団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

残念な息子たち

2016年03月17日 | Weblog

 『偉人の残念な息子たち』(森下賢一著 朝日新聞出版 660円+税)を一気に読んだ。妻に頼まれて図書館へ本を借りに行った時、カウンターに推薦本として並べられていた。いつものように簡単にタイトルの餌食に腹をすかしたロッキー山脈のマスのように喰いついた。

 久々の一気読みだった。ジョー・ケネディの息子エドワード、エジソンの息子トーマス・ジュニア・ウィリアム、アル・カポネの息子ソニー、ヘミングウェイの息子グレゴリー、ロックフェラーの息子ネルソン、ゴーギャンの息子エミール、ガンディの息子ハリラール、ジョージ五世の息子エドワード八世、チャーチルの息子ランドルフ、などなど。決して“他人の不幸は蜜の味”の悪趣味で読んだのではない。偉人と呼ばれ伝記まで出版され、世界中の子供たちに読まれている伝記の主人公たちの知られざる裏を覗いてしまったのである。偉人たちの活躍の影に家族、とりわけ息子たちの犠牲があった事実が私の関心をつかんだ。

 私が個人的に残念な息子にまず出会ったのは、カナダ留学を目前にして住み込みで英語を習った軽井沢のキリスト教アメリカ人宣教師のところであった。宣教師である父親は、自分の子供にもまわりの日本人にも他の宣教師にも厳しかった。ところが次男が残念な息子だった。私より年下であったが、東京の外国人学校を退学させられて軽井沢に戻ってきていた。手をつけられない不良少年だった。父親の前ではうまく立ち振る舞っていた。私はまじかであれほどのワルな16歳に接したことがなかった。

 カナダに渡って学んだキリスト教全寮制の高校でも残念な息子たちがいた。学校のスタッフの子弟である。彼らはグループを作って悪さの限りを尽くしていた。寮の生徒には厳しかったが、子弟が寮生と同じ扱いを受けることはなかった。人種差別もあり、また彼らは暴力的で寮生が集団暴行を受けることもしばしばあった。彼らの親は学校の要職についている者が多かった。キリスト教という宗教に私は落胆した。要職とその子弟に何の結びつきもないことにも気づいた。口で偉そうな宗教じみたことを説いても、自分の家族さえ救えない宗教指導者を尊敬することはできなかった。

 そういう自分も日本に帰国して家庭を持った。二人の子どもに恵まれた。子育てに参加することもなく、仕事にばかり時間を割いた。やがて妻は子どもを置いて家を出た。それから私の男手ひとつの子育てが始まった。あのまま私が仕事人間を続けていたら、私の子供も残念な子供になっていたかもしれない。何とか子供が残念な状態にならなかったのは、離婚という私を生まれ変わらせるような大事件のお蔭であった。子供にとって、私は素晴らしい反面教師となった。子供二人は偉人になることはないだろうが、ごく普通の庶民として真面目に働いて自立して生きている。幸い、私は子供にとって、重圧を感じるような偉人でもない。

 『偉人たちの残念な息子たち』を読み終わって大きなため息をついた。自分が歩んできた道の危うさに冷や汗をかく思いである。若い頃の野心と見栄と虚勢に押しつぶされそうになった。今では家にこもり、他人と口をきくこともほとんどない。妻を慕い、子の家庭円満を願いつつ静かに終わりを待つ態勢にいる。平凡であることが小さな喜びに思えてくる。 


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