団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

仙台まるごとパス

2018年05月14日 | Weblog

5月10日(木)から13日(日)まで3泊4日で仙台へ行ってきた。妻の学会に同行した。妻は学会で勉強している間、私は11日と12日の2日間、“仙台まるごとパス”2670円を購入してあちこち回ってみた。今回妻について仙台まで来たのは、牛タンとか、ずんだ餅を食べるためではなく、震災後初めて石巻を訪ねることだった。まるごとパスが使える範囲は、限られている。東松島より先は、範囲外なので切符を買った。それでも2日間を有効に使った。

①     仙石線

②     仙山線

③     東北本線

①      仙石線は仙台と石巻を結ぶ鉄道である。2005年第12回の『JR東日本 列車の旅 感動募集2005』に『家出』で応募した。最優秀賞を受賞した。まさに仙石線に乗って石巻へ行ったことを書いた作品だった。2011年の震災後、何度も来ようとしたが、そのたびに気持ちの整理ができず、この日になってしまった。思い入れが激しくて列車内で『家出』の中の自分の気持ちが他人の過去のように思えた。景色を楽しむことはなかった。沿線の海側のほとんどが防波堤というか津波対策の壁ができていた。草も木も海も島も空も震災がなかったようにそこにあった。石巻では『家出』で泊まった旅館を探した。探し当てることはできなかった。町はどこも新しい建造物だらけだった。

 拙著『サハリン 旅のはじまり』と『ニッポン人?!』を構成、編集、表紙デザイン、出版元への売り込み全てをやってくれた原孝夫さんが中心になって生前、石巻に石ノ森章太郎の漫画館を建立した。原さんは2010年に亡くなった。原さんがあれほど熱心に漫画館のために奔走した。それを私自身の目で見るために漫画館を訪れた。胸が苦しくなった。原さんの苦労の結晶が震災を乗り越え、再出発していた。「こんなことであきらめるか」と原さんが言っているように、漫画館の銀色に光るドームの曲線が、私の心の棘、角張った恐怖を和らげた。とにかく小心者の私が一歩足を踏み入れることができた。

②      12日は以前行きそびれた山寺へ行くことにした。仙山線に乗った。昨日乗った仙石線と違って仙山線は、山の中を走る。新緑が私の傷心を徐々に「美しい、綺麗」が埋めていった。山寺駅で下車。普通の人の足で往復2時間かかるという。私の足ではおそらく3時間以上であろう。ふもとから参拝。

③      仙山線に仙台駅から乗ろうとすると仙山線が運転見合わせになった。隣のホームから東北本線の白石行きが発車寸前。乗り込んだ。妻が以前勤務した病院のある町まで行った。駅から出なかった。ただ結婚前の妻がここで暮らしていたのだという感触を持ちたかった。

  今回尻が痛くなるほど電車列車に乗った。仙山線の先頭車両に乗っていて新潟県の越後線で線路上に遺体を遺棄された女児の事件を思った。こんなでかい重い車両が私の上を通過したら私の肉体はどうなるのかという恐ろしいことを想像した。運転手は、訓練中の女性だった。指導員に指示され、いちいち復唱して指さし確認していた。もし自分の運転する列車の目前に女児が横たわっていて、急停車も間に合わず轢いてしまったら、この女性運転手はどうなるだろう。真面目に働く人々さえ、巻き込んだ卑劣な犯行。犯人も同じ目に合えばいいと私の心の悪魔が叫んだ。


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