植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

簡体三国志:許褚

2011年01月27日 21時00分16秒 | ゲームシステム
所属:曹操
年齢:約31歳(200年の時)

 身長8尺(およそ180cm)で腰が10囲(およそ120cm)容貌は雄々しく毅然として、武勇と力量は人なみはずれていた。とあるので、力士のような体型をしていたのではないでしょうか?
 許褚のデビューは、許褚が居た街が黄巾賊に攻められ城壁の外をとり囲まれた際です。許褚は街の若者を集め、全員で城壁を固めて賊を防ぎます。武器や矢弾も尽き果てると許褚は湯飲みや石を用意しそれを投げつけ、賊に対抗したといいます。さらに街の食糧が乏しくなると、賊と和睦を結び牛と食糧の交換を申し出ます。その際、牛がぐずって出て来ないと、許褚は片手で牛の尾を引っ張って連れてきます。これを見た賊は度肝を抜かれ、牛も引き取らずに逃げ帰ってしまったとあります。この件で許褚の勇猛さが知れ渡るようになります。
 その後、曹操がこの地を支配するようになると、許褚は子分を引き連れて帰服します。許褚の勇壮な姿を見た曹操は大変気に入り「我が樊噲である。」と言って、許褚を都尉にし彼の子分も虎士(近衛兵)にします。なお、樊噲とは劉邦の警護を行った剛勇の武将のことです。
 そして許褚は曹操の元で活躍します。まず、張繍征伐では先鋒となり数々の首級を挙げ、袁紹との官渡の戦いでは曹操が苦戦すると、謀叛を企てる輩が出てきますがこれを未然に察知し防ぎます。この件以来、曹操はますます許褚を信頼し、何処に行くにもかならず同行させるようになります。

 そしてもっともの見せ場は、曹操が韓遂・馬超と戦った潼関の戦いです。曹操は馬超軍の奇襲に会い雨のように矢が降り注ぐ中を渡河しなければならなくなります。許褚は曹操を支えて船に乗せ曹操を矢から庇います。川に落ちた兵士達が助かりたいあまりその船にしがみついて来て船が沈みそうになると、兵士の手を切って振り切り、さらに船頭が矢に当たって死ぬと許褚は左手で矢を防ぎながら、右手で船を漕ぎようやく渡ったとされます。後に曹操は、「許褚がいなければ命がなかった」と述懐しています。
 曹操の死後、曹丕・曹叡の代まで仕え病死しています。

 さて能力ですが、統率は軍は率いていないのですが、最初に街の人を統率したことや、虎士と言う近衛の隊長だったことから2としました。武力は文句なしの5、政治も文句なしの1です。知力は、許褚は無口だった為か頭が悪いと思われ、虎のように力のある痴呆と言うことから「虎痴」と言うあだ名を付けられていましたが、その行動を見るとかなり機転を利かせていますので、そこを評価して2としました。まあ、武力がズバ抜けての5なんでそれ以外では使うタイミングがないかな。
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