぶかも”と考えてのことのようだった。
 
しかし、現実に起こっている事は、そんなにすんなり片付けられるほど甘いものではなかった。
部屋の汚損は重症。
ウジもハエもとっくにいなくなり、床一面には、“おがくず”のようになった遺体カスが広がり、遺体は、ほぼ白骨化していたことがハッキリとうかがえた。
もちろん、高濃度の悪臭が充満し、置いてある家財はもちろん、内装建材・設備も全滅。
そうなると、特殊清掃・家財処分・消臭消毒だけでも相応の費用がかかる。
しかも、それだけで、部屋は人が暮らせる状態に戻るわけはなく、別に大がかりな改修工事が必要。
残念なことに、当室に残せる内装設備はほとんどなく、床・壁・天井・建具・収納・水周設備等々、丸ごと造り換えないと復旧できない状態。
そんな原状回復工事には、何百万円もの費用がかかることが想定された。
 
概算ながら、そのことを伝えると、男性は
「私も姉も妹も、皆、年金生活ですし・・・」
「そんな金額、とても払うことはできません・・・」
「もともと、身内は皆“相続放棄する”と言ってますし・・・」
と、申し訳なさそうにうな垂れた。
 
「相続放棄」という言葉を聞いた担当者は不愉快そうな顔に。
こういった事案では、大家側に立って仕事をするのが管理会社の役目だから仕方がない。
そうは言っても、男性に後始末を負うべき義務はなく、男性に後始末を負わせる権利もない。
ただただ、「大家さんのことも考えていただけないですか?」と、情に訴えるしかなく、それが通じなければ諦めるしかない。
商売上のことを考えると、私が管理会社を敵に回すことは得策ではなく、つまりは、忖度によって担当者(大家)側に立った物言いをすることが求められ、なかなか難しい立ち位置に立たされるのだが、男性が訊いてくることに対してウソをついても仕方がない。
あと、故人が、部屋の補償ができるくらいの財産を持っていればよかったのだが、遺産らしい遺産もなし。
結局、話の展開は、男性が尻込みするような結果になり、男性の、
「もう一度、皆で話し合って結論を出します」
という言葉をもって、その場はお開きとなった。
 
無論、大家は、孤独・自殺をはじめ、ゴミ部屋・ペット部屋等にリスクがあることは承知した上で不動産経営をしているはず。
そうは言っても、どことなく「他人事」「自分には起こらないこと」といった甘い考えを持っている大家も少なくないはず。
しかし、実際に事が起こった場合、借主側が負担しないとなると、大家が負担するしかない。
大金をかけて改修工事をするか、最低限の処理だけして空室のまま放っておくか、見込まれる家賃収入と復旧費用を天秤にかけて思案。
しかも、内装設備を新品にしても、この部屋が瑕疵物件であることに変わりはなく、家賃も相場より下げなければならず収益性は下がるわけで、気の毒ではあるが、大家としても難しい選択を迫られるのである。
 
 
現場で別れて数日後、男性から電話が入った。
「部屋の片づけくらいは、こっちの負担でやろうと思ってたんですけど、その後のことまでは、ちょっとね・・・」
結局、男性は、自分の妻・息子・娘をはじめ、姉・妹・甥・姪たちからの強い反対にあい、故人の始末の一切から手を引くことにしたそう。
私が、これまで経験した案件の中には、「ゴミになるばかりの家財を処分することは故人の財産に手をつけたことにならないから相続放棄に抵触しない」といったケースもあったが、その判断は、事案の中身や弁護士等の見解により微妙なところで分かれる。
当然、遺族側にリスクがないわけではなく、つまりは、「故人(部屋)の後始末をする」ということが、遺産の相続放棄に抵触する可能性が否定しきれず、「良かれ」と思ってやったことが災いの種にもなりかねない。
それを考えると、「一切から手を引く」という結論は、至って合理的なものだった。
 
「嫌味を言われましたけどね・・・」
やはり、管理会社には、かなり気分を悪くされたそう。
「やはり、そうですか・・・」
恨みはないながら、苦虫を嚙み潰したような担当者の顔が思い浮かぶようだった。
「色々と動いていただいたのに、申し訳ありません・・・」
と、男性は私に謝罪。
「いえいえ、現地調査に行っただけのことですから、謝っていただくほどのことじゃありませんよ」
と、私は恐縮。
「しかし、あんな部屋に入って、色々調べてもらって・・・」
男性は、クサ~い!ウ〇コ男に変身して部屋から出てきた、あの日の私を思い出してくれているようだった。
「そう言っていただけるとありがたいです」
私は、気遣ってもらえただけで嬉しかった。
 
男性は男二人・女二人の兄弟姉妹で、子供の頃、男性と故人は仲が良かった。
歳も近く、兄弟ながらも親友のようでもあった。
そんな幼少期のことが、今でも、いい想い出になっているそう。
また、そんな男性には、とりわけ、心に刻まれている出来事があった。
 
幼い頃、ちょっとしたイタズラをして親に叱られたことがあり、罰として、その月の小遣いをもらえなくなったことがあった。
たった一か月分の小遣いとはいえ、男性にとっては大切なお金で、かなり落ち込んだ。
そんなとき、故人(兄)が「元気だせ!」と、自分の小遣いを半分くれた。
一度きりのことで、子供の小遣いだから金額も多くはなかったのだが、とにかく、その優しさとあたたかさが心に沁み、子供ながらに涙が出るような想いだった。
もう、随分と昔のことで、ほとんど忘れていた想い出なのに、兄の死を知ってから、自分でも不思議に思うくらい、そのことばかりが繰り返し脳裏に甦ってくるのだという。
男性にとって今回の動きは、その恩返しのつもりでもなかったのだろうけど、無意識のうちにその想い出が働いていたのかもしれなかった。
 
「でも、この件の放ったからといっても、お兄さんは何とも思ってないと思いますよ・・・」
私は、何の根拠もない、何の説得力もない、ありきたりのセリフしか吐けなかった。
「そうですかね・・・」
顔こそ見えなかったが、男性は、寂しげな表情を浮かべているに違いなかった。
「それどころか、ここまで心を配ってもらえて、嬉しく思ってるんじゃないですか?」
男性を慰めるつもりもなく、私は、何となくそう思った。
「だといいんですけどね・・・」
男性の表情が、少しだけ和んだように感じられた。
そして、その昔、情で繋がっていた兄弟と、時空を超えて再び情で繋がった兄弟に、自分のことのような嬉しさを覚えたのだった。
 
 
 
“歳の順”が好ましいのかもしれないけど、人は、歳の順に亡くなるとはかぎらない。
父より母の方が五歳若いのだが、身体の具合を考えると、父より母の方が先に逝きそうな予感がしている。
しかも、そう、遠くない将来に。
厳しかった母、大嫌いだった母・・・
優しかった母、大好きだった母・・・
その時は、心にポッカリと大きな穴が空くだろう。
涙もでないくらいの淋しさと、震えるくらいの心細さに襲われるだろう。
そうなったときの精神状態を想像すると恐ろしい。
 
苦い思い出も忘れたい思い出もたくさんあるけど、笑顔の想い出もたくさんある。
母がいなくなって後、元気を取り戻すまで時間はかかるだろうけど、それらを糧に、最後の力を振り絞ってがんばりたい。
私もそうありたいし、母もそれを望むはずだから。
 
“人生のラストスパート”
もう、間近なところに、その時期が迫ってきているのかもしれない。




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