プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★第32回イスタンブール・マラソン:こぼれ話

2010-10-31 09:52:12 | 日記・エッセイ・コラム

 イスタンブールマラソンの最大の魅力は、通常の観光旅行では味わえないボスポラス海峡大橋とガラタ橋の両方を走って渡るコースにある。文字通り、アジアとヨーロッパ文明の接点を自分の足で踏みしめることが出来、感慨もひとしおだった。

 028 ガラタ橋の上で、ブルーモスクを撮っていたら、中国人ランナーが「take a picture!」と、カメラをぬっと差し出した。沿道の人にならまだしも、いくら立ち止っていてもランナーに頼むのは非常識というもの。いっそ、人物をいれないでおこうかと思ったが、大人げないと思い直し、シャッターを押したが、無性に腹が立った。

 099 10㎞地点で給水を受けた時、「can you speak english?」と、若者が声をかけてきた。「only a little」と応じると、通過タイムを教えて欲しいと言う。1時間10分と答えると、thank youとニッコリ笑い、ウインクを残して走り去った。問われて初めて、タイムを度外視して走っているのに気付いたが、予定通りのスピード(7分/㎞)だった。

 添乗員は、「海外レースはフルマラソンを走る参加者が圧倒的に多い」と言ったが、わずか15㎞のレースでも、色々な思いが交錯し、印象深い大会になった。


★第32回イスタンブールマラソン大会(4/4):アフターレース

2010-10-30 09:31:11 | スポーツ

104 ゴール後、添乗員に完走報告を済ませ、記念写真を撮って貰った。そこへ、外人男性が近寄ってきて、「may I take your photo?」と言うので、添乗員と3人で求めに応じた。片言で、「日本人が大好きです」と言う彼は、イスタンブール在住のトルコ人だった。

 話し込むうちに、「家に食事に来ないか」と誘われたが、遠慮した。外交辞令にせよ、トルコ人に親日家が多いことを実感した。ホテルでの完走パーティが無ければと残念な気もしたが、ヨーロッパでよく耳にする「ニイハオ」と言われなかったことの方が嬉しかった。

 夜の完走パーティは、レースの反省や今後の予定等で大盛り上がりだった。ベスト記録を更新した人はいなかったが、全員、観光レースを満喫したようだった。

 さて、市民ランナーは、走るだけのエリートランナーと異なり多士済々だ。毎年、ボランティア活動の一環としてカンボジアのレースに遠征している人や、保養を兼ねて12月はホノルルと決めている人、或いは、全都道府県のレースを巡る人、更には、ウルトラとフルだけに拘る人もいた。

 いつも話題の中心にいたのは、岐阜県の登山が専門の家具職人さん。揖斐川マラソンを初回から連続出場していて、2年連続制限時間をオーバーするまで続けるつもりだとか。彼は、山岳マラソンのダボス大会で日本人男子1位になったのが自慢だった(42㎞の部:標高差1,900m)。 「日本人参加者は自分だけだった」との落ちまで付いて、全員大爆笑。

 もうそろそろフルマラソンを諦めようと思っていたが、同年代ランナーのひたむきな姿勢に刺激され、目標を高く持ち直したいと思い始めている。


★第32回イスタンブールマラソン大会(3/4):レース概況

2010-10-29 08:59:49 | スポーツ

 089 コースは、道路を完全閉鎖して2レーンに分け、右側をフル(2,000人)、左側を15㎞(3,000人)用として同時にスタートし、橋を渡り終わった地点で合流する。  スタートして間もなく、ボスポラス海峡大橋にさしかかる。文字通り、この橋がアジアとヨーロッパのかけ橋で、両大陸の接点にあたる(黄色のユニフォームは妻)。094 093  

 橋の途中で右レーンを見ると、駕籠やの扮装をした集団がいた。レース後に聞いた話では、新潟県と長野県から参加した若者グループだった。完走したかどうかは不明だが、外国人ランナー達に大受けだった。 (写真は全てクリックで拡大) 

 8㎞付近で、新市街と旧市街の境界にあたる金角湾にかかるガラタ橋を渡る。橋上からブルーモスクやアヤソフィアが視界に入り、イスタンブールの歴史的景観を満喫できる。ここは、釣りのポイントでもあり、釣り人と一緒にカメラに収まるランナーも見かけた。098 102 橋を渡り右折するとまもなく、10㎞過ぎでフルと15㎞のコースが分岐した。

 歴代のスルタンが居城とした広大なトプカプ宮殿の庭園を抜けるとゴールのヒポドローム広場だ。一帯には、日本人観光客の姿も多く、沿道から「アレっ!日本人や」「頑張ってー!」の声が飛び交う中、「オトウサン、ガンバレ!」の声の主を見たら、若い外人女性だった。タイムは、予定通りの1時間43分、妻は1分遅れの44分台だった(申告タイムはともに1時間45分内)。


★第32回イスタンブールマラソン大会(2/4):スタート前

2010-10-28 09:10:30 | スポーツ

 レース当日(17日)の午前3時過ぎ、大きな雷鳴と稲光で目がさめた。カーテンを開け、暗い空を見上げたら、大粒の雨が降り出していた。坂途中にあるホテル前は、みるみるうちにゴミを洗い流す勢いの濁流と化した。「この分なら棄権だね」と、妻と話し合っていたら、5時半のモーニング・コールが鳴った。

 気が重かったが、前夜配られたおにぎり弁当を食べ、一応、準備を終えた。レースは9時スタートだが、送迎バスがゴール地点からスタート地点へ向かうので、6時40分にホテルを出発し、道順を確認しながら乗り場へ急いだ。084 いつしか雨はあがっていた。087

 スタート地点で、着替え等を荷物搬送用バスに預け、スタート位置へと移動するのだが、勝手が分からず、人の流れに身をゆだねた。スタート時には、すっかり晴れ上がり、深夜の大雨が嘘のようだった。

 日本では見られない光景として、同じ道路上にスタート用アーチが二つ設置されていた。アーチだけでなく、ゼッケン番号から荷物預けの袋や計測用タグ、道路誘導表示線にいたるまで、フルは赤色、15㎞は青色で統一されているのだと気付いたら、戸惑いが消えた。086

「Are you japanese?]」と声をかけられ、振り向いたらギョロ目の男性がニカっと笑った。当然のことながら、周りは全て外国人で、日本人ばかりが目立つホノルルと全く違い、外国のレースに出たと実感した。歓迎の意を込めて、手にしたゴム風船をくれたので、帽子に付けて走ることにした。


★第32回イスタンブール・ユーラシアマラソン(1/4):ツアー

2010-10-27 10:07:19 | スポーツ

 005 2010年10月17日開催の「第32回イスタンブール・ユーラシアマラソン」大会に出場するため、クラブ・ツーリズム主催のツアー(9日間)に参加した。参加人員「12(選手10、応援2)+添乗員1」の総勢13名は、15日13時35分成田発トルコ航空51便で、一路、イスタンブールへ。

 12人の内訳は、男7・女5(内応援2)。15㎞の部は、我々夫婦と愛媛県から参加した73歳男性の3人で、あとの7人はフル。県別では、福島2、栃木1、埼玉1、岐阜1、静岡1、兵庫1、愛媛1、石川4だった。

 私は6度目の海外レースだったが、他の人達は全員20~30数回の超ベテランばかり。フルのベストタイム2時間台が男女各1、ほか全員3時間台で、30歳台の女性と50歳台の男女各1以外は、全員65歳以上の高齢者。010

 さて、イスタンブール空港に到着したのは19時40分だが、時差の関係で、実に12時間のロング・フライト。入国審査を受け、専用バスでホテルにチェックインしたのは、午後10時近くだった。 翌16日、午前中にマラソンの手続きを済ませ、コース下見を兼ねた市内観光後、翌日に備えた。受付会場の光景は、いずこも同じで万国旗が翻り、シューズやウエアを主体としたグッズの販売ブースが所狭しと並んでいた。

024  フルと15㎞コースは、アジア側から同時にスタートし、ボスポラス海峡大橋を渡り、ヨーロッパ側の歴史地区を抜けるワンウェイで、10㎞過ぎで二手に分かれる。フルは赤、15㎞は青のゼッケン着用で、道路にも赤・青の線の誘導表示があるので分かり易い。途中、ブルーモスクやアヤソフィア等を見ながら、ガラタ橋を渡り、トプカプ宮殿内を抜けると、ヒポドローム広場がゴールだ(フルは、10㎞過ぎで分岐後、上りに入り、ゴール手前1㎞程の地点で15㎞コースに合流)。