プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★美しい国は「三現主義」から

2007-02-27 09:24:45 | 日記・エッセイ・コラム

 低迷する内閣支持率。「たかが支持率、されど支持率」として、一喜一憂しないと公言しながらも、そこは総理も人の子。前任者から「鈍感力」なる言葉をおくられても、内憂状態から抜け出そうと内遊行脚に出た。

 政治家が国民の生活実態を知ることは大切なことだし、積極的に現場に足を運ぶのは歓迎だ。だが、「美しい国づくり」のために現場を見るのであれば、政策の柱を成す「財政再建」や「国防」の橋頭堡である現場から始めるべき。拉致被害者を訪ねる前に、何故、財政破綻の象徴である夕張市や沖縄の基地を見ないのだろうか。

 また、格差の象徴的建築物である赤坂議員宿舎近くに新議員会館建設予定地がある。江戸時代の遺跡発掘で話題になっていたが、調査結果の発表も無いまま遺跡を壊す工事が進められているように見受けられる。「美しい国」とは、日本固有の文化や歴史的遺産を保持していくこととは無縁に構築出来ると考えておられるようだ。

 「三現主義」は、品質管理の基本として「現場へ行く・現物を見る・現実を知る」ことを指すが、総理に限らず、国政を司る者には不可欠だ。永田町の高台からだけでは民のかまどは見えないだろうに。


★退き際~円楽引退に思う~

2007-02-26 09:55:09 | 日記・エッセイ・コラム

 「泣きの円楽」と称された人情噺の名手三遊亭円楽さんが昨日、引退表明をした。「出てくれるだけでいいというお客さまもいると思います。だけどそれに甘えていたんじゃ…私自身が許さないですね」と、惜しまれつつ高座を去った。

 一昨年、脳梗塞に倒れて以来、復帰を目指しつつ自分で納得が行く語りが出来ないと判断しての決意だった。テレビの長寿番組「笑点」の司会者としても人気があったが、「円楽党」を旗揚し、独自の活動を続けてきた落語家として見つめてきただけに寂しい。

 彼は74歳。石原東京都知事も同じ年齢だ。比較する物差しが違うかも知れないが、かたや「自分で納得できる噺が出来ない」と引退を決意し、一方は周囲で不出馬のお膳立てをしても「要らぬお世話」だと一瞥も無い。サラリーマンには定年があるが、政治家や経営者の退き際というものを改めて考えさせられる。

 私はグループ会社に転出してから6年間、「若手の育成」と「後継者作り」を経営の基本に据えた。「人材=人財」で能力は絶対目減りしないと信じて、若者が提案する新規事業に投資をしたために、会社は二期連続赤字に転落し、経営者失格の烙印を押された。後継者の芽が見え出した時、自分の役割は終わったと思った。若い頃、自分がしたくても出来なかったことを出来る舞台を用意出来たことが最大の喜びだったからだ。


★公権力と冤罪の恐怖

2007-02-25 10:28:23 | 日記・エッセイ・コラム

 鹿児島地裁が下した「被告12名全員無罪」判決。4年前の鹿児島県議選での買収疑惑で警察権力が行った「自白強要」の信憑性が争点だったが、信じられない取調べの実態が明らかになった。戦後の混乱期なら理解できなくも無いが、現在もなお残る見込み捜査や取調べ方法に恐怖すら覚える。一般人が警察の取調べを受けるだけでも精神的なストレスは大きい。

 私も一度、警察で調書をとられた経験がある。昭和42年4月、入社2年目で電話局の窓口業務を担当していた時のこと。電話加入権の名義変更に訪れたお客様の印鑑が盗用されたものだったのだ。印鑑証明書と印影が一致しており、事務処理は適切だったが、印鑑が盗まれたものだったので、刑事事件の渦中に引きずり込まれた。

 関係者として事情聴取され、供述調書をとられたのだが、その際の刑事の質問と調書作成の手際良さに驚かされた。事前に一定のシナリオを作っておき、それに沿った質問をし、答えに戸惑っていると「こういうことですね」と誘導した。「そうです」と言うと、すらすらと文章化されて行った。出来上がった調書を読み上げて、「間違いないですね」と押しかぶせるように言われると、表現の正確さよりも大筋で符号していれば「はい」と答えるしかなかった。「それでは、ここに署名捺印してください」と言われ、指紋押捺した時の機械的な所作は思い出すだけで虚しい。

 私の場合、単なる参考人ではあったが、それでも心理的な圧迫感は大きかった。今後、裁判員制度が導入されるだけに、公権力の行使と予見による判断がひきおこす冤罪の危険性をことさら心配する。


★東京マラソン:番外編

2007-02-23 09:54:41 | 日記・エッセイ・コラム

 連日、東京マラソンに関する話題で恐縮だが、それほどインパクトが強かったのだとお許し願いたい。と言っても、テーマは「東京都知事選」に関してだ。

 都知事選とマラソンは無縁のようだが、首都マラソンの生みの親は石原都知事だし、スターターでもあった。また、マラソン開催には、東京五輪招致のプレイベントの要素もあるから、あながち的外れでもなかろう。

 ここへ来て、対立候補に建築家の黒川紀章さんが名乗りをあげたが、その理由がふざけている。都知事とは親友の間柄と言いつつ、300万票の傲慢さとオリンピック招致反対を掲げて、花道を用意してやるのだと力説する。もし、石原さんが立候補しないなら自分も辞退するとまで言い放つとなると、東京都民を無視するだけでなく、選挙というものを冒涜しているとしか言いようが無い。政策の対立軸を明確にし、それを実行するために立つのではなく、私怨をはらす道具に利用しているとしか映らない。

 対立候補を擁立出来ない民主党の迷走振りが拍車をかけて、菅さんが「推移をみつつ選択肢の一つ」と発言するようでは血迷ったのかと言いたい。タイトル通り、番外の茶番劇だが、どう決着するのか都民には迷惑な話でしかない。


★東京マラソンの残響

2007-02-22 10:15:01 | 日記・エッセイ・コラム

 「ヨーッ!東京どうだった?」。ジムの浴槽に浸かっていたら、頭上から聞き覚えのある大きな声が降ってきた。私が一番苦手とする友人だった。「残念ながら25キロでリタイアしたよ」と、小声で答えた。

 「そうか。残念だったな、テレビで見たけどあんな雨では厳しいよな」と慰められ、「フルはもう限界かもね」と、つい弱音を漏らした途端、「制限時間が7時間だから、長さんも完走したと思ったけどな」と返ってきた。隣りの湯船が一瞬、静かになった。

 彼らは、抽選に外れたので仲間の応援に行って来たみやげ話をしていたのだ。今まで、彼らのマラソン談義を聴いていた私には、静けさの原因が分かるだけにバツが悪かった。だが、私の相方は事情を知る由も無く、しゃべり続けた。

 「そうか。でも、最初から雨で走らんかったことにしとけば、誰も分からんよ」。「・・・(お前がしゃべるんじゃないか)・・・」。「しかし、長さんが300人の仲間入りするとは思わんかったよ」。「・・・(途中棄権は300人じゃねーや。1020人だい)・・・}と、無言で相槌を打っていたが、心ここにあらずだった。

 彼は、現役時代の組織や人間関係と断絶した私にとって、時には貴重な情報を提供してくれる友人でもある。だが、私がつけたあだ名は、「放送局」。あーぁ!これで、ぶざまな結果になったことはあっという間に知れわたること間違いなしだ。