電脳筆写『 心超臨界 』

自分を励ます最良の方法、それは人を励ますこと
( マーク・トウェイン )

般若心経 《 知恵と知識が暴走する現代――松原泰道 》

2024-10-11 | 03-自己・信念・努力
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そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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私の家内が先日、母校の旧制の四日市女子高のクラス会に出席した帰りに、旧友と飛騨高山へ赴いたときのことです。名古屋から高山線に乗り換えた車中で、家内がうとうとしていると、夢うつつに誰かが肩を揉んでくれているのだそうです。目を覚ますと、後ろの座席から修学旅行帰りの小岩義輝(こいわよしてる)君(岐阜県惣島小6年生)が、小さな手を伸ばして、肩を揉んでいてくれたのです。東京住まいの家内には、考えも及ばない小学生の親切です。


『わたしの般若心経』
( 松原泰道、祥伝社 (1991/07)、p118 )
4章 空(くう)のこころ――かかわり合い、持たれ合いの真実
行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄
(1) 知恵から智慧へ
行深般若波羅蜜多時

◆知恵と知識が暴走する現代

“人間は考える葦(あし)である”というフランスの哲学者パスカル(1662年没)の名言は有名です。彼によれば、人間は風にそよぐ葦のように弱い生物であるが、人間には思考力というすばらしい機能があると、人間をたたえるのです。確かにパスカルのいうように、考える機能(はたらき)によって人間に知恵(ウィズダム)と知識(ナレッジ)とがつきました。今日の高度の文明はみな人間の考える力によるものです。現代の人間は、とても風にそよぐ葦のような、ひ弱な生物ではありません。それどころか、人間の考える知恵と知識とが進みすぎて、逆に人間が苦しめられているのが実情です。

西洋では、プラトン以来、知恵は勇気・節制・正義とともに「四つの元徳(げんとく=最も根本的な徳)」の一つとして重視されました。しかし今日では、人間が勇気と節制と正義の三つの元徳によって、知恵に枠をはめなければならない事態になりました。すなわち知識と知恵の暴走を押し止(とど)める勇気、正義を守る知恵、知恵に限界を設定する節制です。

言い換えると、公害や汚染や戦争を防止し、さらに生命工学を枠づけるために、知識を指導する智慧の開発が、あらためて求められているのです。

知識や知恵には、もともと物ごとの正邪を判別する心のはたらきが具(そな)わっていたのですが、その心のはたらきが病んでいるために、本来の精神活動が十二分に発揮できない場合も少なくありません。凄惨な犯罪が毎日のように起きて後を絶たないのも、その一つの例証です。

しかし、さいわいなことに、まだ健康な心の持主が数多くいてくれて、病める人々の心に温かいこころを注入してくれます。

私事になりますが、私の家内が先日、母校の旧制の四日市女子高のクラス会に出席した帰りに、旧友と飛騨高山へ赴いたときのことです。名古屋から高山線に乗り換えた車中で、家内がうとうとしていると、夢うつつに誰かが肩を揉んでくれているのだそうです。目を覚ますと、後ろの座席から修学旅行帰りの小岩義輝(こいわよしてる)君(岐阜県惣島小6年生)が、小さな手を伸ばして、肩を揉んでいてくれたのです。東京住まいの家内には、考えも及ばない小学生の親切です。

後から聞いた話によると、小岩君の家庭は母と祖母との三人暮らしで、小岩君は毎晩のように祖母の肩もみをしているとのこと。話を聞いて私はこのように想像します。

小岩君は修学旅行に参加したため、ここ数日はおばあちゃんの肩を揉んでいません。たまたま帰りの車内で、家のおばあちゃんと同じ年ごろの家内を見て、小岩君にとっては他人であっても家内の肩を揉まずにはおれなかったのでしょう。

このように自他の区別のない平等愛を生むのが、本来の知識や知恵の機能だと思うのです。失礼ですが、都会からすればいわゆる僻地の山深い小学生から、本当の知識や知恵のあり方を教えられたのです。私も家内から最上のみやげ話をもらって喜んでいます。

本来、このように自他の区別のない平等愛を生むはずの知識や知恵が、現代人にあっては、なぜ、エゴ愛に変わってしまったのでしょうか。
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