春暖の候、満開の桜が、もう散り始めている。
毎年のことだけど、厳しい冬を越えたこの季節には、希望にも似た独特の穏やかさがある。
しかし、二年目に突入したコロナ禍によって、今年もまた、花見などの宴会は自粛しなければならないムード。
ただ、そんなことお構いなく「自分達が楽しければそれでいい」という者がいる。
ま、そんな輩はいつの世にもいるもので、あちこちの桜に集まっては酒盛りをしているよう。
まるで、何かに群がるウジ・ハエのように。
しかも、己も“社会のゴミ”“人間のクズ”になりたいのか、人の迷惑もおかまいなし。
ドンチャン騒ぎだけにとどまらず、自らが出したゴミもその辺にポイ捨て。
「人間ってヤツは、まったく、ロクなもんじゃないな!」
「世のためにならないから、さっさと散ってしまえ!」
とばかりに、せっかく咲いた桜も、嘆き散っているように見える。
時を合わせるように、懸案だった聖火リレーも始まった。
できるかぎりのコロナ対策を講じつつ進めていくらしいが、開催に否定的な私の目には、“実のないパフォーマンス””限られた人間のお遊び“のように映る。
また、オリンピックやる気満々の人達にそんなつもりはないのかもしれないけど、そこからは、戦時中の思想統制を思わせるような雰囲気が感じられて、私には不気味な窮屈ささえ感じられる。
誤解を承知で極端な言い方をすれば、「バカバカしい」。
“コロナ自殺”ではないかと思われるような死痕を目の当たりにすると、自ずと、そんな苛立たしい感情が噴出してくる。
一年も経つとやむを得ないのか、皆、コロナにも緊急事態宣言にも慣れてしまって、タガが外れている感じ。
緊急事態宣言が無意味なことだったように思えるくらい感染者も増えてきているし、変異種の感染者も確実に増えている。
外国からの観客は入れないことに決まったが、選手関係者の入国にも制限がかかるらしい。
下手したら、海外選手の入国にも厳しい制限が設けられるようになるかも。
この調子だと、国内の観客も簡単には観戦できなくなるだろう。
結局、無観客でやらざるを得なくなり・・・そうなって、やっと中止決定か・・・
開催したって大赤字を喰うことは目に見えているわけで、どれだけ無駄な金を、無駄な手間を、無駄な時間をつかえば気が済むのか。
とにもかくにも、このコロナ禍によって、オリンピックどころではない国民がたくさんいることは公然の事実。
自分の命を食いつぶすように、ギリギリで生きている人がいることを忘れてはならない。
しかも、少数ではなく大勢。
個人的には、ここは潔く中止して、その分の労力と費用を、死にかかっている人々の支援に回すべきではないかと思っている。
桜は散っても、また来春 咲くことができるけど、人は散ったら それでおしまいなのだから。
「おたく、“特殊清掃”とかっていう仕事をやっている会社?」
「孤独死の現場とか片づけるヤツでしょ?」
一ヶ月くらい前、ある日の夜中、中年男性の声で電話が入った。
当夜、電話当番だった私は、仕事の依頼、もしくは問い合わせだと思ったので、話の内容を書きとめるべく、メモ用紙を前にボールペンを手に取った。
そして、男性の話を聞き漏らさないよう、受話器の声に耳を傾けた。
「おたくの会社はどこにあるの?」
「○○(某県某市)にはないの?」
現場に近ければそれだけ利便性が高いし、地元業者だと どことなく安心感があるのだろう。で、“地元業者に頼みたい”といったニーズは少なからずある。
しかし、こんな珍業会社、“どこの街にもある”というものではない。
したがって、私は、男性が示した街に営業所はないことを伝え、その上で、男性が示した街も対応可能エリア内であることも伝えた。
「で、日給いくら?」
「月にいくらもらえんの?」
男性は、前置きもなく訊いてきた。
時間帯といい、口のきき方といい、てっきり客だと思い込んで丁寧に対応していた私。
しかし、それは大きな勘違い。
そう・・・男性は、特殊清掃スタッフに応募してきた人物。
とはいえ、“働かせてもらいたい”なんて謙虚な物腰ではなく、“待遇がよければ働いてやってもいい”といった横柄な態度だった。
「こんな時間にかけてきて、その口のきき方とは・・・」
「ケンカ売ってんのか!?」
それは、“ムカつくな”という方が無理な悪態。
そもそも、うちの会社は求人なんかだしていない。
男の正体がわかった途端、私は不愉快に。
愛想よくする必要なんかどこにもなく、私は、気分の赴くまま態度を豹変。
苛立ちを露わにして、憮然と応答した。
「孤独死・自殺数は増えているから、人出が足りないに決まっている」
「人が嫌がる仕事だから高給が稼げるに決まっている」
勘違いはなはだしいが、特殊清掃業には、そういうイメージがあるのだろう。
そして、残念ながら、この類のバカは、たまに涌いてくる。
一体、どういう神経をしているのか、どこの都市伝説を鵜呑みにしているのか、見識がなさすぎ。
あと、常識も良識もなさすぎ!
ついでに、頭も悪すぎ!
「幼稚園から行き直せ!」
「どんなに人手が足りなくたって、オマエのようなヤツは採用しない!」
私は、そう言ってやりたかった。
事実、どんなに高学歴だろうが、熟練者だろうが、無教養で礼儀知らずな人間は必要ない!
面接する以前、履歴書を見るまでもない。
しかし、そんなことを言ったって自分の口が汚れるだけなので、私は、“求人はだしていない”“人手は足りている”とだけ伝えて、さっさと電話を切った。
「ふざけやがって!」
「バカにしやがって!」
人にバカにされるのは慣れたこととはいえ、バカにバカにされると無性に腹が立つ。
私は、独り言でブツブツと電話の男に毒を吐いた。
と同時に、
“あんな男を雇う会社なんかあるのだろうか・・・”
“あそこまでバカだと、ロクな仕事に就けないだろうに”(人のことは言えないけど・・・)
“あんな人間でさえ雇わなければならない会社があるとしたら、気の毒なことだな・・・”
と、つくづく思ったのだった。
また、これも一ヶ月ほど前のこと。
遺品整理の調査依頼が入り、千葉県の田舎の方へ出かけた。
(ちなみに、そこは2020年市町村別魅力度ランキングで全国最下位という栄誉?に輝いたそう。)
車の運転が嫌いではない私は、のんびり走るつもりで早めに会社を出発。
時間にも余裕があったし高速料金も節約できるので、だいぶ手前のICで降りて一般道へ。
仕事とはいえ、走ったことがない道や、出かけたことがない地域を走るのは なかなか楽しいもので、穏やかな天気の中、束の間のドライブ気分を味わっていた。
そんな気分で平和に走っていた千葉の道。
片側二車線の大通りを走っていたときのこと、後方から爆音がこだましてきた。
それは、マフラーのサイレンサーを違法に改造したバイクのエンジン音。
そんなバイクが何台も集まって走行している音だった。
その集団は、爆音を響かせつつ、徐々に私の車に接近。
そして、信号待ちの最前に止まった私の車を取り囲むように停車したのだった。
普通にアイドリングしているだけでは気が済まないのか、彼らは、止まっている間も、“ブンブン!バリバリ!”とアクセルを空吹かし。
私や周囲の車を威圧しているつもりはなさそうなのだが、いつまでも止めず。
とにかく、自律神経が乱れそうになるくらいの爆音で、うるさくてたまらない!
あまりにやかましいものだから、「うるせー!!」と怒鳴ってやりたくなったけど、そんなことをしても、返り討ちに遭うだけ。
小心者は小心者らしく泣き寝入ることにして、私は、黙って彼らに視線を送るのみだった。
その行為に何の目的があるのか、まったく意味不明。
自分で“カッコいい”とでも思っているのか?
人に“カッコいい”と思われるとでも思っているのか?
私からみれば、「私はバカです!」と大声で宣伝しているようなもので、みっともないだけ。
恥を曝しているのは彼らの方なのに、もう、見ている方が恥ずかしくなるくらい。
周囲の車も、珍獣でも見つけたかのような好奇の目で、また、犯罪者でも見下すかのような冷ややかな目で、顔をしかめつつ彼らを見ているようだった。
家族連れのファミリーカーからは、
(親)「あんな大人になりたい?」
(子)「いや、なりたくない!」
(親)「でしょ!?」
(子)「うん!」
(親)「だったら、しっかり勉強しないとね!」
(子)「そうだね!ああはなりたくないからね!」
といった会話が聞こえてきそうなくらいだった。
そうは言っても、「無法者」とは言い切れず。
半キャップながらも、ちゃんとヘルメットはかぶっているし、信号も守る。
猛スピードで疾走するわけでもなく、蛇行運転はしても車線は越えないし、他の車の走行を邪魔するようなこともしない。
車体は暴走族風に品悪く改造してはあるものの、俗にいう“特攻服”を着ているわけでもない。
いわゆる「暴走族」といわれる輩とは違い、基本的な交通法規は守るよう。
こういう連中のことを「○○族」とか、別の呼び名があるのかもしれないけど、どちらにしろ、世間から白い目で見られることに変わりはないか。
私は、信号待ちの間、“どんなツラしてるか見てやろう”と、彼らの顔をジックリ見てみた。
このコロナ問題でも若者に偏見を持っていることが否めない私は、その集団もてっきり“若僧”だと思っていた。
が!、その顔を見てビックリ!
彼らは、どうみても皆40代、またはそれ以上・・・下手したら私と同年代の者も。
いい歳をして、“年の功”というものがないのか、何を学んで生きてきたのか、生きてきて何かを学ばなかったのか・・・
「呆れてモノが言えない」とは、まさにこのことで、はなはだ疑問に思った私は、驚愕の表情で首を傾げるしかなかった。
趣味を持つことも、趣味を楽しむこともいいこと。
バイクに乗るのもヨシ、好きなようにカスタマイズするのもヨシ、ツーリングでどこに出かけるのも自由。
しかし、社会規範は守るべきで、人に迷惑をかけてはいけない。
ただ、どうみても、あの騒音は不可抗力でも過失でもなく意図的なもの。
健常者だってストレスがかかるのに、近くに、補聴器をつけている人とか、療養している病人や眠っている赤ん坊がいたらどうするのか。
そんな良識、子供だって持っている。
人の迷惑をかけ、人に不快な思いをさせても尚、己の欲望を満たそうとする・・・
そんなことまでして遊んで、本当に楽しいのだろうか・・・
しかし、彼らにとっては楽しいんだろうな・・・
そんな人生、何の徳があろうか・・・
しかし、彼らには得した感があるんだろうな・・・
結局、「自分が楽しければそれでいい」ってことか・・・
私は、他人事では済まされないはずの価値観を他人事にして、ひたすら、彼らをバカにしたのだった。
「バカな奴・・・」
人を見てそう思うことが多々ある。
「バカな人間・・・」
人からそう思われることも多々あるだろう。
「俺も、結構なバカだよな・・・」
自分でそう思うことも多々ある。
自分に自信がない私でも、自分のバカさ加減には自信がある。
完全なバカは、人の目も気にせず、人の迷惑も省みず、能天気に人生を楽しむことができる。
賢い人間は、世の中との調和を守りつつ上手く人生を楽しむことができる。
しかし、バカはバカでも、私のような中途半端なバカは、賢くもなれず、バカにもなりきれない。
で、人生を楽しむことが下手。
振り返ってみると、随分ともったいない生き方をしてきた。
人に無礼を働いたり、自分本位で人に迷惑をかけたりするのはよくない。
当然のこと。
もちろん、そんな人間にはなりたくない。
しかし、やたらと人の目を気にし、やたらと人の心象を想いはかってばかりでは、自分が楽しくない。
品のないバイクにまたがり、爆音を響かせながら楽しげにしていたオッサン達のカッコ悪い姿を思い出すと、嫌悪感や蔑みの中にも、憧れるような、羨ましいような、妙な感覚が湧いてくる。
そして、あるはずの楽しみに気づけない自分の頭の悪さと心の鈍さを、虚しく、また口惜しく思う。
「人生は一度きり・・・短く儚いもんだよな・・・」
「もっと楽しく生きられればいいんだけどな・・・」
「とにかく、俺は、人の目を気にし過ぎ、金を欲しがり過ぎ、先のことを心配し過ぎなんだよな・・・」
ヒラヒラと散りゆく桜をながめながら、頭の回転と心の感度を上げていくことを考えている“バカちん”である。
-1989年設立―
日本初の特殊清掃専門会社
お急ぎの方は
0120-74-4949
(365日24時間受付)