プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

●他愛のない閑話

2005-09-30 15:09:42 | 日記・エッセイ・コラム
 「お久しぶりねえ。あんた、元気にしてた?」「元気、げんき。あんたも顔色よさそうね。ところで、最近、Aさん見かけないけど、心配してるのよ。何か知らない?」「私もここんところ、顔見ないもんだから、具合悪いんじゃないかと思ってんのよ」。

 病院の待合室で、おばあさん同士が声高に話している会話が耳に入った。この人たちには、病院も社交場になっているようだ。病院に来ない人の方が健康で元気なはずなのに、病院に顔を見せないと、具合が悪いんじゃないかと心配する、お二人の会話に思わず振り返ったら、大真面目に心配している様子。

 帰宅して、妻にこの話をしたら笑い転げて、「でも、定期的に通うことが出来るのもやっぱり元気な証拠ヨ!」と切り返された。うーん!そう言われてみると、病院通いもおぼつか無い程、容態が悪化したかも知れないのだ。病院へ顔を出す人は不健康で、来ない人が健康と決め付けるのは健康な人の発想だ。となると、私は、まだ健康人。でもなぜ、病院に、、??


●国体ルールの怪

2005-09-29 10:08:17 | スポーツ
 アーチェリーの山本選手といえば、アテネ五輪の銀メダリスト。国内でも国体6連覇が注目されたが、ナント、手続きミスで岡山国体に出場出来なくなった。しかも、本人のミスではなく、チームメンバー(3人編成)の1人に出場資格が無かったことが原因とか。ならば、せめて個人戦だけでもと思うのだが、団体戦に出ないと個人戦には出場出来ないルール。
 埼玉体協はチェックミスを認めたが、ルール上、出場は断念せざるを得なくなった。

 彼は、42歳。去年、アテネでの活躍は、お茶の間の中年ファンを奮い立たせた功労者だ。ルールはルールだろうが、本人の責めに帰さないだけに気の毒だ。ケースは違うが、テコンドーの岡本選手が個人参加の形で出場できたように救済の道が開かれないのだろうか。

 さて、これとは別に不思議なことに、毎年、国体では開催県が天皇杯・皇后杯を手にすることがあげられる。裏事情を知れば、国体のあり方自体を問い直すべきではないかと思わずにはいられない。敢えて、詳しい説明は省くが、競技別の得点方法と予選の組み合わせ方で、地元有利に仕組むことができる。俗に言うシード制を逆利用すれば、強豪のいない組のチームは、決勝ラウンドに進み得点を稼ぐので、総合点では上位にランクされるという訳。

 郷土出身者を強化選手にするなどの勝つための方策を予防するために、血止め策的なルール改正が頻繁に行われる。その隘路が、今回の山本選手の悲劇をよんだとも思える。本来の国体の趣旨や意義を原点に戻り、問い直す教訓としたいものだ。


●政治家の言葉

2005-09-28 10:46:25 | 日記・エッセイ・コラム
 「記憶にありません」とは、不都合な時に連発される政治家の共通語。某業界からの政治献金授受を巡り、昨日東京地裁で開かれた公判で、自民党のA議員が証人に立った。

 1億円のヤミ献金授受はおろか、授受があったとされる会食への同席までも否認したが、追求されて、「記憶に無いが、皆さんがそう言うのならば出たのかもしれない」と、証言。幹部会で扱いを話し合ったかどうかについては、「億という金額は大きいので、話が出ていれば記憶している」とも。

 日頃、何を考えているのか含みが多く、不気味な発言で煙に巻くこの人らしく、法廷でも弁護団を煙に巻こうとした。記憶に無いというのは、偽証にはならない実に便利な言葉だ。老獪な政治家で度胸が据わっていないとこうは言えない。
 一方、素直に当選の喜びを表現した若者が不謹慎と責められ、謝罪会見までした。その裏で、ヤミ献金事件の話題は片隅に追いやられてしまった。

 同じ27日の出来事なのに、マスコミの扱いが全く違う。新米議員の失言(?)と、ヤミ献金事件と社会的にどちらを優先すべきなのだろう。「金と政治」の腐れ縁には、慣れっこになってしまって騒ぎ立てるのが馬鹿らしいのだろうか。それとも、、。


●用語誤りのお詫び

2005-09-26 10:46:39 | 日記・エッセイ・コラム
 今日掲載した「スポーツ界もいろいろ」の文中に、誤りがありご指摘を受けました。不勉強をお詫びし訂正致します。

 野口みずき選手が、ベルリンマラソンで快挙を達成した記事につき、「新記録」とあったのを「最高記録」というべきと批判しましたが、「新記録」が正解。2004年から、従来の表現を改め、「新記録」と統一されたと東京にお住まいのアイアンマンから助言を受けました。有難うございました。

 今回、そして、選挙前後の小ブログに対し、お会いしたことも無いブログ仲間から数々の親切なご指摘をいただき、嬉しくなりました。
「なんだ、こいつは!知ったかぶりして。もう少し勉強しろ」と、一笑に付されてもおかしくない独りよがりだっただけに、余計、ご助言が身にしみました。

 ブログを通じて「自己実現を図る」、或いは、「人格形成する」と、その効用を強調する偉い人もいます。それ程、大上段に振りかぶらなくても、発信した情報を幹に色々な人の考え方が枝葉となってつけばこの上ない喜びです。今後も、めげずに発信して行きますので、宜しくお願い申し上げます。



●風とともに去りぬでは困る

2005-09-26 10:29:27 | 日記・エッセイ・コラム
 昨日9月25日、開期185日間の愛知万博が閉幕した。入場者数2200万人は、当初予定の1500万人をはるかに超える大盛況だったとの評価だが、多くの問題も残した。

 出展施設の後利用計画があいまいなことと、収益金100億円の分配を巡る綱引きだ。関係者間で調整される問題なので口出し無用だが、どこかおかしい。これだけ大きなイベントなのに、事前に後利用計画を検討していないというのは??だ。パビリオンは原則撤去ということだが、ものによっては向こう3~5年間、残置利用するとか。

 イベントは、人と情報が動き経済効果も期待できるが、基本コンセプトを明確にしておかないと後日、問題を引きずることになる。
今回は「愛・地球博」と銘打ち、環境保護をメインテーマにし、工作物が土に戻るさまざまな創意工夫を凝らしたとの前評判だったはず。
何故、今頃になって後利用計画を巡ってトラブルのか理解出来ない。ましてや、ゴンドラ残置のために署名運動まで展開していると聞くと疑問符ばかり。

 私は、何時間も待つ忍耐力に欠けているので、この種イベントには一切出かけない。大阪万博時も近くにいながら足を運ばなかった。その後、万博記念公園で開催されているマラソン大会には参加したので、単なる天邪鬼かも知れない。パリ万博のエッフェル塔や大阪万博の太陽の塔がシンボリックに人を集めているのを見るにつけ、愛知万博が未来に残す物は何なのか気になるところだ。