特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

追憶の光

2016-06-10 07:17:21 | 特殊清掃

「死後、約一ヵ月余」
「汚れ具合はわからないけど、ニオイが酷くて入れない」
「とりあえず、中に入れるようにして欲しい」

依頼者は中年の女性。
亡くなったのは女性の叔母、つまり女性は故人の姪。
現場は、故人所有の一戸建。
遺体の処理は終わっており、あとは、その痕を始末するのみ。
境を狭く隣接した家屋はなく、メンタル的な部分を除けば、近隣に迷惑はかかっていないよう。
そして、亡くなって一ヵ月余も経っていれば、慌てる領域は越えている。
私は、気持ちが落ちつかなそうな女性に慌てる必要はないことを伝え、当日の夕方まで時間をもらい、現地調査に出向く約束をした。

人に頼られたときの私は、素の性質に似合わずパワフルになる。
依頼者が困った状況に遭い、自分が役に立てそうな場合は尚更。
自己を顕示するようで話でみっともないだけかもしれないけど、決して奇特な性格でもなければ、隣人愛を持っているわけでもないのに何となく張り切ってしまうのだ。
そんな私は、日中の作業を手早く片付け、予定より早く約束の現場へ向かった。

到着したのは、のどかな風景に佇む、少し古ぼけた感のある木造二階建の一軒家。
女性は、私より先に来ており、家の前に車をとめて待機。
私の車に気づくとそそくさと車を降り、私の車を敷地内に誘導。
そして、イヤなことをやらせることに罪悪感を覚えたのか、車を降りた私に、どっちが客なのかわからないくらいペコペコと頭を下げてくれた。
一方、そんな女性の心情を気の毒に思った私は、平然と受け答えし、あえて場に合わない笑顔を浮かべ、暗に“ドンマイ”という意思を示した。

故人には夫も子もおらず、身内らしい身内は女性くらい。
だからか、故人は女性のことを娘のように可愛がってくれ、若い頃、実母を亡くした女性もまた故人を母親のように慕っていた。
そんな故人は、生前から「少しは財産を残すから、自分が死んだ後のことはよろしくね」といった趣旨のことを言っていた。
だから、女性は、その義理に報いるべく、一度は家に入ることを試みたよう。
しかし、玄関を開けた途端に噴出してきた猛烈な悪臭に阻まれ、それ以上 前進することが叶わず。
結局、一歩も足を踏み入れることなく、後退したのだった。

私にとっては“いつものニオイ”ながら、確かに、悪臭は強烈だった。
ただ、それは、玄関に近いところで亡くなっていたせいでもあった。
が、どちらにしろ、素人には耐え難いニオイ。
女性が中に入れないのも当然といえば当然。
私は、専用マスクを装着して、遺体痕まで歩を進めた。

一ヶ月余が経過しているわりには、遺体痕は生々しく残っていた。
身体の型もクッキリ残り、頭があった部分には大量の毛髪も残留。
ウジ・ハエの発生はとっくに峠を越えていたが、その代わり、蛹殻とハエ死骸が広範囲に渡って無数に転がっていた。

汚染レベルはミドル級。
私にとっては、さして大変な作業ではない。
作業をやる前から、頭の中で、その段取りを組み立てることができ、更に、スムーズに痕が消えていく画まで思い浮かべることができた。

私の場合、原則として、死体現場の特掃作業は一人でやる。一人のほうがやりやすい。
心細さや不気味さを覚えることはあるけど、そんなものは、作業を始めてしまえば消えてなくなる。
そして、亡くなった人のことを想いながら、
「どんな人生だったんだろうな・・・」
等と思いを巡らせることがある。
更に、
「どんな人生でしたか?」
と、心の中で、故人に向かって訊ねるようなことがある。
もちろん、答は返ってこない。
ただ、それを問うことで、偶然に思える必然の摂理が与えてくれようとしている何かを掴もうとするのである。
深い事情を知らなかった私は、ここでもそんな単純な思いを巡らせながら、汚物と化した元肉体の痕を人の跡へと昇華させていった。


それから何日か後。
特殊清掃・消臭消毒作業も無事に完了し、女性が遺品をチェックできる環境が整った。
が、初回のトラウマもあり、女性は、「一人で家に入るのは心細い」という。
結局、私も一緒に遺品確認を手伝うことになり、女性とともに家に入った。
そして、死後処理や相続手続に必要な書類等の取捨選択をアシストした。

主だった貴重品類は事前に警察が持ち出して保管していた。
そして、先に女性に手渡されていた。
その中には、財布やカード類が入った故人愛用のバッグもあった。
女性は、その中から、小さな四角形を取り出し、
「こういうものは、どう処分したらいいんでしょうか・・・」
と、私に差し出した。
それは、手製風の布袋に入った箱のようなもの・・・手に取ってみると中を見ると、それは、あちらこちらで何度か見たことのあるモノ・・・人の“ヘソの緒”が入った木箱だった。
よく見ると、箱に貼られた紙には、氏名・生年月日・身長・体重などが明記。
それによると、どうやら、それは故人の息子のもののよう。
息子がいるのに死後処理を女性(姪)がやっていることを怪訝に思う私の心持ちが伝わったのか、女性は事の経緯を話し始めた。

故人は、今でいうシングルマザー。
世間の風当たりが強い中、一人息子を女手一つで育てた。
片親のハンデを息子に背負わせたくなくて、頑張って働き、教育にも注力。
それに応えるように息子も道を外すことなく勉学に励み、大学まで進学。
卒業後も大手の系列企業に就職し、安定した収入を元手に故人(母親)と共有名義で中古の一戸建を購入。
そして、親子二人、平穏な生活を送っていた。
しかし、悲劇は何の前ぶれもなく起こった。
ある年の梅雨の時季、車の事故で息子は突然に死去。
行年は20代後半、故人の死の十数年前の出来事だった。

母と息子、苦楽を共にし、二人三脚で歩いてきた人生。
その息子が、急にいなくなってしまったわけで・・・
どれほど悲しかったことか・・・
どれほど淋しかったことか・・・
どれほど辛かったことか・・・
周囲の人は、「後を追って自殺するんじゃないか?」と心配した。
が、そんな故人にどんな言葉をかければいいのか、どう接すればいいのかわからず、ただ、黙って見守るしかなかった。
しかし、故人の立ち直りは意外に早かった。
もちろん、“何事もなかったかのように”とはいかなかったけど、失われた息子の人生を取り戻そうとするかのように、その年の秋、息子の誕生日を過ぎた頃から、以前と人を異にしたような落ち着いた快活さをみせるようになり、とりあえず、周囲をホッとさせた。

先に亡くなった息子の部屋は二階の一番奥にあった。
部屋の主は、もう十数年前にいなくなったのに、人気のない冷たさはなし。
家具も家電も服も雑誌も仕事のモノも趣味のモノも部屋の装飾も、ほとんど生前そのままの様相。
“帰ってきてほしい”という想いの表れだったのか、それとも、遺品をも葬り去ることに抵抗があったのか、整理清掃が行き届いており、意図的に生前のままを保とうとした様子が伺え、少し切ないものがあった。


生まれて死んでいくは命の定め。
そして、生まれてきた順に死んでいくわけではない。
摂理と宿命には逆らえず、後先が逆になることもザラにある。
しかし、人は、生まれた順に死んでいくことが道理のように思ってしまう。
そして、これが理不尽なことに思え、大きな悲哀や怒りを生まれる。
それを平常心で受け入れることなんて、到底できない
人が生まれ死んでいくかぎり、悲しみは続いていく。
ただ、悲しみの中で生きる力が生まれることもある。
悲しみの中でこそ生まれる力がある。
そして、それは、一生に携えていくことができるのである。

故人が息子のヘソの緒を肌身につけるようになったのは、亡くなって間もない頃からだと思われた。
それで、悲しさや寂しさを紛らわそうとしたのだろう・・・
そして、自分を励まし、勇気づけようとしたのだろう・・・
子を胎に宿したときの喜び、産んだときの幸せ、幼少期の愛らしさ、その後の苦楽等々・・・小さな木箱に たくさんの想い出を詰め込んで、その光を携え、悲しみや寂しさに立ち向かって精一杯生きたのだろう・・・
息子を亡くしてからの十数年、故人は一人で生活してはいたけど、一人で生きていたのではないと私は思った。


私は、故人が抱いた喜びや悲しみに想いを巡らせ、同時に、人間が抱える宿命的な喜びや悲しみにも想いを巡らせた。
そして、人生の半分以上を死体業に携わり、数多くの先逝人と会ってきたこれまでの年月に立ち戻りながら、「人は死んでも、残された人の心の中で生き続ける」という、誰でも言うよな、どこででも聞くようなありきたりの言葉を自分のものにして、たまにそれを思い出しては自分を静かに励ましているのである。


公開コメント版

特殊清掃についてのお問い合わせは
特殊清掃プロセンター
0120-74-4949
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水無月の空

2016-06-06 08:47:51 | 特殊清掃
立ち止まってみれば、もう六月。
前回更新から、「あれよあれよ」と言う間に一ヶ月半が経ってしまった。
その間、相も変わらず私は現場を走り回っていた。
遺品処理、腐乱死体現場の始末、便所掃除、汚腐呂掃除、殺人事件現場の始末、ゴミの片付け、動物死骸処理etc・・・
“フツーの人間じゃない”と思わるのがイヤで、フツーの人はやらないフツーじゃない仕事をフツーの人間のフリをしてこなしていた。

晩春から初秋にかけてブログ更新が停滞するのは近年の傾向。
遊び呆けているわけでも、ケガや病気等で書けないわけでもないことは前述の通り。
(仮に、私が死んでしまって更新できない場合は、ブログ管理人が何らかの告知をするだろう。)
そうは言っても、ボロボロになるほどの重労働が続いているわけではない。
休みは少ないけど、体力も精神力も余力を残している。
それでも、この時季の私には、ブログを書くことより休養することの方が必要。
やがてくる残酷な夏に備えて、心身を整えておかなければならないのだ。
ま、とにもかくにも、「音沙汰ないのは達者な証拠」と思ってもらうしかない。

ただ、「休養」ったって、趣味らしい趣味を持っているわけでもないし、そんなことをやっている余裕もない。
とりあえず、一日の仕事が終わるとさっさと家に帰って、ゆっくり過ごすだけのこと。
休肝日にしていない日は、のんびり晩酌。
ビール・ウィスキー・チューハイの順で流していく。
面白いことに、今、飲んでいる酒はすべて頂きモノ。
もちろん、周囲に無心しているわけではないけど、なくなりそうになると、タイミングよく誰かがくれるのである。
だから、自分で買うのは、ハイボール用の炭酸水くらい。
ある種、図々しいような、ありがたい話である。

だいたいのパターンは、まずビールを350ml飲んで、次にハイボールを1ℓ余飲んで、最後にチューハイを350ml飲んで、それでおしまい。
これで、ホロ酔い・・・いい感じにできあがる。
酔いがまわってくるともっと飲みたくなるのだけど、これ以上飲むと翌朝不快感が残る。
それがわかっているから、そこでやめておく(少しは成長した)。
そうして、ちょっとヨロヨロしながら布団に入るのである。

就寝時刻は、とても早い。
まるで子供、もしくは老人・・・九時台に布団に入ることも珍しくない。
そして、翌朝の憂鬱を考えないようにしながら眼を閉じるのである。
しかし、このところ、不眠症が酷くて早朝(夜中)に目が醒めて、それ以降、寝付けなくなることもしばしば。
そういう時は、自分の“死”ばかりが頭を過ぎる。
「俺、死ぬんだよなぁ・・・」「そのうち、この世界とサヨナラするんだなぁ・・・」と、不思議な感覚に包まれる。
しかし、物思いにふけってばかりもいられない。
ダラダラと横になっているのは時間の無駄のような気がして、結局、早朝から起きだして、早々と仕事に出掛けるのである。

昨秋から日課にしていたウォーキングも、先日まで調子よく続けていた。
「続けていた」と過去形で書くのには理由がある。
左の股関節が不具合を起こしてしまい、数日間、普通に歩行することが困難になったのだ。
前々から、ウォーキング中に股間接がズレるような違和感を覚えることがあったけど、痛みをともなったわけでもなく、更に、頻繁に起こることでなかったので気にしないで放っておいた。
ところが、二週間余前のウォーキング中、急に痛みがではじめ、その痛みは歩けば歩くほど深刻なものに。
早い段階で歩くのを中止すればよかったのに、変なところに几帳面な性格が災いし、我慢しながら決めた距離を歩ききってしまったが故に症状は悪化。
結局、その時から数日間、股関節の痛みと違和感が続き、日課のウォーキングは中断せざるをえないハメになってしまった。

それからは、できるかぎり安静に。
歩かないでは仕事も生活も成り立たない中で、歩行は必要最小限にとどめ、なるべくゆっくり歩幅を小さく歩くよう心がけた。
そうして様子をみていると、幸いなことに、日に日に痛みも違和感もおさまっていった。
が、私は、ここで学習。
ウォーキングって健康にいいイメージばかりがあるけど、“歩き過ぎ”は逆によくないらしく、これまで6~7kmを目処にしていた歩行距離を3~4kmに短縮することに。
そうして三日前からウォーキング再開。
今のところ、問題は起こっていないから、これで、しばらく様子をみていこうと思っている。

「不具合」と言えば、持病?の胸痛もある。
もう十数年の付き合いになるけど、たまに原因不明の胸痛に襲われるのだ。
胃カメラをのんでも、レントゲンを撮っても、心電図をとっても、原因はわからず。
ただ、慣れたもので?数分前から現れる前兆で、痛みがでることが予測(覚悟)できる。
だから、慌てることはなくなった。
が、コレといった対処策もないので、痛みが自然におさまるまで耐えるしかない。
平均すると30分~1時間程度だろうか、その間は結構なツラさがある。
多くは普段の姿勢でやり過ごすことができるけど、酷いときは、息をすることも忘れ、胸を抱えてうずくまってしまうこともある。
そして、「このまま死んじゃったりして・・・」なんて、一抹の不安が過ぎるである。


身体の調子はそんなところ。
一方の精神は、相変わらず、些細なことで一喜一憂。
定まらない空模様のように不安定。
雨も降れば雪も降る。
風も吹けば雷も鳴る。
もちろん、晴れることもある。
ただ、雲が切れることはない。
私の気分には常に雲がかかっている。
「後悔」「不満」「不安」という雲が。

雲の原因は色んなところにある。
自分以外に原因を探したくなる。
しかし、究極的には、それは社会にでも他人にでもなく、自分にある。
そして、
「人生、その気になれば、いつでもやり直すことができる」
とは言えない一面がある。
「人生はやり直せない・・・」
引き返せない一方通行の人生にあって、つくづく、そう思う。
また、どんなに頑張っても、人生には、思い通りにならないこともある。
いや・・・「思い通りにならないことだらけ」と言っても過言ではない。
人生には、悲しくも厳しい現実があるのである。

しかし、諦めることはない。
人は、やり直せなくても、変わることはできる。
中身のない価値観を捨て、鈍い感性を磨き、モノの見方や考え方の偏りを修正し、一時的な感情や自己中心的な感傷を自らが支配することができる。
そして、もうちょっと努力できる自分、もうちょっと忍耐できる自分、もうちょっと挑戦できる自分に変わることができる。
また、思い通りにならなくても、思いを持ち続けることはできる。
無意識のうちに湧いてくる後悔・不満・不安を抑え、感謝・喜び・希望を見い出すことができる。
その戦いは、人生に必要な薬味。
幸福快楽のみでは幸福快楽そのものが成り立たない。
人生を大きく晴れ渡らせることはできないかもしれないけど、一日一日にある晴れ間を見つけることはできるのである。


入梅の報は昨日、真夏の酷暑もすぐそこに来ている。
毎年のことだけど、夏の仕事は一段とキツい!!
凄惨な現場や体力が要る現場では、精根奪われ、自分自身が用なしのボロ雑巾のようになる。
これでまだ若ければ凛とした張りをみせることができるのかもしれないけど、私はもう、相当にくたびれたポンコツ親父。
「冴えない」というか、「情けない」というか、「不憫」というか・・・
それを思うと気が重い・・・考えただけでも生気が失せる。
更に、その先のことを考えると、もう気分は真っ暗。
不安感を通り越して、恐怖感すら覚えてくる。

「もっと楽に生きられる方法はないものか・・・」
頭は、そんな風なことばかりに囚われる。
が、とにかく・・・とにかく、今、目の前のことを頑張るしかない。
自分が生かされている道なのだから。
そして、その時 その時を大切に、その真味しっかり味わうしかない。
せっかくの人生なのだから。

もちろん、それで未来が開けるかどうかはわからない。
わからないから、信じることができない。
それも私(人)の限界・・・あとは期待するしかない。
ただ、人の薄慮に動かされることなく、雲の向こうには青空が存在する。
どんなに厚い雲が自分を覆っているとしても、その向こうには爽快な晴天が広がっている。

水無月の曇空の下、肉の眼には見えない晴天を心の眼で追いながら、私は、今日も生きるための涙汗を流すのである。



公開コメント版

特殊清掃についてのお問い合わせは
特殊清掃プロセンター
0120-74-4949
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする