団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

母と子

2024年02月13日 | Weblog

  今年の箱根駅伝で、ある大学の主将で走った選手をテレビで観た。この選手どうも見覚えがある。調べてみると私が住む地区の出身である。

 私の散歩コースは、川沿いの少し坂になっている歩道だ。まだここに越して来たばかりの頃、朝6時過ぎに散歩をしていた。毎朝、ひとりの中学生らしき男の子にだいたい同じ場所で出会った。私は、トボトボ歩きだが、彼は、幅広いストライドでとにかく早い。私を追い抜くとき、歩道から車道に降りて、私を一瞬で抜いてゆく。私は、これは年齢の差であって、あのくらいの若者なら当たり前の早さなのだろうと思っていた。散歩コースの途中に鉄橋がある。鉄橋の下は、数台の車が止められる場所がある。そこにいつも女性がストップウォッチを持って立っていた。息子らしい男の子が戻って来ると、ストップウォッチをとめて、何やら話していた。男の子は、車に戻り着替えをしていた。車が出て行った。私の想像では、彼は毎日走った後、学校へ母親に送って行ってもらっていたのだろう。

 そんな彼の姿が4月から見られなくなった。散歩コースで出会う人は、だいたい決まっていて見慣れた人が多い。その人を見ないと、少し心配になる。散歩しているのは、ほとんどが年寄りだ。たまに若い人もいるにはいるが、数人である。そこに十代の彼がいたのだから目立っていた。貴重な十代の子がいなくなった。残ったのは、みな年寄りになった。

 あれから7年後に私は、あの彼をテレビ画面の中に見つけた。駅伝の中継は、行きの第2区で彼は先頭を走っていた。駅伝中継は、先頭を走る選手をずっと追いかける。映っている時間が長い。彼はずいぶん大人になっていたが、中学生だった彼を3年間ほとんど毎日見ていたので、面影はしっかり残っていた。簡単に忘れていた9年前8年前7年前の記憶が戻る。応援しないわけにはいかない。残念なことに次の中継地点前で抜かれて、2位でタスキを次の走者に渡した。

 成長して箱根駅伝でも活躍する。何と凄いことであろう。そんな少年が、私の周りにいたなんて。話したこともない。でも毎朝すれ違っていた。あれほどの練習を毎日して、その結果が箱根駅伝で発揮されていた。彼も偉いが、彼の母親は、もっと凄い。ドジャースの大谷翔平選手もそうだが、一流スポーツ選手の多くの母親は、子に大きな影響を与えている。選手ひとりだけの素質や天性や努力に、それを支える親の援助協力がある。

 スポーツだけではない。私は、以前塾で教えていた。学校を終わってから、クラブ活動をしてその後、夕飯は、親の送り迎えの車の中で食べ、塾通い。そういう生徒に優秀な生徒が多かった。親子で支え合う。ある親に苦労ではと言った。その親は、「大変というより、子と話す機会が多くなって良かったです。先生が授業中に話したことを、私に話してくれます」と言った。恥ずかしかった。授業中に話すことに気を付けねばと思った。

 子育ては、人の最大事業と、私は子供に言い続けてきた。スポーツだろうと、勉強だろうとどの分野においても、親は子に影響を与えることができる。応援が、パワハラまがいの強勢や虐待にならないようにしなければならない。親は、子をダメにも良くにもできる。

 鉄橋の下で、ストップウォッチを持って待つ母親の姿が忘れられない。

 

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