特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

バカちん

2021-03-30 08:47:12 | その他
春暖の候、満開の桜が、もう散り始めている。
毎年のことだけど、厳しい冬を越えたこの季節には、希望にも似た独特の穏やかさがある。
しかし、二年目に突入したコロナ禍によって、今年もまた、花見などの宴会は自粛しなければならないムード。
ただ、そんなことお構いなく「自分達が楽しければそれでいい」という者がいる。
ま、そんな輩はいつの世にもいるもので、あちこちの桜に集まっては酒盛りをしているよう。
まるで、何かに群がるウジ・ハエのように。
しかも、己も“社会のゴミ”“人間のクズ”になりたいのか、人の迷惑もおかまいなし。
ドンチャン騒ぎだけにとどまらず、自らが出したゴミもその辺にポイ捨て。
「人間ってヤツは、まったく、ロクなもんじゃないな!」
「世のためにならないから、さっさと散ってしまえ!」
とばかりに、せっかく咲いた桜も、嘆き散っているように見える。

時を合わせるように、懸案だった聖火リレーも始まった。
できるかぎりのコロナ対策を講じつつ進めていくらしいが、開催に否定的な私の目には、“実のないパフォーマンス””限られた人間のお遊び“のように映る。
また、オリンピックやる気満々の人達にそんなつもりはないのかもしれないけど、そこからは、戦時中の思想統制を思わせるような雰囲気が感じられて、私には不気味な窮屈ささえ感じられる。
誤解を承知で極端な言い方をすれば、「バカバカしい」。
“コロナ自殺”ではないかと思われるような死痕を目の当たりにすると、自ずと、そんな苛立たしい感情が噴出してくる。

一年も経つとやむを得ないのか、皆、コロナにも緊急事態宣言にも慣れてしまって、タガが外れている感じ。
緊急事態宣言が無意味なことだったように思えるくらい感染者も増えてきているし、変異種の感染者も確実に増えている。
外国からの観客は入れないことに決まったが、選手関係者の入国にも制限がかかるらしい。
下手したら、海外選手の入国にも厳しい制限が設けられるようになるかも。
この調子だと、国内の観客も簡単には観戦できなくなるだろう。
結局、無観客でやらざるを得なくなり・・・そうなって、やっと中止決定か・・・
開催したって大赤字を喰うことは目に見えているわけで、どれだけ無駄な金を、無駄な手間を、無駄な時間をつかえば気が済むのか。

とにもかくにも、このコロナ禍によって、オリンピックどころではない国民がたくさんいることは公然の事実。
自分の命を食いつぶすように、ギリギリで生きている人がいることを忘れてはならない。
しかも、少数ではなく大勢。
個人的には、ここは潔く中止して、その分の労力と費用を、死にかかっている人々の支援に回すべきではないかと思っている。
桜は散っても、また来春 咲くことができるけど、人は散ったら それでおしまいなのだから。



「おたく、“特殊清掃”とかっていう仕事をやっている会社?」
「孤独死の現場とか片づけるヤツでしょ?」
一ヶ月くらい前、ある日の夜中、中年男性の声で電話が入った。
当夜、電話当番だった私は、仕事の依頼、もしくは問い合わせだと思ったので、話の内容を書きとめるべく、メモ用紙を前にボールペンを手に取った。
そして、男性の話を聞き漏らさないよう、受話器の声に耳を傾けた。

「おたくの会社はどこにあるの?」
「○○(某県某市)にはないの?」
現場に近ければそれだけ利便性が高いし、地元業者だと どことなく安心感があるのだろう。で、“地元業者に頼みたい”といったニーズは少なからずある。
しかし、こんな珍業会社、“どこの街にもある”というものではない。
したがって、私は、男性が示した街に営業所はないことを伝え、その上で、男性が示した街も対応可能エリア内であることも伝えた。

「で、日給いくら?」
「月にいくらもらえんの?」
男性は、前置きもなく訊いてきた。
時間帯といい、口のきき方といい、てっきり客だと思い込んで丁寧に対応していた私。
しかし、それは大きな勘違い。
そう・・・男性は、特殊清掃スタッフに応募してきた人物。
とはいえ、“働かせてもらいたい”なんて謙虚な物腰ではなく、“待遇がよければ働いてやってもいい”といった横柄な態度だった。

「こんな時間にかけてきて、その口のきき方とは・・・」
「ケンカ売ってんのか!?」
それは、“ムカつくな”という方が無理な悪態。
そもそも、うちの会社は求人なんかだしていない。
男の正体がわかった途端、私は不愉快に。
愛想よくする必要なんかどこにもなく、私は、気分の赴くまま態度を豹変。
苛立ちを露わにして、憮然と応答した。

「孤独死・自殺数は増えているから、人出が足りないに決まっている」
「人が嫌がる仕事だから高給が稼げるに決まっている」
勘違いはなはだしいが、特殊清掃業には、そういうイメージがあるのだろう。
そして、残念ながら、この類のバカは、たまに涌いてくる。
一体、どういう神経をしているのか、どこの都市伝説を鵜呑みにしているのか、見識がなさすぎ。
あと、常識も良識もなさすぎ!
ついでに、頭も悪すぎ!

「幼稚園から行き直せ!」
「どんなに人手が足りなくたって、オマエのようなヤツは採用しない!」
私は、そう言ってやりたかった。
事実、どんなに高学歴だろうが、熟練者だろうが、無教養で礼儀知らずな人間は必要ない!
面接する以前、履歴書を見るまでもない。
しかし、そんなことを言ったって自分の口が汚れるだけなので、私は、“求人はだしていない”“人手は足りている”とだけ伝えて、さっさと電話を切った。

「ふざけやがって!」
「バカにしやがって!」
人にバカにされるのは慣れたこととはいえ、バカにバカにされると無性に腹が立つ。
私は、独り言でブツブツと電話の男に毒を吐いた。
と同時に、
“あんな男を雇う会社なんかあるのだろうか・・・”
“あそこまでバカだと、ロクな仕事に就けないだろうに”(人のことは言えないけど・・・)
“あんな人間でさえ雇わなければならない会社があるとしたら、気の毒なことだな・・・”
と、つくづく思ったのだった。


また、これも一ヶ月ほど前のこと。
遺品整理の調査依頼が入り、千葉県の田舎の方へ出かけた。
(ちなみに、そこは2020年市町村別魅力度ランキングで全国最下位という栄誉?に輝いたそう。)
車の運転が嫌いではない私は、のんびり走るつもりで早めに会社を出発。
時間にも余裕があったし高速料金も節約できるので、だいぶ手前のICで降りて一般道へ。
仕事とはいえ、走ったことがない道や、出かけたことがない地域を走るのは なかなか楽しいもので、穏やかな天気の中、束の間のドライブ気分を味わっていた。

そんな気分で平和に走っていた千葉の道。
片側二車線の大通りを走っていたときのこと、後方から爆音がこだましてきた。
それは、マフラーのサイレンサーを違法に改造したバイクのエンジン音。
そんなバイクが何台も集まって走行している音だった。
その集団は、爆音を響かせつつ、徐々に私の車に接近。
そして、信号待ちの最前に止まった私の車を取り囲むように停車したのだった。

普通にアイドリングしているだけでは気が済まないのか、彼らは、止まっている間も、“ブンブン!バリバリ!”とアクセルを空吹かし。
私や周囲の車を威圧しているつもりはなさそうなのだが、いつまでも止めず。
とにかく、自律神経が乱れそうになるくらいの爆音で、うるさくてたまらない!
あまりにやかましいものだから、「うるせー!!」と怒鳴ってやりたくなったけど、そんなことをしても、返り討ちに遭うだけ。
小心者は小心者らしく泣き寝入ることにして、私は、黙って彼らに視線を送るのみだった。

その行為に何の目的があるのか、まったく意味不明。
自分で“カッコいい”とでも思っているのか?
人に“カッコいい”と思われるとでも思っているのか?
私からみれば、「私はバカです!」と大声で宣伝しているようなもので、みっともないだけ。
恥を曝しているのは彼らの方なのに、もう、見ている方が恥ずかしくなるくらい。
周囲の車も、珍獣でも見つけたかのような好奇の目で、また、犯罪者でも見下すかのような冷ややかな目で、顔をしかめつつ彼らを見ているようだった。

家族連れのファミリーカーからは、
(親)「あんな大人になりたい?」
(子)「いや、なりたくない!」
(親)「でしょ!?」
(子)「うん!」
(親)「だったら、しっかり勉強しないとね!」
(子)「そうだね!ああはなりたくないからね!」
といった会話が聞こえてきそうなくらいだった。 

そうは言っても、「無法者」とは言い切れず。
半キャップながらも、ちゃんとヘルメットはかぶっているし、信号も守る。
猛スピードで疾走するわけでもなく、蛇行運転はしても車線は越えないし、他の車の走行を邪魔するようなこともしない。
車体は暴走族風に品悪く改造してはあるものの、俗にいう“特攻服”を着ているわけでもない。
いわゆる「暴走族」といわれる輩とは違い、基本的な交通法規は守るよう。
こういう連中のことを「○○族」とか、別の呼び名があるのかもしれないけど、どちらにしろ、世間から白い目で見られることに変わりはないか。

私は、信号待ちの間、“どんなツラしてるか見てやろう”と、彼らの顔をジックリ見てみた。
このコロナ問題でも若者に偏見を持っていることが否めない私は、その集団もてっきり“若僧”だと思っていた。
が!、その顔を見てビックリ!
彼らは、どうみても皆40代、またはそれ以上・・・下手したら私と同年代の者も。
いい歳をして、“年の功”というものがないのか、何を学んで生きてきたのか、生きてきて何かを学ばなかったのか・・・
「呆れてモノが言えない」とは、まさにこのことで、はなはだ疑問に思った私は、驚愕の表情で首を傾げるしかなかった。

趣味を持つことも、趣味を楽しむこともいいこと。
バイクに乗るのもヨシ、好きなようにカスタマイズするのもヨシ、ツーリングでどこに出かけるのも自由。
しかし、社会規範は守るべきで、人に迷惑をかけてはいけない。
ただ、どうみても、あの騒音は不可抗力でも過失でもなく意図的なもの。
健常者だってストレスがかかるのに、近くに、補聴器をつけている人とか、療養している病人や眠っている赤ん坊がいたらどうするのか。
そんな良識、子供だって持っている。

人の迷惑をかけ、人に不快な思いをさせても尚、己の欲望を満たそうとする・・・
そんなことまでして遊んで、本当に楽しいのだろうか・・・
しかし、彼らにとっては楽しいんだろうな・・・
そんな人生、何の徳があろうか・・・
しかし、彼らには得した感があるんだろうな・・・
結局、「自分が楽しければそれでいい」ってことか・・・
私は、他人事では済まされないはずの価値観を他人事にして、ひたすら、彼らをバカにしたのだった。


「バカな奴・・・」
人を見てそう思うことが多々ある。
「バカな人間・・・」
人からそう思われることも多々あるだろう。
「俺も、結構なバカだよな・・・」
自分でそう思うことも多々ある。
自分に自信がない私でも、自分のバカさ加減には自信がある。

完全なバカは、人の目も気にせず、人の迷惑も省みず、能天気に人生を楽しむことができる。
賢い人間は、世の中との調和を守りつつ上手く人生を楽しむことができる。
しかし、バカはバカでも、私のような中途半端なバカは、賢くもなれず、バカにもなりきれない。
で、人生を楽しむことが下手。
振り返ってみると、随分ともったいない生き方をしてきた。

人に無礼を働いたり、自分本位で人に迷惑をかけたりするのはよくない。
当然のこと。
もちろん、そんな人間にはなりたくない。
しかし、やたらと人の目を気にし、やたらと人の心象を想いはかってばかりでは、自分が楽しくない。
品のないバイクにまたがり、爆音を響かせながら楽しげにしていたオッサン達のカッコ悪い姿を思い出すと、嫌悪感や蔑みの中にも、憧れるような、羨ましいような、妙な感覚が湧いてくる。
そして、あるはずの楽しみに気づけない自分の頭の悪さと心の鈍さを、虚しく、また口惜しく思う。


「人生は一度きり・・・短く儚いもんだよな・・・」
「もっと楽しく生きられればいいんだけどな・・・」
「とにかく、俺は、人の目を気にし過ぎ、金を欲しがり過ぎ、先のことを心配し過ぎなんだよな・・・」
ヒラヒラと散りゆく桜をながめながら、頭の回転と心の感度を上げていくことを考えている“バカちん”である。


-1989年設立―
日本初の特殊清掃専門会社

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2021-03-16 08:53:51 | 腐乱死体
私には、もうじき79歳になる母親がいる。
50代半ばで糖尿病を発症し、60代半ばで肺癌を罹患、最近では、白内障で眼科にかかっている。
もう13年近く前になるが、癌研有明病院で片方の灰を切除した。
今現在、癌は再発しているものの、その進行スピードは極めて遅く、特段の治療はせず定期健診のみでしのいでいる。
糖尿病も、キチンと自己管理しているおかげで重症化することもなく、以前はインシュリンの注射が必要だったところ、今は、飲み薬だけで血糖値を管理できている。
高齢のうえ二つの大病を患っているにも関わらず、頭も身体もシッカリしており、誰の手を借りることもなく日常生活を送っている。
介護保険のお世話になったこともないし、今のところ、その必要もなさそう。
本当に、ありがたいことである。

そんな母と私は、子供の頃から衝突することが多かった。
性格が似ているのか、真逆なのか、そのせいなのか、これまでやらかしてきた大ゲンカは数知れず。
そのときも私が母を激高させたのだろう、四歳の頃には、脚の骨にヒビが入るくらいの暴行を受けたこともある。
何せ身体が小さいものだから、抵抗らしい抵抗ができず やられっぱなし。
グッタリ動かなくなった私を見て我に返った母は、慌てて私を病院に担ぎ込んだ。
そして、負傷した脚はギプスで固められ、しばらく松葉杖生活を送ったのだった。
しかし、これが今の時代だったら、立派な児童虐待。
で、母は警察に捕まってしまうところだ。

言葉の暴力に至っては日常茶飯事。
とにかく私は、生意気で口答えの多い子供だったようで、母を怒らせるのが大得意。
頭にきた母は、ことある毎に、
「お前なんか産むんじゃなかった!」
「伯父さんの家に養子に出せばよかった!」
「お前みたいな子は、少年院に入ってしまえ!」
等と、無茶な暴言を吐きまくった。
一方の私は、言われ慣れてしまっていたせいか、大してキズつくことはなく、屁理屈を言い返しては更に母を激高させていた。

回数は減ったものの、大人になってからも衝突はおさまらず。
何もなければ平和な関係なのだけど、ちょっとしたキッカケが火種になり、口論に発展。
そのうち、お互いに癇に触ることを言い合って大喧嘩。
で、その結果、絶縁。
関わり合わない期間は年単位で、これまで、大喧嘩をしては絶縁し、そのうち何となく復縁し、再びケンカをしては絶縁するといったことを何度となく繰り返してきた。
いい歳をしてみっともないのだけど、コロナが流行る前も大喧嘩をして、しばらく絶縁状態になっていた。
しかし、毎朝のドラッグストアに長蛇の列ができていた頃、コロナ感染を心配するメールと品薄だったマスクを送ってやったことがキッカケで復縁。
それ以降、今日に至るまで、直接顔を会わせることはないものの、ケンカをすることもなく、メールや電話をしながら、平和な親子関係を維持することができている。

それにしても、どうして私は、そんなに性根の悪い子供だったのか・・・
親の育て方が悪かったのか・・・
それとも、こんな性格だから、そんな育て方をしなくてはならなかったのか・・・
私には、兄と妹がいるのだが、うまくいかないのは私とだけ。
同じ腹から生まれてきたのに、三人兄妹の中で、何故かこんなのは私だけ。
母曰く、「とにかく、お前は育てにくい子だった!」とのこと。
そんなこと言われると心境複雑だけど、「確かに・・・わかるような気がする・・・」と、自分でも妙に納得できてしまう。
自分でも、それが何ともおかしい・・・もう、この歳になれば笑い話だ。

そんな母でも、私を産み育ててくれたことに間違いはない。
自分は贅沢らしい贅沢をせず、したいオシャレだってほとんど我慢。
専業主婦だった期間も短く、共働きで中学から大学まで私立に行かせてくれた。
平和な日常においては、働き者の母親、忍耐強い母親、大好きな母親だった。
返しきれない大恩がある。
本来なら、もうずっと前から親孝行してこなければならなかったのに、大学を出て引きこもっていたかと思ったら、わけの分からない仕事に就いて、その後もケンカ&絶縁を繰り返すような始末。
「孝行息子」になるには程遠いイバラ道を歩いている。
今できる孝行は、たまに電話して、元気にやってるフリをするくらいのこと。
ただ、そんなことでも母は喜んでくれる。
私は、ただただ、そんな母に感謝するとともに、心の中で頭を下げるのみなのである。



付き合いのある不動産管理会社から、深い溜息とともに特掃の依頼が入った。
好況は、かなりヒドいよう。
そうは言っても、私は そんな情報に動じるほど青くはない。
もはや変態・・・凄惨であればあるほど、特掃は燃えてくる。
「ヨッシャ・・・いっちょ行ってくるか!」
と、種火のついた特掃魂を携えて、私は、勢いよく現場に向かった。

到着した現場は、郊外の1R賃貸マンション。
その一室で住人の中年女性が孤独死。
発見までかなりの日数が経っており、室内は凄惨な状態に。
玄関前には異臭が漏洩。
ただ、「クサい」という感覚はあっても、それが何のニオイかわからなかったため、近隣住民は“怪しい”と思いつつも放置していたよう。
「なかなかのことになってそうだな・・・」
と、漂う悪臭に、私は、小さく気合を入れ直した。

故人は、台所と居室の境目にドア下に倒れており、そこには、腐敗粘土・腐敗粘液と化した人肉がベッタリ。
頭部があったと思われる部分には大量の毛髪。
やや遠目にみると、床には身体のかたちもクッキリ。
「毎度~!」と言わんばかり、ウジやハエも常連客のように図々しく増殖。
「こりゃ、だいぶ骨になってたな・・・」
と、一目瞭然の腐敗深度に、私は、小さな溜息をついた。

その心情は、極めて事務的、冷淡。
死を悼む気持ちもなければ、同情心もない。
完全に「商売」と割り切ってのこと。
ただ、故人の人生を想わなくもなかった。
故人のためではなく、自分のために。
自分と同じ一人の人間が生きてきて、そして死んだわけだから、その生き様と死に様から何かをキャッチしないと、汚仕事に従事する自分が浮かばれないから。

故人のせいではなく死体のせいで部屋は悲惨なことになっていたけど、それがなければ整理整頓ができたきれいな部屋だった。
不動産会社によると、「故人は身寄りがない」とのこと。
しかし、家財をチェックすると、故人には男の子と女の子、二人の子供がいたことが判明。
ということは、夫もいたわけで、「家族はあった」ということになる。
どういう経緯で別々になったのか知る由もなかったけど、そこには、故人が大切にしていた想いがあった。

それを裏付けたのは、タンスの上の段の小引き出しにあった二つの小さな木箱。
自分も持っているので、それが何であるかすぐにわかった。
それは、ヘソの緒、故人と子供を結びつける証。
小さなラベルが貼ってあり、そこには、出産日時、故人の名前、子の名前、体重、産院などが列記。
引き出しには、他にも色々なモノが入っていた。
幼い子供が描いた母(故人)の絵。
“おかあさん だいすき”と書かれた一枚も。
子供が折ったのだろう、いくつかの折り紙もあった。
それから、小さな靴が二足。
二人の子が初めて外を歩くときに履かせた物だろう。
それらが、きれいに紙に包まれ、きれいに箱に入れられ、一つ一つ、何かを愛おしむように大切にしまわれてあった。

不動産会社からは、
「故人と親族は、絶縁状態だった」
「親族は、遺骨以外は引き取らない」
「部屋にある物はすべて処分していい」
と言われていた。
しかし、故人(母)の想いを無碍にしていいものだろうか・・・
私は、得意とする“善意の押し売り”になるのではないかと思わなくもなかったけど、その引き出しにしまわれたモノを そのまま捨てるのには、妙な寂しさを覚えた。
小さな引き出し一つ分、大した量でもなし。
後で始末したとしても、大した負担にはならない。
結局、私は、それらの品はゴミとして処分しないことに。
小さな段ボール箱に詰めなおし、空っぽになった部屋の押し入れに置き残した。


故人と二人の子が疎遠な関係になったのには、相応の事情があったはず。
多分、よくない事情があってのことだろう。
やむにやまれぬ事情だったら、家族が離散することはなかったかもしれないし、仮に離散となっても、家族としてのつながりは持ち続けただろうから。
少なくとも、故人は、過去に借金問題を抱えていたことがあったよう。
部屋にあった金融機関や裁判所の書類が、それを物語っていた。
生活苦からなのか、ギャンブルなのか、分不相応の買い物なのか、はたまた男遊びなのか定かではないけど、とにかく、健全な理由ではなかったように思う。

私もそうだけど、人間って弱い。
また、世の中には、欲をくすぐる誘惑がゴロゴロ転がっている。
で、コロコロと人生を転げ落ちるのは、意外に簡単なことだったりする。
故人も、人生のどこかで過ちを犯したのかもしれない。
家族を裏切るようなことをしてしまったのかもしれない。
そして、それがキッカケで、夫と離婚、子と別離となったのかもしれなかった。

ただ、往々にして「親の心、子知らず」。
子を想う親の気持ちは、子には、なかなかわからないもの。
親になってはじめてわかること、親になってみないとわからないこと、それでも尚わからないことって多々ある。
かつての私がそうだったように・・・今の私がそうであるように。
二人の子が、故人の親心を理解していたかどうかわからないけど、それでも、故人は、いつまでも子のことを大切に想っていたのだろうと思った。

故人の遺骨は、子供が引き取った。
そして、私が取り置いていた想い出の品も。
「いらないから捨てて下さい」と言われたらそうするつもりだったけど、ヘソの緒も靴もみんな引き取ってくれた。
それを手にした二人の子は、何を想っただろう・・・
いい思い出ばかりではないだろうけど、悪い想い出を錯綜させつつも、ほのぼのとした笑顔で母を偲んだのではないだろうか・・・
勝手な想像ながら、そう思うと、私は、“善意を押し売った”自分を「お手柄!」と褒めてやりたくなった。
そして、それが何とも嬉しくて、いつまでも その余韻に浸ったのだった。


いつの頃だかおぼえていないけど、ずっと昔に母がくれたもの・・・
私は、今も、自宅の机の引き出しに、自分のヘソの緒をもっている。
普段は放ってあるけど、何かのとき、その木箱を手に取ることがある。
そして、それをしみじみと眺めては、
「このときの俺には、色んな可能性があったんだよな・・・」
「この後にこんな人生が待ってるなんてな・・・」
と、悲しいような可笑しいような、複雑な想いが交錯する中で湧いてくる降伏感に近い幸福感に苦笑いしている。
そして、
「命がけで産んでくれたんだよな・・・」
「人生をかけて育ててくれたんだよな・・・」
と、若かった母、労苦していた母、老いた母の姿を心に浮かべては目を潤ませている。

とにもかくにも、それだけの月日が過ぎてしまった。
もう五十年以上経っているわけで、私と母をつないでいたヘソの緒は、私の身体と同じくボロボロ。
一人の人間を生み育てるということが、どれだけ大変なことか・・・産んだ方の身体は、もっとボロボロ。

「ありがとう・・・かあちゃん・・・」
この歳になったからか・・・いや、この歳まで生きさせてもらっているからこそ、私は、そんな風に想うのである。


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悪癖

2021-03-08 08:36:33 | 孤独死 遺品整理
「今年いっぱいはダメだろうな・・・」
首都圏の緊急事態宣言が再延長された中での個人的な感想。
事実、待望のワクチン接種が医療従事者からスタートしてはいるけど、「この社会が今年中に集団免疫を獲得するのは難しい」という見方が主流らしい。
私のような基礎疾患のない中年男に回ってくるのは、早くても夏~秋頃になるのだろうし、ほとんどの国民が摂取し終わるのはもっと先。
一人二回の摂取が必要となると、それはもう年内で済む話ではない。

そんな状況にあっても、流れるニュース映像からは、顕著に人出が抑えられているような光景は見受けられない。
インタビューを受ける市民も「思ってたより人が多い」「人手は減っていない」等と、批判めいたコメントをしているけど、そういう自分だって不要不急で街に繰り出している一人なわけで、まさに本末転倒。
結局のところ、他人事か・・・
「自分一人くらいならいいだろう」「自分一人が自粛したところで何も変わらない」という甘えた考えが、コロナで窒息しかけている人々の首を更に絞めているのではないかと思う。

信念なく迷走してばかりの政府、国民目線をうたった猿芝居に没頭する与党、重箱の隅をつつくような批判しかできない野党、そして、他人事のような振る舞いをやめない一部の市民・・・
今夏には第四波も予想されているし、こんなんじゃダメなんだろうけど・・・
・・・「下々の者は、黙って税金だけ納めてろ!」ってことか。
何はともあれ、対策は確実に進めていかなければならない。
例えそのスピードが遅くても、国は確保できるだけのワクチンを買い、配れるだけ配り、打てるだけ打っていくしかない。
そして、我々は、それにできるだけ協力していくしかない。

当初、私は、今回のワクチンについては、突貫製造感が否めず、いささか懐疑的で、
「俺の番が回ってきても、やめておこうかな・・・」
と思っていた。
しかし、ワクチンにもいろいろなタイプがあり、今現在 摂取されているF社のものは安全性が高いこと等、色々な情報が重なっていくうちに、摂取を受ける方向に考えが変わってきた。
正直なところ、中国製やロシア製は受けたくないけど、それらは日本で認可される見込みはないそうだから、それらが勝手に注入される恐れはないし、今のところ、自分の番がきたら受けようと思っている。
それが、自分のため、周囲のため、社会のためになりそうだから。

しかし、ワクチンを打つと、一気に気が緩みそう。
私の場合、特に、何を我慢してきたということはないのだけど、世間の雰囲気に押されて不要不急の外出をしたくなるかもしれない。
多くの人も同様。
それまで、自粛自制で色んなことを抑えてきたし、多くのことが抑え込まれてきたわけで、その反動を考えると諸手を挙げて喜ぶわけにもいかない。
これで「Go to」でも再開されようものなら、たまった鬱憤が大爆発するかも。
一人のときは小さくなっていても、徒党を組んだ途端に気分が大きくなる。
人間が塊になると個人の理性は呑みこまれ、集団心理によって過激な行動に走る。
これが人間の悪い癖。
それで経済が活性化するのは大いに結構なことだけど、人々がはじけ過ぎて、変な事件や事故が起こらないともかぎらない。
高い道徳心をもって社会秩序を守りつつ、コロナ明けの生活を楽しみたいものである。



出向いた現場は公営団地。
古い団地で、建物の老朽化も顕著。
自治会がキチンと機能していないのか、住人のモラルが低いのか、周囲にはゴミやガラクタが散乱。
人の気配も少なく、実際はそんなことないはずなのに、どことなく治安の悪そうな雰囲気。
「ここは日本か?」と思わせるような、まるで発展途上国のダウンタウンを思わせるようなエリアだった。

訪れたのはその一室。
出迎えてくれたのは、私より年上に見える中年の男性。
ボサボサの白髪頭に無精ヒゲ。
身なりは、毛玉が目立つボテボテのスウェット姿。
失礼ながら、かなり冴えない風貌。
中へあがると、室内には独特の生活異臭。
それにも増して気になったのは、男性が放つ酒臭。
二日酔なのかどうか、昼前だというのに酒のニオイがプンプンしていた。

男性は、外見だけで判断すると、いい印象を持てない人物。
もっと言うと、不気味で、やや恐い感じ。
しかし、実際は、それに反して人柄は社交的で愛想も悪くない。
馴れ馴れしい口のきき方が気に障らなくもなかったけど、極端に横柄でもなく、まぁ許容できるレベル。
そんな男性は、訊きもしないうちから、一緒に暮らしていた母親が急に倒れたこと、救急車が到着したときは心肺が停止していたこと、運ばれた病院で死亡が確認されたこと等を事細かく説明。
そして、その後、警察の取り調べを受けたことに至っては、自慢話でもするかのように多弁に語ってきた。

母親の死因は、老衰による心臓発作。
しかし、密室で人が死んだわけで、他殺の可能性をつぶしておくことも警察の仕事。
で、一緒に暮らしていた男性は警察の取り調べを受けたよう。
「“念のため”って言われたんだけど、まったくヒドいよなぁ・・・俺を疑うなんてなぉ・・・」
目の前にいる男性が、舞台役者級のよくできた“殺人犯”に見える風貌なものだから、私は、内心で笑いながら、男性の話に耳を傾けた。

そんな男性について気になることは他にもあった。
それは、酒とタバコ。
業者とはいえ、外から客(私)が来ているというのに、タバコを吸い始めたかと思うと、次は冷蔵庫から安い缶チューハイを出してきて飲み始めた。
今の時勢、人前でタバコを吹かすだけでもマナー違反なのに、酒まで飲むなんて、一般的な良識をもった人なら、そんなことはしない・・・できないはず。
しかし、癖なのか中毒なのか、男性は、私に断りを入れるわけでもなく、お茶を出すわけでもなく、一人でスパスパ・グビグビ。
タバコ嫌いの私は、好き放題にやる男性に呆れるとともに、あからさまに顔をしかめた。

男性は、常識のない人間、礼儀をわきまえない人間。
露骨な私のシカメっ面もどこ吹く風で、神経の図太さは人並以上。
一方、私も、子供ではない。
それまでにも、たくさん“イヤな奴”に遭ってきた。
それに比べれば、男性の無礼悪態は可愛いモノ。
また、一応“お客さん候補”でもあるし、私は、男性の粗暴は気にせず、“なかなかお目にかかれない珍キャラに会えた”と思って割り切ることにした。

そんな男性が依頼してきた内容は特殊清掃の見積書作成。
しかし、故人(母親)は、倒れた直後に搬送されているため、汚れも異臭もなし。
誰がどう見ても、特掃の必要はなく、私の出る幕はない状況。
「特に汚れもニオイもありませんね・・・」
「やろうと思えば自分でもできると思うんですけど・・・」
と、私が、商売抜きの善意でそのことを伝えても、
「どういう菌が残ってるかわかんないからねぇ・・・」
「専門の人にちゃんと掃除してもらわないと気持ち悪いんだよね」
と、男性は執拗に食い下がった。

しかし、現場は、それ以前の問題。
建物自体が古いせいもあって、内装・建具もボロボロ、全体的に薄汚れている。
また、普段からの掃除もキチンとできておらず、生活汚損は顕著。
生活臭もキツく、部屋の空気さえ汚れているように感じるくらい。
家財生活用品も所狭しと雑然放置されており、故人(母親)が倒れていた場所はおろか、それに関係なく、あちこちが不衛生な状態。
そんな部屋に暮らす男性が潔癖症でないことは一目瞭然で、特掃を強く要求する目的が読めなかった。

また、住まいや格好で人を判断するのは軽率かもしれないけど、男性が裕福でないのは明らか。
仕事は、個人事業で何かをやっているらしかったが、事実上は、日雇生活と無職生活を繰り返しながらの暮らしのよう。
つまり、生活を支えていたのは、“母親のスネ”だったわけで、そうなると、見積金額は少しでも安い方がいいはず。
しかし、
「フツーの掃除じゃないから料金が高くなるのは仕方がないよ」
と、これまた妙なことを言う。
商売だから、業者が売り込むのは当然としても、客側が無駄金を遣おうとするなんて、その意味が解せなかった私は、妙な気持ち悪さを覚えた。

当初は怪訝に思った私だったが、話を進めていくうち、直感的に、あることに気づいた。
そもそも、男性は、私に作業を依頼するつもりはない。
目的は、私に見積書を提出させることだけ。
どうも、家屋保険なのか親族からの弔慰金なのか、何なのかわからないけど、それで、いくらかの金をせしめようとしているよう。
話の中で見え隠れしていた男性の魂胆が、話が進むにしたがってハッキリと見えてきた。

“こりゃ、仕事にならんな・・・”
そう判断した私は、男性を“お客さん候補”から“迷惑な輩”に格下げ。
スパスパ・グビグビとやりながら途切れなく続く男性の話をテキトーに聞き流した。
そして、早々に切り上げるべく、話が切れるタイミングを待った。
が、飲み続ける酒に酔いが回ってきた男性は、ますます饒舌に。
“愛想よく話を聴くのも仕事のうち”と、肯定的に相槌をうつ私に気を良くしたのだろう、なかなか話をやめようとしない。
「会社を経営していた」「高級外車に乗っていた」等と、次から次へと大口を叩いた。
しかし、どれもこれもウソかホントかわからない、仮に事実であっても今に至っては寂しいだけの どうでもいい話。
そんなくだらない自慢話は、“耳障り”を越えて気の毒に思えるくらいだった。

“まったく時間の無駄だな・・・”
しばらくは我慢していたものの、虚しい話に耐えられなくなった私。
「次がありますから、これで失礼します!」
と、男性の話を一方的に断ち切って腰を上げ、足早に玄関に向かった。
そして、変なところで責任が回ってきても厄介なので、
「必要のないものに見積はつくれませんので・・・スイマセン」
と言い、身に積もったホコリを振り払うように、そそくさと現場を後にした。


無駄な時間を浪費させられた私は、不愉快ついでに男性の行く末を想像した。
安定した収入もなく、定職に就ける見込みもなさそう。
おまけに、所かまわずタバコを吸う癖、時をわきまえず酒を飲む癖、そして、楽して金を稼ごうとする癖がある。
身体を壊すことになるのか、犯罪をおかすことになるのか、生活保護を申請することになるのか・・・
どう考えても、男性の人生に明るい展望はひらけなかった。
そして、それが、自業自得だとも思った。

ただ、男性だって、本当は怠けたいわけじゃないのかもしれない。
安定した職に就いてマトモに働きたいのかもしれない。
労苦があっても、そうやって清々しく生きていきたいのかもしれない。
しかし、世間は、その暮らしぶりだけをみて、「怠け者」のレッテルを貼る。
風貌だけをみて「放蕩者」のレッテルを貼る。
粗暴な振る舞いだけをみて「野蛮人」のレッテルを貼る。
それが意図せずして、光の届かない社会の隅へ追いやる。
そういう私も、想像の中で、男性の人生を暗い方向へ追いやった。
そして、得もいわれぬ優越感のようなもの・・・社会という表舞台では味わうことができない勝ち組のような気分を貪ったのだった。


自分の弱さを他人の失敗で紛らわそうとする・・・
自分の愚かさを他人の愚行で隠そうとする・・・
自分の悪性を他人の悪事でごまかそうとする・・・
そして、自分の心のあり方の誤りを他人の不幸で消し去ろうとする。
そういう心のしくじりが、自分の人生に暗い影を落としていることにも気づかす、いつまでもそうやって生きている。

「そんな人間は、俺だけじゃないさ・・・」
今も尚、私は、そういう悪い癖を直せないでいるのである。


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自分との戦い

2021-03-02 08:29:46 | その他
前々回の「緊急事態」。
そんなつもりはないながら、当人達をややバカにするような文調で、おもしろおかしく書いてしまったけど、大腸のトラブルは、決して他人事ではない。
ていうか、実際に漏らしはしないにしても、誰しも、似たような経験をしたことがあるのではないだろうか。
半世紀余り生きてきて、私も、同じような経験をしたことが何度となくある(漏らしたことはないよ!)。

最も多かったのは20代後半から30代前半、とにかく大酒を呷っていた時代。
毎日の晩酌は当然、今に比べると外で飲むことも多く(だいたい上野)、二軒・三軒と決まった店をハシゴ。
当時、健康のことはほとんど気にせず、食べたいだけ食べ、飲みたいだけ飲んでいた。
で、体重も今より15kgほど多く、腹回りもパンパン。
これでは身体を壊すのも当り前、結局、肝癌や肝硬変を疑われるくらいの悪い数値がでてしまい(実際は重度の脂肪肝)、禁酒とダイエットを余儀なくされた。
肝臓が悪いと腹を下しやすいそうで、深酒した翌朝は、きまって下腹が不調に。
通勤電車の中で冷や汗をかいたこともしばしば。
ただ、途中下車したところで、トイレまである程度の距離を歩かなければならない。
しかも、朝のラッシュ時にすぐにトイレを確保できる保証はなく、双方リスクは似たようなものなので、私は途中下車を選択せず、尻の穴に気合を入れて何とか会社までもたせていた。

しかし、一度、途中下車せざるを得ないくらい逼迫したことがあった。
「会社までもたせるのは難しいかも・・・」と弱気になった私は、途中の新橋駅で下車。
そして、案内表示を頼りに、人波をかきわけて足を急がせた。
広い駅構内、ようやくトイレにたどり着いた私は、ホッと胸をなで下ろしながら中へ。
すると、そこには想定外の光景が!
なんと、トイレ(大)には長蛇の列ができていたのだ。
難なく入れると思って油断していたらこの事態。
朝の通勤時間帯とはいえ「“緊急事態”の人って、こんなにもいるものなのか・・・」と、面喰らうやら、感心するやら・・・
そうは言っても、とにかく並ばなければ先へは進めない。
「他のトイレに移動するべきか・・・下手に動くと藪蛇になるか・・・」
短い用ですむ“小市民”が苦境に陥った我々を横目に出入りする中、私は、とりあえず列の最後尾へ。
そして、先の読めない待ち時間に焦りが増す中で、順に個室に入っていく“大先輩”に「早く出せ!早く出ろ!」と、まるで呪いでもかけるかのように念を送った。

当然、そんな苦悩もお構いなしに大腸は蠕動運動を活発化。
緩急の波をもって徐々に圧を上げてきた。
そうは言っても、苦悶の表情を浮かべて、ソワソワ・モジモジと身体をくねらせるのはカッコ悪い。
表情にだけは余裕をもたせて、ひたすら、尻の穴と拳に力を込め、身体を固くするのみ。
列の面々をみても、「まだ俺は余裕あるぜ」といった雰囲気を醸し出して平静を装っている。
実際は、緊急事態のはず、必至に!我慢しているはずなのに。
自分もその一人とはいえ、“大腸vs尻の穴”、皆がジッと“糞闘”している様は実に滑稽で、そこに小さな人間の大きな人間味を感じた。
併せて、朝の駅トイレ(大)は簡単に入れると思わないほうがいいことを学んだのだった。

しかし、人間の身体って、一筋縄ではいかないもの。
大腸が、TPОも考えず急に便意を発することがある。
すると、前記のように、一人の人間、一つの身体の中で「大腸vs尻の穴」のバトルが始まる。
直ちにトイレに行ける状況であれば何の問題もないのだが、すぐにトイレに行けない場合は、一進一退の“自分との戦い”が繰り広げられることになる。
当然、脳は便意を抑え込もうとする。
しかし、大腸は、そう簡単には従わない。
ひたすら、「出そう!出そう!」と、力んでくる。
しかも、姑息にも、飴と鞭(緩急)を使いわけて、こちらの意思を挫こうとしてくる。
便意が抑え込めないとなると、あとは、最後の砦“尻の穴”を締めてかかるしかない。
しかし、“尻穴筋”なんて、普段から鍛えようもないし、“大腸筋”に比べたら明らかに筋量が少ない(?)。
結局、圧してくる大腸を前にできるのは、防戦一方の時間稼ぎのみ。
尻の穴が稼いでくれた時間を使って便器を獲得するしか助かる道はないのである。

“鼻づまり”もそう。
風邪を引いたり高熱がでたりすると、ただでさえ呼吸が苦しくなるのに、この身体は、わざわざ鼻孔を詰まらせてくる。
苦しいときに、なんでそんなことをするのだろう。
ウイルスや菌など、悪いモノが身体に入らないように防御しようとしているのか?
病んでから鼻を詰まらせたって手遅れじゃないか?
とにかく、鼻が詰まると、息苦しくて仕方がない。
カッチカチに詰まったりなんかすると、怒りを覚えるくらい。
子供の頃は、棒を差して穴を通したくなるような衝動にかられたことが何度もある。
寝返をうったりして体勢を変えると、一時的に鼻がスーッと通ることがあるけど、その間にチューブを差し込んで穴が閉じるのを阻止しようかと考えたりもした。
そんな過激なことを考えさせるくらいに難儀なことだった。

鼻水・鼻づまり・・・これからの時季は花粉が多くの人を悩ませる。
ただ、ありがたいことに、私には花粉症をはじめ、アレルギーらしいアレルギーはない。
「人の目を気にしすぎる」「人付き合いが苦手」「猜疑心が強い」等、ある種の“人間アレルギー”があるくらい。
ただ、周囲には花粉症の人がたくさんいる。
それぞれ、薬をのんだり目薬をさしたりして対策を講じてはいるものの、万全の策はないらしく、目や鼻を赤くして、涙や鼻水を流している人もいて、ティッシュを箱で持ち歩かなければダメなくらいの人もいる。
それに加えて、今年はコロナがある。
咳やクシャミをするにも人目をはばからなくてはならない世の中。
自分の身体のことだけではなく、人目も気にしなくてはならないわけで、大きなストレスがかかっていることだろう。


そんなコロナ禍にあって、自殺件数が増加しているらしい。
とりわけ、目立つのが若年層と女性の自殺。
近年、私の仕事においても減少傾向にあったのだが、昨年後半から、やや目立つようになってきている。
ただ、現実には、「自殺」という名の病死もあれば、「病死」という名の自殺もある。
私見だけど、多くの場合の自殺は、ある種の病死だと考えている。
経済的に追い詰められている人、精神的に追い詰められている人・・・
何の希望も見いだせず、絶望の淵に立たされている人・・・
虚しさの中で孤独な戦いを強いられている人・・・
それで精神を病んでしまう人・・・
全部が全部、コロナの影響ではないのだろうけど、それだけ、厳しい現実に直面している人が増えているということ。

ということは、コロナ禍がなければ死なずに済んだ人もいたのかもしれない。
そこに抱く感情は、
自分との戦いに負けた悔しさか・・・
自分との戦いに勝てない寂しさか・・・
自分との戦いを終える安堵か・・・
あくまで主観的な想像だけど、もっとも大きいのは諦念と方向違いの解放感。
すでに葛藤や迷いはなく、後悔や悲哀も過去のものにしているのだろうと思う。

しかし、事情はどうあれ、ほとんどの他人は「自殺」というものを嫌悪し批難し、また恐怖する。
ただ、私は、自殺というものを許容するわけではないながらも、自殺者を戦いの同志のように思っている。
だから、自殺者や自殺現場にも嫌悪感や恐怖感は湧いてこない。
湧いてくるのは同情を超えた労いの気持ちのみ。
もちろん、自殺という事象で悲しみのドン底に突き落とされる人や、大迷惑・大損害を被る人もいるわけで、批難されても仕方がない現実があることはイヤと言うほど目の当たりにしている。

それでも、それだけで片づけないでほしい。
うまく言えないけど、そこには苦悩の中にも必死に生きていた命がある。
「敵前逃亡」「戦線離脱」等、色々な見方がある中で、少なくとも不戦敗ではなかったこと・・・その“不戦敗ではない”というところに焦点を当ててほしい。
そして、その家族・友人・知人は、その人がこの地上に生きていたこと、精一杯 生きようとしていたことを自分が生きているかぎり忘れないでほしいと思う。
弔いの意味でも供養の意味でもなく、そのことを自分の戦いの武器にしてもらいたいと思う。


“K子さん”が「メンタルが強い」と褒めてくれたことがある。
どんな凄惨な現場も、果敢に?処理する姿を思い浮かべると、そう思えるらしい。
しかし、それとメンタルの強弱は無関係。
私にとって、この仕事は、「生きていくためにやらざるを得ないもの」「やらないと生きていけないもの」、だからやれているわけで、決してメンタルが強いからではない。
もっと言えば、メンタルが弱い人間だから故に たどり着いた仕事。
メンタルが強い人間は相応の根性があり、こつこつと努力ができて、ジッと忍耐ができて、思い切った挑戦ができる。
だから、もっと立派な仕事に就くことができる。
一方、メンタルが弱い人間は、小さいことでクヨクヨしてしまうし、ちょっとしたことにつまずいてしまう。
些細なことで悩んだり、気分を沈ませたりすることも日常茶飯事。
努力・忍耐・挑戦といったものとは縁がなく、で、こんな顛末・・・四苦八苦・七転八倒の人生を歩いている。

“生きる”って、本来、そんなに難しいことではないはず・・・
しかし、現実には難しく感じる・・・
でも、ここまで難しくしているのは自分なのかも・・・

私は、知らず知らずのうちに贅沢病、わがまま病、怠け病を患っている。
無意識のうちに、常に何かに不満を抱き、常に自己中心的な思考をし、常に楽することばかり考えている。
また、過剰に金を欲しがり、過剰に人の目を気にし、過剰に先のことを不安に思うようになっている。
特に欲しいモノがあるわけではないのに金銭欲だけは旺盛で、見た目も生き様も充分にカッコ悪いくせに開き直れず、いつまでも人の目を気にし、幸せな将来が待っているかもしれないのに悪い想像しかしない。
どういう生き方が正しい生き方なのか、どうすれば楽に生きられるのか、大方のところは本能的にわかっているのに、そこから変わることができない。
自分の愚かさに、自分の弱さに、自分の悪性に、易々と自分を乗っ取られてしまう。
そして、後味の悪い夜をやり過ごし、寝覚めが悪い朝を迎える。

「昨日の自分に今日は勝つ!」「今日に自分に明日は勝つ!」
そう決意しても、その志はそんなに長続きするものではない。
“自分”というものは、そこまで強くはない。
ただ、体力も脳力も落ちてきているとはいえ、無駄に歳はとっていない。
振り返ってみると、若い頃は負けが込んでいたような気がするけど、このところは善戦しているような気がする。
固有の“逃げ癖”も、いくらか弱くなっているような気がする。

しかし、“敵”が弱くなったのでも、“自分”が強くなったのでもない。
敗戦の苦渋から戦術を学び、勝戦のたびに武器を磨き・・・
敵の弱点がみえてきて、自分の強みがわかってきて・・・
「肉を切らせて骨を断つ」というか・・・
歴戦の中で、戦い方がうまくなってきたのではないかと思う。
あと、残りの人生が短くなっていることも影響していると思う。
「最期くらいは、きれいに生きたいな」って。


戦いの相手は、目の前の生活ではあるけど、真の相手は、その向こうにいる愚弱悪な自分。
この戦いは、生きているかぎり終わらない。
粘り強く戦うか、妥協して手をゆるめるか、諦めて人生を下っていくか・・・
どちらにしろ、中途半端なところで戦線を離脱するわけにはいかない。
負け癖に甘えてばかりでは、生きている甲斐がない。

人生、負けるときもあれば勝つときもある。
敗戦から学ぶ必要はあっても、それを引きずる必要はない。
勝敗は、自分次第で、その都度 リセットすればいい。
「ツラいなぁ・・・」「楽したいなぁ・・・」
そう思ったときこそ、いざ勝負。
「絶好のチャンスがきた!」と、闘志を燃やそう!
今はツラくとも、今は苦しくとも、それを乗り越えた先には、達成感、満足感、爽快感、そして、次への希望・・・そういったものが待っている。

日々、繰り広げられる自分との戦い・・・
生きていることの意味と喜びは、そういったところにも隠されているような気がするのである。


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