与えられた時間が残り少ないと思えば思うほど、無為に過ごす時間が貴重で惜しいのは道理だ。ここ2週間、失われた過去10年間の町内会の記録復元に努めたが、断念することにした。
一昨年、会計を引き受けたとき、過去のデータを体系的にまとめたものが無いことに愕然とした。町会は、親睦を目的とした任意団体だから、弾力的に運営して来たのだろうが、私には耐えきれないことなので、過去の帳簿を引っぱり出して、費目別に時系列データを作成した。次は、その費用対効果を分析し、施策見直しに反映させる段階だった。
その記録をバックアップしておかなかったために、落雷で一瞬にして失ってしまった。自分の不注意だけに余計に腹がたった。膨大な時間を供出して構築しただけに、悔しかった。任期は、3月末までなので時間との競争だった。ジム通いも中断し、必死にパソコンに向かったが、雑用に追いまわされて自分のペースが取り戻せず、焦燥感にかられた。
「鬱は決して悲観的になる必要がない。内に秘めたパワーを表出できないこととの葛藤であって、気力がある証拠。無気力は、救い難いが鬱は歓迎すべき状態だ」と、鬱々たる日々を送った。しかし、7年間のデータをまとめた段階で、完了させることにした。途端に気が楽になった。
人に言われて始めたことではないが、自己の軌跡を否定することになるのが許せなかった。だが、次期役員が新たな町会運営のビジョンを検討する際、参考に資するだけの情報は整備されたと自己満足している。