植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

簡体三国志:典韋

2011年01月15日 10時22分47秒 | ゲームシステム
所属:張邈→曹操
年齢:約40歳(200年の時 ※37歳で死亡)

 字すら残っていないのに「堂々とした体格で力もずば抜けて強く、さらに固い節義とおとこ気を有していた。」と魏志に書かれるぐらい『ザ・漢(おとこ)』の典韋です。
 若い頃、知り合いの仇を討つ為に、町の長だった者の屋敷に忍び込み刺し殺して敵討ちを果たしますが、町で仇の仲間に出くわしますが、切った張ったをやってのけ町を脱出します。この件が知れ渡り、典韋は豪傑として知られるようになります。

 張邈が挙兵するととその配下となり、その際武将の軍門に掲げる旗があまりにも大きくて誰も持ち上げることができなかったのに、典韋はそれを片手でこれを持ち上げてしまったため、ここでも一目置かれるようになります。しかし、軍中で揉め事を起こし数十人を殺害してしまったことから、張邈の元に居られなくなり軍を抜け出し山中に逃亡します。

 その後、夏侯惇に見出されて曹操に仕えます。曹操軍中では一双戟八十斤とも言われる大きな双鉄戟を振るい奮戦を繰り返した事で、曹操の親衛隊に抜擢されます。
 しかし、197年 曹操が荊州の張繍を征伐し降伏させた後、張繍が謀反を起こしたとき、曹操を逃がす為に敵の前に立ち塞がり死に物狂いで戦って死にます。その死に様は、全身を槍で刺されながらも、目を怒らせ口をあけて大声で罵りながら死んだとされます。あまりの奮戦振りに、典韋が倒れた後も暫くは敵兵は怖くて近づけなかったといわれます。

 さて能力ですが、統率は少数の隊は率いて居ましたが一部隊を率いて戦争で活躍したと言うよりも、あくまで個人の武力に頼った奮戦ぶりが主ですので、統率は1、武力は5としました。政治は行って居ないので1、知力も作戦を立ててといった記述も無いので1で良いかと思いそうしました。
コメント
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