電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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増田宋太郎は西郷の弁舌に打たれたわけでもなく、西郷の文章を多く読んだわけでもなかった。ただ、西郷にじかに接しただけのことであり、それでもって骨の髄まで染まってしまうほどにのめりこんでしまったのである。
『人間的魅力の研究』
( 伊藤肇、日本経済新聞社 (2000/11/7)、p35 )
1 深沈厚重魅力
刺客をも包み込む西郷のふところ
会わずには推量すらできぬ並外れた大きさ
1-7 善悪を超えて生死を共に……
「深沈厚重」の魅力で思い出す人物がもう一人いる。西郷隆盛である。西南の役に敗れた西郷は軍を解散することにきめ、まず他郷出身者から帰すことになった。
その中に豊前中津(ぶぜんなかつ)の若い士族64人で結成されている中津隊がいた。もちろん、隊員たちは、それぞれ帰郷することになったが、隊長の増田宋太郎だけは「残る」といったのである。
増田は互選された隊長なので、隊員たちは口々に「われわれは郷里を出る時、生死を共にすると誓った仲ではないか。それを君だけがここにとどまるというのは、どういう了見なのか」とつめよると、増田ははらはらと落涙して、「君たちは隊員であったから、西郷という人を知らない。自分はたまたま隊長役をひきうけたために、軍議の席につらなり、西郷先生に接することができた。先生に接してしまった以上、もはや、どうすることもできないのだ」といい、いまだに中津に語りつたえられている有名な言葉を吐いた。
「かの人はまことに妙である。一日、かの人に接すれば、一日の愛生ず。三日、かの人に接すれば、三日の愛生ず。しかれど予は接する日を重ね、もはや去るべくもあらず、いまは善悪を超えて、かの人と生死を共にするほかはない。」
増田宋太郎は西郷の弁舌に打たれたわけでもなく、西郷の文章を多く読んだわけでもなかった。ただ、西郷にじかに接しただけのことであり、それでもって骨の髄まで染まってしまうほどにのめりこんでしまったのである。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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増田宋太郎は西郷の弁舌に打たれたわけでもなく、西郷の文章を多く読んだわけでもなかった。ただ、西郷にじかに接しただけのことであり、それでもって骨の髄まで染まってしまうほどにのめりこんでしまったのである。
『人間的魅力の研究』
( 伊藤肇、日本経済新聞社 (2000/11/7)、p35 )
1 深沈厚重魅力
刺客をも包み込む西郷のふところ
会わずには推量すらできぬ並外れた大きさ
1-7 善悪を超えて生死を共に……
「深沈厚重」の魅力で思い出す人物がもう一人いる。西郷隆盛である。西南の役に敗れた西郷は軍を解散することにきめ、まず他郷出身者から帰すことになった。
その中に豊前中津(ぶぜんなかつ)の若い士族64人で結成されている中津隊がいた。もちろん、隊員たちは、それぞれ帰郷することになったが、隊長の増田宋太郎だけは「残る」といったのである。
増田は互選された隊長なので、隊員たちは口々に「われわれは郷里を出る時、生死を共にすると誓った仲ではないか。それを君だけがここにとどまるというのは、どういう了見なのか」とつめよると、増田ははらはらと落涙して、「君たちは隊員であったから、西郷という人を知らない。自分はたまたま隊長役をひきうけたために、軍議の席につらなり、西郷先生に接することができた。先生に接してしまった以上、もはや、どうすることもできないのだ」といい、いまだに中津に語りつたえられている有名な言葉を吐いた。
「かの人はまことに妙である。一日、かの人に接すれば、一日の愛生ず。三日、かの人に接すれば、三日の愛生ず。しかれど予は接する日を重ね、もはや去るべくもあらず、いまは善悪を超えて、かの人と生死を共にするほかはない。」
増田宋太郎は西郷の弁舌に打たれたわけでもなく、西郷の文章を多く読んだわけでもなかった。ただ、西郷にじかに接しただけのことであり、それでもって骨の髄まで染まってしまうほどにのめりこんでしまったのである。