プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★「対馬の日」って?

2006-06-30 09:35:59 | 日記・エッセイ・コラム

 昨年、島根県議会が2月22日を「竹島の日」に制定した際、韓国内で激しい反日行動が相次いだことで、日本国内でも、竹島問題に対する関心が高まった。が、対抗措置として、韓国南部にある馬山市議会が、6月19日を「対馬の日」と決めたことは、大きく報道されなかった。

 対馬は平成15年の合併で、島が対馬市として一つに統合されたが、財政事情は夕張市と大差無い状態だ。市をあげて韓国からの観光客誘致に力を注ぎ、別荘地開発を進めている。市内にハングル文字の看板が立ち並ぶ光景は、韓国領かと錯覚しそうだ。

 本土からは132km、沖合い50kmの対岸は釜山で、外国に近い。政府が地方の創意工夫で自立を促す政策を掲げる以上、一部住民から売国奴の批判を浴びながらも、マーケットとして期待する気持ちも分からぬではない。しかし、韓国人向けの分譲別荘まで登場している現状は、国境問題があるだけに微妙だ。

 竹島と違い、対馬は4万人をこえる日本人が住む島。「対馬の日」は、言いがかりでしかないが、竹島に限らず、北方領土や沖ノ鳥島等も含めた領土問題を未解決のまま放置していると、海洋国日本の貴重な財産が有効に活用出来ないと懸念する。


★少子化やむなし

2006-06-29 10:07:03 | 日記・エッセイ・コラム

 少子高齢化は、誰もが否定しないキーワード。しかし、この傾向は何も最近に始まったことではない。好ましくないが致命的ではなく、悲観的になることもない。

 この際、一歩踏み込んで「少子化やむなし」と言いたい。少子高齢化の弊害は、若年労働人口の減少による経済への影響や年金負担増に直結するし、医療費の膨張にもつながる。また、逆さピラミッド型の人口分布は、活力を失い、多くの社会問題を引き起こすとの批判は百も承知だ。

 しかし、長いスパンでみれば、日本の人口が1億人を割り、8000万人になったら何が不都合なのだろうか?もともと、狭い国土で資源が少ない国に、人口が密集していることの方が不自然ではないのか。憲法でうたう”健康で文化的な生活”とは、防衛を機軸とした日米同盟(=世界侵略)とか、企業の海外進出(=経済侵略)によって実現すべきものではないはず。

 身の丈不相応に膨張した経済構造、豊かさに慣れきった精神構造そのものを謙虚に見つめ直すべきではないのか。そして、21世紀に相応しい新たな価値観を確立すべき時が到来していると思う。そのための”痛み”に耐える必要性を感じる。


★地産地消と離産離消

2006-06-27 08:35:30 | 日記・エッセイ・コラム

 米牛肉の輸入解禁が決まるプロセスは、食の安全問題が政治の道具に利用されているようで残念だ。アメリカ牛の輸入再開に伴い、オーストラリアへの影響を考えると、ご都合主義に振り回される国の立場は気の毒だ。

 牛肉に限らず、不可解なのが輸入品の方が国産品よりも価格が安いこと。輸送コストや面倒な手続きを考えると、輸入品が高くて当然のはず。ところが、野菜・果物、魚等々の食材が全て、国内産の方が高い。さらに、国内でも、地元産よりも他県産の物が安い。このなんとも不可思議な現象が理解出来ないでいる。

 金沢市内のマーケットで、地元産と表示されている魚や野菜は、他県産物よりもはるかに高い値段がついている。農協は、一部の野菜に「加賀野菜」とのブランド名を付けて、首都圏で販路拡大を狙っている。所得格差が拡がり、流通革命も手伝い、大都市では大量に高く売れるからだ。これでは、地産地消ではなく離産離消だ。これは、日本各地共通の現象で、値崩れ防止のために生産調整までする。旬の物を求めて生産地を訪れたら、”ありません”では漫画だ。

 日本の食糧自給率は、かつて70%以上だったものが、今や40%を割り込んでいる。急激な経済発展の過程で、農地や山林を乱開発し、工場や宅地に転用してきた与党と農水省の無策がさまざまな歪みをひき起こし、社会構造までも蝕んでしまったことを糺すべき時ではないだろうか。


★太平洋5カ国ラグビー対抗戦

2006-06-26 09:05:04 | スポーツ

 サッカーW杯のかげに隠れて余り報道されないが、現在、太平洋5カ国ラグビー対抗戦が開催されている。日本チームは、24日、ニュージーランドのオールブラックスjrと対戦し、8対38のスコアで敗れたことをメールで知った。くしくも、試合は、友人の故郷ダニーデンで行われた。彼の自慢げな顔が目に浮かんだ。

 この試合は、6月17日に急逝した往年の名プレーヤーで、元日本代表監督の宿沢広朗氏(享年55歳)の弔い合戦。試合前、黙とうがささげられたが、スクラムハーフとして活躍した彼の現役時代のプレーを知っているだけに感慨深かった。

 この日、トライをあげた三宅選手が、「ボールに宿沢さんの思いが乗り移った」と語ったが、残る試合は1試合だけ。7月1日に大阪・長居競技場でフィジーを破れば最下位脱出の展望が開ける。サッカー以上に世界の壁が高いことを痛感させられる。

 2011年の世界選手権開催地をニュージーランドに奪われたが、ラグビーのレベルアップの面で期待していただけに、日本開催が実現せず残念だ。3年後、敵地に乗り込んで宿沢さんへの恩返しを実現して欲しいと、日本ラグビーの健闘をひそかに祈る。


★ジーコをオシム!!

2006-06-25 09:59:51 | 日記・エッセイ・コラム

 日本サッカー協会の川渕チェアマンは、24日の記者会見で、日本代表チームの監督に、オシム氏(現J1千葉)の名前を挙げた。

 W杯サッカーで惨敗し、無念の帰国の途に着いたジーコ監督や選手達に対する慰労の言葉も無く、後任候補を発表する姿勢は、軽率の一言ではすまされない。ジーコ監督に対し失礼だし、第一、水面下で交渉中の人物の名前を、なぜ、このタイミングで発表したのか。

 メディアも連日、ゲーム中継を通じて、予選敗退を重大事の如く受け止めているが、日本サッカーのレベル自体を過大評価しているきらいがある。期待をし応援するのは構わないが、サッカーの歴史を考えれば、戦前の期待度が加熱しすぎで、サポーターが熱病に浮かされているとしか思えなかった。応援に一喜一憂できるエネルギーを羨ましいとも感じるが、そのことと、敗戦の原因分析は別のはず。

 ジーコ監督の指導力をどう評価するのか、私には分からないが、もともと選手実績があっても監督としては未知数のジーコを起用した狙いは何だったのか。思いやる心があるならば、せめて後任の発表は、日を改めて欲しかった。ジーコ監督の心情を慮ると申し訳ない気持ちにさせられる。チェアマンが敗戦の責任追求の鉾先をかわすために爆弾を投げつけたのかとさえ勘ぐってしまう。「ジーコ、長い間お疲れ様でした。有難う」。