植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

クリミア戦争の背景

2007年06月06日 20時30分48秒 | 国:ロシア
 前々回で露vs英仏土が行ったクリミア戦争の背景を探って見たいと思います。ロシアが戦争を行った理由は、


1.南下政策による不凍港の確保
2.スラブ人の保護
3.オスマントルコの弱体化に漬け込んだ国益確保



 の3つが言われています。2.は建前、1.と3.が本音と言ったところでしょうか。ですので、クリミア戦争では、2.を前面に押しつつも、1.3.をロシアは狙っていました※1。
 しかも、3.については強国英国に打診し、英国にも利を与えることを考えていました。

 カードゲームでの状況に置き換えると、オスマンが植民地を多く抱えていながら、兵力カードをあまり保持していない状況になったので、それに漬け込んでロシアが攻め、しかも英国に「今がチャンスだから、英国さんもオスマンを攻めて植民地を奪っちゃえ!」と言っている状況です。
 しかし、ロシアがオスマンを攻めて、ロシアが勝ち植民地を奪うと、英国はオスマンで無くロシアを攻めます。英国にとっては植民地を得て肥大するロシアが、TOPになる為にもっとも危険な存在だと感じた結果でしょう。

 ロシアにとって英国と戦いになってしまったのは、史実でもカードゲームでも良くある相手を見誤たことだったと思います。

 史実では、英国はロシアと共にオスマントルコの領土を割譲するよりも、地中海の通商路を守る方が重要だと判断しロシアとの開戦に踏み込みます。
 このクリミア戦争の敗戦によって、ロシアの野望は頓挫しますが、農奴開放などの内政改革に着手し国力を付け、再び1877年に露土戦争を行い勝利を掴みます。しかしこれも英国の強固な反対に合い、地中海航路の確保は断念せざるを得なくなり、ロシアは極東に矛先を向けるのです。
 という事で、こう言った背景で起きる日露戦争はまたいつか。


※1:クリミア戦争後に行われた露土戦争では、スラブ民族の保護を国内で喧伝しすぎたため、ロシア国民がそれを強く望みだし、ロシア政府も引くに引けない状況で開戦する事になります。

オリジナルカードゲーム 植民地戦争
コメント
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