団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

母娘

2010年10月25日 | Weblog

 日頃、電車、駅で世相の観察をしている。バスも観察場所のひとつである。私は、バスの一人掛けの席に座るよう心掛けている。二人掛けの窓側に座ると、降りるバス停が終点への半分の距離なので、通路側の乗客に迷惑をかけてしまう。一人掛けに座っていると誰にも迷惑かけずに降りることができる。


 私の家の方面行きのバスは、駅から10分に一本の間隔で出発する。ありがたい。その日JRの改札を出たと同時に、前のバスは発車していった。私は、すぐに配車され、ドアが開いた次に発車するバスの一番前の一人掛けに座ることができた。この10分は、人間観察に良い時間である。一人掛けのこの席は、まるで昔の車掌さんのように乗客の乗り降りを観察できるうってつけの場所である。


 いつものように観察を始めた。発車間際、母親と娘の二人連れが乗り込んできた。二人とも顔が良く似た身なりの良い親子だった。娘は20代半ばぐらい、母親は50代前半とみた。娘がバスのステップを上がろうとしている。小児麻痺か何かの障害を持っているのだろうか。娘の右半身の動作が緩慢だ。装備されている手すりにしっかり左手をかけ体を支えている。左手、左脚に全体重をかけ、不自由な右手、右脚を何とか動かそうとする。たった3段のステップを上がるのもひと仕事である。母は後ろで黙って見ている。娘の脳は確実に手足の動かし方の指令を出している。しかし娘の手足の筋肉が命令に対して、正しく動かないようだ。私の背後の乗客から「何モタモタしているんだ。さっさと乗れよ」の不満の空気を察知した。待てない人が多くなった。せっかちなのだ。“せまい日本、そんなに急いでどこへ行く”と後ろを向いて言いたかった。


 目を母娘に目を戻す。それでも母は、手を貸さない。じっと待っていた。母は、娘に母がいなくなっても、娘がひとりで生活できるようそれだけを願って、今を生きているのかもしれない。いや、きっとそうであるに違いない。娘は上がりきる。


 私の顔全体の筋肉が一気にゆるんだ。母は顔色ひとつ変えずにステップを上がった。そして誰にでもなく頭を小さく下げた。

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