プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★孫との思い出作り

2018-05-26 19:02:38 | 日記・エッセイ・コラム
 私は、若い頃から「個人主義・自由主義」に徹して来たので、外国人の価値観に違和感がなく、娘の教育方針が夫君と相談の上であれば、容認できる。

 しかし、妻は、「行儀・しつけ」を基本とした日本の「全体主義」教育を受けたので、娘の行動が気に入らないようで、「そんな娘に育てた覚えがない」と、私に八つ当たりしたが、あっという間に三週間が過ぎようとしている。

 台所の手伝いもせず、孫の洗濯物までやらせるとこぼすが、私には、両方の考え方が分かるので、調整役に回る私のストレスがかなり溜まって来た。

 しかし、明日からオーストラリアで見れないパンダ見物を皮切りに、帰国する31日まで全員で旅行するので、楽しい思い出を作りたいと思っている。

 ついては、ブログも小休止し、次回更新は、6月1日の予定。

★英語教育と親の役割

2018-05-25 08:56:48 | 日記・エッセイ・コラム
 学校で指定した「読書の日」に、孫が英語の本を二冊借りて来たので、見せてもらったら、21年前に発行されたもので、殆ど、新品だった。

 金沢では、以前から、小学校で英語教育を重視しているが、図書室の本に手垢がついていないのでは、宝の持ち腐れになりかねない。

 私は、まず母国語で意思表示出来るようになってから、英語教育を始めても遅くないと思っており、自分たちの子供もそうしてきた。

 東京在住時代、娘2人(小学3と1)に近所のアメリカ人家庭で、週一回、英語レッスンを受けさせた。しかし、体系的な学習ではなく、その過程の同じ年頃の子供たちと一緒に、遊んだり、ゲームをしたりして、異文化に馴染ませるのが目的だった。

 有効だったかどうかわからないが、後年、長女は、アメリカで就職し、妹は、外大卒業後、2回のワーホリを経て、NZL人と結婚したことを思うと、二人の生き方に何らかの影響を与えたと思われる。

 しかし、それが親の希望した進路ではないことも事実で、子供は、成長と共に自我に目覚め、自分が納得できる生き方をするということを学んだ。

★体験入学で孫が得たものは?

2018-05-24 08:56:02 | 日記・エッセイ・コラム
 孫の体験入学も、今日24日の運動会をもって終了する。昨夜の雨で雨天順延を覚悟していたが、「予定通り、実施する」旨の連絡を貰い、孫のはしゃぐ声が狭い家一杯に響いた。

 ジジババは、後から孫の出る種目を見に行くことにして、親子三人揃って登校するのを見送った。

 孫には、最初で最後の日本での運動会を楽しんでほしいと願っているが、体験入学で何を感じ、何を得たかは、誰にも分からない。

 娘は、最初、泣いて登校を嫌がり、給食に手をつけなかった息子が、二週間、欠席せずに登校したことで、私の反対に勝ったと、満足しているようだ。

 しかし、私は、幼子のバイリンガル教育は、帰国後の環境の変化(孫の学校では、外国語の科目はインドネシア語で、日本語ではない)に適応できないと失敗するので、親の自己満足に過ぎないと思っている。

 せめて、31日に帰国するまでに、楽しい思い出を沢山作ってやりたいと思っている。
 

★乳歯のおまじない

2018-05-23 09:24:31 | 日記・エッセイ・コラム
 昨日、孫が学校から帰るなり、小さな紙袋を見せてくれた。昼食時に、ぐらぐらしていた乳歯が抜けたので、先生が紙にくるんで、持たせてくれたものだ。

 父親は、私に「NZLでは、昔から、抜けた乳歯を枕下に置いて寝ると、歯の妖精(トゥース・フェアリー)が集めに来て、代わりにコインを置いていく」という言い伝えを教えてくれた。

 妖精は、きれいな乳歯だけ持って行くので、歯磨きを躾ける時に教え込むそうだ。

 日本で一般的にみられる「上の乳歯を床下へ、下の乳歯を屋根上へ投げる」風習は、生えてくる永久歯を正しい方向へと願うおまじない。

 ほかの国でも色々な風習があるようだが、いずれも、子供の健康を願う親の気持ちを体現している。

 今朝、孫が、妖精が置いて行ったコイン(100円玉)を見せ、「ボクのお金。アイスを買う」と言った。
孫に物を贈り、お年玉を与えたことがないジジババにとって、自分で自由にできるお金を初めて手にし、喜ぶ顔が微笑ましかった。

★孫はちょうつがい

2018-05-22 08:13:30 | 日記・エッセイ・コラム
 我が家では、娘二人が東京の学校へ進学した時点で、夫婦だけの生活になり30年近い。「子はかすがい」の役目を果たした期間よりも長くなった。

 娘を嫁がせた時から、早晩、訪れる「老々介護」の試練に備えて、「自律と自立」を心掛けていても、時には、ざわめきが恋しくなる。

 さて、孫は、柱と柱をつなぎとめるだけの「かすがい」よりも貴重な「ちょうつがい」にあたる。扉を柱に固定し、開閉させる自由度があるので、硬直したジジババと未熟な親の間を無邪気な所作で繋ぎとめる。

 そこへ、「イクメン」で知られるNZL人の夫が加わり、妻の負担が軽くなったが、娘のいたらなさを見せつけられ、素直に喜べず、複雑な思いでいる。

 「ちょうつがい」のおかげで、扉の向こうの生活を垣間見ながら、残りの時間を濃密に過ごす事ができることに感謝している。