プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★友人の再出発

2010-06-28 13:23:34 | 日記・エッセイ・コラム

 久し振りに顔を合わせた友人が、「6月限りで、やっと自由の身になれるヨ!」と二カッと笑った。彼は、入社同期で私のコーチ兼相談相手でもある。親会社からある事業を委託され、頑張っていたが、ようやく後継者が見つかったらしい。

 「これからは、炊事・洗濯・ガーデニングの生活だ」と笑ったが、安堵感に溢れていた。「お疲れさん!これでたっぷりトレーニング出来るね」とねぎらったが、彼の練習熱心は半端ではないといつも感心する。

 とにかく、故障だらけの体で医者通いをしながら、筋トレを欠かさない男だから、フィットネス・スコアが常に85~87点で、私と大違いのアスリートだ。本人も、トライアスロンの練習量が増えると嬉しそうで、「もう一度、Kと勝負したい」と宣言した。K君とは、一回り年齢が若く、アイアンマンのハワイ大会にエイジ別県代表になった本格派アスリートだ。

 「年齢相応で、ほどほどにしとけよ」と言って別れたが、私の忠告を聞くような男ではない。刺激を受けて、私も気合いを入れ直さなくちゃ、、。

次回更新は、3日の予定。


★W杯サッカーの犠牲者?

2010-06-27 10:10:20 | 日記・エッセイ・コラム

 数日前の日経新聞に、W杯サッカーに派遣された記者の現地レポートが載っていた。

 記者の趣味は、ジョギング。日本では、どれだけ忙しくてもランニングを欠かさず、走ることでストレスを発散させ、仕事のエネルギーを充填する生活を送ることが出来た。

 ところが、アフリカでは治安が悪く、取材時以外は外出できずに早くも3週間を過ごした。ホテル内でスクァットや筋トレで気を紛らせていても、あと2週間近く滞在するので、脚力が衰えると真剣に悩んでいる様子を綴っていた。

 帰国後、一から鍛え直そうと気持ちを切り替え、今まで以上に負荷の高いトレーニング・プランを思い描いても、失った時間が恨めしいと結んでいた。たかか趣味のこととはいえ、「俺の脚力かえせー」と叫ぶ記者に同情しつつ、社会活動の表と裏舞台を見るようで、複雑な思いがした


★沖縄への思い(2/2):復帰の深淵

2010-06-25 08:59:43 | 日記・エッセイ・コラム

 6月19日夜、NHKがある番組を放映した。タイトルは、「密使若林敬 沖縄返還の代償」。故佐藤総理の直使を務めた国際政治学者の若林が、沖縄返還のためには、核持込みの密約を「他策なしと信じた」交渉過程と葛藤をドキュメント・タッチで描いたものだ。

 彼は、1994年に「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」を出版し、国家機密を公にした。本の冒頭、「鎮魂献詞」として、『1945年の春より初夏、凄惨苛烈を窮めた日米沖縄攻防戦において、それぞれの大義を信じて散華した沖縄県民多数を含む彼我20数万柱の全ての御霊に対し、謹んでご冥福を祈念し、この拙著を捧げる』と記している。

 続く宣誓文には、『永い遅疑逡巡の末、心重い筆を執り遅々として綴った一篇の物語を、いまここに公にせんとする。 歴史の一齣への私の証言をなさんがためである。この決意を固めるに当たって、供述に先立ち、畏怖と自責の念に苛まれつつ私は、自ら進んで天下の法廷の証言台に立ち、勇を鼓し心を定めて宣誓しておきたい。』とある。

 「非核三原則」が評価され、ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作。著書出版の2年後、毒杯を飲み自らの命を絶った若林敬。政府が一貫して存在を否定し続けて来た機密文書が、政権交代で明らかになった。普天間基地移設問題は、沖縄返還に関わる歴史検証抜きには解決出来ず、まさに政治家のリーダーシップが問われ、国民共通の課題でもある。と同時に、放映されたタイミングに、メディア戦略の怖さと歴史のひだに飲み込まれる人間の哀れを感じている。


★沖縄への思い(1/2):負の遺産

2010-06-24 09:00:24 | 日記・エッセイ・コラム

 沖縄が1972年に日本に返還された当時、私は、東京本社で返還に伴う組織再編作業に従事していた。返還前後の2年間で、沖縄県民の民族性や歴史観に触れ、親近感を持った。

 後年、同系列会社の社員との交流を通じて、人なつっこい笑顔のかげに戦争の負の遺産が重くのしかかっていることに気付いた。そのような折り、1994年に発刊された「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(若林敬著)は、衝撃的だった。故佐藤総理のもとで、沖縄返還の対米交渉にあたった本人の告白書だ。(概要は次回)

 さて、政府の沖縄支援策は、公共事業と基地関連事業、観光を柱としており、多くの安定した雇用を創出する製造業などを育てなかった。労働対価の時給額が全国一低い原因もあてがい扶持の地域振興・支援策ゆえの悲劇だ。

 温和で従順な県民性に一種の諦観を植え付ける支援策を続けた結果、基地と補償抜きでは成り立たない経済構造が出来上がったのだと、私は理解するようになった。


★沖縄:「慰霊の日」

2010-06-23 10:44:52 | 日記・エッセイ・コラム

 記念日には、国や公的機関が定めたものから個人の記念日までいろいろ。販促活動の語呂合わせまで含めると、毎日が記念日で、大切な記念日の意義が埋没しないかと懸念している。

 今日は「慰霊の日」。この記念日は、国ではなく沖縄県が制定したものだが、広島・長崎の原爆投下の日や終戦記念日と同質の意義を持っている。とりわけ、今年の戦没者追悼式に寄せる沖縄県民の思いは、重い。

 しかし、民放メディアは、角界の野球賭博やサッカーW杯に多くの時間を割き、視聴率稼ぎに躍起だ。政治の話題にしても、消費税10%の賛否や内閣支持率・参院選のアンケート等、あたかも人気投票さながらの軽薄さだ。

 普天間基地移設を巡る政府の対応が沖縄県民の心の琴線に触れ、前鳩山総理大臣は辞任に追い込まれた。追悼式に参列後、仲井真知事と会談する菅総理の発言内容に注目している。