植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

イランの歴史

2007年12月30日 22時58分59秒 | 国:オスマン・イスラム
 前回のイランの外交に続き、今回はイランの歴史です。イラン=ペルシアとしてアカイメネス朝ペルシア、アレキサンダー大王、ササーン朝ペルシアなど古代史では有名で学校の授業でも登場します。
 その後中世に入ると、イスラム教が広まり、ウマイヤ朝・アッバース朝・セルジューク朝とイスラム帝国が続き、そしてモンゴル帝国の進入、ティムール帝国の繁栄と続きますが、その後の「植民地戦争」が題材としている近世の歴史はあまり知られていません。

 ティムールの後、イラク北部のトルコ系遊牧民族の黒羊朝、つづいて白羊朝に支配されます。その後、イスラム神秘主義のサファヴィー教団が軍事力を持ち、白羊朝を滅ぼし、イラン全土を支配すると、シーア派を国教とするサファヴィー朝を建国します。これが今のイランとその周辺にシーア派が広がる要因となります。

 今日のメインはこのサファヴィー朝ペルシアです。サファヴィー朝は、建国の勢いで周辺諸国を取り込んで、オスマンの属国を併合していきます。それに対抗してオスマンが派兵したことで、チャルディラーンの戦いが起こります。この戦いでは、サファヴィー朝の騎兵が、オスマン帝国の大砲の前に惨敗してしまいます。
 その後、サファヴィー朝はオスマンの侵攻に苦しめられる時代が続きますが、アッバース1世が大航海時代真っ盛りのオランダと同盟を結ぶことで、銃兵軍団、砲兵軍団を設立するなどの軍事革命を実現したことで、オスマンに占領されていたアゼルバイジャンを取り戻すなど、国力を回復させます。
 しかし、アッバース1世が亡くなると国内は混乱に陥り、直ぐにオスマンにイラクを取られ、18世紀になるとアフガン人、クルド人などが反乱を起こすようになります。そして、アフガン軍マフムードに首都イスファハーンを攻略されると滅亡します。

 その後、イランを統一したガージャール朝は脆弱で、ロシアや英国の半植民地状態となります。その中で、軍事クーデターによりパフラヴィー朝が成立。パフラヴィー朝は、軍事力を背景に半植民地状態を打開し、さらに石油とアメリカの援助の下強力に近代化を推し進めますが、急性すぎる改革がイラン革命を招き、今のイラン・イスラム共和国になります。

<a href="http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~usa_neko/1800/index.html">オリジナルカードゲーム 植民地戦争
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