13日日曜日から、やっと静かになった。先週1週間朝から夕方まで隣町の町会議員選挙候補者の選挙カーが、がなり回っていた。環境が静かだとここを終の棲家に決めた。朝は小鳥たちのさえずりで目を覚ます。雨の日は裏の竹林に降る雨音さえ聴こえる。普段は人の気配さえ感じることがない。
私が住むところは、飛び地のように川を境にして別の町になっている。隣接する町に生活のほとんどを依存している。住み始めて初めての国政選挙で投票所へ行って驚いた。いたるところに貼られていた選挙ポスターの見慣れた候補者の名が投票所には貼り出されていなかった。私が住む町は、山を越えた向うが中心である。近所の長老に聞いた話では、明治の廃藩置県の時、川を境にしたので今のような飛び地状態になったそうだ。地図で境を決めたのが、このあたりの地形を知らない薩長出身者だった。川を境にしておけば良いだろうと決められてしまった。不便なことも多いが、もう慣れて、すっかり隣町の世話になっている。私はその町の住民でないと強く感じるのは、選挙の時である。もちろん投票用紙は届かない。もともと住民票がある町の選挙などでは、選挙カーさえ来ない。各家庭に毎月配布される広報も郵便受けに入らない。税金だけは徴収されるがあとは無視されているようで不愉快である。
我が町と隣町を分ける川は谷を流れ下る。谷は海に向かって扇状に広がる。隣町は2つの川の谷に人口が集中している。海に面する広がりでも2,3キロ。山々が海の際まで迫っている。谷の上流では数百メートルの幅しかない。私の住むところでも谷を挟む山と山の間は1000メートルあるかないかである。谷に沿って主要道路は1本しかない。駅近辺には交差する道路も多くなるが、それでも小さな町だ。
今回の町会議員選挙には17人が立候補した。17台の選挙カーがあの小さな町を走り回ったらどういうことになるか。選挙カーのラウドスピーカーの音量は最大限に上げている。谷間の町を17台の選挙カーがグルグル回り。私の家の川の向うの道路に4台の選挙カーが並んで走行するのを見た。笑い話のようだ。お互いに「○○候補のご健闘を祈ります」と心にもないことを言いながら。その合間を縫って時々暴走族が甲高いエンジン音を響かせる。谷間なので音が反響する。山には猿脅しイノシシ脅しの「パンパーン」も響く。
私は日本から早急に失くして欲しいものが2つある。ゴテゴテの野外看板と選挙カーだ。この2つがなくなったらどんなに良いか。こんな美しい自然を持つ国の住民が、自ら汚くうるさくすることはない。私は選挙カーにも野外看板にも効果はないと断言できる。アメリカ人の友人が言った。「日本に都市のラスベガスはないけれど、どこの町に行っても小さなラスベガスもどきがある」ゴテゴテのパチンコ屋のことだった。また選挙カーのがなりを聞いて「私ならあう言う人には絶対に投票しない」とも。そろそろ選挙カーでの選挙運動を禁止させようとする候補者。野外看板を一掃させると公約する候補者が出てきてもよいのでは。
静けさを取り戻した我が家は、やはり私たち夫婦が選んだ終の棲家に相応しい環境にある。昨日までの雨もやみ、陽が竹林に差し込んでいる。