プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★人間国宝の一門会

2007-03-04 10:17:05 | 日記・エッセイ・コラム

 昨夜、県立音楽堂邦楽ホールで落語会の至宝「桂米朝一門会」が開催された。桂三枝の独演会では、開演時間を間違えるハプニングを演じただけに、念には念を入れて二人で何回もチケットを確認するさまは、我ながら滑稽だった。

 米朝さんの噺を聴くのは7年ぶり。体調不良と伝えられていただけに、高座に向かう歩調も危なっかしかったが、座布団に座ると別人の風格が漂った。 齢も82歳をかぞえるだけに、生の姿を目に焼き付けようと神経を集中したら、辛い花粉症の鼻グスまでおさまったから不思議だ。師の元気な頃の話芸を知るだけに、重厚さと切れ味が薄れてきたのは寂しいが、観客を惹き付けるオーラは健在だった。

 好みとなると私は、ざこばさんより南光さんのエネルギッシュな話芸の方が好きで、いつも楽しみにしている人の一人だ。今回も汗びっしょりの熱演だったが、噺の途中から私の頭の中で別の人物の顔がだぶって来て、壇上の南光さんに乗り移った錯覚を覚えた。故桂枝雀の一番弟子で、一昨年の七回忌興行での師匠を語る口上が思い出された。

 枝雀さんの大ファンだった私には、その芸風が弟子の心に深く刻み込まれて、息づいていることが嬉しかった。最近、文珍、鶴瓶とタッグを組んで落語会や若手をしごく会など広範囲で活躍中の南光さんには、枝から幹へと太く大きく育って欲しいと願っている。