特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

やる? やらされる? ~能動編~

2010-05-07 09:52:18 | Weblog
「死後一週間」
「もの凄い数のハエが湧いている!」
「とても中に入れない」

ある涼しい季節、若い女性の声で、そんな電話が入った。
私は、その口から発せられる一つ一つの言葉にもとづいて、頭の中で現場の状況を映像化。女性の説明を幾重にも重ねながら、その画を鮮明にしていった。

現場は、郊外に建つ高層の公営アパート。
その上階の一室だった。
現れたのは、20代に見える若い男女。
女性の方は幼児を抱いており、二人が夫婦であることは一目瞭然だった。

二人は、緊張の面持ち。
固い表情に笑みを割り込ませ、私に向かって深々と頭を下げてくれた。
一方の私は、頭の低さに恐縮。
二人よりも頭を低くすべく、子供の頃から硬いままの身体を強引に折り曲げた。

そんな挨拶を交わして後、本題へ。
二人と故人の関係、晩年の生活ぶり、経済的なことなど、男性は、抱える事情を話してくれた。
それを聞く私は、平然とした姿勢。
私の反応が、依頼者の感情を波立たせてしまうことがあるため、意図してその様な構えをみせた。

亡くなったのは、女性の父親。
特に疎遠だったわけではないのだが、その死に気づいたのは一週間後。
何日も電話にでないことを不審に思った女性が故人宅を訪問し、ベッドに横になったまま冷たくなった父親(故人)を発見したのだった。

晩年の故人は、体調を崩して無職。
借金こそないものの、収入らしい収入はなし。
わずかな蓄えを切り崩しながら、細々とした生活を送っていた。
若い二人も、自分達の生活を成り立たせるだけで精一杯。
幼い子を抱え、夫婦共働きもままならず。
父親の窮乏を知らないではなかったが、それを支援できるほどの余力はなかった。

「あまりお金をかけられないんで、自分達でできることはやるつもりなんです・・・」
二人は、原状回復にかかる費用のことを不安に思っている様子。
二人の口からは、故人の死を悼む心情よりも、金銭に関わる事情ばかりが出てきた。
ただ、私は、そんな二人のことを、“冷たい人間”だとは思わず。
無責任な人間は、そんな心配はしないわけで・・・私は、社会的責任をキチンと果たそうとする二人の誠実さに、好感さえ抱いた。

「でも、ハエがどうしても無理で・・・」
二人は、ゴキブリやハエなどの不衛生害虫が、極めて苦手とのこと。
気持ち悪さを通り越して、恐怖感すら抱くらしい。
そんな訳で、室内に入ることに強い抵抗感を覚えているようだった。

一通りの話が済むと、男性は、一本の鍵を差し出した。
そして、「一人で行ってきてもらうことはできますか?」と、申し訳なさそうに私に依頼。
難色を示す理由もなかった私は、「気にしないで下さい」と快く引き受けた。

大規模団地といえど、配置構造はいたってシンプル。
私は、他室の部屋番号を横目に歩き、故人の部屋に接近。
それから、玄関前に立ち止まり、クンクンと臭気観察。
外に異臭の漏洩がないことを確認し、念のため、インターフォンをPush。
中から応答がないことに違和感なく、鍵穴に鍵を挿し込んだ。

私は、小さく開けたドアの隙間に鼻を近づけて、軽く空気を吸った。
すると、私の鼻は、かすかな異臭を感知。
その濃度は、想像していたものに比べるとはるかに低いもので・・・
私は、緊張からきていた身体の硬直が解けるのを感じながら、専用マスクを首から外した。

当初、“土足で上がり込むことになるだろう”と思っていた私。
しかし、室内はきれいそのもの。
靴のまま入ることが躊躇われた私は、傍にあったスリッパを借りてそれに履き替えた。

狭い間取りの中、問題の部屋はすぐに見つかった。
そこは、大きなベッドが占有しており、そのベッドマットには人の死を訴える薄い汚れが付着していた。
しかし、それは、依頼者の不安を無にするくらいのライト級。
私は、気が緩み過ぎないよう気をつけながら、他に汚染がないか周囲を観察した。

すると・・・
腹が減って力が出ないのだろう、窓際に佇むハエが数匹・・・
餓死して床に転がる死骸が十数匹・・・
これから羽化するであろうサナギが、ベッドサイドに十数個・・・
ウジの姿は確認できず・・・
こんな具合に、私の天敵であるハエ達は、いつになく地味な展開をみせていた。

数分のうちに現地調査を終えた私は、一階のエントランスにUターン。
そして、エントランスでの立ち話はやたらと声が通るので、二人を屋外に連れ出した。
それから、部屋の異臭や汚染は極めて軽いものであることを説明し、その片付けは素人にもできるレベルにあることを伝えた。
同時に、本件を原因とする内装改修工事は不要であることを説明し、民間不動産に比べて、公営アパートの原状回復費用は格段に安く済むことを伝えた。

私の話を聞いた二人は、不安一色だった顔に、安堵の色が浮かべた。
そして、自分達で片付けるためのアドバイスを求めてきた。
しかし、やはり、問題はハエ。
その始末については、二人の間でなかなか結論が出ず、片付けの算段はそこで止まってしまった。

困惑する二人・・・
無邪気に笑う子供・・・
そんな若い家族の奮闘と前途を想うと、特掃魂に火がつかないわけはなく・・・
“ハエの始末くらいなら、無償でやってあげてもいいかな”という気持ちが、私の中に芽生えてきた。

「事のついでですから、虫の掃除だけしていきましょうか?お金はいりませんので・・・」
「え!?いいんですか!?」
「はい」
「しかし、無料でやっていただくのは・・・」
「ついでですから、大丈夫ですよ」
「すいません・・・助かります・・・」
私の申し出に、二人は平身低頭。恐縮しきり。
一方の私は、“ドンマイ”気分。
“たまにはカッコつけさせてもらおうかな”と、無償の作業を請け負ったのであった。


能動的に“やる”のと、受動的に“やらされる”のとでは、苦痛の度合いがまったく違う。
何事も、“やらされる”ってツラい。
外からのプレッシャーを、中からのパワーが受けきれず、ストレスがかかるためだ。

どうせやらなきゃいけないことなら、能動的にやった方がいい。
それは、私が、率先してキツい仕事に出向く動機の一つでもある。
率先していけば、やらされることからくるストレスを回避できるから。
ストレスを抱えて損をするのは自分だから。

前にも書いたけど、私は、この仕事・・・とりわけ特掃業務は、やらされてできるものではないと思っている。
もちろん、「実作業が不可能」と言っている訳ではない。
必要な道具を使い、必要なだけ身体を動かせば、一通りの作業はできる。
しかし、それでは、自分の心が喜ぶ仕事は完成しない・・・生活の糧は稼げても、人生の糧は収穫できないと考えている。

生きることも同様。
同じ人生であっても、能動的に生きるのか、受動的に生きるのか・・・
積極的に生き、楽観的に生き、希望を持って生きるのか、それとも、消極的に生き、悲観的に生き、失望して生きるのか・・・
・・・それによって得られる爽快感が違うと思う。

積極的に生きるとは、日々(生き方)の選択において、自分の気持ちが熱くなること(方)を選ぶこと。
楽観的に生きるとは、日々(生き方)の選択において、自分の気持ちが明るくなること(方)を選ぶこと。
希望を持って生きるとは、日々(生き方)の選択において、自分の気持ちが晴れること(方)を選ぶこと。

それは、自分にとって愉快な道ではないかもしれない。楽な道でもないかもしれない。
苦しみを重くし、痛みを強め、悩みを深める道かもしれない。
しかし、それが、能動的に生きようとする自分の良心が選択した道なら、きっと、そこから人生は開けてくる・・・そう思う

仕事でも勉強でも、次の一歩を、ちょっとだけ能動的に踏み出してみるといい。
その“ちょっとしたこと”が、人生において“たいしたこと”になってくるから。

そして始まる、今日一日。
今日も一日、がんばろ。ね。








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