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特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

再会

2025-04-25 06:00:00 | 特殊清掃
今月から再開したBlog「特殊清掃 戦う男たち」
これまでも、業務に追われて2~3カ月くらいの空白期間が生じたことはあったけど、この度はフェードアウトした後に完全休止となり、その期間は実に21カ月。
それでも、まるで何事もなかったかのようにシレっと復活。
「今回の投稿は過去記事の再投稿(トラックバック)ではなく新規投稿だよ」ということは、前々回「不知の病」での書き出しを「2025年春」として、それとなく匂わせたのみ。
しかし、たったその一言だけでは、読み手は困惑するかもしれないと思い直し、今回、あらためて再開(人によっては再会)の挨拶くらいはしておこうと考えた次第。

久しぶりの登場で、「初代特掃隊長は引退して(死んで)、コイツは二代目特掃隊長?」と思った人がいるかもしれない。
また、「ヒューマンケア社のBlogは複数人が書いている?」と訊いてきた人もいた。
過去には、「ゴーストライターがいるのでは?」と疑われたこともある。

しかし、今も昔も「特掃隊長」は一人。
2006年の初回から今回に至るまで、一人の人間、私一人で書いている(誤字脱字はご愛嬌)。
700投稿を越えている中で、他人の字は一文字も入っていない(ことわざ・慣用句や他人の名言等を、それとして用いることはあったけど)。
そもそも、ゴーストライター(プロライター)なら、こんなコッテリした文章ではなく、もっとスマートな文章を書くだろう。

加齢にともない、モノの考え方や価値観に多少の変化が生じているかもしれないけど、基本的なスタンスは今まで通り。
ただ、再開するにあたって、新鮮味が欲しかったので多少のリニューアルを加えてみた。
言うなれば、パチンコ屋の新装開店みたいな感じ(パチンコやらないけど)。
まず、リアリティーを増すため自社の施工事例とリンクさせることにし、Blog末尾にリンクボタン「ヒューマンケアの事例紹介」を設けた(興味のある人はどうぞ)。

あと、非公開にしていたコメント欄を公開することに。
更に、それらに返信することにしようかどうか、只今 思案中。
これまで、コメントに返信しない理由・事情をBlog記事で伝えたことや、捨て置くと投稿者に害が及びそうなコメントに対してはBlog記事をもって返事をしたことがあったが、コメント欄で直接的に“キャッチボール”したことは一度もない。
だからこそ、新たな試みで、「コメントに返信するようにしたら面白いかも」と考えているのだ。

その目的は・・・
「それぞれの人生を戦う同志として仲間になるため」
と言えば美しくおさまるか。
が、仕事と人間は人並み以下のクセに、自己顕示欲と承認欲求は人並み以上の私。
その腹を割ってみれば・・・
「せっかく書くからには、一人でも多くの人に読んでもらいたい」
「Blogに訪れてくれた人はそのまま安定した読者になってほしい」
といった下心が見え隠れする。
つまるところ、打算を働かせているわけ。

しかし、そこで疑問(不安)が浮上。
「返信する人と返信しない人、差別的な扱いはマズイ?」
「答えたくないことを訊かれたら?」
「批判や誹謗中傷にはどう反応すべき?」
「返信することにリスクはある?」
LINE・X・Instagram等々、SNSの類を一切やらない私は、そういう経験・知識・技術がなく、マナーも知らない。
下手をしたら顰蹙を買ってしまって、逆に、読者獲得どころが読者離れを引き起こすおそれもあるのだ。

更に、そこで一考。
すると、教えを乞うのが手っ取り早いことに気がついた。
ついては、私のコメント返信の要否についての意見はもとより、コメント欄の上手な運用方法・・・返信する場合のうまいやり方やアドバイス、成功例や失敗談を、これを読んでくれている貴方に書き込んでもらいたい。
それで、よく勉強させてもらい、熟考し、どうするか決めようと思うので。
(これで一ッつもコメント入らなかったら、“ウ〇コ男”の格が上がるか)



出向いた現場は、東京に比べれば人の少ない首都圏某市の住宅地に建つ1Kアパート。
築古で相応の劣化はあったものの、軽量鉄骨造りでボロさは感じられず。
最寄りの駅から近くはなかったが、歩けない距離ではなし。
駅の方へ行けば店も多く、少し賑やかな街が開けていたが、アパート周辺は閑静そのもの。
大きな不便もなく、落ち着いて生活できる環境だった。

そのアパートの一階の一室で住人が孤独死。
発見は遅れ、遺体は腐敗。
それなりの汚染・悪臭が発生し、多くのウジ・ハエも湧いていた。
床には、故人の最期の姿勢がわかるくらいの痕が残っており、私の基準では“ミドル級”。
ただ、事前に伝えられた死後経過日数から想像していたレベルに比べれば軽いものだった。

汚染はミドル級であっても、遺体系汚物の多くはカーペットや布団がキャッチ。
その下の床材も、防水性の高いクッションフロア(CF)で、浸透腐食もほぼなし。
作業としては「特殊清掃」というより「汚物処理」といった方がシックリくる感じ。
遺体のカタチがわかるくらいの汚染ではあったものの、肉体的にも精神的にもハードなものにはならず。
その他の部分についても、男の一人暮らしの割には整然としていた。
家財は少なくはなかったが、それなりに整理整頓され、掃除を適宜していたのだろう、汚くなりがちな水廻りもきれいに保たれていた。

亡くなったのは初老の男性。
家族関係がこじれた過去なんて、大なり小なり誰にでもあるもので、男性に身寄りらしい身寄りはなし。
依頼してきたのは、何度か一緒に仕事をしたことがあるアパートの管理会社。
連帯保証人は保証会社が担っており、故人も大家も“孤独死保険”には入っておらず。
したがって、原状回復にかかる一連の費用は、大半、大家が負担せざるを得ない状況。
しかし、大家は、切らなければならない身銭を少しでも減らしたいよう。
孤独死は、不動産運用のリスクとして充分に考えられる事象で、頭ではそれがわかっていても、実際に自分の身に降りかかってみると、到底納得できないのだろう。
管理会社に「親族探索の手掛かりになるモノがあったら取り分けておくように」と要請。
担当者は、そんな大家と事故部屋の板挟みになって困っているようだった。


職務であるから、警察は故人の縁者探索に手を尽くしたはずだったが、結局、見つけられなかったよう。
そもそも、プロ(警察)が見つけられないものをアマ(管理会社)が見つけられるはずはない。
仮に見つけることができても、連帯保証人でない以上、相続放棄されたらそれまで。
故人は借金こそあれ、財産らしい財産はなかったはずで、ましてや、何十年も絶縁していれば相続を放棄するに決まっている(決めつけてはいけないが)。
結局のところ、「躍起になって血縁者を探しても無駄!」ということ。
その理屈を知ってか知らずか、担当者は、
「手がかりになるようなモノがあったら分別してほしい」
という。
私は、“そんなことしても無駄なんだけどなぁ・・”と思いながらも、大家が機嫌を損ねることを心配している担当者の気持ちを汲んで、できるかぎり協力することに。
ともない、故人のプライバシーを覗き込むことが一業務になった。
ただ、例によって、いつまでたっても調教が終わらない野次馬が発走。
後ろを追ってきたかと思ったら、すぐに追いつき 野蛮丸出しの軽足で抜き去っていった。


遺品を丁寧にチェックしていくと、色々なことが表にでてきた。
詳しい年齢は70代前半。
仕事は非正規の肉体労働、晩年は病気を患って入院。
ただ、経済的に困窮していたらしく、入院治療費が払えなかったよう。
当然、病院だって商売。
代金を取りっぱぐれるわけにはいかない。
通常、入院に際しては、治療費清算について保証人を立てさせる病院が多いと思うが、そこのところを故人がどう処理したのかは不明。
当人に督促状がきていることを考えると、保証人を求められなかった可能性もあるか・・・
とにかく、払わなければならないお金を払わなかったのは事実で、督促状には分割払い誓約書・支払い計画書が同封されていた。
私には、故人が生活保護受給の対象となり得る境遇のように思えたが、それを申請または受給しているような形跡はなく、何とも切ないものを感じた。

遺品の中に、一つの箱があった。
菓子の空箱で、中には子供の字で書かれた何通もの手紙と、何枚かの幼い絵がしまわれていた。
かつて、故人は、妻と娘 三人家族の夫・父親であった時代があったよう。
まだ一緒にいる頃に描かれたものだろう、三人が仲良く笑っている姿を色鉛筆で彩った絵もあった。
そして、順序よく重ねられた手紙からは、故人は娘が小学生の頃に妻と離婚し、娘は妻が引き取っていったことが伺えた。
手紙の多くは、「お年玉ありがとう」「誕生日プレゼントありがとう」の言葉に、ちょっとした近況報告を加えたシンプルなもの。
忘れないように故人が記したのだろう、手紙や絵の隅には受け取った年月日と、そのときの娘の年齢・学年が記されていた。

それらは、古いモノから新しいモノへ、時系列に重ねられていた。
一番上のあったのが最も新しいもので、そして、それが最後の手紙。
それは娘が中学二年のときのもの。
そこには、まだ幼さが残る字で
「お父さん たまには二人で会いませんか?」
と書いてあった。
“二人で”というところは父への親しみが、“会いませんか?”という敬語には成長が見て取れた。
また、“たまには”と書いてあったところをみると、別離してから何度かは顔を合わせたことがあったのかもしれなかった。
とにかく、娘の方から“会おう”と誘ってくれていたのだ。
結局、そのとき二人は会うことができなのかどうかはわからない。
でも、これを受け取った故人は喜んだに違いなかった。


過ぎた年月を計算すると、娘は四十路を越えている。
夫や子がいて、良妻賢母(時々は悪妻愚母=それが人間)として、日々の生活に追われながらも、ささやかな幸せと楽しさを味わいながら人生を謳歌しているかもしれなかった。
ただ、私は、そんな空想に平安を覚えながらも、二つのことが引っかかっていた。

一つ目は小さな引っかかりで、手紙が途切れた時期がやけに早いこと。
故人は、娘へのお年玉と誕生日プレゼントを中三以降も毎年欠かさなかっただろう。
にも関わらず、娘からの手紙は中学二年のときが最後。
ただ、成長して気軽に会えるようになったため、娘は手紙を出す必要がなくなったのかもしれなかった。
また、元妻が再婚して、お年玉等を送りにくくなったり、娘が母と義父に忖度して故人との距離を空けたりした可能性、はたまた、困窮のすえ娘との縁を保つことができなくなった等、色々な考えがグルグルと廻った。

二つ目の引っかかりは大きく、それは、「警察が探しても親族が見つからなかった」ということ。
もちろん、元妻は相続人ではなく親族・血縁者にも含まれない。
しかし、直径卑属である娘は、離れていても法定相続人である。
故人の戸籍をたどれば、探し出すのはそんなに難しくないはず。
それでも、警察は見つけることができなかった・・・
私の想像は、「戸籍や住民票を捨てて逃避生活をしてる?」から始まり、「もしかして、もう亡くなってる?」というところにも至った。


最終的に、肉親の手掛かりになるようなもので見つかったのは娘からの手紙だけ。
差出人の住所は記載されておらず、わかるのは名前と年齢だけ。
あって当然と思われた写真は一枚もなかった。
頼まれて約束した業務とはいえ、それを管理会社に引き渡すのは抵抗があった。
故人が宝物にしていたに違いなかったから、大切な生きる糧だったのだろうから。
プラス、引き渡したところで、大家や管理会社にとって何の役にも立たないはずだったから。

「さてさて、どうしようかな・・・」
本来なら、柩に入れて故人と共に弔いたいところ。
もしくは、父親(故人)の愛情の証として娘に届けたいところ。
しかし、葬送は行政に委ねられており、遺体は保管中なのか荼毘に付された後なのか、特掃屋の私には知る術なし。
また、娘の所在も、存命しているかどうかさえもわからない。
管理会社に引き渡すか、持ち帰って供養処分するか、選択肢はそのどちらか。
どちらにしろ、管理会社が、手紙を手掛かりに娘を探し出せるとは思えず。
しかし、業務上の約束は約束。
悩んだ末、管理会社に引き渡すことにした。

特殊清掃・遺品整理・消臭消毒、一連の作業の最終日、私と担当者は現地で合流。
部屋を内見しながら作業の成果を確認してもらい、預かっていた鍵と分別品を担当者に引き渡した。
「どうも、別れた奥さんとの間に娘さんがいたみたいですよ」
そう伝えると、“手がかりGet!”と思ったのか、担当者は、にわかに表情を明るくした。
どうも、肉親探しについて皮算用したよう・・・それがすぐに頓挫することは火を見るよりも明らかなのに・・・
手紙が冷淡に捨てられることに淋しさを覚えた私は、
「不要になったら回収に伺いますから遠慮なく連絡ください」
と、一言つけ加えてその場を後にした。
ただ、その後、その手紙が手元の戻ってくることはなかった。


困窮・疾病・孤独・・・他人(私)の目には、故人の人生の終盤は過酷に映った。
歳を重ねるにつれ人生が上向いていったとは考えにくく、むしろ、実際はその逆だったように思われた。
表面上の事象だけをみて故人を憐れむのは慎まなければならないけど、そんな人生には失敗もあり後悔もあっただろう。
この私もそう、重なる部分が多い。
だからこそ、娘からのささやかな言葉を大切にし、それを生涯の宝物にしていた故人の想いがわかるような気がした。

下衆の勘繰りに際限はない。
想像なんていくらでもできる。
フツーなら、「娘は、どこかで幸せに暮らしている」と考えるだろう。
ただ、食べ頃を逃した古漬のように、ドップリ“死”に浸かって生きてきた私の頭には、
「もう亡くなってる?」
「しかも、若くして・・・大人になる前に・・・」、
と、そんな想像ばかりが巡り、それを打ち消そうとすればするほど、その想いは自分の中で現実味を帯びてきて、溜息がこぼれるくらいの心寂しさが全身を覆ってきた。

故人だけでなく、私自身も淋しい人間。
「娘も亡くなったとしたら、とっくに天国で再会してるか・・・」
外から覆ってくる淋しさと、内から滲み出る淋しさを紛らわすため、私は、自分勝手につじつまを合わせたのだった。

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苦楽すメイト

2025-04-15 06:00:00 | 特殊清掃
この春、小中高大、新入生として新たな学校生活をスタートさせた若者も多いだろう。
桜花の賑わいが過ぎ、ぼちぼち友達も増えてきている頃か。
今は、SNSで文字をやりとりするだけ、素顔や素性を知らない相手とでも友達になれる時代。
コミュニケーションツールは顔を合わせての会話や固定電話・手紙くらいしかなかった我々の時代に比べると、友達をつくるのは難しくなさそう。
私も、この時代に青春があったら、生涯の友達に出会えたかもしれないか。

そんな孤独男にも、小学校・中学校・高校・大学、それぞれにクラスメイトがいた。
そして、人付き合いが下手ながらも「友人」と呼べる者が何人かいた。
が、卒業と同時に、または卒業から程なくして その縁は切れた。
誰ともトラブルがあったわけでもないのだが、「お見事!」と言ってもいいくらいの絶縁ぶりで”プッツリ!“と。
また、携帯電話のない時代だったから、切れた後の復縁も難しかった。
で、小中高大、私は、これまで同窓会というものに参加したことが一度もない。
若い頃は、何度か案内状が届いたこともあったが、今はもう、そんなものは届かない。
時々は、「みんな、いい歳になって、苦楽しながらどこかで生きてるんだろうな・・・」と思い出すこともあるし、「死んじゃったヤツもいるかもな・・・」と職業病的な思いが浮かぶこともある。
それでも、「旧友に会いたい」といった思いはないし、「参加しとけばよかった」といった後悔もない。

「“同窓会”っていうのは、うまくいっているヤツしか行かないもの」
かつて、進学校に通っていた兄が私にそう言ったことがある。
兄は、愛校精神が強く、開催される高校の同窓会にはほとんど参加しているよう。
その実体験として、社会的・経済的・職業的・身体的にネガティブな状態、または自慢できない状態にある者は参加しないパターンが多いと感じているそう。
それを聞いた私は、「核心を突いた名言かも」と至極納得した。

私は、大学は三流だし、引きこもりをした挙句に就いたのは、ブログで散々“自慢”している死体業。
正しく自慢できることも、褒めてもらえそうなことも、感心してもらえそうなことも何もない。
“負け組”にいるから欠席・・・「その虚栄心が同窓会をスルーしてきた一因」と指摘されても否定しきれない。
仮に、自分が“勝ち組”にいたら、自慢話を楽しみにイソイソと出かけて行ったかもしれず、「勝っても負けても、どちらにしても俺はつまらない人間なんだな・・・」と、今更ながらに苦笑いしている。



訪れた現場は、街中に建つ古いアパート。
間取りは1DK。
その台所で、住人の高齢男性が孤独死。
発見は遅れて遺体は腐敗し、玄関に近いこともあって異臭が外へ漏洩。
それがキッカケで異変は明るみになった。

遺体汚染は、玄関を入ってすぐのところの台所床に残留。
警察が遺体を運び出す際に周囲のゴミが混ざったのか、履物が汚れないよう意図的に遺体汚染をゴミで覆ったのか、私が出向いたとき、遺体痕はゴミに混ざっているような状態。
ゴミの下から現れた汚染は、ライト級からミドル級。
床材のクッションフロア(CF)だったので、特殊清掃の難易度も低めを想像。
奥に進んだ部屋も半ゴミ部屋の状態。
故人が、このアパートに入居したキッカケは生活保護受給。
以前は、広い持ち家にでも暮らしていたのだろうか、この手狭な古アパートへ引っ越すに際してもモノが捨て切れなかったのだろう、六畳一間に大量の家財が押し込まれていた。

依頼してきたのは、アパートの管理会社。
故人は生活保護受給者で、賃貸借契約に保証人はおらず。
近しい血縁者もなく、やっと見つかった親族もすべてを放棄。
特殊清掃・消臭消毒・家財処分、その後の内装改修工事まで、すべて大家が負担せざるをえない状況。
で、「なるべく安く」という管理会社の要望のもと、当社は特殊清掃・家財処分・消臭消毒を請け負い、受け取る遺族がいないとほぼ無駄になる遺品整理をサービスで行った。

→※参照「生活保護受給者の孤独死とヒューマンケア」
https://www.humancare.jp/faq/faq_16052/  


前述の想定通り、遺体汚染は軽くいなすことができた。
ゴミについても、ヘビー級のゴミ部屋ではなし。
家財大量とはいえ所詮は1DK、しかも一階。
作業を進める上で大きな障害はなく、また、想定外の事態が起きることもなく、日常的な労力と知恵を供せば充分な状況で、行った作業だけ見ると、特に記憶に刻まれるような現場ではなかった。

ただ一点、心に残ったことがあった・・・

このアパート、道路に面した壁に全室の集合ポストが設置されていた。
小さな南京錠をつけている部屋もあったが、基本的に鍵はなく、誰でも開けられるステンレス製ポスト。
故人室のポストも鍵はついておらず、誰でも自由に開けられる状態。
長い間放置されていたせいで、中には、郵便物だけでなく多くのチラシ類がギッシリ詰め込まれていた。
それらも片付けの対象物なので、私は、無造作に掻き出して一旦地面に落とした。
そして、重要書類や管理会社や大家に引き渡した方がよさそうなモノがあるかもしれなかったので、それ一通一通・一枚一枚をチェック。
ただ、見たところ、ほとんどは不要なチラシ・DMの類。
あとは、公共料金の請求書や明細書、死人の役には立たない行政関係の書類等、家財同様、ゴミになるしかないものばかりだった。

その中に一枚、ちょっと気になるモノが混ざっていた。
それは往復ハガキで、旧友(級友)から送られてきた同窓会の案内状。
発送地は北海道、発送者は同窓会の幹事、中学時代の同級生のよう。
ポストに留まっていたところをみると、案内状が届いたのは死去後。
つまり、故人は、それを知らないまま逝ったことになる。

どちらにしろ、北海道への旅には結構な費用がかかる。
生活保護を受給するようになるまでには相応の苦楽があったはずで、受給開始後も慎ましい生活を余儀なくされていたはず(制度の性質を考えると当然のことではあるが)。
そんな実状を考えると、近年、故人は欠席を続けており、将来にわたっても出席の期待を持っていなかったように思えた。
ただ、「そろそろ案内が届く頃だな・・・」と、例え出席が叶わないにしても、故郷の風景や旧友の情を胸に抱き、ひとときでも孤独を忘れることができたかもしれない。
また、このアパートにハガキが届いているということは、転居してきた際、幹事に新住所を知らせたということでもあり、それは同窓と繋がっていたかった意思の表れでもある。
故人は、生活保護受給者になった自分を卑下するようなことがあったかもしれないが、私のような、つまらない虚栄心が捨てられない人間ではなかったように思えた。

内容は、ごく一般的なもの。
同窓会の開催日時と会場、そして、それへの出欠返信を求めるもの。
ただ、そのハガキには、例年にはないはずの付記があった。
それは、「同窓会は今回で最後にする」というもの。
「皆が八十をとっくに越え、病を得る人や亡くなる人が増えてきて、出席者は減る一方」
「自分(幹事)も世話をするのが大変になってきた」
「“この辺りが潮時”という考えに至った」
長年、苦楽を分かち合ってきた友との会を終わりにする・・・
そこには、現実の事情と悩める心情がしたためられており、抗えない淋しさが滲み出ていた。

そんなハガキを手にしていると、得も知れる切なさと淋しさを覚え、同時に色々な想いが駆け巡った。
“このままスルーしようか・・・”
“代筆を明かしたうえで”欠席”に印をつけて出そうか・・・
“故人の死去を知らせた方がいいだろうか・・・“
“死の報は、最終会の盛り上がりに水を差すことにならないだろうか・・・”
“管理会社に判断を委ねようか・・・”
自分の中で質疑応答が錯綜し、自分の考えが自分の考えでないような迷いの渦にハマっていった。

故人の遺志も察しようとした。
“故人はどうしてほしいだろうか・・・”
“このままスルーしてほしいだろうか・・・”
“欠席を伝えてほしいだろうか・・・”
“亡くなったことを知らせてほしいだろうか・・・”
答を一つに絞れるわけはない。

最終的に、私は、
「自分が故人の立場だったら、どうしてほしいだろうか・・・」
と自身に問うてみた。
旧友との縁もなく同窓会というものに出たことがない私は考えあぐねたが、結局、
「友に不義理なことはしたくないので、死んだことは伝えてほしいかな・・・」
という考えに至った。
そして、ハガキを左手に持ち、ボールペンを右手に握った。
すると、自分の行いが知恵のある善行のように感じられて、善人になったような気分が私を包んできた。
ただ、それは妙な満足感で、気持ち的な居心地の悪さがあり、長くは続かず。
そのうちに、「親切を押し売っての自画自賛?」、「“故人のため”という名の自己満足?」と、心中で警鐘が鳴りはじめ、同時に、自分がやろうとしていることが余計なお節介のような気がしてならなくなってきた。

仮に、故人が生きていたとしても、もう来年の同窓会は開かれない。
また、疎遠や死別によって誰との縁も自然に薄らぎ消えていく。
「この電話番号は只今使われておりません」のアナウンスによって、いずれ故人の死は悟り知られるかもしれない。
私が、ない頭をギュウギュウ絞ってしゃしゃり出なくても、自然の成りゆきに任せておけば自然に片付く。
どこに故人の尊厳を置くか、何をもって故人に対する礼儀とするか、いくつもの正解がある中で、私の考えはそういうところに落ち着いた。


同窓会は、予定通り開かれるだろう・・・
「最終会」ということで例年より多くの友が集まり、例年より盛り上がるかもしれない・・・
想い出話にも一層の花が咲くかもしれない・・・
ひょっとしたら、連絡のない故人のことが話題に上るかもしれない・・・
私は、そんなことに想いを馳せながら、故人の柩に納めるかのような心持ちでハガキをそっとゴミ袋に入れたのだった。

コメント (1)
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不知の病

2025-04-05 09:07:58 | ゴミ屋敷 ゴミ部屋 片づけ
2025年春、花の季節。
桜が明るい話題を振りまいてくれている一方で、スギ・ヒノキは辛い花粉を振りまいている。
ニュースは「例年に比べて飛散量が多い」と伝えているが、毎年、同じことを言われているような気がする。
となると、年々、増加の一途をたどっているということか。
眼の痒み、クシャミ・鼻水・鼻づまり等、患っている皆さんは なかなかツラそう。
自然に治癒する可能性はゼロに等しいそうで、医療をもってしても治すのは難しいらしい。
ある種、「不治の病」とも言えるのだろうか。
幸い、今現在、私自身に花粉症の自覚はない
ただ、時々、目蓋(まぶた)の淵がピリピリすることはある(花粉とは関係ないかもしれないけど)。
何をどう気をつけるべきなのかわからないけど、罹患発症するリスクは誰もが持っているそうなので油断はできない。
できることなら、このまま花粉症とは無縁でいたいものである。



訪れた現場は、住宅密集地に建つ一軒のアパート。
「築浅」というほど新しくもなければ、「築古」と言うほど古くもなし。
外観的には築十五年といったところか、細かなゴミが溜まったりしがちな共用部はきれいな状態を保持。
こういうところからも、管理会社の仕事ぶりはわかるもの。
日々の管理業務がキチンと行われていることが伺えた。

目的の部屋は一階の端、オシャレな出窓がついた部屋。
「そこがゴミ部屋になっている」とのこと。
仕事の依頼者は、旧知であるアパートの管理会社。
ある日の朝、私は管理会社の担当者と現地で待ち合わせ。
「居住者とは話がついている」とのことで、そのまま部屋に入り、できるだけのゴミを片付ける算段になっていた。

ゴミ問題が発覚して以降、管理会社と居住者の関係はキナ臭いものに。
で、担当者は、やや緊張の面持ち。
入居者と約束した時刻ピッタリに部屋のインターフォンをPush
しかし、中から反応はなし。
しばらくして、もう一度インターフォンをPush
しかし、またしても反応はなし。
担当者は慌てて居住者の携帯へ電話。
ただ、ここも応答なし。
「またやられたか?・・・」
それまでにも、何度か面談交渉の約束を反故にされたことがある担当者の顔色は焦りから怒りへと変化。
拳を固めたかと思うと、居住者を殴るかのようにゴン!ゴン!と強くドアを叩き始めた。

すると、にわかに中から物音が。
程なくしてドアが開き、居住者の男性がヌ~っと顔を覗かせてきた。
失礼な言い方になるが、男性は、ボロを纏ったホームレスのような風貌。
肌も日焼けとは違う脂っぽい褐色。
インターフォンは故障し、携帯は着信音量を下げていたため気づかなかったよう。
意図して無視していたわけではないようだったが、業者(私)の面前で出鼻を挫かれたかたちとなった担当者は、
「業者さんを連れてきました!」
「約束ですから、やらせてもらいますよ!」
と、ややケンカ腰。
その圧に押された男性は、気が進まなそうにしながらもドアを大きく開け、我々が中を覗きやすくするため壁際に身を避けた。
間取りは1K、奥まで途切れなく重症のゴミ部屋になっていることは足を踏み入れるまでもなく分かった。

発覚のキッカケは、アパートの他住人からの通報。
もともと、カーテンはずっと閉めっぱなしで、それだけでも怪しかったのだが、そのカーテンも次第に汚れ破れてきて薄気味悪ささえ漂わせるようになっていた。
そんな中でのある時、出窓から部屋の中が垣間見える状態になったことがあった。
驚いた住人は、すぐさま管理会社へ連絡。
確認要請を受けた管理会社も動かないわけにはいかず、男性に連絡をとり、部屋の状況を質問。
のらりくらりと回答をはぐらかす男性からは不審なニオイがプンプンし、直接確認を要請。
一方の男性は、仕事での不在を理由にして内見を頑なに拒否。
その態度は、ゴミを溜めていることを自ら白状しているのと同じことで、管理会社は立ち入り調査を強硬に要求し続け、男性も躱(かわ)し続け、攻防が続いた。
が、非は男性にあり、アノ手コノ手で攻勢をかけてくる管理会社を男性が防ぎきれるわけもなく、スペアキーを使って強制入室する旨の通告には白旗を上げざるを得なかった。

大家は激怒、管理会社もそれに呼応し、男性に対し ただちにゴミを片付けることを要求。
もちろん、部屋の清掃や内装設備の修繕も、更には、その後の強制退去をもチラつかせた。
男性がやるべきことは、地域で決められたゴミ袋を買い、決められた分別で袋に入れ、決められた日時に、決められた場所に出す・・・
少し面倒ではあっても、そんなに難しいことではない。
しかし、男性は、それをやらない。
「やる気はある」「やる」と口では言うが、実際にはやらない。
管理会社が幾度となく勧告しても、まったくやらない。
「やれ!」「やります・・・」「なんでやらない!?」「やりますから・・・」、堂々巡りで埒が明かず。
シビレを切らしてきた大家からのプレッシャーもあり、結局、管理会社は、強制的にゴミを片付けることを決断。
入室と処分について男性の同意をとったうえで書面を取り交わし、「金がない」という男性に分割弁済を約束させた上でかかる費用を立て替えることにした。
とは言え、男性の資力や暮らしぶりを鑑みると、立て替え払いはハイリスク。
で、組まれた予算は結構な廉価となった。


借りモノとはいえ、賃貸借契約が生きている以上、男性にはこの部屋を占有使用する権利がある。
また、ゴミとはいえ、室内にあるモノは、男性に所有権がある。
大家(貸主)であっても管理会社であっても、勝手に立ち入ることも勝手に片付けることも許されない。
ただ、大家は、ゴミ部屋を理由に賃貸借契約の解除(退去)を求めることは可能。
過去の裁判例においても、
「社会常識の範囲を遥かに越える著しく多量のゴミを放置する行為は賃貸借契約を解除する事由に構成するものと言わざるを得ない」(東京地裁1998年6月26日判例)
と、貸室をゴミ屋敷にしてしまった場合、賃貸人は契約の解除が可能であるとしている。
ただ、訴訟に発展した場合、度重なる注意の実施や裁判手続きなど長い時間・大きな労力・相応の費用が掛かるため、時間的にも精神的にもかなりの根気が必要になる。
結局のところ、揉めようが難航しようが当事者同士で話をつけるのが現実的なのである。

当室は、玄関上り口からゴミだらけ。
裸足や靴下足では入りたくない状態、土足で入っても汚れるのは部屋ではなく靴の方。
「汚いから」というだけでなく、何が落ちているかわからないので危険でもある。
かといって、靴下足の男性の手前、土足で入るのは無礼なので、私はワザとらしく上履きに履き替え、
「自分は外で待ってます(入りたくない)」
という担当者を外に残し、
「では、お邪魔します」
と、異常な汚宅ではなく普通の御宅に上がらせてもらうときのような恭(うやうや)しい物腰で足を踏み入れた。

一歩一歩をゴミに埋もらせながら奥へ進むと、ゴミ箱のごとき部屋が出現。
床は全面ゴミが覆い、場所によって山となり谷となり堆積。
多くは食品系のゴミ。
弁当の容器、空缶、ペットボトル、割箸、レジ袋、小分け調味料、残飯etⅽ・・・
特有の悪臭が充満するとともに、小ハエの集団が縦横無尽に乱舞。
壁についた糞は、ゴミの中に無数のゴキブリが隠れていることを示唆。
キッチンシンクも風呂もトイレも、真っ黒に汚れたうえゴミだらけで使用不能の状態。
その惨状において、管理会社に提示された予算内ですべてを片付けるのは不可能。
作業は限定的なものにせざるを得なかったが、目に見える成果をだすには男気やボランティア精神を発揮するほかない状況だった。

「終わったら画像を撮って報告して下さい」
私と男性の引き合わせを済ませた担当者は、そう言って現場を離脱。
そして、残された私は片付けを開始。
まずは、大まかに分別しながらゴミを袋に梱包。
袋がある程度の数になって場所をふさぐようになったら、外へ運び出し。
そしてまた梱包しては搬出し、それを繰り返した。


男性と二人きりの部屋、沈黙の空気にはなかなかの気マズさがあった。
特に、羞恥心や罪悪感に苛まれてだろう、男性は自分の部屋なのにスゴく居心地が悪そう。
そんな空気にストレスを感じた私は、ムードを和やかにすることを模索。
男性はコミ力が乏しく、人と話すのが苦手なようだったが、「捨てていい」「捨てたくない」の指示くらいはしてもらわないと仕事が進まない。
私は、コミュニケーションの足掛かりにするため、どこからどう見ても無価値のゴミは独断で始末しつつ、そうでないものは、どれだけ汚く傷んでいるものであっても一つ一つ男性に伺いを立てて取捨を選択。
そうしていると、にわかに人間関係ができていき、ちょっとした世間話ができるくらいの雰囲気ができていった。
大人のDVDを「いります・・・」としたときは恥ずかしそうにしたが、「私でも捨てませんよ マジで」とフォローすると笑みを浮かべた。
終始、男性から積極的に話しかけてくることはなかったものの、私が投げた質問以上の応えが返ってくるようになっていった。

年齢は60代前半、婚姻歴はなし。
仕事は運送業、中型トラックのドライバー。
長距離ではないものの昼夜の交代制で休みも不規則、ブラック企業にうまく(コキ)使われているような感じ。
食事は ほとんど買ってきた弁当、風呂は会社のシャワールームを時々、トイレは行き当たりばったりで会社・コンビニ・公園などを利用。
出生地は現場の隣県、あちこち転々として後、このアパートに来たのは十年近く前。
変な浪費癖もなく、勤勉かつ慎ましく生きてきたようだったが、資力が乏しいのは明らか。
管理会社が立て替える本件の作業費も、月々の家賃に上乗せして分割弁済するようだった。

口にこそ出さなかったが、男性は、前に暮らしていたところでもゴミを溜めたことがあるように思えた。
そして、「もうゴミは溜めない!」と決意して、ここへ越してきたのかもしれなかった。
しかし、その決意が続いたのは始めの頃だけで、次第に怠るようになり、そのうちやらなくなり、このような顛末となったよう。
自分の意志が貫徹できない、自分がコントロールできない・・・私は、男性のゴミ溜め癖に、単なる意志の弱さからくるものではない何かを感じ、得体の知れない同情心と不安感を覚えたのだった。


それから数か月後、別の案件で管理会社の担当者とやりとりする機会があったので、その後の男性の様子を訊いてみた。
部屋を復旧させるには莫大な費用がかかるうえ、男性に賠償金を担う力がないのは明らかで、裁判して勝ったとしても実質は大家が損をするだけ。
大家と管理会社は協議し、これまで、家賃の滞納が一度もなかったことを考慮して、「汚損状態のまま居住をみとめ家賃をもらい続ける方が無難」と判断したそう。
もちろん、「これ以上ゴミを溜めないこと」「少しずつでもいいから掃除をすすめること」等を確約させたうえで。
しかし! 「また、少しずつゴミが増えている」とのこと。
もちろん、私は仕事として(金銭目当てで)関わったのだが、私なりに、少しでも男性の役に立とうと頑張ったのも事実。
そして、男性が、ある意味で生まれ変わることを期待したのも事実。
それだけに、その報は無念だった。
と同時に、人(自分)に対する人(自分)の無力さに虚しさを感じた。


意外な人が意外なことをする、正常にみえる人が異常なことをする・・・
片付けたくても片付けられない、ダメとわかっていてもゴミを溜めてしまう・・・
私は、これまで、数多くのゴミ部屋の主と接してきた。
明らかに心身を病んでいることが見受けられる人もいたが、ほとんどの人は、一社会人として社会生活を問題なく送っている。
大企業の管理職や大学の教授など、社会的に地位のある人もいたりして、無職や引きこもりの人は珍しいくらい。

ゴミを溜めてしまう人の根本には自己管理能力の低さがあるのかもしれないが、ただ だらしないだけの人間なのだろうか・・・
表面上、ゴミを溜めてしまうことの原因は、生活スタイルや生活習慣にあるように見えるが、“やる気”の有無だけでは片付けられない、病気や障害など身体的または精神的な事情がある場合も少なくないはず。
目に見える病気や障害なら医療や行政に助けを求めることができるのだが、軽微な精神障害や知的障害は他人だけでなく自分も気づかないことがある。
そして、問題が起きたら自業自得と自分を責め、社会からも自己責任とされてしまう。

安易に、欠点や弱点を病気や障害のせいにしてはならないが、実のところ、その違いは紙一重、表裏一体か。
人を非難するのも人ながら、人を慮(おもんばか)ることができるのも また人。
社会の陰にゴミ部屋・ゴミ屋敷が多いように、人の陰にも“不知の病”は多いのかもしれない。


コメント (6)
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