団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

ワナの獲物

2011年10月18日 | Weblog

 妻は虫を怖がる。秋の訪れと共に虫たちの活動が活発になってきた。夕方、日の入りを待っていたかのように、家のまわりは虫の演奏会会場に早変わりする。家のベランダ、窓ガラス、網戸で虫を見つけては妻が大騒ぎする。特にゴキブリに異常な反応をしめす。私は深く考えることもなく、助けを求められるとゴキブリ退治に出動する。少しでも出動を減らすために、普段からゴキブリホイホイを家の中あちこちに配置している。このゴキブリホイホイは、ワナである。ワナは、獲物がかかっているか時々見て回らなければならない。妻は、この作業を絶対にしてくれない。ワナに獲物がかかっていれば、当然ワナを仕掛けた私は会心の笑みを浮かべてしまう。

 私は自分の中に存在する残虐性というか冷淡さに唖然とすることがある。先日いつものように洗面所に仕掛けたホイホイを手で取り上げ、中を覗いた。あきらかにゴキブリでない異様なモノが粘着糊にへばりついていた。ホイホイの中は暗くそのモノが何であるか判別つかない。

私は経験からこのゴキブリホイホイの仕掛けは細心の注意を払って組み立てる。ゴキブリは命がけである。だまし合いである。だから小学校の図画工作の作品作りのように気を入れる。ゴキブリホイホイを製造販売している会社も研究改良をしていることは認める。しかし企業の多くがそうであるように、合理化とか利益追求のため、なかなか消費者の痒いところまで手が届くような配慮まではできない。私はゴキブリホイホイを組み立てる時、出来上がりがほっこり空間があり、カクカクと直線的になるよう気をつける。そうするようになってから効果があがった。射しこみをする部分は、強力セロテープでしっかり固定してする。

 中を確認するために私はセロテープを剥いでゴキブリホイホイの箱を解体した。なんとカニが張り付いて死んでいた。サワガニである。私はかわいそうになった。わからない。ゴキブリがその状態で発見されれば、私は捕らえたひそかな喜びに浸る。ところがサワガニだとなぜ罪悪感のようなものを感じるのか。原始からの遺伝子の継承によるものなのか。私の感情の中のいったい何がこのような違いを生み出すのか。自分が怖くなる。サワガニの姿が頭にこびりついて離れなかった。しかしその感情が薄れてくると、今度はサワガニがどうして家の中にいて、何のためにゴキブリホイホイのワナにはまったのかの疑問で頭がいっぱいになった

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