ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

「赤毛のアン」

2009-08-08 07:46:00 | 映画

友人のちーちゃんは「赤毛のアン」の大ファンです。

普通、メルアドって自分の名前をもじったものなんかにするのですが、ちーちゃんのものは「green gables・・」で始まっていたので、最初にこれを教えてもらったとき「これ、何だろう?」と思いました。

これは、「赤毛のアン」の原題なんですね。

アンが住んでいるプリンスエドワード島の住所です。

そんなちーちゃんが、「えっちゃんもこれ、見てみる?」と「赤毛のアン」のDVDを貸してくれました。

「赤毛のアン」「アンの青春 特別編1」「アンの青春 特別編2」「アンの結婚」という4部作です。

私は物語というものは、終わり、というまでずーっと続けて見たいほうなので、これだけの大作をまとめてみる時間がなかなかとれずについ「返してくれるのはいつでもいいよ。」というちーちゃんの厚意に甘えて、ずいぶん借りっぱなしになっていました。

ずっと気にはなっていたのですが、先日の日曜日、ダーリンは仕事で1日留守。

久しぶりにぽっかり自分の時間だけが空いたので、ここぞ、とばかりに一挙に見ました。

    ・・感動しました。

久々に「あ~、もうすぐ終わっちゃう。見終わりたくない。ずっとアンの世界にひたっていたい。」と思う作品でした。

DVD自体は「海外ドラマシリーズ」とあるように、海外でも映画ではなく、ドラマとして製作されたもののようで、最近の大作映画にあるようにやたらお金がかかっているものではありません。

でもひたすらアン、アンを取り巻く人々がすべていとおしく、そしてアン自身も言うように「私はこのグリーン・ゲイブルスでしか生きていけないのよ。」というように、一度も行ったことのないプリンス・エドワード島のグリーン・ゲイブルスがやたらなつかしく自分の故郷のように思えてくるのでした。

「赤毛のアン」といえば、私が少女の頃、推奨図書として図書館で読むような本でした。

私も何冊かシリーズである本のうち、1冊くらいは読んだおぼえがありますが、そのときは特に感動した、というおぼえはありません。

こういった少女の頃に読んだ、あるいは読んだものとしている名作文学、というレッテルの貼られたものをオトナになって改めて読み直してみるのはいいものだな、と思いました。(今回の私の場合は、読み直したわけではなく、DVDを見ただけですが・・)

思えば、私は少女の頃から、逆境にも負けず頑張る少女の話が大好きでした。

「小公女」(これなんか今思うと、よくこのタイトルで出版されたな、と思いますね。原題なら、和訳しようとはせずにせいぜいが「リトル・プア・プリンセス」とでもなるとこじゃないでしょうか。) 「アルプスの少女ハイジ」「ポリアンナ物語」・・etc.

まあ、時代が「貧しかった戦後の日本よ、はいあがれ!」というなかで生きてきた両親のしつけや教育を受け継いでいる、ということもあるでしょうが、どうして私はこんなにも健気に頑張る少女の話が好きだったのだろうか・・・

そこに私の原点もあるような気がしてきました。

それは林芙美子の作品ほどには「ここまでスゴイ人生ではちょっと私ならメゲて這い上がってこれないだろうな・・」という壮絶なものではなく、少女文学ということもあってか、どれも「頑張ればむくわれる!」というシーンばかりで構成されていたから、と言うことが大きいと思います。


「赤毛のアン」もそんなシーンのオンパレードだといっても差し支えありません。

そして見ているうちにアンの性格に同化していく自分がいて、次の困難に直面すると「アンならきっとこういう選択をするだろうな。ほうら、やっぱり、そうした!」というような心地よさがあるのは確かです。

孤児であっても、常に明るさを忘れない。

自分の置かれている環境のなかで最善を尽くす。

周囲の人たちへの感謝を忘れず、ときにはおせっかいというくらいの干渉をする。

自分に対して批判的な人たちを遠ざけない。むしろ、その人たちのそういう態度はどこからくるのか、ということを突き詰め、その人たちのその根底にある寂しさや辛さにスポットライトを当て、今度は助けようとする。

「赤毛のアン」を読書で全巻制覇したわけではない私は、アンの物語が実は戦争のなかで夫と生き別れになり、いろんな苦難を味わいながらも最後はまたグリーン・ゲイブルスに戻ってきて、幸せに暮らす、という壮大なスケールのものとは思っていませんでした。

一番、私が共感したのは、夫が従軍医師として戦争に参加するのですが、行方不明になってしまったとき、ほかの婦人たちは教会で祈りをささげるくらいしか出来なくて当たり前、と思っているのだけれど、アンだけは「もう、私は我慢できないわ! こんなところで座って無事を祈っているだけなんて。自分で確かめに行く!」と言って、赤十字のボランティアに参加して自分で最前線の戦地へいって夫の安否を確かめようとするところです。

いてもたってもいられなかったら、自分の気持ちの治まりどころを見つけるために行動する、というところが私にもそういうところあるよな、と思って共感をもって見ました。

高度成長時代のなかで多感な少女期をすごした私は、今の20代、30代の人たちよりはずっと「頑張ればむくわれる」ということを素直に信じてきた、今でも信じている世代だと思います。

時代が違う、と言ってしまえばそれだけになってしまいますが、

    つらいことがあっても笑顔で乗り切る。

    自分が置かれている環境と条件のなかで常に最善を尽くす。

    批判勢力には果敢に立ち向かう。

これらのことは、私も今後信条にしよう、と改めて心に誓いました。




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