特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

Nice Body

2008-12-31 09:54:44 | Weblog
2008年大晦日。
今年も今日でおしまい。
過ぎた一年と来る一年を想うとドッ!と疲れが襲ってくるけど、澄んだ青空を仰いでみると、感謝の気持ちと希望が自然に湧いてくる。

今年もまた、多くの人が亡くなった。
老若男女、色々な亡くなり方で。
その最前線で、多くの人との出会いがあった。
人々の苦悩と悲しみの中には、涙の笑顔と希望があった。
そのお裾分けをもらい、私も耐え忍ぶことができた。
そして、崩れ・溶け・消えゆく死体・・・蛆蠅に食われながら悪臭を放つ多くの死体に魂を感じた。
その凄惨さと儚さを通して、目に見えないものが見えてきた。
先人と同じ肉の塊として、人が計る値打ちなんか気にせず、また来年、それら少しずつ綴っていこう。

そんな営みの中で、ものの捉え方・考え方が変わりつつある私。
自己満足に価値を置いた負け犬としてではなく、生き方に価値を置いた一人の人間として。
ブログを続けることにしたことも、その一つ。
私一人から出てきたものではないその意志に、新たな気づきをもらった。

そもそも、何故〝やめよう〟と思ったのか・・・
その理由は色々とあるけど、大きく分けると三つ。
まぁ、どれも深刻な問題ではないのだが・・・

その①「脳の不調」
ブログが脳を支配・・・
私は、日々の業務の合間を縫うようにして、小刻みにブログを書いている。
そうすると、それに関して思考することが日常的になる。
これ自体に問題があるわけではないのだが、気づいたら、日常の長い時間をシカメッ面で考え事をしている自分がいたのである。

能天気に考えればいいだけのことかもしれないけれど、取り扱うネタがネタだけに、なかなかそうもいかない。
ただでさえ、険しい日々なのに、現場に入っていない時までそんな調子になっていることに、自分としても何かよくないのもを感じてきたのだ。

もちろん、それが苦痛だったとか嫌だったわけではない。
むしろ、自分にとっても大切なことを真剣に考えるいい機会になっていた。
しかし、物事には、考えれば考えれるぼといいことと、考えることを適度に止めた方がいいことがある。
もっと言えば、まったく考えない方がいいくらいのことさえある。

考えなくていいことまで深く考えてしまうこと・・・それは、簡単なことを難しく考えるスパイラルに陥った状態。
そうなると厄介。
放っておくと、その暗黒は、心にまで広がってくるから。
だから、脳がオーバーヒートし心がオーバーフローを起こす前にストップをかけようと思ったのだ。

その②「心の不調」
冬期恒例?の鬱状態・・・
毎年のことだけど、冬は心の闇に支配されやすい季節。
コレといった理由もなく陰鬱な気分になり、身体に力が入らなくなる。
悪い予感ばかりが頭を過ぎるようになり、朝、起床するにも四苦八苦してしまうような始末なのである。

そんな状態でアウトプットできるのは、ネガティブなことばかり。
少しのポジティブを織り交ぜることはできても、無理矢理の文字に熱はこもらない。
自分を装ってまで前向きなことを書いたって虚しいだけ・・・
いくら格好つけたって、自分をごまかすことはできない・・・
それがわかっていても、元気をなくした自分に納得できない自分もいたりして・・・
自己矛盾との葛藤に沈んでいく自分・・・
そんな状態を予想した私は、そうなる前にブログを閉じることにしたのだ。

その③「親指の不調」
軋む親指・・・
本ブログを携帯電話で制作していることは、過去に何度もお知らせした通り。
始めた当初の何度かしかPCを使ってなく、あとはずっと携帯。
もちろん、今もそう。
携帯には携帯なりの利便性があるが、PCではありえない苦労がある。
小さい画面であるがゆえ、文章は横書きのくせに縦長。
管理人が校正の手を入れることはないので、改行や行間の操作はupした状態をイメージしながらの打ち込みとなる。
まぁ、これくらいの脳作業は大したことないのだが、問題は以下。

同じ文字を入力し、同じ文字を変換するにも、PCと携帯ではボタンを押す回数が全然違う。
言うまでもなく、同じ一文字を入力するにも、携帯はPCの何倍もの回数を押さなければならない。
しかも、PCは両手10本の指をフルに使えるのに対して、携帯は片手、しかも指一本だけ。
だから、ボタン操作に親指を使う私の場合(大方の人はそうでしょ?)、それが受ける負担は甚大。
やってみればわかるけど、このキー打ちが結構大変なんだよね。

そんな私の親指。
数ヶ月前からだろうか、いまいち調子がよくない。
一時は、疲労骨折を疑ったくらい。
ペンを持つ時など、曲げる度に〝パキッ!〟という異音とともに不気味な痛みが走る。
年柄年中、携帯のボタンを押し続けているせいでか、親指の何かが傷んでしまっているのかもしれない。
そんな訳で、仕事に支障をきたす程になる前に、親指を休ませてやろうと思ったのだ。


しかし、そんな事情をさて置いてブログを続けることにした私。
まずは自分のために・・・そして、ちょっとだけ、顔も名前も知らない友のために。

で、
「脳の調子は?」
鈍い・・・相変わらず(生まれつき?)。
やはり、考えても仕方のないことを悶々と考えてしまう。
この性分は変えられないから、努めて、余計なことをあまり考えないようにしようと思っている。

「心の調子は?」
落ちてはいるものの、例年に比べれば高度はある。
しかし、日によってはヤバい時もあり波がある。
この先、落ちていく可能性は充分にあるから、冷静でいられるときは意識してアゲアゲに努めていこうと思っている。

「親指の調子は?」
夏~秋頃に比べたら復調してきているような気もするが、まぁ、ぼちぼち。
その軋みは、今でもとれない。
曲げるときに痛みがくるので、意味がなくても、何かにつけて〝Gooサイン〟をだすようにした方がいいかも。
そうしていると、理屈抜きに、気分が明るくなるかもしれし。
ま、いよいよダメな時は休養させようと思っている。


この親指を含め、今年一年、この身体もよく働いてくれた。
ロクに休ませてやることもできなかったのに、大きな不具合も起こさず。
暑い仕事も・寒い仕事も・汚い仕事も・臭い仕事も、文句も言わず黙々と。
また、中の五臓六腑も働き続けてくれた。
睡眠不足にも、カロリーオーバーにも、高アルコールにも耐えて。
それに引き換え、脳と心は、愚痴やワガママの言いたい放題。
ダダをこねる子供のように、抑えがきかない時もあった。
そんな暴虐にも耐えて、この身体は生き残ってくれた。

人間の身体には、強く生きようとする本能と力が備わっている。
心臓も・肺も・腎臓も・肝臓も・膵臓も・脾臓も・胃も・腸も・・・
脳が怠けても心が拒んでも、生きるために必死に動き続ける。
例え、死に勝てない性があったとしても、身体は精一杯生きようとしている。
それを、脳と心が邪魔してはいけない。
自分で自分を傷つけ、自分で自分を滅ぼすようなことをしてはならない。
泣きながらでも負けながらでも、心は、身体を裏切るようなマネをしてはならない。
時には、必死に生きようとする身体に心を従わせなければいけないこともあるのだ。

顔の造りがマズくても、スタイルが悪くても、メタ坊に寄生されても、ハリツヤがなくなっても、この一年、自分に仕えてくれた唯一の身体。
その労をねぎらって、今夜は、汗と脂と誇りにまみれたコイツをゆっくり風呂に浸からせてやろう。
それから、黒ずんできた腹をアルコール消毒だ。


さてさて、来年はどんな経験が私に巡ってくるのか・・・
少なくとも、来年も楽には生きられるとは思えない。
でも、楽であっても下り坂を下るより、キツくても上り坂を登っていく方がいい。
私が求めるものは、上にあって下にあるものではないから。
私が目指す目的地は、上にあって下にあるものではないから。

いつか無くなるこの身体とタッグを組んで、また来年も悪戦苦闘に挑んでいくしかない・・・
やっぱ、それしかないね。




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Today ~特別な日~

2008-12-28 08:24:14 | Weblog
「年内はいつまで仕事ですか?」
「31日です」
「31日!?・・・大変ですねぇ・・・」
「はい・・・」
「じゃ、1月は何日からですか?」
「1日です」
「1日!?」
「はい・・・」
「・・・てことは、休みないんじゃないですか?」
「ま、そういうことで・・・」

毎年の師走、必ずと言っていいほど誰かとこんな会話をする私。
つい先日も、仕事関係の女性とこんなやりとりをした。

仕事納めは大晦日・仕事始めは元旦。
死体業には当り前のこと。
小売店や飲食店、芸能イベントや旅行観光、医療介護や障害福祉、運輸流通や情報通信、神社仏閣やホテル旅館、鉄道バスや航空船舶、警察や消防etc・・・
年末年始にゆっくり休みがとれないのは、私ばかりではない。
多くの人が年末年始をゆっくり休んで楽しく過ごすためには、これまた多くの人の働きが必要。
まぁ、休む側になるか働く側になるかは人それぞれだが、どちらになっても働きと報いの帳尻は合うのだろうと思う。

そうは言っても、一般企業の冬休みが率直に羨ましい。
毎年毎年、同じ愚痴になるけど、私もたまには連休が欲しい。
豪華な食事も贅沢な旅行もいらないから、とにかく、好きなだけ寝ていたい。
月休二日制に慣れた身体とは言え、たまった疲れがなかなかとれないもので。

仕事柄、やむを得ないことなのだが、休日が不規則なら勤務時間も不規則。
朝から夕方の仕事がメインとはいえ、早朝もあれば夜もある。
深夜に叩き起こされることもしばしば。
食事の回数も時間も、日によってバラバラ。
24時間365日、臨戦態勢を解けないことが、疲労蓄積の一番の原因だと思う。
若い時分はそれでも何とかいけたけど、オヤジ臭がする年代になってくると、さすがにツラくなってきた。
そんな私には、自分が人並み以上に頑張っているように錯覚する悪い癖がある。
しかし、その辺の勘違いはそろそろやめないといけない。
それぞれの業界・それぞれの職種に、私以上に頑張っている人がたくさんいるはずだから。


夜も明け切らぬうちに家を出て、夜もふけきった頃に家に帰る毎日。
通勤電車は、鮨詰状態の人・人・人。
それは、まるでベルトコンベアーに乗って流れていく機械部品のよう。
それぞれが視線を合わせることなく、椅子取りゲームのように空席を狙う。
やっと手に入れた座席では、束の間の夢。
雑踏に押され、人ゴミに流され、会社に着く頃には既にクタクタ。
それでも、身体に鞭打って、昼間の労働に勤しむ。
下げたくない頭を下げ、笑いたくない顔を笑わせ、腹にもないことを話し、飲みたくない酒を飲み、人の顔色を伺う。
一日の労を終えると、再び試練の満員電車。
帰りたいのに帰りたくないような気がする我家・帰りたくないような気がするけど帰りたい我家・・・そうして、疲れた身体は、倒れ込むように帰宅。
そんな毎日にウンザリしている人も多いのではないだろうか。


しかし、師走は、慌ただしさの中にも活気が溢れ、そんな灰色の日々が華やかに色づく時期でもある。
私も、年末の賑やかな雰囲気が好きである。
普段は世知辛さばかりを感じる世の中に明るい活気が感じられて、祝事に縁のない私もその雰囲気を味わえるからだ。

冬休み・ボーナス・大晦日・正月準備etc・・・
過日のChristmasもその一つ・・・イヴには特別な夜を過ごした人も多かっただろう。
ちなみに、私の場合は、夜遅くまで現場作業をやり、震えながらシャワーを浴び、スーパーの売れ残り惣菜をツマミに一杯やって終わり。
TVを相手にいつもより多めの量をあおり、あとは、翌日の作業に備えて早々と就寝。
ケーキもシャンパンもなかったけど、寂しさも不満もない。
この日が静かに迎えられただけで充分だから。

それにしても、世の人達は、何がめでたくて祝っているのか・・・
何が楽しくて騒いでいるのか・・・
大半がノンクリスチャンなのに日本中がお祭り騒ぎ。
通り過ぎる街には、輝くイルミネーションと派手な装飾。
ラジオをつければ、話題はChristmasネタ。
かかる音楽もChristmasソングばかり。
浮かれに浮かれていた。
楽しく賑やかなのは結構なことかもしれないけど、この節操のない宗教観に、人の失ったものが見えてしまう・・・
ま、こんな水差しは野暮ってもんか。
「楽しいChristmasが過ごせなかったものだから、僻んでるだけじゃない?」なんて言われそうだしね。

ただ、その陰では不況の嵐が吹き荒れている。
聞きたくなくても、景気の悪い話・・・それも、かつてなかったような深刻なニュースが聞こえてくる。
減収減益・倒産破産・失業失職・・・華やかだったChristmasの反動があるせいか、その陰はより暗く見える。
人々の不安を煽り、人々から生活の糧を奪うこの状況は、一体どれくらい続くのだろうか。

「回復するには、少なくとも三年はかかる」
「イヤ、そんなに早くは回復しない」
そんな議論がなされている最中にも、一人また一人と苦境に陥っている。
ただ、国の政策をいくら非難しても、身の回りの現実は変わらない。
自分一人の力ではどうすることもできないことが多いのも現実だが、何もかも社会のせい・人のせいにしてたんでは、開けるものも開けない。
できない理由を挙げるより、できる術を探すことの方が大切。
今、自分ができることを精一杯やるしかない。
また、こういう時こそが、従来の経済至上主義・物質主義を見直すチャンスなのかもしれない。
この不景気がずっとでは困るけど、精神主義に立ち返り、人格を養うためのいい機会と捉えて耐えよう。
苦しみも悲しみも、いつか消えてゆくから。


〝今、自分ができることを精一杯やるしかない〟
・・・このブログ、しばらく続けることにした。
読んでくれる人・ブログの終わりを惜しんでくれる人がいることは素直に嬉しいし、望まれて応えないでは男が廃るような気もするので。
ただし、従来のような定期更新ではなく〝不定期更新〟にする。
また、断続の意志を変えてもコメントを無視するスタンスは変わらない。
デスクワーカーではない私が、実務以外でPCとにらめっこしていると仕事にならないもので。
この無礼は予め謝っとく。申し訳ない。

「やめる!」と言っておきながらの「やっぱり続ける」。
まぁ、このくらいの優柔不断は、私には日常茶飯事。
何事も初心貫徹、自分の決意を堅持できるくらいに意志の強い人間だったら、もっといい?人生を歩けていただろうに・・・
この不本意な自分らしさは、笑い飛ばすしかない。

ちなみに、もう終了の予告はしない。
チヤホヤされたがりの甘ったれ野郎みたいなので。
だから、いきなり「最終回」を告げるか、長く更新しないでおいて自然消滅するか・・・自分の気ままに任せるつもり。
一体、いつまで続くことやら・・・私にもサッパリわからない・・・一週間後か・一ヶ月後か・一年後か・・・ま、先のことがわからないから、今を生きられるんだけどね。


確かに、先のことは誰にもわからない。
そして、それが、人の心に暗い陰が落とすことがある。
しかし、先のわからない不安な日々にも、生活に追われる平凡な日々にも、苦悩に襲われて眠れない日々にも、
過ぎた時間を取り戻せなくても、老いた身体を若返らせることができなくても、頑なな心を変えられなくても、
今日、自分が自分にできることはある。
自分が変わるチャンスは今日にある。

派手なイベント・記念すべきこと・心沸き立つ出来事がなくても、今日は特別な日。
明日がないかもしれない今日・自分の命日になるかもしれない今日は、特別な日なのだ。
それを肯定・楽観的に捉えれて、〝今日は特別な日〟という意識を持って生きれば、些細なことで行き詰まりがちの毎日が、少しずつ開けてくるのではないだろうか。

当り前じゃない今日のこの日を、そんな特別な日にしたいものである。





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大切なもの

2008-12-22 17:38:34 | Weblog
なんだかバツが悪い。
いい雰囲気でサヨナラしてもらってるのに、未練たらしく首を振ってるみたいで・・・
このまま終わっとかないとシラケてしまいそうな感もあるが、Christmasに免じて赦してもらおう。


「以前、お世話になった者ですが・・・」
現場の場所と依頼者の名前を聞くと、その記憶はすぐに蘇ってきた。
そして、真っ先に家主の顔が頭に浮かんできた。

「再度、店の片付けをお願いしたいと思いまして・・・」
もっと先のことになると思っていた私は、意外に早かった依頼に少し驚いた。
同時に、それは暗に家主の死を示しており、私は過日の家主を思い出して深い感慨を覚えた。

それは、数ヶ月のこと。
現場は、街中の小さな一軒家。
かなり古い建物で、一階が店舗、二階が住居になっていた。
依頼された仕事は、その旧店舗スペースに残るガラクタの処分。
依頼者は、三人の中年男性、家の息子達。
店舗だったスペースをリフォームすることにしたため、部屋に残る不要品を片付けることにしたのだった。

その昔、そこは床屋。
家主夫婦・・・男性達の両親が営んでいた。
廃業したのは10年余前で、家主が働き盛りの頃は活気に溢れた店だったとのこと。

全ての人ががむしゃらに働いていた時代。
二人は、二人三脚で店を切り盛り。
その功もあって、地元客を中心に客足は安定。
平凡な暮らしながらも、三人の子供を一人前に育てるには十分な糧となった。
しかし、息子達が成人し、老後をのんびり暮らそうとした矢先、商売に陰りが見え始めた。
構造改革と規制緩和の波が、理容業界にも押し寄せてきたのだ。
周辺には、低料金を唱う新規店が次々と開店。
折からの不景気も相まって、客は新しい店に流れていった。
更に、追い討ちをかけるように、妻が体調を崩し、店に立つことが困難に。
それでも家主は営業を継続。
孤軍奮闘をしばらく続けだが、それで満足のいくサービスが提供できるはずもなく。
ただでさえ少なくなっていた客は更に減っていった。

廃業のきっかけは、妻の死。
厳しくなっていく一方の商売環境に耐えながら、一人細々と営業を続けていた故人だったが、これに耐える力はなく・・・
惜しむ客もなく、反対する家族もなく、何十年にも渡って開けられていた店は、ひっそりと閉店したのだった。

長年、仕事一筋に生きてきた故人。
当然、店を閉めてからの生活は一変。
有り余る時間と重くなる一方の身体を持て余すように。
肉体的に楽な暮らしが、精神的にはキツく・・・そんな生活の中で、家主の精神力と体力は衰えていくばかり。
そのうち、小さな入退院を繰り返すようになり、息子達は「一人暮らしをさせておくのは危険」と判断。
身内が交代で半同居するために、一階をリフォームすることにしたのだった。


店の扉を開けると、そこには、タイムスリップしたような空間があった。
鏡・シャンプー台・スチーマー・油圧椅子etc
年代物のそれらはどれも古ぼけて汚れていたけど、現役で働いていた頃を思い起こさせる風情を持っていた。
ただ、このスペースが再び床屋として息を吹き返すなんてないことは誰の目にも明らかだった。


作業を開始して直後、嫁らしき女性に付き添われて家主がやってきた。
一人では歩行することも困難らしく、片手を杖・片腕を女性に支えられながらゆっくり歩いてきた。

「何やってるんだ!」
と、いきなりの怒鳴り声。
見ると、家主は、険しい表情でこちらを睨みつけていた。
それに驚いた私は、身の動きを停止。
硬直させた身体に首だけ動かして、男性達と家主の顔を見比べるように視線を往復させた。

「人の家で、何を勝手なことしてるんだ!」
「はぁ?」
「俺の物を勝手に捨てるな!」
「店を片付けるって言ってあったはずだろ!?」
「掃除するだけだって言ってただろ!」
「そうは言ってないだろ!」
「とにかく、出した物を戻せ!捨てる物なんかないんだから!」
単なる行き違いか、男性達(息子達)の策略か、家主の了承をとらないで片付けは段取られたよう。
間に挟まれた私は、どちらの言うことを聞くべきか判断できずキョロキョロと困惑した。

「こんな物、いつまでもとっておいたってゴミになるだけだろ!」
「何がゴミだ!」
「親父が死んだら、どうせ俺達が片付けなきゃならないんだから!」
「生きてるうちから殺してかかるのか!」
「誰もそんなこと言ってないだろ!」
「だったら、俺が死ぬまで黙って待ってろ!」
「なにおー!?」
家主は、よろめく身体を杖で支えながら、渾身の力を振り絞って声を張り上げた。
そのうち、口論は激しさを増し、近所の人も出てくるくらいに派手な喧嘩になった。
しかし、多勢に無勢。
三人の息子を相手に老体一人ではなす術なし。
吠えるだけ吠えると、今度は泣きそうになってしゃがみ込んでしまった。

その様子に、息子達も気マズそうに消沈。
意志を曲げない家主に対して息子達は折れるしかなく、結局、片付作業は中止することに。
運び出した物を再び店に戻して事は決着。
そして、平身低頭に謝る男性達を「気になさらないで下さい」とフォローしながら、私は現場を後にしたのであった。


故人にとって、愛用の理容道具はとても大切なものだったのだろう。
また、故人が大切にしたかったのは、理容道具そのものだけではなく、それにまつわる思い出であり家族であり懸けた人生だったのだろうと思う。
そして、理容道具を処分してしまうとそれらをも失ってしまうような気がしたのかもしれない・・・
その心情を想い、家主が大切にしたかったものに共感を覚える私だった。


儚い人生だからこそ、人には、大切にしなければならないものがたくさんある。
自分が思いつくものは何?
家族・健康・仕事・友達・金・プライド・信念etc・・・頭には、色んなものが映るだろう。
ただ、やはり、大切なものの中心にあるは〝自分〟ではないかと思う。
人は、自分を大切にしなければならないと思う。

では、〝自分を大切にする〟とはどういうことか。
それは、自分を甘やかしたり自分に楽させたり、利己主義に走ることではない。
悪に開き直って妥協・迎合することでも、虚栄に従って傲慢・高慢な思いに浸ることでもない。
また、人を大切にしないことでもない。
しいて言うなら、〝自分を好きになる〟ということ。
嫌いなものは大切にできないから。

しかし、〝自分を大切に思いながらも自分を好きになれない〟なんてことはないだろうか。
容姿・性格・癖・能力etc、自分の嫌いなところがたくさんないだろうか。
「自分の短所を嘆くよりも長所を伸ばした方がいい」なんてことはわかっている。
しかし、目につくのは短所ばかり。
長所なんて、探してもなかなか見つけられない。
人に好かれるためには結構な神経を使うくせに、自分を好きになるための努力はほとんどしない・・・
そんな人、多くない?

では、自分を好きになるためには何が必要だろうか。
自分が、自分の長所への視力を持たないからには、短所を見るしかない。
自分の嫌いな所をジッと見つめてみる。
ただ、それだけ。

短所を長所に切り替えるなんてことは、並の人間には不可能。
容姿も性格も、自力で変えることはできない。
仮に、変えられたとしても、それは一時的な錯覚。
本性は変わらない。
しかし、自分の悪い所や嫌いな所を見るくらいのことならできる。
でも、イヤな自分を見て落ち込む必要はない。
待ってれば、本来の理性と良心がくすぶりだし、わずかでも自省と自制と自律が促され、その気持ちに後押しされて、ちょっとだけ自分を好きになれるから。
そして、そんな自分を大切にするだけで、人生は温かく光るのだから。


空っぽになった店に佇むサエない男一人。
身体はくたびれ、衣服は汚れ、何かを想う表情に精気はなく・・・
その姿は、気の毒なほどみすぼらしいもの。
しかし、それが、少しだけ好きになれる自分であり、大切にしなければならない自分。

最後、薄汚れた鏡にホコリで汚れた笑顔を残し、閉店の扉を閉めた私だった。





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ありがとう

2008-12-16 15:43:31 | Weblog
12月は、忘年会のシーズン。
本来、内向的だが、普段、人並の外面だけは保持するよう努めているせいか、私にもそれなりの付き合いがある。
ただ、そんな宴席、酒好きの私でも気の進まないものが少なくない。

私は、不特定多数の人を相手に、社交辞令的な話をするのは極めて不得意。
それこそ、酒の力を借りないと口が滑らかに動かない。
酒に弱い方ではない私が、酒の力でその口を滑らかにするには、相応量を飲まなければならず、これが結構大変。
本当は、誰にもちょっかいを出されず、地蔵のように一人で固まっていたいのだが、それでは雰囲気を壊してしまう。
かと言って、私の性格では、素面(シラフ)ではとても社交的に和気藹々とはいかない。
やはり、酔って自分を壊すしかないのである。

飲みたい時に・飲みたい処で・飲みたい相手と・飲みたい酒を・飲みたい量だけ飲む・・・
酒は、誰にも気を遣わないで飲んでこその酒。
つくり笑顔で飲む酒に、大した旨味はない。
そうは言っても、一人で生きていけないこの社会では、社交辞令も人との付き合いも大切。
飲みたくない酒を飲み、面白くもない話に笑顔をつくり・・・そんな苦酒を飲んでいるのは、私だけではないだろう。

こんな私も、若い頃は、飲み会が理由なく楽しかった。
若い頃は、翌日のことなんか考えずに、その場の雰囲気と勢いだけで飲み、泥酔・嘔吐・千鳥足・喧嘩・・・ヒドい醜態を晒したことも多々。
ただ、今はもう、泥酔するまで飲むことはなくなった。
結構な量を飲むことはあっても、記憶が飛んだり・吐いたり・クダをまいたりすることもない。
身体にも悪いし、二日酔になると仕事もキツいから。

私の場合、二日酔の症状は、頭痛・倦怠感。
ヒドい時には、これにムカつき・胸ヤケが加わる。
体調によっては翌々日まで持ち越すこともあり、二日酔ならぬ三日酔になる。
そんな状態での現場作業は、かなりキツい。
ただでさえ楽じゃない現場作業に、無用な過酷さが増す。
やはり、飲み過ぎは、自分で自分の首を絞めているようなもの。
適当に飲んで適当に酔って・・・ホロ酔いに、身も心もホカホカするくらいが丁度いい。


余談だが・・・
私は、酒の強要がスゴく嫌い。
強要するのも・されるのも。
〝最初の一杯を交わしたら、あとは手酌〟
それが私の大原則。

あちこちの飲み会で、蟒蛇が下戸を相手に酒を強要している場面に出くわしたことがある。
言葉は悪いが、度を超すと、宴席を利用したイジメにしか見えない。
酒の強さと人間性は関係ないことのに、酒の強さが人間的な強さに比例しているかのように誤解し、その酒豪ぶりを誇示する。
私は、弱い方ではないのでそんな〝イジメ〟に遭っても返り討ちにするだけだが、人がやったりやられたりする姿を目にすると自分の酒までマズくなる。

〝酒に弱い=格好悪い〟
なんて、つまらない価値観がどこかにないだろうか。
特に、男の世界で。
しかし、そんなことに拘っている人に酒は早い。
頭がまだ大人になっていない証拠だから。

「酒が飲めない人は、人生を損してる」
なんて戯言もあるが、
「酒を飲む人は、酒の力を借りなきゃいけないほど弱い」
とも言えるかも?


そんな忘年会にストレスをかけられながらも、こうして師走を迎えることができていることに、感謝・感謝。
苦楽の中、何も変わらない平凡な日々に感謝の念が絶えない。
〝生は幸・死は不幸〟なんて安易なことを言うつもりはないが、今年もまた多くの人の死を目の当たりにしてきた私は、素直にそう思う。

私が言うのもおこがましいが、感謝の気持ちは大切だ。
何事にも感謝する謙虚さがないと、何事にも満足を覚えられない傲慢さ、自分の力を過信(誤信)する高慢さが自分を支配する。
傲慢からはワガママな心しか生まれないし、高慢からは貧しい心しか生まれない。
そして、ワガママで貧しい心に、平安はない。

そう偉そうに言ったところで、私の中に涌いてくるのも不平・不満・不安ばかり。
かなり意識していないと、感謝の気持ちなんて湧いてこない。
しかしまぁ、こんな葛藤の繰り返してこそ、人は成熟するものだと思っている。


このブログは、誰かに読んでもらうために書いているものであるのだが、実のところ、自分に言い聞かせるつもりで書いているものでもある。
だからこそ、〝きれいごと〟とも取れる剥き出しの文章になっているのだ。
汚くしか生きられていなくても〝きれいに生きたい〟と願いっている者だから。

どちらにしろ、ブログなんてものは〝日記〟と言いながらも、書く者だけではなく読んでくれる人がいなければ成り立たない。
読み手が必要なければ、公開する必要もないわけだし。

筆者は、何かの意味を持って書く。
そして、誰かに読まれることによってその意味が膨らむ。
そうして、双方の存在があって、ブログは息をするのだろう。
そして、その意味と価値を分け合ってこそのブログなのである。

「本ブログがそうだ!」
と言い切れるものではないけど、それでも数々のコメントが書き込まれる。
たまには、誤解から誘引されたような意見や私の不徳に誘発されたような耳(目)の痛い意見もあるが、大方は肯定的なもの。
多くの、労い・励まし・癒される言葉・・・中には、〝ありがとう〟の言葉もある。
また、今まで、現場でも色んな人から「ありがとう」を言ってもらってきた。
そのほとんどは、日常的な感謝から発せられるものではなく、非日常的な悲しみの中から発せられる言葉。
日常では感じられない違う重みがある。

依頼者のためにやっている仕事じゃないけど、結果的に依頼者のためになっている仕事。
経済的な報いがないとやらない仕事だけど、それだけじゃできない仕事。やりたい仕事じゃないけと、やらなければならない仕事。
交錯する想いで受け取る〝ありがとう〟は、雑念をきれいにはらってくれる。
そして、弱い私を支えてくれる。

人は人だけに支えられて生きているわけではないけど、それでも、人は、支え合わなければ生きていけない。
誰かを支えながら、誰かに支えられながら生きている。

〝ありがとう〟
これは、感謝の意を伝える言葉。
しかし、実は、人を支える言葉であり、人が支えられる言葉。
励ましの言葉より、慰めの言葉より、叱咤する言葉より、癒しの言葉より人を支える力がある・・・
そんな言葉ではないだろうか。

私は、自分が受け取る〝ありがとう〟から、
「自分が存在していることには意味がある」
「自分が生きていることには意味がある」
「この人生には意味がある」
との想いを巡らせて、それによって自分が支えられていることがわかってきたのである。


以前のブログに書いたように、多くの遺族が〝ありがとう〟の言葉を故人に掛ける。
それは、単なる感謝の気持ちを超えて故人の過ぎた人生を支える言葉になり、残された人の将来を支える言葉になり、そして、別れの言葉になっているような気がする。

私も言わなければならない。
貴方にも・貴女にも・貴男にも。
そして、心の中に、いつも持って生きていきたい。

「ありがとう」




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和解の距離

2008-12-10 19:55:35 | Weblog
「かなりヒドいみたいで・・・こんなお願いして申し訳ありません・・・」
依頼者の話は、必要のない謝罪から始まった。

電話をしてきたのは中年の女性。
亡くなったのは女性の母親。
亡くなってから発見されるまで一年近くが経過しており、警察署の霊安室で女性が確認した遺体は完全に白骨化。
警察からは、部屋がヒドい状況であることと部屋の中は見ない方がいいことを伝えられていた。
また、見せられた遺体の状態から、部屋が劣悪な状態になっていることは素人ながらも想像できているようだった。

私がそれまでに遭遇していた腐乱死体現場は数知れず。
されど、さすがに〝一年もの〟はそんなに多くなく。
私は、ちょっとした好奇心を抱いて現場に出向いた。

現場は、郊外の超老朽・狭小・賃貸一戸建。
周囲の環境には、〝放置一年〟を納得させるくらいの閉塞感が滞留。
私は、寒々しいものを感じながら、鍵のかかっていない玄関扉を開けた。

まず始めは、仕事のポイントである腐乱痕探し。
そう広くない間取りに、腐乱痕を見つけるのには時間はかからず。
ベッドのある和室、押入の敷居には半円形の頭髪が半円が貼り付き、畳には身体のラインがクッキリ。
故人は押入に頭を突っ込むように倒れ、そのまま息絶えたようだった。

黒く広がる腐敗液は、半乾き状態。一部、粉状。
溶けた身体はウジが食い、残りは畳が吸収。
床板まで侵されていることは明白だった。

大量に発生していたであろうウジ・ハエもとっくに独り立ちしていったとみえて、その姿はなく。
蛹の殻ばかりが周辺の床を埋め尽くしていた。

家財・生活用品は少量で、家電や家具は小型のものばかり。
しかも、わりと新しくてきれいなものが多く、腐乱痕と臭い以外に特段の問題は見受けられず。
まるで、時間が止まったかのように、故人が生きていた頃そのままの状態。
勝手に上がり込んでいることについて言い訳したくなるような住人の存在感がまだ残っていた。

一通りの調査を終えた私は、玄関前から女性に電話。
部屋の状態をリアルに伝えると女性はますます恐縮しそうだったので、実際は〝やや重〟だったところを〝並〟と報告。
それでも、女性は、申し訳なさそうに詫びてきた。
それから、事の経緯を話してくれた。

依頼者の女性は、幼い子供を抱えた母子家庭。
その生活は、経済的にも肉体的にも精神的にも余裕なく。
そんな折、生活コストと家事労働を合理化するため、長く独り暮らしをしていた母親(故人)と同居する話が浮上。

父親の役割も担いながらテンテコ舞いの毎日を送っている女性にとっては、母親が同居して食事の支度・掃除・洗濯・買い物etc、ちょっとした家事を手伝ってくれれば大助かり。
また、子供の面倒もみてもらえれば外での仕事がしやすくなり、それまでの負担が一気に解決。
一方、加齢とともに身体が衰えてきた故人にとっては、娘(女性)が同居して食事の支度・掃除・洗濯・買い物etc、ちょっとした家事を手伝ってくれれば大助かり。
また、自分のことも気にかけてもらえれば安心だし、それまでの不安が一気に解決。

二人は実の母娘だから、嫁姑のような気遣いも無用。
余計な遠慮もいらず、お互いに窮屈なく暮らせる。
明るいシュミレーションに二人は意気投合し、話はトントン拍子に進行。
そうして、同居生活はスタートした。

それからしばし・・・時間の経過とともに厳しい現実が忍び寄ってきた。
一致したつもりでいたお互いの利害はズレ始め、次第に相反するように。
遠慮のない自己主張は、抑えきれないストレスを生み、いがみ合いを誘因。
そのうち、小競り合いが頻発するようになり、双方、売り言葉に買い言葉で対抗。
その挙げ句、言ってはならない痛烈な一言をぶつけ合うように。
そんな生活に嫌気がさしてきた二人は、どちらが言い出したわけでもなく、同居生活を解消すること検討。
その結果、もとの別居生活に戻ることで、勝者のない争いに決着をつけることになった。

血のつながった親子であっても、その価値観や生活スタイルは個々のもの。
お互いに自立した大人である以上は、相手に押しつけていいものではないし、押しつけられるべきものでもない。
それぞれがそれぞれに尊重されていいと思う。
しかし、二人はそれができなかったのだった。

生活を分けてからの二人は極端に疎遠に。
お互いの存在を無視するかのように、一切の関わりを断絶。
〝音沙汰ないのは達者な証拠〟とばかりに、女性は、故人(母)のことを気にかけることなく自分の生活に没頭した。
それからしばらくの時が経ち、身も震えるような訃報が入ってきたのだった・・・

「最初から、同居なんかしなければよかったのかもしれません・・・」
「こんなことになるんだったら、仲直りしておけばよかった・・・」
その口調からは、苦悶に顔を歪める女性が想像された。
同時に、女性が自分を嫌悪し・責めていることも感じ取れた。


人付き合いが苦手な性格もあってか、私は、人間関係は、密接であるほどいいというものではないと思っている。
人間・・・その字のごとく、人と人との関係には〝間〟・・・つまり、自己中心的・利己的な性質をもつ人間が、人とうまくやっていくには、緩衝帯としての〝適度な距離〟が必要。
人に対して熱くなった頭を冷やすため、人に対して冷たくなった心を温めるため、人間関係には適切な距離が大切なのだ。

では、〝適度な距離〟とは?
離れていると相手の顔も表情もわからない。
かと言って、近いと見えなくてもいいものが見えてしまうし、見せない方がいいものを見せることになる。
離れていると手はつなげない。
かと言って、近いと痛いパンチが当たってしまう。
離れていると声がよく聞こえない。
かと言って、近いと聞こえなくていい雑音まで聞こえてくる。
・・・ま、これを測るのは簡単なことではない。

時には、自分と距離を空けることも必要。
嫌な自分に執着していると、自分の短所ばかりが目立って見える。
短所ばかり見ていると、自分がダメな人間にしか思えなくなってくる。
人は、自分に対して適度な距離をとってこそ長所が見える。
ただ、それは、過度に密着しているとボヤケてしか見えないし、過度に離れていると小さくしか見えない。
本当は、大きくハッキリしたものなのに。
だからこそ、近過ぎも遠過ぎもしない適度な距離が大切なのだ。

また、距離を保つだけでは不充分。
何かあったときにはすぐ和解することも大切。
人に対しても、自分に対しても。
人は、時間の限られた存在だから、モタモタしてる隙はない。
それには、まず〝赦す〟気持ちが大切。
実は、これは人間にとって極めて難しい。
自分を赦すことは、自分を甘やかすこと・自分を誤魔化すこと・自分を迎合すること・自分に妥協すること・自分から逃げることとは違う、もっと高いレベルの自律(自立)思考。
人生の足取りが重いのは、いつまでも自分を赦さないことの足枷が付いているから。
また、理由もなく心に苛立ちを覚えるのは、自分と敵対しているせいだったりする。
そんな状態は、死に体を引きずって生きているようなもの。
たまには、積極的に自分を赦し・自分と和解して身軽になることが必要だ。
明日への一歩を大きく踏み出すために。


依頼者の女性は、離れすぎた故人との距離を埋めることができただろうか・・・
自分を赦し、自分と和解できただろうか・・・
ただ、女性も子を持つ身。
母親の気持ちがわからないではないはず。
だから、今はもう、懐かしい想い出と共に新しい自分を手に入れていることだろう。




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死体と向き合うⅡ

2008-12-04 08:01:09 | Weblog
簡単なことを難しく考えて足踏みしているうちに、もう12月。
今年も、残すところ、あと一月をきった。
樹々の紅葉も深まり、澄んだ青空とのコントラストが鮮やか。
初夏の新緑もいいが、初冬の紅葉にもまた格別の趣がある。
瞬間的にでも、そんな景色に触れると心が洗われて生命の幸せを実感する。

過ぎてしまえば、一年ははやい。
こんなことを言っている人は多いと思うが、それと同じで、〝過ぎてしまえば一生ははやい〟。
言うまでもなく、一度過ごした一生の後に、新しい一生はない。
新年を期待するように、新たな人生を期待することはできない。
これを、どれだけの人が意識して生きていることやら・・・
心配しなくていいことクヨクヨの憂うわりには、本当に心配しなければならないことは気にも留めない・・・人ってそういうものか。

そんな師走。
冷え込みが増しているのは、季節ばかりではない。
金融危機に代表される不景気が、社会を凍りつかせんばかりの猛威を奮っている。
中小零細企業だけでなく、大企業の業績も急激に悪化。
ボーナス減や減給で済めばまだよし。
倒産や解雇で職を失っている人も少なくないよう。
そんな寒風が吹き荒む中、無事に年を越せるかどうかヒヤヒヤしている人も多いのではないだろうか。
企業も個人も実入りが減り、もはや、貧乏が他人事ではなくなりつつある。

かくいう私も、貧しい者の一人。
経済的にも物理的にも富裕ではないが、最も貧しいのはその心。
目に見えるもの・見えないものに関わらず、〝アレも欲しい!〟〝コレも欲しい!〟〝もっと!もっと!〟・・・品性に欠ける欲望は尽きない。
こうして生きられていられるのは、〝生きるうえで必要なものは全て手に入っている〟ということの表れでもあるにも関わらず。
特に、金に対する欲望は根強く・・・こんな〝守銭奴〟〝金の亡者〟が、「金より大事なものはたくさんある!」と言ったところで、説得力はない?

まぁ、金持ちではないけど貧乏過ぎもしない現状は、私がマトモに生きていくうえでは調度いいのだろう。
私のような人間が大金を手に入れたら、途端に勤労意欲がなくなり遊興快楽に走るはず。
暴飲暴食の末に、身体を壊すかもしれない。
不道徳な行いも増えるだろう。
そして、人として堕落の一途をたどる・・・

逆に、貧し過ぎても困る。
食べるにも事欠くようでは労働意欲を疲労感が覆い、短絡的な発想しかしなくなる。
栄養不足の末に、身体を壊すかもしれない。
利己的な行いも増えるだろう。
そして、人として堕落の一途をたどる・・・

どちらをとっても、結果的には身の破滅。
それは、私が望むものではない。
だから、満たされない欲を抱えてても、今の私には今の境遇が適しているのだと思う。


16年前、20代前半にいた私が死体業に就いた経緯は、以前のブログ(初期)に書いた通り。
当時の心情の中に、〝好奇心〟〝投げやり〟〝ヤケくそ〟があったのも事実だが、その動機の核心を書いていない。
〝書き忘れた〟のではなく、意図的に。
私は、自分が持つ邪悪な性質を露呈させることに躊躇い、結局、そこまで踏み込まなかったのだ。

当時、ダメ人間の烙印を自分で押し、極度の鬱状態に陥っていた私は、とても暗い状態にあった。
夢も希望もなく、見通せない将来を憂うのにも疲れ、生きることには虚しさを感じるのみ。
傷心と憔悴の中で、心は冷え切っていた。
それでも何とか生きていくことにした私は、縁あって?この死体業に巡り合った。
労働条件は決してよくはなかったけど、一人で食べていくには充分の賃金。
先のことは何も考えずに、黙々と働き、月給をもらって食いつないだ。

そんな就業の〝動機の核心〟とは・・・
死体業は、人の〝死〟を目の当たりにする仕事。
私は、そんな人の不幸を見て、それを自分の慰めにしようとしていた。
人の不幸を見れば、自分の不幸がマシなことのように感じられるのではないかと思った。
〝人の不幸は蜜の味〟と言われるように、私は、それを求めて死体業に就いた・・・
そんな恥ずべき思い・汚い心があったのだ。

不幸に泣く者があれば共に泣き、幸に笑う者があれば共に笑う。
これが、人間の本来あるべき姿。
しかし、私は、不幸に泣く者があればほくそ笑み、幸に笑う者があれば妬み・・・
腐乱死体臭さえ足下に及ばないくらいの悪臭に満ちた人間臭さを持っていた。
私の性根は、そこまで腐っていた(いる)のだ。

そんな邪心をよそに、私は次から次へと人の死に遭遇。
そして、そこには、確かに人の不幸があった。
その悲惨さと自分の暗陰を比較して薄情な同情心を抱き、曲がった根性と甘ったれた卑屈さの中に自分の幸を探した。
しかし、人の死には、幸・不幸、喜怒哀楽、邪心を超越した絶対性があった。
それは、私ごときが想像していたものよりも、はるかに重く・深く・大きかった。
〝自分を慰める〟なんて呑気なことを考えてられない厳しさがあった。
そんな中で、「生きるとは?」「死ぬとは?」
考えずにはいられなくなった。
そうして月日は流れ、今日に至っている。


さてさて、本ブログには公開・非公開を含めて色んな方々から色々な意見が寄せられている。
そして、書き込まれるコメントを読んでいると、特掃隊長というヤツが、そこそこの人格者のように思えてくる。
しかし、実際は、特掃隊長のキャラが現実の私を離れ、読んでくれている方々の想像の中で勝手に一人歩きしているだけのように思える。
やはり、私=特掃隊長は、他人様に褒めていただく程できた人間ではない。
邪悪な心をタップリ持ち合わせた、できの悪い人間なのだ。

酒を飲み過ぎては腹を壊すことを繰り返すし、
宝クジを買っては当たったような気になってニヤケるし、
蛇のゴム玩具に飛び上がって驚くし、
豚丼に牛丼料金をとられても泣き寝入るし、
歯医者は怖くて行けないし、
子供だましの心霊写真も見れないし、
三日過ぎた納豆でも食べちゃうし、
おしぼりで、顔だけじゃなく耳までを拭いちゃうし、
いい歳をして財布の中はいつも何千円だし、
ペットボトルのキャップや使用済切手を集めてるし、
スーパーで見切品を買うかどうか五分くらい悩むし、
〝最近の若いもんは・・・〟って批判する割にはレジの女の子に愛想よくしてしまうし、
ホントは食べたいくせに〝○○産鰻は食わない!〟って格好つけるし、
薬嫌いのくせにサプリメントは大好きだし、
デカい口を叩けるのは、陰口か独り言のときだけだし・・・
・・・大した人間ではない。
良くも悪くも、先走る隊長をいかに事実の自分に引き戻すか・・・これが課題だったりする。


このブログ・・・
私は、心に湧いてくること・思っていることを伝えたい気持ちで書いているだけ。
「誰かの手本になろう」「誰かを励まそう」なんていう傲慢な気持ち書いているわけではない。
また、読んでくれる方々が抱く結果(感情)にまで影響を及ぼせる程の力を持っている等と、身の程知らずの勘違いもしていない。
結果的に、その一語一句が、誰かの励みになり支えになり糧になっているとするならば、それは極めて幸いなことだが、ただ、それは私の手柄ではないし私の力でもない。
それは肝に命じている。
自分の無力さを知ることは、とても大切なことだと思っているから。
そして、それを知らないと自分を強くすることはできないし、人を強くすることもできないと思っているから。


ブログをやめることも続けることも簡単なこと。
そんなこと、さして重要なことではない。
大切なのは、人の死・・・死体と向き合う自分と向き合うこと。
せっかく生きているのに、死んだ状態にある自分を剥くこと。
死人のように冷たくなった心を温めること。
そうして、〝動機の核心〟を〝人生の確信〟へ変えること。

そんな私の口癖。
「(人生は)これから・・・これからなんだよ」
その意味と希望は、貴方の心の奥底にもあるのだ。




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