市の星月夜日記

織江市の短歌、エッセイ

Hey Judeもしも未来へ逆立ちしたら少年のわたしがいるかもしれず

2008-09-25 20:41:28 | Weblog


 時間は逆行しない。この世に生きている限り。


 わたしは、わたしという肉体の舟にのって終末へと旅してゆく。

 
 時間は一直線。

 夢や、追想、空想のなかでは自分の器を超えて自在にとびまわれる。

 
 たとえばビートルズ、いくつかの名曲を聴くと、経験できっこないのに、「悪ガキ」だったかもしれない自分の過去未来が見える気がする。

 現実とはちがう感覚や情緒をくれる音楽、素敵だと思う。


 





 
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かつてありし君そのままにたたずめる紫苑のほとりを風ながれゆけ

2008-09-25 16:47:15 | Weblog


 椿さんが海外出張(?)から戻る。


 分刻みの移動で……とつかれた声。いくつか冗談めかして世間話。

 すこし笑ってくれた。


 わたしのかかわる高齢者・障害者福祉政策。

 選挙をひかえての短絡的な方針ではなく、ほんとに高齢者のための長いヴィジョンをうちだしてほしい。

 そうでないと、いまの高齢者だけでなく、現在と未来の国をささえる若い人たちだって、自分たちの将来を先取りして、何のために労働するのか、わからなくなり、いやになってしまうだろう。

 誰だって「老後」は迎える。


 あるべき自然の流れのなかで、ひとは人生をしまってゆかなくてはならない。

 思うこといろいろ。

 
 社会の出来事には、複雑な局面が幾重にも錯綜する。


 ケアワーカーとして、今は、ほんとに自分の手をつかってのおしごとをちゃんとこなせることが目標。


 思い出と現実のギャップを受容できず、意識に「ずれ」や「ゆがみ」がうまれること、それが認知症のひとつの姿という。

 
 中島みゆきさんが、昔、そんな歌をうたっていたとおもう。


 知性が崩れてしまっても、認知症の方の感情は、むしろ純粋にとぎすまされ、敏感なのだという。

 
 おさなごのように……?


 



 
 
 



 
 



 
 

 
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もの言はぬ含みまぎらすくれなゐは唇に沁む重ねあはせむ

2008-09-25 08:36:36 | Weblog

 平安装束の襲(かさね)色目の「萩」


 表が蘇芳、裏が青。あるいは表紫、裏は白、とも。

 蘇芳いろは、やや沈んだ色調の紫紅いろ。近い英名色彩ではRuspberry Red、と。

 平安時代の青は、現代では緑いろと言ったほうがいい。


 落ち着いた華やぎ、秋にふさわしい彩り。

 
 

 紫と白のくみあわせは白萩を写したものだろうか。


 
 風にうちなびく萩の、さわさわと咲きこぼれ散りこぼれる。


 

 ぢんもさんからメールいただき、わたしの歌のことなど、彼のブログで紹介してくださったそうだ。

 わたしはネットサーフィンほとんどしないから、せっかくの彼の心遣い、今日まで気付かなかった。


 ずいぶん誉めてくださって、うれしいし、ちょっとはにかむ。

 彼の御好意、とてもありがたく、このブログの読者の方にお知らせします。


 http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=134448&log=20080921



 海と空、風に雨にお花や樹々をながめながら淡々と詠っていたら、いつのまにかたくさんになったなあ、というのが、本人の感想。



 
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アルファポリス