プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★走れぬストレス

2010-01-26 09:09:14 | 日記・エッセイ・コラム

 今年のランニング計画を立てようとしても、気合いが一向に乗って来ない。雪で外を走れないこともあるが、年々、体が動かなくなるので、先週末、主治医に相談した。

 血糖値(HbA1c)は、正常域を逸脱した高値状態から更に悪化傾向にあった。また、肝機能を示すγ-GTP値が正常値の3倍以上だった。γ-GTPは、アルコールに敏感に反応するが、私は、殆どお酒を飲まない。

 自分では、節制しているつもりでいたが、逆のデータが出て、しかも原因不明となると不安感が増幅する。去年、薬の服用で副作用が出たので、当面、「食事バランスと運動」で経過観察するしかないとの見解だった。

 昨日の午後、ジムで9カ月振りに測定した体成分検査でも「体脂肪が増え、筋肉量が2㎏減少」しており、運動不足が明らかになった。「安全と健康は自らの手で、か!」と、標語をそらんじながら、外で走れる日を待ち望んでいる。


★カウントダウン

2010-01-24 10:12:19 | 日記・エッセイ・コラム

 昭和46年(1971)、結婚した時、社宅に空きが無く入居できず、自分の給料では東京に住めなかった。鎌倉市に借りたアパートは、6畳一間で、風呂なし・トイレ共同だった。大船から1時間半かけて通勤する生活は、豊かではなかったが、決して暗くなかった。

 帰宅は、毎日午後10時過ぎで、冬でも外で水浴びするしかなかった。唯一の楽しみは、日曜日に二人揃って近くの銭湯に行き、帰りに大船松竹撮影所内にあるレストランでお昼をとることだった。

 映画全盛時代で、ロケ中の渥美清や倍賞千恵子の姿を時々見かけた。映画のセリフと同じく、「ヨッ!おっちゃん元気?」と言って、ラーメン屋に、「寅さん」がふらっと現れると、店内の空気が温かく一変するオーラが漂った。

 最近、やたらと若い頃の思い出が頭に浮かぶ。がむしゃらに前ばかりを見ていた頃と違い、残りの時間をカウントする領域に差し掛かった証しだ。断片的な記憶を自分史的にまとめる作業も中断したままの状態だ。今年中に体裁を整え、新たな次元へと進む礎にしたいと思っている。


★「廊下トンビ」:苦しい思い出

2010-01-22 14:14:59 | 日記・エッセイ・コラム

 永田町、霞が関界隈に出没する人種に「廊下トンビ」がいる。官庁の廊下を走り回る役柄からついた俗称だ。本来の意味は、吉原芸者の用語と聞くが、転じて、何かないかとウロウロしている輩を指し、決して良い意味で使用されない。

 しかし、時間軸で捉えると「ウチナータイム」と対照的で、社員教育の指針ともなる。他の部局へ資料を取りに行く時には、歩かず走って行けと鍛えられた。机の並びが一つ下でも、地位が違うと叩きこまれたし、課長から「君は首から上は要らない、体力を使え」と罵倒されたこともある。

 今ならそれだけでセクハラ問題に発展しそうだが、当時はそれが当然との空気があった。その後、部下を持つようになって、私は、部下を呼び捨てにしたり、提案を頭ごなしに否定しなかった。それらは、「ウチナータイム」と「廊下トンビ」両方の悲哀を味わったことの反面教師として表出したものだ。

 時間を超越する「時悠人」となった今は、「ウチナータイム」がいとおしく、貴重に思えるようになった。人生のひだを刻んだからかも知れない。が、豊かな自然に身を置くと、時間がゆっくり流れていく不思議な錯覚にひたれる。


★「ウチナータイム」~苦い思い出~

2010-01-21 10:37:21 | 日記・エッセイ・コラム

 沖縄には、「ウチナータイム」(沖縄時間)というものがあるという。時間にルーズな県民性を皮肉って使われるようだ。個人生活では、ある程度許容できるが、仕事上ではトラブルのもと。

 かつて、沖縄が本土に復帰する前年(昭和46年)、東京本社で沖縄の組織編入の仕事をしていた時のこと。当時、沖縄へはダイヤル直通電話でなく、オペレータを通して接続する待時方式だった。

 国会(逓信委員会)の想定問答集作りで、急ぎの調査依頼をしたが、なかなか返事が来ないので催促すると、「今、やっている最中です」との返答。しばらくして、しびれを切らし、再度、督促したが電話がつながったのが午後5時を過ぎていた。電話に出た上司が、「担当はもう帰りました」と答えた時には、頭に血が上った。

 沖縄のデータがなければ、回答書は作れない。原案を私が作り、係長・課長補佐・課長等の上司が加筆訂正して、国会担当に送り込む手順だ。国会開会中は、徹夜続きが常識の時代だから、上司から大目玉をくらい頭の血が下がった。それ以来、私が時間に極めてシビアになったのは言うまでもない。


★第31回海洋博公園全国トリムマラソン大会:後編

2010-01-20 09:30:21 | スポーツ

001マラソンの完走記録証は、「申告時間・完走時間・誤差時間」の三段階表示で、順位は印字されない。誤差時間で順位が決まるので、全員走り終わるまでゴール付近は大混雑だった。020

 マラソン会場となっている海洋博公園は、沖縄県の日本復帰を記念して1975年(昭和50)に開催された「沖縄国際海洋博覧会」跡地に開設された。面積71haを擁する広大な園内には、水族館や海洋文化館、熱帯ドリームセンター等々の施設があり、ゆっくり見て歩くと1日では回りきれない。026 色々な花を使った造形美術を見ていても飽きない。013_2

 レース当日は、最高気温が19度で暑くも寒くもないコンディションだったが、雪の金沢と大違いで、この時期に外で汗をかくことができて嬉しかった。

043 042_2  それでも、例年より寒いらしく、16日に開幕した「八重岳さくら祭り」の会場は、まだ1分咲き状態で訪れる人もなく、閑散としていた。せめてもの記念にと咲き始めた一枝を撮ったが、満開は月末にずれ込みそうな気配だった。