特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

紙一重

2022-08-25 09:02:24 | 腐乱死体
まだ秋の足音は聞こえてこないけど、そろそろ、夏の終わりが見えてきそうな今日この頃。
久しぶりにコロナ制限がない夏で、多くの人が、この夏休みを楽しんだことだろう。
夏休みや盆休みには縁がない私でも、TVニュースで、人々が帰省・旅行やレジャーを楽しんでいる姿を観たりすると、“楽しさ”のお裾分けをもらえたりもした。
しかし、残念ながら、今年もまた、水の事故で命が失われたニュースも多かった。
そして、その原因のほとんどが、ちょっとした油断と不運なタイミング。
ただただ、楽しく遊んでいただけなのに、紙一重のところで命を落とす・・・
子供が亡くなったケースも多く、悔やんでも悔やみきれない家族の心情を察すると、かけるべき言葉がみつからない。
 
それでも、季節は、時に人に優しく、時に人に厳しく、これまでと何も変わることなく移ろう。
これから暦は晩夏から初秋に向かうところだが、まだ、しばらくは暑い日が続くだろう。
ただ、ここ数日は、わずかに過ごしやすくなったような気がしている。
暑いことは暑いけど、朝晩が、やや楽になった感じ。
瞬間的にでも秋の気配が感じられることがあり、なんとなくホッとできるときがある。
 
しかし、油断は禁物。
通常の台風にとどまらず、まだまだ「猛暑」「豪雨」「竜巻」等には注意が必要。
近年では、「線状降水帯」「大雨特別警報」等、私が子供の頃にはなかった“新語”が頻出し、これまでの歴史で災害に見舞われなかった地域が、当たり前のように被災している。
各地で引き起こされている、河川の氾濫、土砂災害、そんな映像をみると、子供の頃に取り巻いていた気象環境と違うのは明らかで、地球の気候が大きく変動していることをヒシヒシと感じている。
 
振り返ってみると、六月末から季節外れの猛暑が続いた。
あれから、七月を経て八月も下旬になり、猛暑日は過去最多を記録。
35℃を超えると「猛暑日」と言われるらしいが、気温35℃の体感はほぼ40℃。
車載の温度計が「37℃」「38℃」「39℃」を示すこともざらにあった。
埼玉に行くと、「40℃」とか「41℃」になったことも何度かある。
 
やはり、首都圏一都三県の中でも、暑さにおいて埼玉は別格。
東京・神奈川・千葉に比べて温度計は2~3℃高い数値を示す。
こうなると、本当に危険。
今に比べるとまだまだ元気だったのだろうけど、何年か前までは、車ではエアコンを使わないことを貫いていた私だが、もう、そんなことはやっていられない。
忍耐もほどほどにしないと、熱中症になってダウンするのがオチ。
下手したら命を落としてしまいかねない。
 
もともと、私はエアコンをあまり使わない方。
節電節約の目的もあるけど、あまり身体を甘やかし過ぎると、逆に身体によくないような気がするから。
だから、夜も、窓を開けて扇風機の風を浴びながら、汗ダクでハイボールを飲むようなこともザラにある。
ただ、就寝時に室温が30℃を下回っていないときは、エアコンをつける。
26~27℃設定の3時間タイマーで。
そうして、夜中に目が醒めたときに、窓を開け扇風機を回す。
それで、朝まで寝るのだ。
しかし、早朝5時頃からセミが鳴きはじめ(天候気温にもよるけど)、これが、かなり暑苦しい。
仕事に行きたくない気持ちが掻き立てられ、鬱状態に陥る。
 
 
 
出向いた現場は、街中の住宅密集地に建つ木造三階の一戸建。
そこで、住人の女性が孤独死。
依頼者は、故人の夫(以降「男性」)であり、遺体の第一発見者。
故人の死は、男性が長期の海外出張に出掛けている最中の出来事。
故人は専業主婦で、外に働きにでているわけでもなく、近所付き合いも社交辞令に毛が生えた程度。
誰にも気づかれることなく、猛暑の中で、そのまま時が経過。
結果、高濃度の異臭をはじめ、無数のウジ・ハエを発生させながら変容。
数日後には、原型をとどめないくらい、変わり果てた姿になってしまった。
 
男性は、何日か前に帰国予定を、前日に帰宅予定を妻にメール。
しかし、妻から返信はなし。
ただ、熟年夫婦ともなると、その生活は、言葉ではなく阿吽の呼吸で営まれるわけで、妻が返信をスルーすることも日常のこと。
で、男性は、妻からの連絡がないことを気にも留めず。
一仕事終えた安堵感と、久しぶりに我が家に戻れる安心感を携えて、とても平和な心持ちで、予定通り家路についた。
その後に待ち受ける現実を、微塵も予感することなく。
 
帰宅した男性は、何ともいえない静けさが漂う家に「???」。
駐車場に車はあるのに、家の中に妻がいるような気配がない。
インターフォンを鳴らしても応答はなし。
「ただいま~!」と、あえて騒々しく玄関を開けたものの、それでも、家の中はシ~ンと静まり返ったまま。
しかし、それを怪訝に思う間もなく、異様な異臭が男性の鼻に入り込んできた。
 
それは、今までに経験したことがない異臭、これまでの人生で覚えがない異臭。
驚きとともに、頭の中には「???」ばかりが増えていった。
ただ、その時点では、異臭の正体は不明。
もちろん、それが腐乱死体のニオイであるなんてわかるはずもなく、男性は、とりあえず、家の中へ。
怪しい雰囲気と異臭が漂う中、見た目には異変が感じられない我が家を奥へと進んだ。
 
おそらく、「ただいま!」「いるの?」等と声を掛けながら、一歩一歩 慎重に入っていったのだろう。
それでも、いるはずの妻からの返事はなく、更に、いる気配もない。
一階の部屋から順に見て回り、次は二階へ。
二階に上がると、異臭は一段と濃厚に。
たどっていくと、異臭が出ているのは寝室。
もはや、部屋の中で、何かよからぬ事が起こっていることは明白・・・
何が起こっているのか具体的に想像することは難しかったが、その時点で、頭にはイヤな予感が過り、背中には季節外れの悪寒が走った。
 
男性は、意を決して寝室の扉を開けた・・・
すると、その向こうには、凄まじい悪臭が充満し、無数のハエが・・・
そして、ベッドの脇の床には、人間に見えないくらい変容した人間らしきものが・・・
「この悪臭は何!?」
「横たわっている物体は何!?」
「なぜ、こんなにハエがいる!?」
あまりにショッキングな光景に、男性は失神寸前に。
自分を失いそうになったところ、何とか持ち直して、目の前の状況を必死に飲み込んだ。
その結果、「目の前に横たわっているモノは妻」という結論が導き出され、同時に「もう生きていない」ということも確信でき、近寄って確認(介抱)することもせず。
頭がグルグルと混乱する中で、必死に自分を落ち着かせ、消防と警察に通報。
そして、周囲が騒然とする中、妻の遺体は警察によって運び出されたのだった。
 
 
このブログをよく読んでくれている人にとっては、言わずと知れたことか・・・
高温高湿の夏場は、現場が凄惨なことになりやすい。
とにかく、肉体が腐り溶けるスピードがはやい!
猛暑の中で一週間も放置されると、とんでもないことになってしまう。
当然、その分、現場作業も過酷さを増す。
「暑い」のと「寒い」のでは、かかる負担がまったく違う。
多くの肉体労働がそうであるように、やはり、暑いとキツい!
特に、年々衰えているこの身体には相当に堪え、死体業歴三十年で、もう限界が近いことを悟らされる。
 
故人が残した腐敗液・腐敗脂・腐敗粘土・・・それらは、床を広く汚染。
故人に失礼な言い方かもしれないけど、そのクサいこと、汚いこと、しつこいことと言ったら超ド級。
そして、それらが付着したフローリングは重度に腐食。
もう、通常の作業靴ではなく、ゴム長靴を履かないと立ち入れないくらいのレベル。
更に、部屋は高温多湿のサウナ状態。
一つ間違うと、間違いが起こってもおかしくない状況で、とても「安全」とは言えない環境。
 
凄惨な光景を前にすると、
「どうして、こんなことになっちゃったかな・・・」
と、ボヤいても仕方がないことなのに、ついつい、そんな言葉が心に湧いてくる。
そして、
「そうは言っても、死んだ後は、自分じゃどうすることもできないしな・・・」
と、故人を責めたみたいになったのが気マズくて、勝手に故人をフォローする。
そしてまた、
「毎度のことながら、俺も、よくやるよな・・・」
諦念と劣等感と自分に呆れる気持ちを、溜め息とともに吐き出す。
それを繰り返しながら、やるべき作業を進める。
 
冷汗と脂汗が混ざったクサい汗が、全身から噴き出してくる。
頭に巻いたタオルが重くなってくる。
上下の作業着が重くなってくる。
全身がビショ濡れ状態になる。
腐乱死体痕を処理する代わりに、こっちが腐乱死体みたいになるような始末。
それでも、やるべきことをやり遂げるまで手は止められない。
心が折れようが、気持ちが挫けようが、手は止められない。
無理をしないように無理をし、無理をしながら無理をしないようにする。
故人に対する使命感でもなく、依頼者に対する責任感でもなく、ただ、自分が生きるために。
 
 
「若くはありませんでしたけど、“高齢”と言われるほどの年齢でもなかったし・・・」
「持病があったわけでもないし・・・」
「出掛けるときも、いつも通り見送ってくれたのに・・・」
「何が起こるかわからないものですね・・・」
男性は、発見したときに受けたショックが消えないのだろう、妻と死別した悲哀より、凄惨な部屋に対する嫌悪感や腐乱した遺体に対する恐怖感の方が大きいよう。
「出張に行かなければ、こんなことにならなかったかもしれませんよね・・・」
と、疲れた顔に後悔の念を滲ませながら、しみじみとそうつぶやいた。
 
しかし、私は、こう思う。
男性が出張に出ても出なくても、摂理によって故人は倒れていただろう。
ただ、男性がすぐに気づいて、救命処置を受けることができたら、命を取り留めていたかもしれない。
仮に、男性が仕事に出ている時に亡くなっていたとしても、帰宅した男性によって通常の遺体のまま発見され、腐乱死体によって苛まれる強烈な嫌悪感や恐怖感を他所に、男性の心は“悲しみ”“淋しさ”のみが包んだだろう。
そして、想い出として、先々に渡って静かに留まったことだろう。
 
 
本件とはまったく別の事案で、十数年前、ブログ初期の頃に書いた覚えがあるが・・・
 
故人は中年の女性、依頼者はその夫。
「朝の出勤時はいつも通りに見送ってくれた妻が、夜、帰宅したらトイレで亡くなっていた」という事案があった。
もちろん、その事案では、発見が早かったため、遺体は腐敗していなかったが、故人は便器を抱えるような姿勢で亡くなっており、前傾で背中を丸めたまま死後硬直していた。
 
故人は若年の男性、依頼者はその母親。
「風邪薬を飲んで就寝した息子が、朝になっても起きてこないので見に行ったら、息をしていなかった」という事案もあった。
この事案も、すみやかに発見されたため、遺体は安らかなものだったが、母親は、起こったことを受け止めきれず、深い悲しみの底で、ただただ呆然としていた。
 
 
まさに、生と死は表裏一体。
人生、何が起こるかわからない。
だから、おそろしい。
だから、おもしろい。
だから、生きていられるのかもしれない。
 
何が、人を死に追いやるのか、
何が、人の命を奪うのか、
それが、寿命や大病とはかぎらないところに摂理がある。
私の“死”も、貴方の“死”も、誰の“死”も、すぐそばにいる。すぐそばにある。
 
とにもかくにも、人は、“死”に対して紙一重のところで生かされていることを、よくよく知っておくべきではないか。
そして、その上で、この奇跡的な時間を大切に、元気に生きていきたいもの。
 
先が短くなってきた「特掃隊長」という名のポンコツ親父は、そう想うのである。



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