プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★サイパン島

2005-01-28 14:51:46 | 旅行記
EPSN00012005年1月19日。寒さから逃れるべく、例年なら東南アジアに出かけるところだが、スマトラ沖の大地震の影響もありサイパンにやってきた。
これといった観光名所も無いし、料理が抜群に美味いわけでもないのだが、私も女房もこの島が好きだ。小豆島ほどの大きさの島で、日本から飛行機で約3時間、時差も1時間と近いのも魅力といえば魅力だ。それよりも、現地で最初に気付くのが生活のリズムが非常にゆっくり、のんびりしていることだ。周囲の海をぼんやり見つめていると時間がゆったりと流れていく。買い物だ、観光だと計画的・活動的に動き回りたい人には不向きだが、何もせずに、時の流れを楽しむために滞在するには最高の環境を提供してくれること請け合いである。

日本が敗戦に向かっていた当時、このサイパンも激戦の地だった。今もなお、島のあちらこちらに日本軍が居留した跡が保存されている。意外と知られていないが、日本統治時代の歴史を物語る歴史博物館を訪れると、学校で学ばなかった日本人の活躍ぶりを発見できる。日本からサイパンにわたって31年という老人に、現地人の日本人に対する感情はどうだったのか?とたずねたら、当時も今も好意的だと聞かされ、嬉しかった。
 艦砲の 跡もこけむし 六十年(chosan)
 英霊を 祀る岬の 波白し(chosan)


 



●新年のご挨拶

2005-01-06 10:23:03 | 日記・エッセイ・コラム
 shosanコーナーをお読み下さっている皆さまに新年のご挨拶を申し上げます。本来、こういった形で私的情報発信をするのは如何なものかとのご指摘は覚悟のうえ。
本コーナーの位置付けは、「公開日記」の性格を持っておりますので、ご容赦を。

 2002年4月に36年間のサラリーマン生活を卒業し、「時悠人」としての生活を送り始めた時、決心した一つに「年賀状は一切出さない」ということがありました。分相応といいますが、先輩・同僚・後輩に恵まれ、或いは、時の運にも助けられ、キャリアを重ねるうちに、己の器量以上にバブリーに膨れ上がった自分に気付きました。それを身の丈相応に戻そうと、普通の一個の人間に戻りたいの一心で、「時悠人」と称し己の原点を見つめなおすことにしたのです。

 以来、3年間。毎年届く年賀状を前に、感謝しつつも無礼を承知で返事を出さないでいました。その甲斐あって(?)、今年ようやく31枚まで減りました。一時期の20分の1の量です。chosanの馬鹿さ加減にあきれながらも、送り続けてくださる方々のご厚誼に深謝し、これからのコミニュケーションのあり方を自問したいと考えております。


●2005年の幕開け

2005-01-06 09:50:28 | 日記・エッセイ・コラム
 2005年があけた。「門松や冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」と、詠んだ先人の心境が理解できる齢になってきた。大晦日と元旦は、止むことのない時の流れのなかでの世の慣わしだ。正確な定義は知らないが、ともすると怠惰に陥り安易に流れやすい人間の性を反省する区切りとしてとらえたい。

 今日一日、無事で過ごせたことに感謝し、明日また新たな活力をみなぎらせて元気に活動できるよう祈りたい。日々、心を新たに生きるように心掛けていくことで幸福な生活が送れるに違いない。「一日一生」「一日一善」の言葉が己の生活に重みを増してきたことを実感し、体現していくことが今年の心構えだ。