プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★マスコミ・オンブズマン

2007-01-26 10:34:21 | 日記・エッセイ・コラム

 現代社会における「メディアの威力」は、かつてと比較出来ないほど強大だ。私のブログなどはごく一部の人にしか読まれないが、それでも中傷めいたメールや歓迎出来ないトラックバックが無遠慮に送りつけられる。

 政治の世界でも、マスコミ戦略抜きでは選挙に勝利出来ない構図になっている。民主党の「生活維新」CMは不評のようだが、ある意味では皮肉交じりで傑作だ。豪腕と評される小沢代表が吹っ飛ばされ、菅・鳩山氏が両脇から支える映像になっている。岡田、前原と続いた清新な民主党のイメージとは随分異なるが、重厚な存在感を与える絵でもある。

 さて、マスコミは連日、宮崎知事に当選した「そのまんま東」さんを追いかけている。夕張市を訪れた「みのもんた」の取材特番が放映された。東京都の区議の政務調査費の無駄遣いは、領収書添付や条例変更問題にまで発展した。赤坂議員宿舎のべらぼうに安い家賃問題で、入居を敬遠する議員が続出している。

 これらは、いずれもテレビ媒体の威力を如実に証明する好例だ。マスコミ各社が”やらせ”企画でなく、客観的な立場で情報提供するだけで、視聴者が政治を身近に理解し、関心を寄せる公器にもなる。殺伐とした肉親間の愛憎事件や殺人事件をドラマ仕立てで追いかけるよりも、はるかに建設的だ。今夏の参院選まで、国民が疑問に思い政治で解決して欲しい問題をシリーズ化して取り上げて行って欲しい。「改憲」や「教育再生」も重要だが、国民が最優先して欲しい問題が他にあることを政治家に思い知らせる最大の武器がテレビ媒体だと思う。

 全国各地で市民オンブズマンが微力を尽くしているが、マスコミ各社がこれをバックアップしたらより強力で大きな力になるに違いない。とりわけ、中央キー局だけでなく、ローカル各社が地元の問題を掘り下げて取材し、全国ネットワークに重畳させる努力をすれば、きっとより良い日本を再建出来ると確信する。民放の「マスコミ・オンブズマン」の誕生を期待したい。


★日本人の品格

2007-01-25 10:29:22 | 日記・エッセイ・コラム

 今日から通常国会が始まる。これからの日本の進路を左右しかねない重要な意味合いを持つだけに、注目したい。

 その直前の24日。文部科学省の調査で、小中学校の学校給食費の未納額が約22億円もあることが判明した。しかも未納原因のうち、60%は、保護者の責任感や規範意識の問題で、経済的な理由を大きく上回るというショックなものだ。税金やNHK受信料、年金保険料などは、不信感や抗議の意味合いもあろうが、医療費や保育料にまで及ぶとなると、社会の規律に反し、もはや常識の域を超える。

 給食費の未納者対策として、学校に徴収担当者を配置したり、プリペイド方式を採用している自治体まであるという。「義務教育なんだから給食も当然無料」とか、「お金を払うのに、何故、いただきますとかご馳走さまと言わせるのか」と、くってかかる親までいるとか。”いじめ”問題でも同様だが、大人の倫理観が如何に貧しいことか。今の日本列島全体を覆っている無責任体質は、一体どこに起因するのか憂鬱な気分にさせられる。

 それならいっそのこと、経済支援中心の少子化対策に1兆円もかけずに、「義務教育期間中の給食費は無料」とすれば、徴収費用や管理も不要となり、トータルコストが安くあがる。同時に、先生方が本来の仕事に集中できる環境が作られ、教育の質は自ずと高くなる。この際、安倍首相には「バウチャー制度」や「教員免許更新制度」といった小手先の改革ではなく、高度な政治判断を期待したい。


★メディアの品格

2007-01-24 12:02:43 | 日記・エッセイ・コラム

 関西テレビが制作した番組「あるある大事典」の捏造問題は、社長以下、関係者の処分と番組打ち切りで幕引きになるのだろうか? 日曜夜9時からの放送で、視聴率15%前後を稼いでいたというからその影響力は強力だ。しかも、”健康をテーマにしていただけに、社会的責任は極めて重い。

 やらせ番組は過去にもあった。やらせでは無いにしても、ゲスト・タレントの無知のせいでインチキ臭い番組は数多い。グルメとか旅行程度ならまだ罪は軽い。しかし、今回の不祥事は、やってもいない実験データまででっち上げたとあっては、納豆も迷惑に違いない。

 私は、常々マスコミのモラルや偏重主義にクレームをつけてきたが、現代社会に果たす使命がそれだけ大きく重い性格を持っているからだ。裏返せば、それだけマスコミへの期待が大きいことでもある。とりわけ、テレビ媒体の威力は群を抜く。視覚に訴えるだけに、迫真の説得力がある。

 世論形成に絶大な威力を持つテレビ各局の企画担当は、今回の「あるある」事件を視聴率偏重主義の成せるわざとして看過せず、社会正義の立場から国民に正確かつ公平な情報を提供するよう心掛けるべきだ。マスコミに従事する関係者一同にお願いしたい。


★初笑いで大笑い

2007-01-22 11:42:50 | 日記・エッセイ・コラム

 1月20日(土)、桂三枝の独演会に足を運んだ。昨年秋、桂文珍の寄席では後方の席しか予約出来なかった反省を踏まえ、今回は前売り発売当日にネット予約を利用した。

 彼の司会や大切りを聴いたことはあるが、寄席の落語を聴くのは初めてとあって、いつもは開演10分前位に会場に入るのに、待ちきれずに30分前に着席した。ステージから数メートル離れた中央席なので、演者の細かい表情の変化もつぶさに観察できる特等席だ。まわりを見回すとかなり混んでいて、人気の程が窺われた。

 着席して1~2分も過ぎない時、開演のブザーが鳴り響いたので思わず時計に目をやった。「ひょっとしたら、スケジュール都合で、時間を繰り上げて退席するのかしら」と、女房が小声でささやく。会場のアナウンスも無い。やがて緞帳が上がり、三枝の登場に拍手が沸きあがった。演目は、得意とする創作落語で「カラオケ葬儀」で、軽妙なトークは会場を笑いの渦に巻き込んでいった。

 私の初笑いのテンションも次第に高くなり始めた時、彼が「今度また、この会場に戻ってくる日を楽しみにしております」の挨拶と共に幕が下り、「これで本日の寄席を終了いたします」のアナウンスが会場に流れた。とっさには状況が呑み込めず、顔を見合わせた。

 ナント、我々は開演時間を2時間も間違えていたのだ。最終演目の幕間に着席し、最後のステージだけを、、、。偶然、幕間だったから入場出来たので、上演中であればシャットアウトされただけに幸運だったのだと、虚脱感に浸りながら観客が退くのを最後まで待って会場をあとにした。なんとも間の抜けた話で、笑うに笑えなかった。初笑いのオチがどじ笑いの大笑いに。オソマツさまでした、あーぁ。


★地域のポテンシャル

2007-01-19 09:48:37 | 日記・エッセイ・コラム

 16日の小ブログ「近代化と郷愁」にコメントを頂戴した。金沢市中心部の開発計画に対する評価が間違っているとの指摘だった。

 都市開発の必要性は認めるし、否定するつもりも無い。ただ、その都市が持つ財産ともいえる伝統文化を含めたポテンシャルを高める長期ビジョンに立脚して、都市創りを進めないと後悔すると思う。

 17日に「美しい国づくりは国民の手で」と題して、ニセコの例をあげたのも、地域特性を最大限に発揮する努力が大切だと言いたかったもの。その意味では、表現力不足で誤解を与えたことをお詫びするが、孤老のたわ言と受け止めて頂ければ幸甚だ。

 さて、加賀百万石の石川県は、人間国宝の数が京都市に次いで2番目に多い。人口当たりの日展入選者数にいたっては、二位の京都を2倍以上引き離してダントツのトップだ。地域や会社には、謡曲・茶道・華道などのサークル活動が活発だし、生涯学習に関するカルチャースクールも盛んだ。

 その土壌は、前田家が外様大名ゆえの宿命と悲哀にある。輪島塗や九谷焼、加賀友禅や金箔・象嵌細工等々、いずれも世に知られた高度な技術に支えられた文化だが、町民のパワーを結集する大きな祭りは無い。百万石祭りは戦後誕生したものだ。そして、県都金沢は、その象徴として頂点に立つ都市だ。

 1962年4月、第四高等学校跡の戸田講堂での入学式。「世界で、城の中に大学があるのは3つだけ。その一つで学ぶ諸君は誇りを持って欲しい」との学長の言葉を今も忘れない。私の卒業後、学校は郊外に移転し、四高跡が中央公園と文学館に変貌した。自動車の普及に伴い、名物の市電も撤去された。片町・香林坊にあった古本屋・喫茶店・映画館等は衰退の一途を辿り、学生街の風情はかけらも残っていない。

 当時、移転や市電撤去反対運動に加わったが少数意見は無力だった。それが、30数年を経た今、四高跡を保存すべきだとの主張が復活している。一度失った都市形態が元に戻ることは無い。数年前、ハイデルベルグを訪れた時、14世紀に建てられたお城の中で学ぶ学生の姿がまばゆく羨ましかった。金沢に生まれ育った私が、金沢を嫌いになったのはその時からだ。