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時悠人chosan流処世術

★小児科医の過労死に思う

2007-03-15 10:19:13 | 日記・エッセイ・コラム

 小児科医の自殺を過労死として労災認定した東京地裁の判決は、医療制度が抱えるさまざまな問題を象徴しているように思える。少子化に伴い小児科医が減少し、医師の稼動が過負荷になった不幸な事件だけにその意味合いは大きい。

 小児科の場合、内科と違い医師の手数がかかる。自分の症状を説明できない子供と無理難題を訴える親の両方を相手にする小児科医が敬遠される心情はよく理解出来る。昼夜のみさかいなく、ちょっと熱を出しただけで救急車を呼び病院へ駆け込む親の無見識さに、「タクシー替わりと勘違いしている」と救急隊員は嘆く。

 安易に救急車を呼べば、真に必要な場合に間に合わないケースが発生するのは当然で、緊急体制の不備だとばかり責められない。「何故、救急車出動を有料にしないのか?」が不思議だ。私が5年前にブタペストで倒れた時、救急車が到着して最初に妻が訊かれたのは、患者の容態ではなくお金を持っているかだったそうだ。長女もアメリカで同様の経験をしている。

 長期入院生活を通じて、病院のロビーを社交の場にしている元気な患者(?)や、生命保険の保障費を悪用するエセ患者の実態を現認し、苦々しく思った経験がある。国の医療行政は、マクロ的視点ではなく、現場の実情をよく知った上でないと地域格差・保障格差が拡大する一方だと不安が高まる。