団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

旋毛(つむじ)曲がり

2011年10月14日 | Weblog

 9月25日の「山の恵み里の恵み」氏のブログに『慶応三年生まれ七人の旋毛曲(つむじま)がり』坪内祐三著 新潮文庫 税別895円のことが書かれていた。以前から「山の恵み里の恵み」氏の読書量と本の選択眼に圧倒されている。長野に氏のお宅を訪ねた時に直接、氏が読み終わって「面白かったから」と言われ、本をいただいた。海外にすんでいた時は、わざわざ送っていただいたこともある。氏の推薦本にはずれがなかった。


早速本屋でこの本を探してみた。うかつにも本の題名、著者、出版社名をメモしたノートを家に忘れてきてしまった。記憶力はもともと良くないが、老化現象による物忘れはひどくなるばかりである。本屋には探す本を検索できる機械がある。憶えていたのは、“7人”と“つむじまがり”それと“新潮”の3つのキーワードだけだった。あった。「店内に在庫あり 1冊」 嬉しいものである。何万冊という在庫がある本屋でこうして探す本にめぐり会えると、「山の恵み里の恵み」が山でお目当てのキノコを見つけた時の興奮に似ているのではと勝手に思い込んでいる。そして何より嬉しいのは、検索機が本のありかをちゃんと教えてくれる。“印刷”のボタンを押すと紙に印刷されて出てくる。Aの棚の1番の枠の中とか。広い本屋の中、まっしぐらにその棚に直行するのは、特権を与えられたようで痛快である。枠は3段の本棚の区画に絞られている。あとは自分の目で探すしかない。この残された作業が私を心地良く刺激するのである。「あるか」「ないか」「見落としているのだろうか」「タッチの差でだれかに買われてしまったのか」 そうやって見つけた本を手に取ると笑みがこぼれる。

多くの場合、こうして苦労して目的の本を手に入れると、その9割の本が徒労で終ってしまうことがある。読んでみると内容が期待したものでないことが多い。期待以上の内容であれば、私は先に読み進めるのが惜しくてたまらなくなる。今回も「山の恵み里の恵み」氏の目に狂いがなく、私の読書における最高境地であるページをめくるのがモッタイナイを随所で感じた。


まず慶應三年生まれの7人の旋毛曲がりとは①夏目漱石②宮武外骨③南方熊楠④幸田露伴⑤正岡子規⑥尾崎紅葉⑦斎藤緑雨の7人である。私は南方熊楠に並々ならぬ関心興味を持っている。本屋でこの人の名が本の題名に入っていれば買わずにいられない。「山の恵み里の恵み」氏のおかげで、南方熊楠と期せずして本の中で会うことが出来た。


旋毛曲がりを辞書で調べてみると「性質がねじけていて素直でないこと(さま)、そのような性質の人をもいう」とあった。けして良い意味ではない。しかし『慶應三年生まれ七人の旋毛曲がり』で旋毛曲がりを悪い意味で語ってはいない。むしろ褒め言葉としている。私は旋毛曲がりと面と向かって言われたことはない。自分の中に素直でない性質がふくまれていることは認める。高校の時の担任教師が前回出席した同級会で酔った勢いで「お前は、クラス一の変わり者だ」と顔面30センチに近寄られ、目の前で人差し指で指されその指をフリフリさせながら言われた。酔った勢いで相手のひとに言われた内容は、真実が多いと私は思っているから、私は傷ついた。“変わり者”を“旋毛曲がり”とあの時、教師に言われていたら、今回のこの本を読む気持がまた違っていただろう。まだまだ未熟者であることを痛感する。


いずれにせよ本を読むことでいろいろなことを教えてもらえる。いつか私もだれかにその人が読んで喜ぶような本を選別して差し上げてみたいと願っている。

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