団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

陸中野田で見た壁の津波到達線

2014年04月03日 | Weblog

  4月3日午前3時に津波注意報が発令された。最大1メートルの津波が日本の太平洋側に到達すると言われている。現在午前6時02分。未だに津波到達は報告されていない。

 今回の津波は南米チリで日本時間2日午前8時46分に起こったM.8.2の地震による。1万6千キロの彼方から押し寄せる。概算で時速500キロになる。その速度に驚かされる。

 6年前に東北出身の友人と岩手県陸中野田村の友人の親戚を訪ねたことがある。3年前の3.11東日本大地震で友人の親戚宅は津波で倒壊。親戚の家族が犠牲になられた。忘れもしない。そこの家のご主人の奥さんが「昭和35年(1960年5月26日)のチリ地震で、ここまで津波が来たんですよ」と壁に残された横にのびたぼんやりした線を爪先立ちで背伸びして指し示した。身長140センチくらいの70歳ぐらいの婦人だった。津波の到達点は私の身長を越していた。戦慄を覚えた。今でもその壁にあった津波の痕跡をはっきり思い出すことができる。あの家は3.11の津波で跡形もなく消えた。家族まで奪った。私が訪ねた時見たあの線をはるかに超えた大津波だったことになる。2メートルあまりの津波によって残されたあの壁の線を越えている。妄想が心胆を寒からしめた。3月11日テレビで津波が人間を、人間がつくったものをことごとく襲い破壊する実際を観た。陸中野田で見た壁の津波到達線が何度も浮かんでは消えた。結局3.11以降、数か月間茫然自失状態になってしまい部屋にこもってテレビを観続けるだけだった。

 7時23分陸中野田村の隣の久慈市の久慈港で30センチの津波が観測された。予報よりだいぶ遅い到達である。ただただ被害がでないことを祈るしかない。

 いつも津波予報で不思議に思うことがある。今回の津波も太平洋を横断して押し寄せている。予報は陸上の観測所からの報告が中心のようだ。太平洋上には多くの船舶が往来している。それなのに津波に関する情報が船舶からいうものがない。船舶は常に波の揺れの中にいるので津波と自然の波の区別がつかないのだろうか。以前テレビの番組で日本近海の海底に津波や地震の観測器を沈めてそれをケーブルで接続して万全の観測網をつくるという計画が着々と進んでいると紹介された。今回の津波には間に合わなかったようだ。ただ素人の私だが、航海中の船舶で津波を観測できないものかと考える。魚群探知機、無線、レーダーなど日本の多くの漁船や船舶には、電子機器が装備されている。海を行き交う船舶に津波を観測できる簡易装置をつけ、逐一情報を集めて津波観測ができれば役に立つのではないだろうか。

 今回、津波の到達が午前6時頃と予想されていたので、5時からテレビをつけ心配して見守っていた。報道では太平洋の船舶からの報告は一切なかった。世界中で多くの船舶が交易のため行き来している。今の科学技術をもってすれば、観測装置はもちろん、その情報を集約分析して寸時に正確で防災と人命救助に役立つ情報を集約分析できるシステムを立ち上げることができるに違いない。関係各位のさらなる研究に期待する。

 午前8時8分現在、チリ地震による津波の被害は幸いにしてない。

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