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本を出版しました!
「オーラソーマの奇跡と私の気付きの日々」
~潜在意識を”色”として客観視することで劇的に人生が変わる~
オーラソーマというカラーセラピーに出会って10年。
オーラソーマに取り組むことによって自己成長してきた記録です。
スピリチュアルな世界に足を踏み込むと誰もが気になる
「自己受容」とか「ありのまま」ということなどについての
理解について述べた本。
ご購入はamaon.から → こちら
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<このメールを購読するとどんなメリットがあるの?>
*自分と他人を比較して落ち込んだり、焦ったりしなくなります。
*オンリーワンの人生を自力で歩き出すことができます
*自分らしく、ただありのままでいることに誇りを感じられるようになります。
*ほんとうに自分の好きなことを思い切りやって生きていけるようになります。
*目標が明確になります。
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昨日、突然母がついでのことのように
「あ、そういえば、美恵ちゃん、亡くなったんだって」
と言いました。
その言い方は、まるでちょっとした噂話好きのおばちゃんが、近所のラーメン屋の奥さん、浮気してたんだって、と言う時のような少しギラギラした感じで、私はとっさに不快感を覚えました。
美恵ちゃん、というのは、私にとってはいとこにあたりますが、年齢が15以上も離れています。
つまり、75歳くらいで亡くなったことになり、現代の女性の平均寿命からしたら早い死だったと言わざるを得ません。
「どうして亡くなったの? 病気?」
と尋ねると母は意味ありげに、
「さぁ~」と言いながら、
「病名は知らないけれど、旦那さんの介護疲れだったんじゃないか、って姉妹たちが言ってたわよ」
と言いました。
いとこたちの中で私は一番年下だったので、だいたい一回り以上は離れている人が多いのですが、そのなかでもこの美恵ちゃんとは、特に親しかったわけではありませんでした。
美恵ちゃんは、3人姉妹で、高校のときの同級生の男性と高校を卒業してからほどなくして結婚しました。
このご主人というのが、ちょっとキザなところがあり、風貌は小林明に似ていました。
なんていうかなぁ・・ 自分のことを慕って集まってくる子分にはいい顔するけれど、そうでないヤツには突っかかるみたいなヤクザ的な資質があったんですね。
それを美恵ちゃんのお父さん、つまり私にとってのおじさんは嫌い、美恵ちゃんは勘当同然で結婚しました。
でも・・・ こう言っちゃなんですが、おじさんはもう少し人当りがソフトなだけで、自分のことを無条件で褒めてくれるようなYESマンだけを周りに起きたがり、ちょっとでも違う意見を持っている人には「なにっ!」と言って徹底的に糾弾する、という点では、同じ穴のムジナだと思っていました。
だから人は自分と似たタイプは嫌いなんだなぁ、と子ども心ながらに見ていました。
昔はそんなものだったかもしれませんが、あるとき、美恵ちゃんがすごい夫婦喧嘩になり、はだしでパジャマのまま家を飛び出し、実家に助けを求めに来たときもおじさんは美恵ちゃんを家に入れなかった、と言います。(美恵ちゃんの婚家は実家とバスで2駅程度のところでした)
「よそへ嫁にやったものは簡単にはうちの敷居はまたがせない」
というわけです。
けれど、美恵ちゃん以外の2人の娘は、おじさんがみつくろった男性とお見合い結婚をし、その男性たちはどちらもおじさんのいいなりになるようなおとなしい男性だったため、おじさんは2人の娘たちにはめっちゃ甘いんです。
近所に住んでいた親戚の幼い私の目から見ても、あれは、ひいきが過ぎるんじゃないか、美恵ちゃんの旦那さんのことをいくら気に入らないからってあれは極端なんじゃないか、美恵ちゃんかわいそう・・って思ってました。
いくら姉妹といえども、結婚してそれぞれの家庭をもつとそんなものかもしれませんが、2人の姉妹たちも親の影響を受けてか、美恵ちゃんのことをボロクソに言っていました。
「ちっとも実家に顔を出さない」とか、
「親の面倒を見ないくせに」とか。
しかし、それとて私から見れば、勘当同然にされていたら、顔を出しにくいじゃないか、来たってあんたたちは何で来たの?という顔をしてつんけんするでしょうに、と身勝手な感想だこと、と思っていました。
1つには、美恵ちゃんの暮らしぶりが割と羽振りが良かったからかもしれません。
小林明似にご主人の仕事は個人商店が軒先にテントを張り、店名を入れる「テント屋」さんで、実際、一時はよく儲かったようです。
どうして美恵ちゃんの家に遊びに行くことがあったのか、良く覚えていませんが(というのは、私だけが、とか行くわけがないんで)、広いリビングに家のなかでコリー犬を飼っていて、動物が大好きな私はそれがとてもうらやましかったのだけをよく覚えています。
あんな大型犬を家の中で飼っていたくらいですし、当時、そこまで洋風の家というのは珍しかったので、モダンな家だったのでしょう。
けれど、だんだんご時世が変わるにつれ、ご主人の仕事は傾きはじめ、後半は大変だったようです。
そのことをおじさんや2人の姉妹たちは「それ見たことか」とか、もっと言えば「ざまあみろ」くらいに思っていたことがみえみえだったので、私はなんとなく口出しはせずとも心の中で(美恵ちゃん、頑張れ!)と思っていたのでした。
美恵ちゃん、頑張れ!という意味は、人生を終えるときになって、
「あぁ、美恵ちゃんはいい死に方をしたねぇ」とか、
「いろいろあったけれど、あの子は幸せだったろうねぇ」と周りから言われるような最期を終える、という意味です。
それが、まるで2姉妹にとって「ほぅら、言わんこっちゃない」というよう早死で、それもその理由というのが「旦那さんの介護疲れ」ということを聞いて、残念に思いました。
まるで美恵ちゃんが2姉妹たちの術中にはまったような気がしたからです。
でも、一瞬残念に思いましたが、それが本人にとっても不本意なものであったかどうかは誰にもわからない。
私は最後まで主人に尽くして幸せだった、という思いのなかで死んでいったのかもしれない。
後に残されるよりは、やるだけのことをやりきって死んでいくのだから満足だ、と思っていたかもしれない。
おじさんはもう何年も前に亡くなったけれども、2姉妹が美恵ちゃんのことを「結局あの子は1番早く死んでしまって口惜しいことでしょうよ」と思っているかどうかだってわかったものではない。
ダラダラとただ長く生き延びるだけが脳ではないから、いいときに死んだわねぇ、とうらやましく思っているかもしれない。
結局、誰がどう思っているかなんて誰にもわからない。
ほんとうに幸せなのが誰なのかだって誰にもわからない。
ううん、っていうか人と幸せのメモリを比べることなんてできやしない。
美恵ちゃんの最期がこういう終わり方をするとは思っていなかったけれども、彼女に1番ふさわしいような幕の引き方だったような気もするし、本人が残念無念だったかどうか・・ それもわからない。
ただ、かならず人って死ぬのだなぁ、ということだけをしみじみと噛みしめました。
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あんな大型犬を家の中で飼っていたくらいですし、当時、そこまで洋風の家というのは珍しかったので、モダンな家だったのでしょう。
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「あぁ、美恵ちゃんはいい死に方をしたねぇ」とか、
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