1936年の総選挙において有権者は政友会を惨敗させた(改選前301議席から174議席)。第1党は民政党(146議席から205議席)だった。社会大衆党は18議席である。民政党が中心となって無産政党と連携し、政友会も協力し、社会民主主義的な改革を進める――。これが危機の時代における新しい政党間連携の枠組みだった。 . . . 本文を読む
新しいものはパラダイム(考え方の枠組み)の変化をともなう。だからこそ本質的に新しい。しかし一方、その時点での一般常識からは遠いものとなる。「最先端」と認められること自体、その概念がもはや古いということだ。画家のゴッホも生きている間には、一枚の絵も売れなかったとされる。 . . . 本文を読む