PCをひらいたとたん一瞬息をのむ。
東南アジアで天災つづき、毎日悲惨な記事、日本では陰惨な事件。
星月夜日記、しょせん夢詩花日記(ゆめしかにっき)のたわごとで……よく言えば清談、昔むかしの言い回しなら「おんなこども」のよしなしぐさ、その程度と思っているのだけれど……。
千葉県で老夫婦が覚悟の自決。いたましい。
後期高齢者云々、という政府の方針、胸のなかでいろいろ思うことはあるけれど、わたしの舌たらずな考え、うかつには書けないと思っています。
死に臨む。
たとえば西行、だれそれのように、と言うのはかんたん。でも、いざその場になったらどうするだろう。
永井荷風さん、最後のさいごまで目をみひらいて、この世のなりゆきを見届けたいと洩らされた。そんな文章が、彼の随筆のどこかにあった。
わたしはなだらかにこの世を去りたい。
荷風さんのように、世間の何かをつくづくと見つめつくしたいとも思っていないし、ことさらな執着もない。
だいじにしていることのいくつか、全うして、静かに(また!)「身まかり」たい。
尊敬する歌人のひとり、斉藤史さん、お母様を介護し、おくられたあと、ご自身の老齢を迎えて、しみじみと詠われた。
おいとまをいただきますと戸をしめて出てゆくやうにゆかぬなり 生は
華麗な技巧も修辞も消えて、しんとした述懐。心にふかくしみる。
もう一首。これは気概を。
老いてなほ艶といふものありや 花は始めも終はりもよろし
いかにも彼女らしい、枯淡なつややかさを思う。よろし、というおっとりしたふくみに、老いへの哀しみが救われている。
さて、今日のとじめの星月夜、ひねくれてお読みにならないでください。
どんなひとにも終焉は来る。柏市の御夫妻の選択、しんじつかなしい。