特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

可哀相な男

2007-04-29 11:12:24 | Weblog
とある公営の集合住宅で、腐乱死体が発見された。
故人は年配の男性で、世間から見ると可哀相な死に方だった。

現場となった部屋は、エレベーターのない上階。
こんな建物では、上にあがるにも下に降りるにも、狭い階段を歩かなければならない。
身体能力が衰えてきた私には、階段の上り下りだけでも充分な労働に値する。

いつもの通り、私が出向いたときには、遺体は警察の手で撤去されていた。
後に残るは、腐乱痕。
それだけでも充分に凄惨なのに、ベドベドに溶けた遺体を回収して署まで運ぶ警察の作業は、私でさえも想像を絶する。
毎度のことながら、警察官の仕事には脱帽だ。

近隣の住民達も、この部屋で起こったことを知っていた。
だから、この部屋に出入りする私のことを中高年の女性達が遠くから眺めていた。
ご婦人達は、噂話に花を咲かせていたに違いない。
そしてまた、不気味なのか気持ち悪いのか、興味があっても近寄って来れないようでもあった。

私は、鼻から入る腐乱のニオイと気持ちに入る暗闇のニオイを感じながら部屋に入った。
そして、部屋の雰囲気を確認。
それから、心・技・体の準備を整えて、液体人間と格闘。

液体人間を床から削り剥がし、拭き取る作業はよくあるパターン。
数えきれないくらいやってきている作業なので、だいたいの手順は決まっている。
私は、無駄のない動きと無駄な叫び声を織り交ぜながら、テキパキと片付けた。

一口に「腐敗脂」と言っても、その透明度は様々。
一口に「腐敗液」と言っても、その粘度は様々。
一口に「腐敗粘度」と言っても、その硬度は様々。
それぞれの液体人間に合った道具とやり方を組み合せないと、うまく作業できない。
自慢にもならないけど、その辺のところは、かなりうまくできるようになっている私・・・これだけやってれば当然か。

作業の途中で、私は下にいく用事がでてきた。
そして、何度か上り下りする階段や地上で住民とすれ違うことがあった。
ほとんどの人が私に
「ご苦労様です」
と労いの声を掛けながら通り道を譲ってくれた。
でも、実際に住民達は、私のことを奇異に思っていたかもしれない。
それでも、そんな小さな心づかいが素直に嬉しかった。

そんな中、階段で合った年配の女性が声を掛けてきた。
「ご苦労様、大変なお仕事ですね・・・」
そして、声を小さくして一言。
「かわいそうに・・・」

「え!?今、〝かわいそう〟って言った?」
そのまま通り過ぎて行く女性の後ろ姿を見ながら、私は、最後の一言が引っ掛かった。
「〝かわいそうに〟って故人が?・・・それとも俺がか?」
作業自体は難なく続けられたものの、私はその一言が頭にこびりついて離れなかった。

「〝かわいそう〟って・・・俺のことだったらちょっと切ないな」
「でも、俺って、世間からは〝かわいそうなヤツ〟に見えることもあるんだよな」
そんなことを考えながら、液体人間と対峙。

人の情けの温かさと、自己嫌悪の冷たさが入り混じって、複雑な心境だった。

特掃が終わる頃、隣家の住人(年配女性)がやって来た。
故人が生前に親しく付き合っていたのか、勝手に玄関を開けて中を覗き込んできた。
「勝手に覗くなよぉ」
と思いながらその女性を見ると、少し前に「かわいそう」発言をしたアノ女性だった。

「まったく、可哀相な男だった・・・」
女性は寂しそうに独り言を呟いた。
次に女性は、私に向かって
「かわいそうにねぇ・・・」
と一言。

やはり、階段でのアノ「かわいそう」は、私に向けての言葉だった。
女性は続けて尋ねてきた。

「会社の命令でやらされてるの?」
「イヤ、命令と言うわけじゃないですよ」(もともとは志願して始めた死体業だからな)
「でも、好きでやってる訳じゃないでしょ?」
「まぁ・・・」(好きじゃないけど必要な仕事なんだよね)
「辛くないの?」
「ツラいです!」(ツラい!ツラい!)
「でもやるの?」
「生活のために頑張るしかないんですよ」(ガッツポーズ!)
「かわいそうにねぇ」

私は、自分が可愛くてを自分を甘やかすタイプの人間なので、自分を可哀相がることはたくさんあるけど、人様から見ても「可哀相な男」に映るんだろうか。

人の優しさは嬉しいけど、同情は何となく切ない。
人から尊敬されなくてもいいから、軽蔑されないようにやっていこう。





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顔色

2007-04-27 22:50:26 | Weblog
仕事のせいかもともとの性分か、私は人の顔色を見ることが多い。
いい言い方をすると、
「人に気配りができる」
悪い言い方をすると、
「人の考えを気にし過ぎる」
ということか。

人付き合いが苦手な私は、生きた人の顔色を見ることより死んだ人の顔色を見ることの方が多いかもしれない。

〝死人の顔色〟というと顔面蒼白をイメージする人が多そうだね。
ひと昔前のTVドラマや映画の死人メイクが現実離れしていたせいだろう。
蒼白く塗られた死人メイクは、わざとらしいかぎり。

実際は、極端に顔色の悪い人は少ない。
平均的にみると、寝ているだけのような遺体が大半。
ただ、よ~く見ると血色の悪さは否めない。
また、さすがに、頬が紅くなっているような人もほとんどいない。
だから、遺体には適度な温かさを感じるくらいの化粧を施す。
特に、故人が女性の場合は、きちんと化粧をしてあげると喜んでくれる(遺族がね)。

また、ある程度の変色は、特殊メイクで直せる。
ある程度の損傷も同様。
この辺の復元技術は大事なノウハウなので、詳細を記すのは控えておこう。

遺品撤去処分の依頼が入った。
「独り暮らしだった親が亡くなったので、家財・生活用品を片付けたい」
との依頼だった。

現場はマンションの一室、依頼者(遺族)の方が先に来ていた。

「この度は御愁傷様です」
私は、そう言いながら、玄関で靴を脱いでから中に入った。
(人の家にあがるとき、靴を脱ぐのは当り前ではない私)

一般的な間取りの一般的な暮らしぶり。
ただ、かすかに妙なニオイを感じた。
「このニオイは・・・」
私が感じたニオイは、軽度の人間腐乱臭。
しかも、汚腐呂のニオイ。
ただ、ニオイの薄さから腐敗は軽度だと思われた。

依頼者の話は、故人の死場所については何も触れず、遺品整理についてのみ。
「親が孤独死したことを隠しておきたいのか?」
「それとも、俺が気持ち悪がると思ってるのか?」
私は、見積検分するフリをしながら、浴室に近づいた。

「そ、そこは・・・き、汚いですよ・・・」
依頼者の顔色が変わった。
どちらにしろ、浴室の中にあるモノも片付けなければらないので、私は浴室を見るために扉を開けた。

「んー・・・」
浴室は特段に変わったところはなく、普通の生活汚れがある程度。
ただ、浴槽に蓋がしてあることが不自然に映った。
そして、私は浴槽の中が気になった。

「このニオイは、例のものに間違いなさそうだな」
「でも、隠し通せると踏んでいるところをみると、素人目には分かりにくい程度なんだろう」
そう思いながら、
「気づかないフリをするのも心配りの一つだな」
と思って、何事もなかったかのように浴室を離れた。

依頼者はソワソワしながら、浴室で起こった出来事を私に言おうか言うまいか迷っているようでもあった。
その緊張感が私にも伝わってきて、何だか気の毒に思えてきた。

作業の日。
鍵を預けられた私は、まず先に浴室に向かった。
そして、少し緊張しながら浴槽の蓋をとってみた。

「なるほど・・・」
一見、普通の浴槽だったが、よく見ると粒々とした汚れが内側に付着していた。
調度、味噌汁を飲んだ後のお椀のような感じに。

「このくらいじゃ、素人だと何の汚れか分からないだろうな」
故人は、湯に浸かったまま亡くなりしばらくそのままに。
そして、幸いなことに、湯が酷く濁る前に発見されたことが想像できた。

浴槽の清掃は頼まれてはいなかったけど、そのまま放置してても仕方がないし、私にとっては簡単にできることだったので、先に浴槽をきれいにして部屋の片付け作業にとりかかった。
また、その方が、精神的にその後の仕事がやりやすかった。

全体の作業が完了して依頼者に電話。
しばらくして依頼者は現場にやってきた。
気のせいか、どこかオドオドした物腰で、浮かない顔をしていた。

「約束通りの仕事ができてるかどうかチェックして下さい」
私は預かっていた鍵を渡しながら、依頼者を室内へ促した。

「風呂を確認してるみたいだな」
玄関で耳を澄ませる私に、依頼者が浴室に入る音、そして浴槽の蓋を開ける音が聞こえてきた。

少しして、依頼者が玄関にでてきて、
「大丈夫、きれいに片付いています」
「ありがとうございました」
と言いながら、私に深々と頭を下げてくれた。

「もう、二度と会うことがないといいですね」
「まだ片付けないといけないことがあるでしょうから、お身体をご自愛下さい」
そう言って、きれいにした汚腐呂と同じ清々しい気分で現場を後にした。

ただの自己満足かもしれないだけど、その時の私は温かみのある顔色をしていたに違いない。




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時は金なり

2007-04-25 08:22:16 | Weblog
今となっては言わずと知れたこと?
私は、お金が大好き。
〝欲しいもの〟と言ったらまず「お金!」
人様に自慢できることはほとんどない私だけど、旺盛な金銭欲だけは、
「そんじょそこらの人には負けない!」
と自慢できる。
でも、本当に欲しいものは目に見えないものだったりもする。
健康・時間・愛etc

目に見えるものばかり追い求め、そのためだけに精神と時間を浪費する。
金を使うことと金に使われることの区別ができない暮らしに埋没する。
そんな自分を否定したり肯定したり。
考えれば考えるほど、今の自分に真に必要なものを見失っていく。

金を持つことは悪いことではない。
また、一生懸命に働いて稼ぐことは大切。
ただ、その金をどう使うかが問題。
たくさんの金があっても使う時間がなくては意味がない。
また、時間があっても使う金がなければつまらない。
金は時間の対価か、時間は金の対価か、難しいところだ。
なにはともあれ、金と時間には、適度なバランスが必要だと思う。

ある家に、生活用品の片付け依頼で呼ばれた。
「詳細は直接話したいので、とりあえず家に来て下さい」
そんな依頼に、
「ひょっとしてゴミ屋敷かな?」
と、私は思った。

後日訪問したその家は、築年数はかなり経っているものの、きれいな家だった。
玄関から、年配の夫婦が私を出迎えてくれた。
玄関に入ると、いつもの癖で鼻をクンクン。
腐乱臭はもちろん、ゴミ臭さもない。
通された家の中も特に変わった様子もなし。
〝ゴミ屋敷〟どころか、整理整頓も行き届いて、清潔そのものだった。

夫妻の要望は、
「自分達が元気なうちに余計な家財・生活用品を処分しておきたい」
「普段の生活で使わなくなったモノや不要なものを先に処分したい」
とのことだった。

だいぶ歳を重ねていた夫妻は、
「自分達がこの家で生活できる時間も残り少ない」
と考えているらしかった。
残される人にできるだけ迷惑をかけないようにする配慮と、自分達の寿命を真正面から対峙する姿勢に、老夫婦の賢明さが滲み出ていた。

「誰しも、死は避けられませんからね」
「自分の死に備えることは、とても大事なことだと思います」
私は、そう応えながら
「俺も見習いたいもんだな」
と、感心した。

夫妻は、処分するモノを細かく指示。
私は、それにもとづいて見積金額を積算していった。

「これも捨てちゃうんですか?」
「もったいなくないですか?」
いちいち確認する私に、夫妻は、
「老い先短い年寄りには、要らないものばかりなんですよ」
と言いながら、引越しさながらの多くの荷物を処分品・不用品として挙げてきた。

「若い頃は、欲しいものがたくさんあって、買えるだけ買ったもんです」
「でも、今は欲しいものは何もないですよ・・・お金さえね」
「あとは、夫婦が同じような時に逝けることを望むだけです」

後日、作業の時には、中年女性もいた。
夫妻の子供のうちの一人らしかった。

どうも、娘(中年女性)は、家財の処分に反対しているらしく、
「まだ使える物ばかり」
「せっかく買い揃えた物を捨てるなんてもったいない」
「要らないなら私がもらう」
といった具合。
そんなことだから、私はなかなか作業に取り掛かることができず、しばらく外で待たされた。

結局、当初の処分品は大幅に減らされ、作業内容も料金も急な変更を余儀なくされてしまった。

金品に執着する様は、人が「自分には残された時間はタップリある」と無意識のうちに錯覚していることの表れかもしれない。
逆を言えば、「自分に残りされた時間が短い」と覚悟すれば、金品に対する欲も弱くなるかもしれない。

では、残り時間の長短は何を基準に判断できるのだろうか・・・どう考えても、判断できることじゃない。
ただ一つ、間違いなく言えるのは、「死」が待つことのみ。

人間、死ぬときは身体一つ。
イヤ、自分の身体さえも捨てて逝かなければならない。
だったら、手にする金や物はほどほどでいいのかも。

「金銭欲に支配された人生に、一体何の意味があるのだろうか」
「最期に残るのは空虚感だけじゃないだろうか」
「金を愛し、金に使われるままの人生では終わりたくない」
そう自省する。

この老夫婦は、自分達の死期が近づいていることを知る人の価値観を教えてくれた。

人は誰しも、今日が最期の日になる可能性を秘めて生きている。
そして、私もそのことを覚えて生きたいと思う。




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復活(後編)

2007-04-23 08:34:49 | Weblog
人間が腐ると液状になることは承知の通り。
そして、残念なことに、この現場ではそれが布団を通り抜けて畳に到達。
布団の下の畳は茶黒く汚染され、わずかに凹みができていた。

故人の体格や腐敗環境にもよるけど、液体人間が布団やベッドマットを通り抜けて畳や床に到達しているケースは珍しいことではない。
更には、畳を通り抜けて床板にまで浸透していることもある。

私は、その他の汚染物を梱包しながら、畳の汚染面積を確認した。
布団回りの生活用品にも腐敗液・腐敗脂・腐敗粘土が付着してベトベト。
その中にウジもウヨウヨ。
そんなモノを一つ一つ手に取りながら、汚物袋に梱包していく作業は冷静にはやれるものではない。
私の場合、無意識に、言葉にならない濁点のついた声が口を突いて出る。

どう説明したらいいものか・・・見た目は、身の回りの小物に、中途半端に溶かしたチョコレートと溶かしバターを大量にブチ撒けたような感じ。
ニオイは・・・んー、例えようがない。
「とにかく、臭い!」
としか言いようがないんだよね。

「えーっと、汚染は二枚だな」
そうこうしていると、畳の汚染具合いが確認できるくらいにまで片付いた。
「ヨイッショ!」
私は、黒く汚れた二枚の畳を上げてその下の床板を見た。
「ヨシッ!床板は汚染なし」
不幸中の幸い、故人の元身体は畳で止まっていた。

一口に「畳」って言っても、サイズや重さは多様。
大きくて重いものになると、梱包にも苦労する。どうも、重いのは高級品らしい。
汚れてしまえば高級品も安物も関係ない。
当然、作業は安物の畳の方がやりやすい。
寝るなら、安物の畳の方がいいのかもしれない?
私は、持ち上げた畳をシートに包んだ。

直接汚染物をひと通り撤去し終わり、私は依頼者に電話を掛けた。
とりあえずの急場は凌いだことを伝えると、とても喜んでくれた。

その翌日。
前日ほどの濃さはなかったものの、まだ悪臭は残っていた。
依頼者(大家)と遺族には外で待っていてもらい、家財・生活用品の全撤去を行った。
貴重品や必要な物を分別しながら。

作業が終わると部屋はきれいに空っぽになった。
そして、きれいになった部屋に大家と遺族を入れて、作業結果を確認してもらった。

「あとは、消臭と消毒だけですね」
大家と遺族は安心したようにそう言った。
「イヤ、まだそれでは済まないと思います・・・」
そう応える私を、怪訝な表情で見る二人。
私は、言葉を続けた。

「この部屋のどこかに、肉眼で確認できないところにウジが隠れているかもしれません」
「4~5日・・・イヤ、気候によっては2~3日でハエが出てくる可能性が高いです」
「ウジは、少々の食料がなくても羽化しますから」
「数日、経過を観察してから消臭消毒しましょう」
そう言って、私はその日の作業を終えた。

その数日後。
私は、再び現場の部屋に出向いた。
大家にも立ち会ってもらい、中を確認した。

「え゛ーっ!?」と驚く大家。
「やっぱり!」と頷く私。
壁一面、ハエで真っ黒。
窓には、外からの光を遮断するくらいのハエがビッシリとたかっていた。
一回戦に敗退してどこかに潜んでいたウジは、ハエに姿を変えて復活していたのだ。
空っぽの部屋に、いきなり黒だかりのハエ。
その変容は、まるでマジックでも見ているかのように見事なものであった(感心してる場合じゃないけど)。

半端じゃないその数には、並の戦闘モードでは 太刀打ちできない。
私は、空気の流れを見ながら強力な殺虫剤を部屋にセットした。
これで大部分のハエを亡き者に。
そして、しばらく待ってから、今度はハンディー殺虫剤を持って再突入。
ヨレヨレになって飛び回る生き残りに、一匹ずつとどめを刺した。

二回戦を終えた後の部屋には、ハエの死骸がゴロゴロ。
ウジ・ハエから見たら、凄惨を極める光景だっただろう(人間から見ても同じか)。
掻き集めたハエの死骸は黒山ができるほどの量だった。

毎度のことながら、ウジ・ハエの生命力とたくましさには脱帽だ。
固体は違えど、何度叩いても復活してくる。
その根性は、見習ってもいいかもしれない。

彼等との戦いは、今年も頻発するだろう。
宿命の対決は、避けては通れなさそうだ。

私は、一旦凹むとなかなか復活できない軟弱な人間だけど、ウジ・ハエに負けないように頑張ろー。




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復活(前編)

2007-04-21 08:56:03 | Weblog
桜の季節も終わり、暖かい季節がやってきた。
幸か不幸か、これからは特掃にとっても熱い季節。
その影響があるのかどうか、私の精神状態も復活してきた。

とにかく、これからの季節は驚くほど腐るのが早い!そして酷い!
「ついこの間まで元気にしてたのに」
というような人が、わずかの時間で悪臭をともなう変わり果てた姿になって発見される。

また、これからの季節は、ウジが復活してくる。
本blogにもなかなか登場しなかったように、寒い冬はウジ・ハエの発生は穏やか。
と言うか、「夏だったら大発生!」というような現場でも全く姿を見かけないこともある。
私にとっては、作業の手間が省けて大助かり。
しかし、こうして暖かい季節がやってくると、ウジは〝招かざる客〟としてやってくる。
もっとも、ウジにとっては私の方が〝招かざる客〟なんだろうけど。

お互い、何かの因縁で憎しみ合っているわけではない。
私とウジは、ただ生きるために戦わざるを得ない関係なのだ。

ある老朽家屋。
「すぐ来て!」
との要請に、私は前の作業を急いで終えて急行した。

玄関の前に立っただけで、中が非常にイケない状態になっていることが分かった。
依頼者である大家は、複数の人に段取りをつけて鍵を受け渡している時間も惜しいらしく、
「鍵を壊してもいいから急いで入ってくれ!」
とパニック。
お言葉に甘えて?私はドアを工具を使って強引に開錠した。

中の腐乱臭がどれだけ臭いものかは、ここでは省略。
急務だったこともあり、いちいち悪臭を吟味して愚痴っているヒマはなかった。

ひと部屋しかない和室に入ると、その中央には黒光りするほどに腐敗液・腐敗脂を吸った汚腐団があった。
それはまるで、皮製の布団のよう。

見慣れた光景なのに、
「何なんだよぉ、これは!」
と、私はとりあえず悲嘆。
そしてすぐさま、
「まずは、これを何とか始末しないとどうにもならないな」
と頭のシフトレバーを戦闘モードにチェンジ。

「今日中に何とかして下さい!」
と言う依頼者に、
「汚染物だけは何とかします」
と応える私。

依頼者と電話でやりとりした後、私は、急いで装備と道具を整えた。
そして、躊躇なく汚腐団に手をつけた。
できるだけ濡れた部分を触らないように、できるだけ身体に着かないように、できるだけコンパクトになるように格闘。

「きたな!」
集中して見ると、汚腐団の表面には、極小のウジが群生していた。
これからスクスクと育っていこうとしていた安住の地に、いきなり起こった大地を揺るがす巨大地震。
ウジは慌てただろう。
そして、逃げ惑ったに違いない。
しかし、逃避の試み虚しく彼等は私の術中にハマっるのであった。

ウジも一緒に畳み込んだ汚腐団を今度はビニール袋に梱包。
袋のサイズを間違えると後で難儀するので、ピッタリサイズのビニール袋を選んだ。
そして、腐敗液と腐乱臭が漏れないように何重にも梱包。
そうすると、正体不明の一つの塊が完成した。

今度は、それを部屋から運び出さなくてはならない。
きれいに?梱包してあるので物理的には問題ないはずなのに、これを抱きかかえるには少しの心の準備が必要。
一旦外に出て、マスクを外し深呼吸を2~3回。
あまり長く休むとリフレッシュを通り越して気持ちが萎えてしまうので、ほんの1~2分で私は部屋に戻った。

「オリャ!」
私は、勢いをつけて塊を抱きかかえて外に向かった。

液体人間と一体化した布団は、物理的にも精神的にも軽くはない。
私にとっては重い汚物。
しかし、
「これで故人もホッとするかな」
と思うと少しは軽くなる。
瞬間的ではあるけど、抱える汚物が人になる。

この汚腐団のように、腐乱死体が直接的に汚しているモノは、そのニオイもさることながら、見た目もかなりグロテスク。
近隣住民や通行人などの一般人からは一線を隔しておかなければならない。
だから、屋外では一層の気配りと手際のよさが必要。
さすがに、〝何事もなかったかのように〟とまではいかないけど、人目がある所ではできるかぎり淡々と清々しく?作業を進めることを心掛けている(一人よがりかも)。

汚腐団の撤去が済んだら、次は畳。
残念なことに、故人は布団を通り越して畳にまでイッてしまっていた。

つづく



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タバコの煙

2007-04-19 07:26:40 | Weblog
嗜好品の代表格と言えば、酒・タバコだろう。
「百薬の長」
と言われる酒に対して
「百害あって一利なし」
と言われる?タバコ。
そんなタバコは、最近では肩身が狭くなってきているのではないだろうか。

禁煙スペースの増加・喫煙スペースの制限・社会の分煙化は、私にとっては歓迎できる傾向。
私は、タバコは吸わないので。
禁煙した訳ではなく、元から吸わないのだ。
それでも、喫煙者が身近にいる以上は、副流煙による間接喫煙を強いられる。
まったく、いい迷惑。
最低のマナーとして、携帯灰皿くらいは使ってもらいたいものだ。

喫煙率は、男性は10人中4人くらいで、女性は10人中1人くらいらしい。
身の回りを見渡すと、喫煙者はもっと多い気がするけど、数字にしてみると意外と少ない。
また、肺癌を患う確率も、喫煙者は非喫煙者の3倍らしい。
「たった3倍?少ないんじゃないの?」
と思ってしまう。

今では、高校生がタバコを吸っている姿を見かけるのは珍しいことではない。
更に、中学生らしき子供達がタバコを吸っている姿もチラホラと見かけるようになってきた。
しかも、昔のように〝隠れてコソコソ〟ではなく、個人の自由と権利を誇示するかのように堂々と。
そんな子供達を見ていると、この社会の将来が危ぶまれる。
ただ、この状態は一部のコミュニティーに発生している問題でしかない。
〝いい学校〟の子供達は違う。
社会の階層ピラミッドは、子供の世代から着々と出来上がってきているのだ。

ところで、そんな状態を放置し、甘んじて受け入れている大人達や社会に問題はないのだろうか。
え?私?
中高生の喫煙を見かけて注意してるかって?
・・・見て見ぬフリ。←ダメな大人の一員。

ちょっと脱線。
タバコのニオイが嫌いな私、子供の頃は変なニオイが好きだった。
まず一つ目は、タクシーの排気ガス。
一般のタクシーって、ガソリンではなくガスを燃料としているので、その排気ガスのニオイは独特。
そのマイルドなニオイが私の臭覚とマッチして、タクシーを見かけるとマフラーに顔を近づけていたものだった。

二つ目は、マニキュア・除光液。
母親の鏡台にあったのを、たまたま嗅いでみたのだ。
脳に浸みるようなそのニオイも格別で、やみつきになってしまった。
まったく、バカな子供でしょ?
思い出すと、恐ろしいし気持ち悪い。
ちなみに、今はその癖はない。

喫煙者ではない私でも、酒の席などで人にすすめられて、興味本位に何度か吸ったことはある。
肺の中に、モノ凄く汚いものを入れている気分がして不快。
しかも、口の中の煙(ヤニ)臭さがいつまでも失くならず、酒や食べ物がまずくなる。
とても、タバコを覚えようなんて気は起きなかった。

タバコって、そんなに旨いのだろうか。

私の回りでは、禁煙チャレンジの成功率は低い。
チャレンジ中の人を見ていると、非常にツラそうだ。
特に、一種の禁断症状がでてくる断煙3~4日目がキツいらしい。
これを乗り切れるかどうかで、禁煙の成否がほぼ決定するとのこと。
ただ、禁煙中の人が苦しんでいるのを見ると、
「身体にはよくても、精神には悪そうだね」
「〝病は気から〟とも言うし、そんなにツラいんだったら吸えば?」
と、私は悪魔のように囁くのである。

私の場合は、もっと身体に悪そうなものを吸っている。
そう、人間の腐乱臭・腐敗ガスだ。
これは、身体に悪いばかりでなく、精神にまで悪影響を及ぼすことがある。
喫煙者の肺が真っ黒であるように、私の精神も真っ黒になるのだ。
しかし、悲しいかな、こちらも止めたくても止められないんだよね。

ある家での納棺式。
私は、故人が安置されている部屋に通された。
襖を開けると、部屋中が何かの煙で靄っていた。
そのニオイは明らかにタバコ。
線香の煙が部屋中に充満しているのはよくあることだけど、タバコのそれは珍しかった。

よく見ると、故人の傍らにある香炉(線香を立てる灰鉢)には、所狭しと火のついたタバコが立てられており、それがモウモウと煙を上げていた。
故人が愛煙家であったことは一目瞭然。
面布(遺体の顔にかける白布)を取ると、単に眠っているだけのような初老の男性ががいた。
故人に対する遺族の愛情が部屋に充満する煙になって現れているようで、ゴホゴホとむせ返りながらも何とも微笑ましく思えた。

「お父さん、もう我慢しなくていいんだよ」
「天国に行って好きなだけ吸ってね」
多分、晩年の故人は、タバコを満足に吸えなかったのだろう。
案の定、柩にはたくさんのタバコが入れられた。

「人生は夢幻・・・過ぎてみればはかないもんだなぁ」
翌日には灰になる故人の身体と、立ち上っては消えていくタバコの煙を見ながら、そう思った。





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朝靄

2007-04-17 07:57:42 | Weblog
不眠症の私は、目覚時計がなくても寝坊することはない。
時計を見なくてもだいたいの時刻が身体で分かり、どんなにゆっくり寝ていたくても、毎朝、決められた時間を前に目が覚めてしまう。
特に、デカい現場・困難な現場を抱えている時や夜中の電話が鳴るときは、熟睡なんてしていられない。
重い緊張感とプレッシャーが、一晩中、私の神経にチョッカイをだし続けるのだ。

胸騒ぎの夜も平安な夜も、時は冷たく過ぎるのみ。
そのうちに明るくなってくる窓のカーテンが、重圧になってのしかかってくる。
疲れている時などは特に、カーテンが明るくなるのが辛い。
「このまま夜が明けなければいいのに・・・」
なんて、靄がかかる気分を晴らせないままガックリ。

朝、カーテンを開けるときに思うことがある。
「はぁ・・・またいつもの朝か・・・」
マンネリの毎日に、朝っぱらから溜息をつく私。
「今日も、変わり映えのしない一日が始まるんだなぁ」
同じことを繰り返してばかりの毎日に飽き飽き。
混沌とした気分で仕事に向かう日が少なくない。
また、生活に追われるばかりの毎日に輝きを見出だせないまま、意味もなく惰性で生きているように思えてしまうことも多い。
〝時間がないのに、なんだか退屈〟
そんな雑然とした気分。

「仕事をしなくて生きていけたら、どんなにいいだろう」
私は、そんなバカみたいなことをよく考える。

毎日の労苦は、いわば宿命。
仕事が楽じゃないのは、なにも死体業に限ったことではないだろう。
その中にささやかな生き甲斐や楽しさ・幸せを見出だし、そんな毎日と悪戦苦闘しながら適当なところで折り合いをつけている私。

私の日常の楽しみと言えば、食べることと寝ることくらい。
それくらいしか思いつかないことに、自分でも苦笑い。
それでも、
「夜は何を呑もうかな」
「肴は何にしようかな」
等と考えると幸せな気分になる。
「今日も、一日が無事に終わるな」
「あとは寝るだけだ」
等と考えると、平穏な気持ちになる。
こんな小さな幸せを噛み締めながら、翌朝までのわずかなひとときを安らぐ。

変わり映えのしない日々に埋もれていると、脱日常を求めたくなる。
休暇・趣味・レジャー等に代表されるそれらは、刺激的で新鮮。
人生に膨らみをもたせてくれる。
しかし、〝マンネリの日常があるから脱日常が光るのだ〟ということを忘れてはならないと思う。

「仕事なんかしなくても生きていけたらいいのになぁ」
遊んでばかりじゃ、そのうち遊びも楽しくなくなるだろう。
「何かうまいもの食べたいなぁ」
御馳走ばかりじゃ、御馳走だって美味しくなくなるだろう。
「なんか面白いことないかなぁ」
快楽ばかりじゃ、何が幸せなのか分からなくなるだろう。

私が仕事を通じて会う人々は、ある意味で〝脱日常〟の状態になっている。
普通の人にとって「死」は非日常的なこと。
〝変わり映えのしない日常〟が、どれほど貴重なものであるかが、その人達を通じてヒシヒシと伝わってくる。

病死・事故死・自殺・孤独死etc
世間の人々にとっての非日常が、私にとっては日常。
そんな特異な環境に長く生きている私は、どこかの神経がイカれているかもしれない・・・酒癖・不眠症・不安症・情緒不安定・頭痛・胸痛etc。

私にとって特掃は、淡々とできる仕事ではない。
現場に行けば、冷えた心と疲れた身体でも熱くなり、おのずとテンションが上がる。
人体腐乱への嫌悪感とは裏腹に、得体の知れない興奮とマイナスのパワーがヒートアップする。

どんな現場でも、一度入ってしまえばイヤでも作業を強いられる。
「退屈」なんてセリフはとても吐けない。
特に、元人間の掃除は極めつけ。

そんな特掃を黙々とやりながら、私は色んなことを考える(脳停止が必要なときもあるけど)。
そして、辛い作業の中に、自分を鍛練してくれる何かを感じる。
逃げたいような、逃げたくないような・・・まるで、何かの修業でもしているかのような感覚だ。
流れる汗と涙は、命のトレーニングの証。

誰もいない自分一人だけの特掃では、自分を丸裸にして曝け出す。
どこかの劇団員が芝居でもしてるかのようなオーバーアクションで、人目や格好・面子を気にせず心の腐敗ガスを抜きながら格闘。
そんな作業と自分との戦いを終えたときの達成感と疲労感は、私自身に何らかの収穫をもたらしてくれているような気がする。
そして、それが朝のカーテンを少しでも軽く開けるための、貴重な一日を力強く生きるための力になるのだろう。

いつか、いつの日か、朝靄の向こう広がる晴天を仰ぎたい。
そのために、私は今朝も重いカーテンを開けてきた。






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ゴホン!ゴホン!(後編)

2007-04-15 08:35:27 | Weblog
「ゴホン!ゴホン!」
玄関ドアを開けた依頼者は、肺がエンストしたような咳を吹き出した。
と同時に、言葉にならない驚嘆の声を上げた。
依頼者は、部屋の中から噴出してきた濃い!腐乱臭パンチを見舞われたのだった。

ドアの前に立ってもかなりの臭いがしたので、
「こりゃ、中はかなりイッてるな・・・素人だったらKOもあり得るかも」
と思っていたら、まさにその通りだった。
ただ、私は、でしゃばったマネはよくないと思って少し離れたところに控えていたので、そのパンチを避けることができた。
まぁどちらにしろ、私は、この後でイヤ!と言うほどの悪臭ストレートパンチを浴びることになるのだが・・・しかも、レフリーもセコンドもいない状態で。

「後でトラブルになると困るので、貴重品や必要なものは先に出しておいて下さい」
私の要請に依頼者は
「え゛!?この部屋に入れって言うんですか!?」
との文字を顔に書いて、驚きと恐怖の表情を浮かべた。
怯えるように硬直した依頼者を見ていると、段々と気の毒に思えてきて、
「私が代わりに行ってきましょうか?」
と言わざるを得なくなった。

貴重品で、特に気をつけなければならないのは現金・金券・貴金属類。
何故なら、預金通帳・カード・保険証券・年金手帳類は第三者が換金しにくいので疑われにくいけど、現金・金券・貴金属類は私のような第三者にでも価値があるし、小さいのでポケット等に簡単に入れることができるから。
その気になれば簡単に盗めてしまうのだ。
だから、要らぬ疑心暗鬼を招かないために、私は、依頼者の目のない所では極力他人のそれらに手を触れないようにしている。

しかし、この現場では依頼者の腰が引けていて、それが叶わなかった。
「私を信用してもらうしかないですね」
と言い残して、私は部屋の中に突入した。

部屋の真ん中には熟成された汚腐団、枕には頭髪。
警察が荒らして行ったせいで、部屋はかなりちらかっていた。
そして、悪臭!

「うへぇ~!何度嗅いでもたまらんなぁ・・・」
簡易マスクなど何の役にも立たず、ツンと尖った腐乱臭が容赦なく鼻から肺に入り込んできた。
それは、スゴク悪いモノを吸い込んでいる気がして、〝肺が腐ってしまうんじゃないだろうか〟と心配になってくるくらいのレベル。

そんな現場では、本能的に呼吸を浅くする私。
しかしそれでは酸素が足りない。
数回の浅い呼吸のあと一回の深い呼吸を繰り返しながら、私は酸欠ギリギリのところで故人の貴重品を探した。

その作業は、わずか10分程度だっただろう。
しかし、ウ○コ男が完成するには充分過ぎる時間だった。

一通りの貴重品をかき集めて、私は依頼者の待つ外へ出た。
依頼者は、私の身体が放つ悪臭に戸惑いながらも、申し訳なさそうに礼を言ってくれた。

臭い汚仕事でも、人に礼を言ってもらえると嬉しいものである。
これは、金に替えられないね。

「ご本!ご本!」
子供の頃から読書が苦手な私は、親や教師からよく「本を読め!」と言われていた。
しかし、大人になった今でもほとんど本を読まない。マンガも。

「本を読まないことは、字が読めないのと同じことだ」
そんな辛口な批判を浴びても、一向に本を読むことに興味が湧かず、
「本を読む時間があったら、飲むか寝るかした方がマシ」
と考える低堕落な私である。

今になっても相変わらず、本blogの書籍化を提案したり取材を申し込んでくる編集社・出版社もチラホラあるらしい。
また、最近は、本blogを元にしたのではないかと思われるような類のモノがチラホラとでてきているようにも聞いている。

そんな情報は全て、私より先に管理人のところに集まってくるので、私は後から知っては他人事のように受け止めている。
自意識過剰かもしれないけど、それを知った私は、気分が悪くもありながらまんざら悪い気もしないようなビミョーな感じ。

仮に、本当にその類のモノがあるなら、それらは特掃隊長の認識外で行われているもの。
「アッシにゃぁ、関わり合いのねぇこってござんす」
ただ、どこの誰さんであっても、物事の筋道・仁義だけはきちんと通してもらいたいものだ。

まぁ、他人が真似してくれるくらいの人間でいられるなんて、ありがたいことなのかもしれないね。

本blogは、一人の書き手と不特定多数の読み手で成り立っているのかもしれないけど、書き手一人と読み手一人の一対一の関係を意識したいと、私は思っている。
でないと、愚か者の私は、すぐに自分が能力ある人間だと勘違いしてしまうから。

これからも、余計な雑音が入らないよう悪い右耳は世間に向け、健常な左耳を内に向け、自分の想い(念い)に任せて、ただただブルーな文字だけ綴っていこうと思う。

「ゴホン!ゴホン!」
管理人(ヘビースモーカー)のタバコの煙が、清々しい春の空気を汚している今日この頃である。






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ゴホン!ゴホン!(前編)

2007-04-13 08:05:29 | Weblog
「ゴホン!ゴホン!」
今から十何年も前、死体業を始めて一年を迎えようとしていたある日の夜、私はヒドイ咳に襲われた。
何の前兆もない、いきなりのことだった。

しばらくすると咳は落ち着いてきたが、今度はその代わりに呼吸が苦しくなってきた。
気管が細くなったような感じで、空気の通りを圧迫。
肺に力を入れて空気を吸ったり吐いたりしないと酸素が得られないくらいの状態に陥ったのだ。

そうして、自分でも何が起こっているのか分からないまま、眠れない夜を過ごした。

当初、その呼吸困難の発作は決まって夜に襲ってきた。
始めの頃は、何日か毎に起こっていたのだが、次第にその間隔は狭まってきた。
そして、咳がでなくても急に気管が詰まるようになってきた。
満足に呼吸ができない苦しさは、私を泣かせた。

それでも、昼間は平気だったし、もともとの病院嫌いと休暇がとれない仕事が重なって、しばらくそのまま我慢。
そうしていると、とうとう連日のようにその症状が現れるようになってきた。
ここまでくると、さすがにギブアップ。
私は、仕事の合間をみて病院に行くことにした。

病院では、肺と血液の検査が待っていた。
それで下された診断は「喘息」。

それまで、肺や呼吸器系の疾患はまったくなかったし、そんな気配も微塵もなかった私。
その歳で、喘息を患うなんて思ってもみなかったので、この診断を聞いて驚いた。

病名は喘息とついたものの、その原因は特定できず。
汚れた空気を吸っているのは他の人と同程度だし、食べ物アレルギーでも動物アレルギーでもなかった。
しかも、咳もない。
結局、疲労とストレスが関係しているのではないかということになった・・・やはり、人間アレルギーか。

病院からはいくつかの薬が処方されたが、その中の一つに〝気管拡張剤〟なる小さなスプレー缶の薬があった。
「発作がでたら使うように」
と、指示されていたものだった。

病院に行ったその日の夜も、喘息の発作は私を襲ってきた。
満足に呼吸ができない状態の私は、ワラをも掴む思いでその薬を使ってみた。
するとどうだろう。
驚いたことに、薬を吸い込んだ途端に気管の詰まりは解消され、普通の呼吸を取り戻すことができたのだ。
この即効性に、私は感動。
そして、発作の苦しさから逃れられる術を手に入れることができて、身体だけでなく気分まで元気を取り戻した。

ただ、残念なことに、その薬は発作を一時的に抑えるだけのもの。
夜だけだった喘息の発作は次第に昼間(仕事中)にもでるようになり、私は気管拡張剤を一日中手放せない身体になってしまった。

それから数年間、私は、喘息と付き合うことになるのだった。
特に、秋から冬にかけての夜にはその症状が顕著に現れた。

仕事中に呼吸が苦しくなっても作業を中断させるわけにはいかない。
〝心臓に負担を掛ける〟とやらで制限されていた薬の使用回数も無視して、仕事を続けていた。

幸い、時が経ってくると発作の回数は次第に少なくなり、ここ数年は治まったままである。
どんな時も持ち歩いていた気管拡張剤も、今は持たないで済んでいる。
今は、喘息と入れ代わるようにやってきた例の胸痛を抱えているけど、何か関係があるのだろうか。

「ゴホン!ゴホン!」
密閉された場所、例えば 電車の中などこかの待合室などで、ヒドく咳込んでいる人がいると気になることがある。
何が気になるかって?
まずは風邪。
特に気になるのはインフルエンザ。
風邪をひいたからって、そうそう仕事を休めるもんじゃないので、まずは予防が大事。

しかし、他人の咳で本当に気になるのは結核。
〝結核〟と聞くと〝過去の病気〟というイメージを持ちがち。
また、最近では大したニュースにもならない。
だけど、実際はまだまだ現役の病気である。

「健康な人は発症しにくい」
「肺に深く吸い込まないと感染しない」
「薬で治せる」
と言われてはいるけど、飛沫感染・空気感染する結核菌には決定的な対処法がない。
まったく、やっかいな病気だ。

発症してない保菌者だって、結構いるんじゃないだろうか。
実は、私もその一人だったりしてね。

「ゴホン!ゴホン!」
強烈な悪臭パンチを浴びた遺族は、咳込みながら玄関から後退した。

つづく





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夜の出来事(後編)

2007-04-11 08:11:45 | Weblog
「なるほどぉ・・・お゛!?」
辺りを探すまでもなく、私の目には、黒い不気味な物体が飛び込んできた。

床板を上げた場所は、まさにドンピシャ!
〝ホールインワン〟は大袈裟にしても〝ニアピン〟には違いなかった。
「さすがぁ」
誰も褒めてくれる人いないんで、私は自分で自分を褒めた。
そして、次の策を練った。

悪臭の根源はやはり動物の死骸、それも依頼者の女性が強く嫌悪するネコだった。
腐乱したせいで原形をとどめていなかったけど、ネコであることはすぐに分かった。
しかし、ネコはネコでもその体勢が確認できず、やや大きくも見える。
「何だか様子がおかしいなぁ」
私は、警戒感が増してきた。

私は、懐中電灯と自分の目を汚物に近づけて凝視。
そして、すぐさま身を硬直させた。
「ひょっとして・・・二匹?」
なかなか見分けにくかったけど、そこには、間違いなく二匹の死骸があった。
二匹は、重なるように腐乱していたのだった。
「夫婦?兄弟?親子?友達?」
どちらにしろ、二匹が同時に死んでいる姿は妙にモノ悲しい光景だった。

私は、予想もしていなかった状態に戸惑いを覚えながらも、女性に何と報告しようか考えた。
「動物じゃなかったことにしようかなぁ・・・でもこの臭いは明らかに動物だしな・・・」
「ネコじゃなかったことにしようかなぁ・・・でも、女性は事実を知りたいだろうし・・・」
床下でネコが腐乱していたことを知ったら、女性は腰を抜かすかもしれない。
しかし、この家に暮らす女性にウソをついていいものかどうか迷った。

考えた結果、私は正攻法でいくことにした。
そして、別の部屋で待つ女性に床下の状態を正直に話した。
女性は、イヤな予感が的中してしまった時のように顔を歪めて、嫌悪感を露にした。
今にも泣き出しそうな女性を見てタイミングを失った私は、ネコが二匹いる事実を言いそびれてしまった。

「特掃をやれば、見た目もきれいになるし臭いもなくなります」
「消毒までやれば万全ですよ」
そう伝えて、ギリギリのところで女性の涙を止めた。

考える間もなく、女性は特掃を依頼してきた。
そして、揃えてきた装備で充分だったので、私はそのまま作業にとりかかった。
幸い、床穴と汚物の位置は近く、床下に潜らなくても作業はできた。
ウジ・ハエの飛散が少なかったことも作業の難易度を下げてくれた。

毎度のことながら、動物の死骸を回収する作業は気持ちのいいものではない。
腐乱して溶けかかっているモノはなおさら。
毛に絡みつくように群がる極小のウジは、まるでホラー映画でも見ているかのよう。
更に、その腐乱臭は人間のそれと似て非なるもの、非で似ているもの・・・どちらにしろ、臭い!ことに変わりなし。
触覚と視覚と嗅覚をタップリ刺激してくれる作業だ。

そして、一番の問題は死骸の体液。
コイツを始末しないことには、問題の根本が片付かない。
私はこれを除去するため、上半身と機材を床下に突っ込んで、ひたすら作業を進めた。

何時間かして作業が終わり、部屋の換気をしながら床板と畳を戻した。

「これで大丈夫!きれいになりましたよ」
私は、一応の安心を提供できた手応えがありながらも、対する女性には、まだ一抹の不安があるようにも思えた。

「しばらく、眠れない日が続きそうです・・・」
そう元気なく言う女性に、中途半端な仕事をしてしまったようで、こっちまで元気がなくなりそうだった。

「こんなことが起こるのは、○○さん(依頼者女性)宅だけじゃありませんよ」
「家の床下や軒下でネコが死んでることは、よくあることです」
「動物が最期の場所に選ぶ家なんですから、きっと居心地のいい家なんですよ(しかも、二匹も)」
少しでも元気だしてもらおうと、私はアノ手コノ手の話を繰り出した。

そして最後に、
「また何かあったら来ますから、遠慮なく連絡下さい・・・あ、できたら昼間に」
と、冗談混じりに挨拶をすると、女性は笑顔で応えてくれた。
それを見て、私は一安心。

不眠症に悩めるのも睡眠不足を愚痴れるのも、元気に生きていられるうちの特権か。
望まなくなっていつかは起きられない身体になり、そして、冷たい土に眠ることになる。

現場を離れた私は、夜に起こる幸運と不運とを秤にかけながら、大きなアクビをした。





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夜の出来事(中編)

2007-04-09 08:02:21 | Weblog
驚愕と同時に私が掴み上げたものは、人間の手だった。
慌ててその手を振り払い、私は跳び起きた。
それから、少し遅れて片腕がジンジン。
振り払った手に私の身体から温水が流れ出すような感覚がしたかと思うと、身体と手がジワーッとつながってきた。

そう、得体の知れなかったその手は、完全に痺れて感覚を失った自分の手だったのだ。
体勢が悪かったのだろうか、血液の流れが遮断された腕は私が寝込んだ間にどんどん痺れていったらしい。
そして、そのまま腕は感覚麻痺。
そして、寝返りをうった私の顔にその手が乗っかってきたのだった。

同様の経験をしたことがある人は多いのではないだろうか。

自分でも驚く程、とても自分の手とは思えない程に手の感覚は消えていた。
腕が壊死しないのか、心配になるくらいだった。

昼間だけでなく、夜の間にも色々なことか起こるものだ。
かかってくる電話にも色々な用件があり、色々な人間模様がある。
遺体搬送や腐乱死体に限らず、孤独死相談・害虫駆除・ゴミ処分・異臭騒動・消毒相談etc・・・自殺相談も。
イタズラ電話がないのが幸いだけど、気分がHappyになるネタも皆無。

ある日の深夜、ある女性から電話が入った。
「2~3日前から部屋が臭くなってきた」
「床の方から臭っているような気がする」
「今までに嗅いだことがない変な臭い」

ゴミや排水口に心当たりがない場合、可能性が大きいのは動物の腐乱死骸。
更に、動物は動物でも猫の可能性が大。

私は、悪臭が漂い始めたときの状況や、濃い臭いがする場所を尋いた。
そして、床下に何かの動物死骸が潜んでいる可能性が高いことを女性に告げた。

「まさか、ネコじゃないですよね?」
電話の向こうの女性は声のトーンを上げた。
「んー、ネコの可能性は高いと思いますよ」
「え゛ーっ!」
女性は悲鳴にも似た驚嘆の声を上げたかと思うと、
「私、ネコはダメなんです・・・死んだネコだけじゃなく、生きてるネコも・・・」
と、半泣き状態に。
女性は、シャレにならないくらいにネコが苦手みたいだった。

「〝ネコかも〟なんて、余計なこと言っちゃったなぁ」
自分の失言を悔やみながら、
「ま、まだ動物と決まったわけじゃないですし、ネコだとも限りませんし・・・」
私は、慌ててフォロー。
「すぐに来てほしい」
と言う女性の要望を何とか引き延ばして、夜が明けた朝一に現場に行くことになった。

ちなみに、電話を切ってからの私がなかなか寝付けなかったのは言うまでもない。

早朝、外が明るくなるのを待って、私は現場に向かった。
「今か今かと待ちわびている女のもとへ、夜明けを待って駆け付ける男」
これだけ取って見ると粋な感じもするが、その実態は特掃。
粋も艶もあったもんじゃない。

現場は、街中の古い一軒家だった。
女性は私の到着を心待ちにしていてくれた。
ま、粋な用件じゃなくても、自分を必要としてくれる人がいるのはありがたいことだ。

私は、問題の部屋に案内された。
そこは古い和室で、〝リビング〟と言うより〝居間〟と言った方がシックリくる造り。
予想していた程の悪臭はなく、問題の臭いは強い芳香剤の匂いが掻き消していた。
私は、臭気観察の邪魔になる芳香剤を退かし、窓を開けて部屋の空気を入れ換えた。
そして、あらためて悪臭が漂ってくるのを待った。

女性に指示された位置に腰を屈めて待つことしばし。
そのうちに異臭が立ち込め始めた。
その臭いが床下からでていること、そして動物の腐乱臭であることはすぐに分かった。
しかし、夜の電話で懲りていた私は、女性に余計なことは伝えず黙っていた。

「臭いの元は床下で間違いなさそうですが、見てみますか?」
私は女性の了解をとり、臭いと勘を頼りに畳を一枚上げた。
そして、古びた床板の一部を四角く切り取ってめくり上げた。
すると、鼻を床下に近づける前に悪臭の方が先に鼻に入ってきた。
今までに何度も嗅いだことのあるその臭いは、間違いなく動物の腐乱臭だった。

私は、〝女性に、これ以上は見せない方がいい〟と判断。
「今から特殊清掃をしますので・・・」
口と鼻を押さえながら心配そうに眺める女性に、部屋から出るよう促した。

そして、女性が退室したのを確認してから、私は自分の首と懐中電灯を床下に突っ込んだ。
その体勢から、顔が充血してくるのが、自分でも分かった。

「ん゛ー、なるほどぉ・・・お゛!?」」

つづく




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夜の出来事(前編)

2007-04-07 08:59:46 | Weblog
人のタイプには色々な分け方がある。
生年月日・星座・血液型etc・・・その一つに「朝型or夜型」というものがある。

私は、どちらかと言うと朝型の人間だと思う。
朝は早くから目が覚める。
覚醒には目覚時計は必要なく、起きたい時刻がくる前に必ず目が覚める。
目覚めもクリア。

逆に、夜はやたらと早い時間から眠くなる。
いい大人なのに、0:00迄起きていられることは、年に数えられる程度。


世の中には、時間がゆるすかぎり爆睡寝坊できる人もいるみたいだけど、私はそれができない。
数少ない貴重な休日、「思いっ切り寝坊するぞ!」と意気込んでいても、いつも通り朝早くから目が覚めてしまう。
これがまたストレス。


そんな私には、昼間に睡魔が襲ってくる。
特に、椅子に腰をかけている状態のとき。
電車・車・どこかの待合室etc。
さすがに、業務中に眠くなることはないけど。
まぁ、特掃作業中に眠くなるくらいに神経がズ太ければ、こんな苦労はしてないだろうね。

ずっと以前、睡眠薬を服用していた時期もある。
熟睡を期待して飲んでいたのに、効いているのかいないのか分からないくらいのもので、継続して服用するのがバカバカしくなってやめた。
また、頭に電極を着けて脳波長を操作する「睡眠導入器」なるものを使っていたこともある。
これもまた、効果を自覚できないまま自然消滅した。

私は、多分、不眠症なんだと思う。
しかも長年に渡る重症。
何の用もないのに、夜中に何度も目が覚めて寝返りをうつ。
「時間があるときに寝とかなきゃ、あとがツラくなる」
等と言った脅迫観念みたいなものさえある。
夜に熟睡できないことは、私にとってはなかなかツラいことなのである。

不眠症の私にとっては、それに輪を掛けるような事情がある。
この仕事では、夜中の電話に叩き起こされることが珍しくないのだ。
しかも、電話の内容は心臓がドキドキしてしまうようなことがほとんど。
とても、熟睡なんかしてられない。
だいたいの電話は話が終わってからも目が冴えまくって、なかなか再入眠することができなくなる。
私の仕事を考えると、なんとなく想像できるでしょ?

ただ、夜中の電話で出動を要するのは「遺体搬送業務(病院下げ)」くらい。
あとのほとんどは、電話相談だけ受け付けておいて、実際の稼働・作業は日中の時間に行う。

遺体搬送の依頼が入ると、直ちに跳び起きて出動しなければならない。
冬の寒い夜も夏の蒸し暑い夜も、夜中も明け方も関係なく。

いつもはたまにしか入ってこない遺体搬送業務が、たまたま連夜になることがある。
これが結構キツい!
夜中に作業をやったって、昼間は昼間で仕事がある。
だから、ゆっくり寝ている時間もない。
たった二夜でも、稼働が続くとヘトヘト。
身体が妙な熱を帯びてくると同時に、朝・昼・夕の感覚が鈍くなってくる。
そして、道路のアスファルトが緑色に見えてくる。

そんな時に気をつけなければならないのは車の運転。
睡魔に襲われたら無理をせず、車をとめて仮眠をとるようにしている。
ただ、遺体搬送車の場合は、落ち着いて駐車しておけるところがなかなかないので、結局は会社まで戻ることになるのだが。
いくら遺体を積んでないからと言っても、遺体搬送車って一般の人からすると不気味でしょ?

また、夜中の遺体搬送には遺族が同乗しないことも多く、遺体と静かなドライブになることがある。
人気のない暗い街を遺体を乗せて走るビミョーな感覚は、うまく表現できない。
世の中に、自分と遺体の二人きりになったような変な気分で、ちょっと心細くなる。
車内の雰囲気を勝手に煮詰まらせる私は、一般のタクシードライバーが客に話し掛けるように、遺体に何かを話し掛けそうになる。

「お客さん、どちらまで?」
「天国まで」
「天国ですかぁ、いいですねぇ」
「頑張って生きてきましたからね」
「私も、いつかは行きたいもんです」
「じゃ、頑張って生きて下さい」
「そうですね」

私には霊感がないことは、既に紹介した通り。
しかし、その辺のところは、半信半疑で意識していることでもある。
霊感って、花粉症のようにある日突然にふりかかってくるものかもしれないし。

ある日の深夜、いつもの様に浅い眠りについていた。
そして、何かの拍子に寝返りをうったとき、顔に何か感じるモノがあった。

「・・・ん~?」
寝ボケ半分で目を開けてみた。
すると、私の顔には何かが覆い被さっていた。

「うあ゛っ!」
驚いた私は、とっさにそれを掴み上げた。
そして、その正体を見て更に仰天!

ナントそれは人間の手だったのだ。

つづく





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愛車とオフロード

2007-04-05 08:46:18 | Weblog
車を手に入れるのって大変。
一般的に、一番大きな買物は家。
車はその次にくる。
購入時だけでなく、燃料・保険・車検・税金・メンテナンス諸々、維持費も安くは済まない。
しかし、車はそれ相応の働きをしてくれる重宝なものだ。

私が、初めて自分の車を買ったのは20代初旬。
50万円くらいの、国産中古セダンだった。
運転が下手クソで、始めは恐る恐る乗っていたけど、自分の車が持てたことに大きな喜びを感じていた。
ドライブの計画を考えるだけでも、かなり楽しめたものだ。

ポンコツ車にお構いなしで、片道1000kmもあるような所にも何度か出掛けた。
結局、その車は二年くらい乗って廃車。
最後は、値段がつけられるレベルになく、逆に処分料を払ったうえで自動車解体業者に引き取ってもらった。
業者のレッカーに引かれて行く愛車を、私は寂しく見送った。

若かりし頃の楽しい思い出が頻繁に頭に浮かんでくるのは、それだけ歳をとって弱ってきた証拠だろうか。

つい先日も、私は愛車を手放した。
車検・税金・今後のメンテナンスリスクを考えて、問題のないうちに思い切って処分することにしたのだ。

その車は軽自動車、プライベートでも仕事でも大活躍だった。
乗った期間は約5年、走行距離は裕に10万kmを超えていた。
軽自動車だけあって狭い路地でもキビキビ、燃費もGood!
唯一の難点は高速走行ぐらい。
それでも、安全運転をするには丁度よかったのかもしれない。

軽自動車で走行10万kmを超えているとほとんど価値はないらしく、下取り価格はかなり厳しいものだった。
日常のメンテナンスもきちんとやってきたし、マメに洗車もして大事に乗ってきた。
何より、事故や修理歴もなかった。
だから、まだもうひと頑張りはできそうな車だった。
なのに、タダ同然の値段になってしまって、残念無念。

この5年、一緒に走った道程は決して平坦ではなかった。
色んな気持ちで、色んなところに行って、色んなことをやってきた。
たくさんの汗をかき、たくさんの涙を流し、たくさんの唾を吐いてきた。
夜間の仕事が入ったときや出先で酒を飲んだときは、車内で寝泊りもした。
春夏秋冬、晴れの日も雨の日も雪の日も、私が元気な時も落ち込んだ時も、いつもこの車に乗っていた。
思い出せば懐かしい。

この車の中は、私にとってとても落ち着ける空間でもあった。
騒がしい世間の中にあっても、自分一人の車内は平穏だった。
そんな私に付き合ってくれて、無事故・無故障で働いてくれた車。

だから、この車には格別の愛着があった。
別れの日、長い間の苦楽をともにしてきた相棒と別れるような気持ちがして辛く寂しい思いがした。

その車と私との最後の仕事は特掃だった。
しかも、積んだものは人間の腐った肉片とゴミ。
別れ際ぐらいは、きれいな花でも積んでやればよかったんだけど、きれいなモノに縁がない私が積んだのは、やっぱり汚物だった。

汚物を積むときは、車が汚れないようにその梱包は厳重におこなう。
特に注意が必要なのは、臭い。
プライベートでも使う車から腐乱死体臭がしたら、たまらない!からね。

愛車と走ってきた道程のように、これからの私の人生も平坦ではなさそうだ。
多分、私の生きる道は、湾曲と起伏の激しい砂利道・デコボコ道。
崖っぷちの山道もありそうだ。
舗装道路の高速走行なんて、叶わぬ夢。
2WDでスマートに走ることはとてもできず、4WDで這いつくばらないと前には進めない。

この頃は、いい加減タイヤの溝もなくなってきて、グリップ力が弱くなってきた。
忍耐力が衰えて、すぐに諦める。
しかも、サスペンションもへたり、臨機応変に動ける機動性や柔軟な思考力も衰えてきた。
ギアチェンジさえうまくいかず、無意味に落ち込んだり陽気になったり。
無駄なカラ吹かしで空回りすることもある。

人は何を目的に生きるのだろうか。
何を大切にして生きなければならないのだろうか。
「金?」「名誉?」「快楽?」「人?」
毎度の苦悩だ。

それでも、私には、辿り着きたい目的地がある。
目指すべきゴールがある。
ありがたいことに、道標も方位磁石もある。
その道程は決して平坦ではないけど、方向だけは見失わずに生きたい。

人生の目的地はまだまだ遠い。
愛車はリタイヤしたけど、私はまだリタイヤを許されない。
そろそろガタがきそうな心と体をメンテナンスしながら、ダマしダマし走っていこう。

生き抜くべき人生のオフロードは、まだまだ続きそうだから。





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レール

2007-04-03 12:57:39 | Weblog
列車事故による轢死体を初めて見たのは、この仕事を始めて二年目くらいの時だったと思う。
レールの上で電車に曳かれた遺体だった。
「バラバラ」と言う程でもなかったけど、手足がちぎれてかなり悲惨な状態。
赤い肉が緩んで広がる切断面と、裂けるような形で突き出た白い骨が、私の頭を凍らせた。

経験の浅い私には衝撃が強すぎたのか、普通なら波立ってもおかしくないはずの気持ちは、ずっと硬直したままだった。

「肉はビーフ、骨はチキンみたい・・・人間も所詮はただの肉なんだな」
亡くなった故人には失礼だったかもしれないけど、極めて冷静にそう思ったのを今でも憶えている。

この社会では、子供をレールに乗せようとする親が多い。
親は、子供のために安全に走れるレールを探し、安定したレールに乗せたがる。
そのために、躍起になって学校教育にすがりつく。

私くらいの年代になると、小学生くらいの子供を持つ人も少なくない。
同年代の私の友人にも、小学生の子を持つ者が何人かいる。
その中の一人が、子供の教育について相談を持ち掛けてきた。
相談の内容は、中学進学について。
小学校高学年になる子供を、この先、私立中学or地元の公立中学どちらに入れようか考えているらしかった。

子供の学力は優秀らしく、問題は学費。
その問題がなければ、悩むことなく私立中学を選ぶところなのだが、学費のことを考えると二の足を踏むらしい。

学費は一時的なもので済むものではない。
数年に渡る負担を強いられるのだから、それに見合った安定収入が求められる。
この長期戦に自分が耐え得るかどうか、友人は考えあぐねていた。

「世の中、所詮は金次第!」
「金がなきゃ立派な人間は育たないんだよ!」
「口でいいこと言ったって、金がなきゃ何もできないんだよ!」
興奮気味に語る友人の言葉を、私は黙って聞くしかなかった。

世の中には、自分に学力があっても親に経済力がなくて〝いい学校〟に行けない子供がいる。
その逆に、親に経済力があるのに自分に学力がないため〝いい学校〟に行けない子供もいる。
学力と経済力を兼ね備えた子供しか〝いい学校〟に行けないという現実がある。
その現実が、親の経済力と子供の学力を比例させる傾向を強め、格差社会・階層の固定化に拍車をる。

一部の学校に過ぎないことを願うばかりだが、昨今の公立小学校・公立中学校の荒廃は、目に余るものがあるらしい。
そんな所に子供を行かせたくない親の気持ちは分かる。
私立学校に避難させたい気持ちは分かる。
子供の将来を思えば当然だ。
しかし、問題の根源は学校を過信する無責任な親にあるような気がする。

子供を育てる上での全責任・全権利は親にある。
学校や教師ではない。
なのに、現実はその逆傾向。
本来なら、子供の教育を学校に委任するのはほんの一部にするべきところ、ほとんどのことを学校に丸投げして、何か問題が起こったら学校の責任を追求する・・・そんな無責任な親の姿に、私は違和感を覚える。
子供が社会や学校によって育てられるのも事実ながら、その全責任と全権利は親にあること・親にしかないのは当たり前のことだと思う。
だって、子供を想う気持ちは、学校の教師より親の方がはるかに大きいでしょ?

私の親も、私を安定したレールに乗せようとして必死で頑張ってくれた。
裕福ではなかったのに、両親共働きで私を私立中学に行かせてくれた。
しかし、「親の心、子知らず」。
結果的に、私は親の願うレールに乗らず(乗れず?)、現在に至っている。
そして、それが親子の確執を生んだ一因にもなっている。

「決められたレールに乗っかって、おとなしく進む人生なんてまっぴらゴメン!」
とイキがっていたのは10代後半。
30代後半の今は、
「安定したレールに乗っかってみたいなぁ」
と思うことが多々。
しかし、私はもうレールに乗ることはできない。
そもそも、レール自体が見当たらない。
でも、それは親の責任でも学校の責任でもなく、私自身の責任。

「〝どの学校に行かせるか〟より、まずは〝どんな親であるか〟の方が大事なんじゃないの?」
「子供にとっての最善のの学校は家庭環境、そして最良の教師は親だと思うよ」
〝私立校信仰〟の典型的な失敗例である私が吐く自論に、真剣に耳を傾けてくれる友人だった。

さてさて、この脱線列車はこれから先どこへ暴走していくのだろう。
まずはとにかく、できるだけ人をキズつけないように注意しながら走っていこう。





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BBQ(後編)

2007-04-01 08:26:59 | Weblog
男性の事情を詳しく説明すると・・・
男性は、彼女イナイ歴が長いみたいだった。
しかし、最近になってやっと仲良くできる女友達ができた。
何かの時にアウトドアレジャーの話になり、その会話は結構盛り上がった。
ありきたりの飲食に飽きていたのか、その女友達はバーベキューに強い関心を示し、その反応に着火点を得た男性は、やったこともないバーベキューに思い切ってチャレンジしてみることにした。
未経験であることを隠して。

そして、ある日の夜、その娘を呼んでバーベキューパーティーを決行。
予行演習なしの、ぶっつけ本番だった。
炭には簡単に火が着くものと思っていた男性は悪戦苦闘。
この辺りから、熱く燃えかかっていた二人の関係に冷たい空気が漂い始めた。

やっとのことで炭に火を着けた時は、女心の火はは風前の灯火。
そのうち、彼女は「虫が恐い」だの「寒い」だの言い出し、ベランダのバーベキューコンロは室内に移動せざるを得なくなった。
しかし、コンロを室内に持ち込んだら持ち込んだで新たな問題が発生。
炭の火力をコントロールできず食材を焦がしまくり、部屋中に煙が充満したのだ。
これにも彼女は文句タラタラ。
結局、楽しくなるはずのパーティーは、ものスゴク寂しい終わり方をし・・・炭火と恋の炎は、あえなく鎮火したのだった。

とりあえず女友達の気を引き、いいところを見せたかった男性の心意気とその後の悲哀に同情し、料金も割安に脱臭作業に勤しむ私だった。

私が思うに、男性は見た目もキャラクターも恋人ができなようなタイプではなかった。
だから、これを教訓に女性を相手に嘘をつくことの限界を心得て、もっと自然体で仲良くできる女友達を見つければいいと思った。

この後、男性は彼女のハートに火を着けることができたかどうか・・・私には定かではない。

別の日、別の現場。
マンションの玄関を開けると、いつもの腐乱臭。
プラス、何かが焦げたような臭いがミックスされて、何とも言えない不快な悪臭が漂っていた。

依頼者から、「汚染箇所はトイレ」と聞いていたので、ほとんど役に立たない簡易マスクを頼みの綱にして、私は迷わずトイレに向かった。
そして、躊躇うことなくドアを開けた。

「何?!・・・」
死因や現場の詳しい状況を聞かされてなかった私の目に、奇異な光景が飛び込んできた。

狭いトイレの床には、不気味な模様を浮かべた茶黒い元人間。
白い便器と赤黒い元人間とのコントラストが鮮烈。
いつものコレはいいとして、何よりもインパクトがあったのは、便器の傍らに置いてあったバーベキューコンロ。

「こんな所で、バーベキュー?・・・そんな訳ないか!」
コンロの上に網はなく、中の炭は不完全燃焼の状態の黒い塊で残っていた。

部屋の中でバーベキューをやる人も珍しいけど、トイレの中でバーベキューをやる人はまずいないはず。
故人が、一酸化炭素中毒による自殺を図ったこと、そして一人で死んで腐っていったことは誰が見ても明白だった。

何故だか、風呂やトイレの腐乱現場は、強いグロテスクさを感じる。
実際は、部屋での腐乱と大差ないのかもしれないけど、感覚的にそのスペースの狭さが悪臭と悪景観を濃縮させるのかもしれない。

私は、まず先にバーベキューコンロをトイレから運びだした。
故人が決死の覚悟で運び込んだものを、私が生きる糧として運び出す、何とも因果な対比を感じさせる作業だった。

「こんな使い方もあるもんなんだなぁ」
「準備するのに、結構な手間がかかっただろうな」
故人の死を痛む気持ちを持たず、この状況を一つの仕事として割り切っている自分に、人間の寂しい冷たさと人間が生きることの悲しい強さを見たような気がした。

「火事になったらどうすんだよ!」
「他人まで巻き添えにしかねなかったぞ!」
腐敗液にまみれた足元の容器を持ち上げて、私は憤った。
それは、着火用に使ったと思われるホワイトガソリンだった。
ここにも、他人の不幸も顧みない人間の寂しい冷たさと人間が死に向かうことの悲しい強さを見たような気がした。

その後の特掃作業自体は特記するようなこともなく、いつものようにベソをかきそうになりながら格闘するのみだった。

これから暖かい季節になると、私にとってのバーベキューシーズンがやってくる。
炭火も心の炎も、なかなかコントロールしにくいもの。

ま、焦がすのは魂くらいにして春夏を謳歌しようと思う。





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