電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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されば、友よ、わたしはなんじらに言う。“自(みずか)らを州(し
ま=光とも)とし、自らを依(よ)りどころとし、他人を依りどころ
としてはならぬ。法(おしえ)を州(光とも)とし、法を依りどころ
として、他を依りどころとしてはならぬ”と。
『わたしの般若心経』
( 松原泰道、祥伝社 (1991/07)、p169 )
5章 色即是空 空即是色――いかに虚無感を乗り超えるか
舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是
(1) 無情感から無常観へ
舎利子 色不異空 空不異色
しゃりし しきふいくう くうふいしき
◆釈尊の愛弟子・舎利子(しゃりし)
さて「舎利子(しゃりし) 色不異空(しきふいくう) 空不異色(くうふいしき)(色は空に異ならず。空は色に異ならず)」です。
「舎利子よ」と呼びかけるのは観自在菩薩(かんじざいぼさつ)です。先に大乗経典の多くは、戯曲的な手法で仏教思想を展開していると申しましたことを、思い出してください。
観自在菩薩から声をかけられた舎利子(舎利弗(しゃりほつ)とも)は、釈尊の十大弟子、いわばベストテンの一人です。釈尊は舎利子を深く信頼し、釈尊の実子で後に釈尊の弟子になった愛子ラーフラの指導役に指名したり、ときには釈尊の代講を命じたほどです。
釈尊がそれほど愛した舎利子ですが、彼は釈尊の晩年に亡(な)くなります。舎利子が没すると間もなく彼の親友で、舎利子とともに釈尊の両腕のような存在であった目犍連(もっけんれん=目連)も、相次いで世を去ります。八十歳になった釈尊は、わが子同様に愛したすぐれた二人の弟子に先立たれたのですから、その悲歎のほどが察しられます。『雑阿含経(ぞうあごんぎょう)』は、このときの状況を次のように伝えています。
その夜、仏陀(ぶっだ)はガンガ(恒河)のほとりに止(とど)まって
おられた。仏陀は多くの比丘(びく)たちに取り巻かれて、布薩(ふ
さつ)の儀式(半月に一度、比丘たちが集まって自省する集会)に
出た。十五夜の月の光のもとで、ずっと会衆(えしゅう)の面々を見
渡してみるが、舎利子の姿も目連の顔も見えない。
「比丘たちよ、舎利子と目連とが逝(い)ってからこのかた、この集
会(しゅうえ)は、わたしには淋しくてたまらない」
釈尊とて人間です。私たちが老いて、杖(つえ)とも頼む後継者のわが子を失った悲しみと、少しも変わりません。しかし釈尊は、いつまでも帰らぬ悲しみに打ち挫(くじ)かれてはいません。
「だが友よ、この世に存するものは、なに一つとして、だれ一人と
して、いつまでも移ろわぬものとてはありえない道理であった。
友よ、大いなる樹木においては、ときに、その枝のいく本かが(親
樹より)先に枯れ落ちることもあろう。それと同じように、かの二
人は、わたしに先立っていった。この世に、うつろわざるものは、
ありえないからである。
されば、友よ、わたしはなんじらに言う。“自(みずか)らを州(し
ま=光とも)とし、自らを依(よ)りどころとし、他人を依りどころ
としてはならぬ。法(おしえ)を州(光とも)とし、法を依りどころ
として、他を依りどころとしてはならぬ”と」
(増谷文雄著『仏教百話』筑摩書房刊)
釈尊は、愛弟子に先立たれた無常感を老境にあってとことん体験し、“自らを州(光)とし、自らを依りどころとす”と、他に教えるというよりも、自分に言い聞かせるのです。『般若心経』の作者が、フィクションの観自在菩薩に配するに、釈尊より先に死んだ舎利子を、その聴講者としたねらいも想像されましょう。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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されば、友よ、わたしはなんじらに言う。“自(みずか)らを州(し
ま=光とも)とし、自らを依(よ)りどころとし、他人を依りどころ
としてはならぬ。法(おしえ)を州(光とも)とし、法を依りどころ
として、他を依りどころとしてはならぬ”と。
『わたしの般若心経』
( 松原泰道、祥伝社 (1991/07)、p169 )
5章 色即是空 空即是色――いかに虚無感を乗り超えるか
舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是
(1) 無情感から無常観へ
舎利子 色不異空 空不異色
しゃりし しきふいくう くうふいしき
◆釈尊の愛弟子・舎利子(しゃりし)
さて「舎利子(しゃりし) 色不異空(しきふいくう) 空不異色(くうふいしき)(色は空に異ならず。空は色に異ならず)」です。
「舎利子よ」と呼びかけるのは観自在菩薩(かんじざいぼさつ)です。先に大乗経典の多くは、戯曲的な手法で仏教思想を展開していると申しましたことを、思い出してください。
観自在菩薩から声をかけられた舎利子(舎利弗(しゃりほつ)とも)は、釈尊の十大弟子、いわばベストテンの一人です。釈尊は舎利子を深く信頼し、釈尊の実子で後に釈尊の弟子になった愛子ラーフラの指導役に指名したり、ときには釈尊の代講を命じたほどです。
釈尊がそれほど愛した舎利子ですが、彼は釈尊の晩年に亡(な)くなります。舎利子が没すると間もなく彼の親友で、舎利子とともに釈尊の両腕のような存在であった目犍連(もっけんれん=目連)も、相次いで世を去ります。八十歳になった釈尊は、わが子同様に愛したすぐれた二人の弟子に先立たれたのですから、その悲歎のほどが察しられます。『雑阿含経(ぞうあごんぎょう)』は、このときの状況を次のように伝えています。
その夜、仏陀(ぶっだ)はガンガ(恒河)のほとりに止(とど)まって
おられた。仏陀は多くの比丘(びく)たちに取り巻かれて、布薩(ふ
さつ)の儀式(半月に一度、比丘たちが集まって自省する集会)に
出た。十五夜の月の光のもとで、ずっと会衆(えしゅう)の面々を見
渡してみるが、舎利子の姿も目連の顔も見えない。
「比丘たちよ、舎利子と目連とが逝(い)ってからこのかた、この集
会(しゅうえ)は、わたしには淋しくてたまらない」
釈尊とて人間です。私たちが老いて、杖(つえ)とも頼む後継者のわが子を失った悲しみと、少しも変わりません。しかし釈尊は、いつまでも帰らぬ悲しみに打ち挫(くじ)かれてはいません。
「だが友よ、この世に存するものは、なに一つとして、だれ一人と
して、いつまでも移ろわぬものとてはありえない道理であった。
友よ、大いなる樹木においては、ときに、その枝のいく本かが(親
樹より)先に枯れ落ちることもあろう。それと同じように、かの二
人は、わたしに先立っていった。この世に、うつろわざるものは、
ありえないからである。
されば、友よ、わたしはなんじらに言う。“自(みずか)らを州(し
ま=光とも)とし、自らを依(よ)りどころとし、他人を依りどころ
としてはならぬ。法(おしえ)を州(光とも)とし、法を依りどころ
として、他を依りどころとしてはならぬ”と」
(増谷文雄著『仏教百話』筑摩書房刊)
釈尊は、愛弟子に先立たれた無常感を老境にあってとことん体験し、“自らを州(光)とし、自らを依りどころとす”と、他に教えるというよりも、自分に言い聞かせるのです。『般若心経』の作者が、フィクションの観自在菩薩に配するに、釈尊より先に死んだ舎利子を、その聴講者としたねらいも想像されましょう。