5月7日午後10時半頃、新潟市西区のJR越後線の線路内に小学2年の女児が横たわっていて列車に轢かれた。その後、警察の発表で女児は首を絞めて殺され遺体を線路上に遺棄されたと判明した。何とむごいことを。まだ犯人は逮捕にいたっていない。子供が大人に殺される事件が続く。比較的安全だと言われる日本でも子供を守る手立てをしなければならない時代が来たようだ。
① 子供を守れるのは両親、守る義務がある。
② ある程度安全は金で買える
③ いかのおすし
① チュニジアに住んでいた時、借りていた家の近くに学校があった。登校また下校時は学校近辺の道路は送り迎えの車で渋滞になった。チュニジア人の友人に尋ねた。「登下校の送り迎えをするなんて、チュニジアの親は子供を甘やかしすぎませんか。」 友人「子供が危険な目に合わないように、多くの親は自身で送り迎えをするのです」 子どもが誘拐されたり、大人の性犯罪の犠牲になるのは、世界のどこの国にもあることだ。それを知っているから、自衛策をとる。親が自分で学校まで送り届ける。そして下校時間には、親が迎えに行く。そこまでして子供を守ろうとしている。それを出来るのも金持ちに限られている。学校に通えない子供もいる。日本の親は、そんな余裕のある親はそれほどいない。
私は自分の長女の子育てを見ていて思う。何が少子化問題担当大臣だ一億総活躍大臣だと思う。議員は海外視察だといって世界を飛び回る。何を学ぶ。イスラエルのキブツの子育てを見たか。北欧の子育てを見たか。明治の偉人たちは、良いと思うことをすぐまねた。まだまだ日本では子供を育てるのは難しい。子供の人口が増えるはずもない。多くの庶民は、国会議員のお子様のように公用車で託児所に送迎などされない。子供のいる女性国会議員の待遇こそ庶民に広めるべきだ。それをするのが議員の仕事。庶民は勤め先に迷惑をかけながらギリギリな状態で子供の面倒を見ながら、働く。自分の子供が変質者の餌食になるのではと心配しても、とる手立てはない。ただ毎日安全を祈るばかりである。
② アメリカなどでは、警護会社に依頼して子供の登校下校の送り迎えサービスを受けることができる。警護会社を信用できるか否かは、また別の問題である。費用もかかる。本来子供を見守るはずの小学校の保護者の会の会長の男がベトナム人の小学3年生の女児を殺害して遺体を遺棄した事件もある。まさにだれも信用できない時代である。金があれば、安全をある程度買うことはできる。金がなければ、庶民の私たちは、悪に対抗する知恵を出さねばならない。知恵に値段はない。
③ 警視庁の防犯用語に“いかのおすし”がある。“いかのおすし”とは、“いかない”“のらない”“おおきなこえをだす”“すぐにげる”“しらせる” 新潟の女児が犯人の餌食になった理由は、この“いかのおすし”のどれひとつ役に立たなかったと想像する。今朝、女児は事件当日、登校時に不審者から声を掛けられ、学校で友達に知らせたとわかった。友達だったが“知らせる”を実践していた。それを受け止め対処するシステムができていなかった。子供が“いかのおすし”を実践しても大人が対応できていない。子供を殺すのは、変質者だけではない。大人と大人社会も殺しているのだ。無念である。しかし更に子供にこの“いかのおすし”を徹底させなければならない。一人でもその命を無駄な死から守るために。
連帯も協力も人間関係が薄くなる一方のこの国では至難の行動である。大人の変質者から子供を守る。残業だといって夫は、家庭をないがしろにして会社や役所に仕える。子供は塾だスポーツクラブだと学校が終わっても忙しい。これでは変質者に犯罪のチャンスを撒き餌のようにまき散らすだけである。更にこのような悲惨な事件から大切な子供を守るために日本の軌道を修正しなければならない。少なくとも現在の倍の時間を親が子供のために使える国にしなければならない。私の49歳の長男は、今日も残業で午前帰りしたそうだ。庶民のギリギリの生活が悪の温床をバックアップしてしまうのだ。