ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

「音」に対する私の反応2

2011-12-26 09:11:00 | 「癒し」「ヒーリング」「セラピー」

「表現アートセラピー」の講座で、「音」に対する自分の反応では、もう1つ面白い発見がありました。

へぇ、わたしってこういう人間だったんだ、っていう気付きが。

それはタイムラインのヒーリングでした。

10メートルもあろうかという長い半紙の巻物に自分のこれまでの人生のタペストリーを描いたのです。

描く内容は全くの自由。

線や点を駆使して描いている人もいましたし、その時代を象徴する具象的なものを描いていっている人もいましたし、もうそれはほんとにユニークでさまざま。

こういうワークを受けていて楽しくなるのは、人がそれぞれ「わたしはわたし。何にも囚われていないし、人の真似することもない。」って堂々としてくるのを見るときですね。

なんか、心強くなります。

よし、わたしもいっちょ、私らしくするかぁ~って感じで。(え? あんたはもう少し包み隠したほうがいいって?  かもね~)

できあがったら、今度はその時々の時代を象徴する音を鳴らします。

音は昨日のブログでも登場したさまざまな打楽器たちです。

でも、そこにある楽器の数は限られているわけですから、自分のなかのイメージが豊かな場合、逆にそこにある楽器では物足りない、もっとこういう感じの音のはずなのよ!というのが頭のなかにはすでにある、って場合もあります。

だから、私は、その作業をしながらも、その時代と音がどれほどピッタリマッチするかどうかには正直、さほど重点を置いていませんでした。

だいたいあんまりモノにはこだわらないO型なんで。(と言うと、ほかのO型の人に怒られちゃうか。)


「ま、こんな感じかな~」とイメージに近ければそれでいい、って感じで勝手にどんどんワークを進めて行きました。

そして、これまでの人生のなかで私が最もどよ~んとしていた時期にさしかかったとき、とってもピッタリな楽器をみつけました。

それはちょっと巨大な万華鏡って感じの円筒形で、真ん中にビニールチューブのようなものが突き出ています。

どんなふうに取り扱うものなのかさえ、はじめはよくわかりませんでした。

すると事務局の方が、「これはこういうふうにして鳴らすんだよ。」と教えてくれました。

チューブを下方に向けてぐるぐると円筒形を回すと、なんだか「ビヨ~ン、ビヨ~ン」というエレキギターの一番下のほうの音階を行きつ戻りつしているような音が鳴りました。

それは不思議な音でした。

もっともっとこれから盛り上がっていって、これから嵐になるんだぁ~というような悪いことの前兆のようにも聞こえましたし、単なるおマヌケな音にも聞こえましたし、ちょっとふざけた感じにも受け取れました。

早い話が、その音を聴いたときのその人の精神状態でどうにでも受け取ることができる、っていうような音でした。

これが実に私がどよ~んとしていた時代にマッチしていました。

私はくしくも今ここで「どよ~んとしていた時代」と決め付けて言っていますが、それは「低空飛行だったけれどそれなりに平和だった時代」ということも出来ましたし、「そんなことで悶々としていたなんて、あんた幸せ者だわ、世の中もっと大変な人はいっぱいいるんだから。」と言われたら、その通りと自分でも自覚するような感じもありますし、なんていうのかなぁ~・・・ ハックション~!!って出る前に、「ハッ、ハッ、」ってなるときありますね。

あれやると、「くるぞ、くるぞ~」って思うじゃないですか。

それが、実はこなくて、「ハッ、ハッ、はふぅ~・・」って終わっちゃうみたいな感じ。

その楽器がその時代にぴったりの音だったことに、私は何だかだんだん楽しくなってきてしまいました。

いつまでもその音を鳴らして、「そうそう、まさにこんな感じの時代だった。」と懐かしみたくなるような・・・


そして、そのこと自体がまた私にとってはびっくりするような発見だったのです。

悲しみのどん底にあるとき、すごぉく悲しい曲を聴きたくなる、っていう人と、とんでもない、そんなことしたら余計に落ち込んじゃうじゃないの、そんなのは嫌、っていうタイプの人がいますよね。

私は自分がどちらでもない、って思ってました。

そう、それくらい「音」が生活に密着していない、ってことなんです、私の場合。

あえて言えば、悲しみのどん底のときにすごぉく悲しい曲を聴いて、余計に悲しさを出し切ったらあとはすっきりするかもしれない、とは思うけれど、そう思うこと自体、もはや、たいした悲しみのどん底でもないんだろう、と思っている自分がいる、って感じ。
だからそれは悪趣味だろーと思ってやりませんでした。

しかし、今すぐ傍にある悲しみのときにはともかく、タイムラインのヒーリングとして、通り過ぎてきて少し遠くなった悲しみに対しては、そのときの感情とぴったりの音を聴く、っていうのはありだな、と思ったのです。

親友とか恩師とか、人ではないものーーー

「音」によって、「ドンピシャ」と自分の感情を当てられたことに対する癒し、というのはありだな~と。

癒しというと、微笑ましくじわじわと深く潜行していくーというのを思い浮かべますが、この場合の癒しは、何だか我ながらくすりと笑っちゃう、っていうような感じでした。

へー、こういうのもありかもな、ということが体感としてわかったのがとても面白かったのです。

皆さんも、一度試してみてはいかがでしょうか?

古傷にぴったりの音を探して、気の済むまでその音を聴いてみる。

この場合、妥協せずにぴったりの音を探さなければいけません。

そこで意外な発見をするかもしれませんよ。

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