プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★ずっこけ話

2007-10-30 14:19:50 | 日記・エッセイ・コラム

 昨夜、歯を磨いていたら、「ボキッ」と鈍い音がして、痛みが走った。舌先で触れると、右上の奥から4本目の歯がぐらついていた。数年前に処置した歯で、劣化するには早すぎるのだが、放置しておくわけにもいかず、予約をとり治療をお願いした。

 私は、歯質が弱いのか、子供の頃から頻繁に歯医者通いをしているので、治療機器の進化に目を見張るし、医者によって技術の差が大きいことも体験した。東京・大阪・名古屋でも治療を受けて、医者の腕には地域間格差が無いことを知った。現在、通っている歯医者は通算11年目になるが、今までで一番安心してお任せ出来ると信頼している。

 さて、先生曰く、「歯が真横に割れていて運が良かったね。歯の根に異常はないし、もう一度、かぶせることが出来るよ。縦だったら抜歯するしかなかったから。それにしても、かなりの負荷がかかった筈だけど、思い当たる節は?」と訊かれて、「特にありません」と答えたが、治療中、考え込んでしまった。

 先週のジョギング中での転倒事故を思い出した。倒れる瞬間、奥歯をかみしめた時かも知れないと。それ以降、確かに歯がかすかに痛み出し、歯茎からの出血もあった。劣化によるものと片付けていたが、原因は転倒に違いない。「あなたの身に付けているもので、一番お金がかかっているのは、歯だね」との妻の皮肉にも、麻酔のしびれでうまく反論出来ない。


★1週間に迫った淀川マラソン

2007-10-29 09:20:53 | 日記・エッセイ・コラム

 「第11回大阪・淀川市民マラソン」大会が1週間後に迫った。本大会に向けてテンションが高まると同時に、大切な調整時期に故障した焦りが交錯する。

 転倒から6日目の今朝、腰の具合も良さそうなので、軽めのジョグを開始した。並走する妻に遅れをとりそうになりながらも、何とか10キロ走を消化出来た。手探り状態で走りだしたが、スローペースであれば、腰に響かないことを実感した。だが、路面の凹凸を注意するあまり、足元に視線を落とす猫背フォームになったのが反省点。

 10キロを75分もかかったが、良い汗をかき、鬱積したストレスを発散出来たことが収穫だった。ただ、体を動かしている間は感じなかったのに、クールダウンのストレッチ中に故障箇所が痛み出したことだけが気掛かりだ。

 現在の体調を慮ると、15キロ以降の距離に不安が残るが、何とか完走したい。目標タイムは、当初の2時間10分を下げざるを得ない状態だが、悪くても15分以内には収めたい。昨日のレースで、20キロを1時間54分で走破した友人のブログを見て、一段と気合が乗ってきた。回復が遅いのは年齢相応だと自覚しつつも、気持ちがはやるのは若い証拠だと自惚れている。


★スポーツの美学

2007-10-28 11:11:26 | 日記・エッセイ・コラム

 最近、ボクシングの亀田の反則や相撲のかわいがり稽古、更には、朝昇竜のサボタージュ等が問題になったが、底辺には程度の差こそあれ、共通する問題を内包している。

 プロ・アマを問わず、競技としてのスポーツと、スポーツを趣味として楽しむのとでは、雲泥の差があるのかも知れない。だが、精神論としてのスポーツマンシップは、単にルールを遵守することに留まらず、広義に解すべきもので、一種の美学とも言うべきだ。スポーツをすること自体を楽しみとし、大切にしたいと思うからこそ、公正なプレーに徹し、相手選手に対する尊敬や賞賛も生まれる。

 一方、競技には勝負がつきものだ。これは、人間の闘争本能でもあり、誰でも負けるよりも勝った方が気分が良い。そのことと、勝負に拘り不正をしたり、コマーシャリズムであおることとは別次元でなければいけない筈なのだが、境界を曖昧にしているのが現実だ。ましてや、一人前の判断も出来ない若者を、一部の業界関係者の利益のために利用する構造が横行している。

 ビジネスの社会は、利害相反する環境下で生死を賭けた知恵比べを展開するのは当然だ。そのストレスを解消するために、スポーツを楽しむ筈なのに、社会の延長線上になっているのが悲しい。各競技連盟の幹部達は、メダル数を目標に掲げたり、禁止薬物を使用して勝ちに拘る背景・構造を反省すべきだ。クーベルタンが悲しんでいるに違いないと、5日間も完全休養を余儀なくされて、ストレスを溜め込み、ぼんやり晴天の秋空を見上げている。


★次回は「年金選挙」に

2007-10-26 09:37:51 | 日記・エッセイ・コラム

 福田政権が誕生して1ヶ月経った。安倍前総理の突然の辞任を受けての政権発足だけに、戦後処理に振り回される日々に違いない。

 今国会の目玉の「テロ特措法」は、データの誤りに留まらず、前事務次官の不祥事が発覚し、久間元防衛大臣の接待疑惑まで浮上した。厚労省が肝炎患者のリストを放置していた問題も追い討ちをかけ、本題の議論に辿りつけないでいる。これでは、とても福田カラーを打ち出す余裕などあるはずも無い。

 一方、政府の経済財政諮問会議が「年金改革」の議論を始めた。与野党が掲げる「年金制度改革」案は、一長一短があるので、今後の議論の推移を注目したい。ただ、諮問会議の性格上、財源確保をベースに検討されることに一抹の不安を感じる。

 福田総理には、本来の社会保障制度がどうあるべきか、その根本のビジョンを明確にし、税制改革も含めた年金制度を示して欲しいと願う。現政権は、「郵政解散選挙」の暴挙で圧勝した小泉元首相のあとを、安倍・福田と引き継いだもの。早期に衆議院を解散し、国民の最大の関心事である「年金制度」を選挙の争点にして、信を問うて貰いたい。


★拝啓!廃鶏さま

2007-10-25 09:47:59 | 日記・エッセイ・コラム

 日本三大地鶏といえば、名古屋コーチン、薩摩地鶏に比内鶏。その地鶏ブランドが、生産者自らの不祥事で瓦解しようとしている。

 比内鶏が廃鶏を使っていたことは、偽装に違いないが、「廃鶏」は腐った肉ではない。産卵しなくなった鶏の肉で、地元では、安くて美味いと評判だそうだ。それなら、堂々と名乗れば良さそうなもの。東国原人気にあやかる宮崎地鶏でも不始末が発生した。ブランド志向のブームに便乗して、売り上げを伸ばそうと欲張るのだから、コマーシャリズムとは厄介なものだ。

 町内会の某役員と地鶏談義をしていたら、唐突に、「来年、あんた老人会どうする?」と訊かれた。彼の思考回路では、「地鶏⇒廃鶏⇒用済み⇒老人」とつながるのかと思い、必死に笑いをこらえた。畑仕事やジム通いに余念がない元気印だけに、老人と言われるのがお気に召さないふうだった。

 私とて、同感だ。廃鶏は、用済みの鶏ではないし、人間も老いてこそ円熟味を増す。いっそのこと、寿会として、対象年齢を70歳以上に引き上げて欲しいと思ったり。中身さえ本物であれば、呼び名はどうであれ、その価値に変わりは無い筈なのに。やはり、「三大」と限定したり、「65歳」と線引きすることで、人の心理に与えるインパクトはビミョーに違うようだ。