植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

戦国大名 その2

2007年02月20日 22時41分30秒 | 国:日本・アジア
 私の戦略が酷かったと書いた戦国大名の見苦しい言い訳と、植民地戦争を織り交ぜたお話です。(^_^;)
 前回、戦国大名でかなり優柔不断で日和見な政策を取ってしまったと書きました。戦争で旗色をハッキリしないのは良くないことも多く、誰が敵で誰が味方であるかをハッキリさせ、その上で敵の勢力を落とすべく、敵の味方を懐柔したりすべきです。けっしてその懐柔されてしまう側になっていては勝つ側にはつけても、本当の勝利者にはなれません。

 しかし、国政でこれが数十年のスパンで考えるとなるといつまでも同じ国と味方であり続けるべきかは疑問です。前に薩長同盟にて同盟について書きましたが、数十年の経過により、その同盟にメリットが無くなりデメリットが多ければ破棄すべきですし、逆に敵国とも手を結んだ方が得策となれば結ぶべきです。
 そう度々旗色を変えるのも信頼を失いますが、植民地戦争ではどちらかというと常に状況を見て敵・味方を変えていく見極めが必要になると思います。

 と、完全に戦国大名の負けの言い訳の会でした。(-_-;)

 さて、最後に戦国大名では、南蛮貿易とキリシタンがあります。戦国大名が舞台としている16世紀は、ポルトガル・スペインが全盛期で、トルデシリャス条約によりアジアはポルトガルの範囲となります。そのため種子島に漂着以降、南蛮貿易の相手国になります。
 ポルトガル・スペインは貿易と共に宣教師による布教活動を行います。これはトルデシリャス条約では、世界(ヨーロッパを除く)を二分する代わりに、布教することが定められていたからです。
 これによって、ポルトガルとの南蛮貿易はキリスタンを生み出すという事態を招きます。

 17世紀になり、オランダのインドネシア支配が確立すると、オランダとも貿易が行われるようになります。政権を握った江戸幕府は、布教を行わないオランダ1国との貿易を許し、ポルトガルやスペインとの貿易を禁じます。これが鎖国です。

 19世紀になると、新興国アメリカが捕鯨の為の補給の港を求めて、日本に開国を迫ります。これによって日本は、アメリカ・英国・フランス・オランダ・ロシアと修好通商条約を結び、鎖国体制は終焉を迎えます。
 しかし、このきっかけを作ったアメリカは南北戦争により海外への進出に出遅れ、代わりにインド支配を確立した英国と、東南アジア支配を確立したフランスが、薩長と幕府それぞれに味方し貿易を行います。

 こうやってみると、ヨーロッパでの勢力がそのまま日本の貿易の相手国となっているのが伺えます。

オリジナルカードゲーム 植民地戦争
コメント
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