植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

リヒテンシュタイン公国

2007年06月19日 13時02分54秒 | 国:ドイツ・オーストリア
 リヒテンシュタイン公国はスイスとオーストリアに挟まれた小国です。しかし、その国王は世界に名だたる資産家です。この資産が、リヒテンシュタイン公国から得たものかと言うとそうではなく、あまたの経済活動の結果と、ハプスブルグ家に仕えていた際に蓄えられていたもので、公国から宮廷費用すら貰っていない。それどころか、戦災のおりには逆に国民が貧困に喘ぐのを見かね無償で生活資金を貸し付けたりするなどしています。

 リヒテンシュタイン家は、下級貴族の出ながら、当時の皇帝を輩出していたハプスブルグ家に使え、三十年戦争際に金銭的な援助をするなどを行い、念願の爵位を得ます。しかし、このときは領土が無かった為、ハプスブルグ領内に土地を所有しているだけでした。
 しかし、1699年に負債に喘ぐシェレンベルク男爵から、オーストリアの西にある男爵領を購入、つづいて1712年には隣接するファドゥーツ伯領を購入し、両領土を合わせて、皇帝より神聖ローマ帝国に属する領邦国家リヒテンシュタイン公国として認められます。
 これがリヒテンシュタイン公国の始まりです。念願の爵位と自領を持ったリヒテンシュタインは、これ以上の領土拡張を求めることは無く※1、依然ハプスブルク家に仕え、ナポレオン戦争の際ヨーハン1世はオーストリア軍の司令官にまで任命されます。
 このナポレオン戦争によって、神聖ローマ帝国が崩壊すると、リヒテンシュタイン公国は他のドイツ諸侯と同じく独立国になります。しかし、他のドイツ諸侯が普墺戦争後、北ドイツ同盟そしてドイツ帝国へとなっていくのに対して、領土が隣接していなかったこともあり、公国として残り続けます。そして第一次世界大戦後でオーストリアからハプスブルグ家が排除されると、オーストアでなくスイスと関係を深めます。
 この結果、第二次世界大戦への過程でナチス・ドイツがオーストリアを併合した際も、独立国として残り続け今に至ります。

 まさに小国ながらも見事なまでの舵取りで、公国を存続させ続けたのでした。


※1:自領外のプラハやモラヴィアなどにも領土(土地)を多く持っており、主たる居宅もウィーンやモラヴィアにありましたが、1919年のチェコスロバキアの独立と、1945年のチェコの共産化によって多くの家産が失われてしまいます。

オリジナルカードゲーム 植民地戦争
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